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 おそるおそる最初の展示室に入ってみると、暗い部屋の中央に木琴が置かれていた。小学生のころに音楽室で見たものとまったく同じだった。木琴を照らすスポットライトのまばゆい光に誘われて近づいてみると、「優しく叩いてみてください」というキャプションとともに、バチが用意されていた。


 俺は指示通りにそのバチを握って優しく木琴を叩くと、アンプとスピーカーで増幅された木琴の音色が空間に響きわたり、周囲の壁にカラフルな抽象形体が投影され、それは竜巻のように勢い良く空間を包み込んだ。木琴を叩くのをやめると、音と形体は次第にフェードアウトし、やがて何事もなかったかのように部屋は暗闇に戻った。


 俺はメディアアートに復讐しに来た、そう思って今度は力強くバチを握り、力の限り木琴を叩いた。すると、バキッ、という音とともにバチの柄が折れ、先端部分が回転しながら吹き飛んでいった。折れた部分からは数本のケーブルと小さい電子基盤が露出していた。


 メディアアート作品といえど、芸術作品と名のつくものを故意に傷つけるのは忍びない気持ちもあった。しかしこちらは親を殺されているのだから仕方がない。このメディアアートは修理できるが、俺の両親の命は二度とかえってこない。そう自分を納得させた。


 次の瞬間、展示室の入り口から、

「ああっ、ちょっ、なにしてるんですか」と学芸員風の男が慌てて入ってきた。

 坊主頭で背が小さく、高い声をしていた。淡いブルーのシャツにベージュのチノパンという格好で、首から顔写真つきのIDカードをぶら下げていた。名前を確認することはできなかった。


「なにって、普通に優しく叩いただけですよ。中学校ではアームレスリング部に所属していたので力は他の人よりちょっと強いかもしれませんが。それに、優しくなんて曖昧な書きかたをされてもわかりませんよ。少なくとも、僕にとっては優しく叩いたつもりです」と、俺は折れたバチを片手に持ちながら、冷静に返答した。


 しかし、男は俺の言うことにあまり関心を示さなかった。


「困ったなぁ〜。これ石井先生の代表作なのになぁ〜。先生にスペアのマレットを持ってきてもらうように連絡をしないとなぁ〜」


「石井?」


「そうですよ。ご存知ない? あのメディアアートの第一人者である石井先生を?」坊主頭はその名前を知らないのは存外だと言わんばかりに、糸のように細い目を大きく見開いて、俺の顔を見た。


「知りませんね。メディアアートのことなど。ところで、これはどういうところがアートだったというんですか?」


「どういうところって……鍵盤を叩いたときの音と映像がきれいだったでしょう」


「モネの色彩に比べたらどうってことありませんね。わざわざ作品に触れなくとも、モネの絵は心に豊かな音色を奏でてくれますから」


 俺は坊主頭の男に向かって形式的に会釈をし、足早に部屋の奥のカーテンをくぐって次の展示室に向かった。






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