第7話

「今日は豊比売が邪馬台国の女王、日之巫女を継承した時の話をしましょう」

 本田は別に構えるでもなく、まるで昨日起こったことを思い出しながら語るような口調で語り始めた。

        *

 北部九州にあって、周囲から比較的容易にその山頂を臨むことができる日子山は、邪馬台国の王宮の地として、うってつけです。しかも、王宮へは山深い地なのに四方から道が通じ、交通の便がよく、兵の駐屯にもよい広い敷地もあります。

 戦いになってここを落とすには、周囲の山をぐるりと囲まなくてはなりません。それには相当の兵力が必要です。さらに王宮が攻められ避難する必要が生じても、多方面に道が通じており、攻めるに難しく、守り易い地であることはおわかりいただけるかと思います。

 さて、その日子山中腹にある、邪馬台国王宮では、朝早くから、広間には80人あまりの豪族や将軍たちが集まっておりました。

 御簾から一段下がって上座に私が、向かいには奴国王が座りました。その下に伊都国王が座り、邪馬台国内での力関係を如実に物語っていました。

 この頃からすでに邪馬台国は、奴国から発展した筑紫国と、後に多くの秦の民を受け容れ、仲津を中心に発展した豊国の、大きく二大勢力になる形ができつつあったと言えましょう。

 私が一つ咳払いをして、口を開きました。

「日之巫女さまの跡を継ぎ、この邪馬台国の女王となられた、豊比売さまでございます」

 静かに御簾が上がり、豊比売の姿が現れます。

「豊にございます」

 澄んだ、凛とした声が響き渡ると、豪族たちから感嘆の声が漏れました。

 ゆっくりと豊比売は左の手前に控える私に視線を移しました。

 微笑む豊比売を見て、私は驚きました。つい半時前に私が目にした豊比売とは、まるで別人なのです。

 あの愛くるしい、幼き頃の面影を残した豊姫とは違い、化粧や衣装の効果もあるでしょうが、母、日之巫女に勝るとも劣らぬ美貌と気品に、私は思わず、喉を鳴らしてしまいました。

 豊比売は左からぐるりと豪族たちを見回し、笑みはそのまま、強い意志を秘めた力のこもった視線を投げかけました。

「神託により、日之巫女さまの後を継ぎ、この邪馬台国の祭祀を取り行うことになりました。未熟者ゆえ、皆の力添えが必要です。よろしくお頼み申します」

 軽く頭を下げた豊比売の美しさと気品に気圧され、豪族たちは次々と平伏していきました。

 しかし、美貌だけでは、日之巫女の跡は継げません。我が母、日之巫女が老いてもなお、永きにわたって女王として君臨できたのは、巫女として他の追随を許さなかったからです。

 居並ぶ豪族たちは心の中で思っていました。

 確かに豊比売は美しい。しかし、いかに美しかろうとも、日之巫女さまの占いの力を超えることはできぬ、と。

 それは豊比売も、重々承知の上でした。

「間もなく太陽が隠れて、この世は暗闇に包まれましょう。急ぎ、蘇日の儀を行う準備を致さねばなりません」

 豪族たちは訝りました。

 今、朝日が昇ったばかりです。それが欠けるとは不吉であり、豊比売の予言通り日が欠けたとして、わざわざそのような日を選んで就任の儀を執り行う豊比売を、不審に思ったのは無理もありません。

 豊比売は鈿女うずめ命に命じて、太陽を正面にした岩戸の前に祭壇を築かせ、豪族たちをそちらに移動させました。

 祭壇には根ごと引き抜いた賢木が据えられ、枝の上の方には多数の大きくて美しい珠を、中の枝には大きな鏡を取り付け、下の方の枝には御幣を垂らして飾りました。

 と、その時、太陽の一部が欠けはじめ、みるみるあたりは暗闇に包まれ始めました。

 月が太陽を覆い隠したのですが、雲ではなく、月によって太陽が欠けるなど、理由を説明されたとしても、当時の地方豪族の知的水準では、理解しがたいことであったに違いありません。

 日蝕の日に合わせて女王就任の儀を行うとは、天文にも詳しい秦一族の血を引き、仲津宮で日之巫女の再来と言われた、豊比売でなくては考えもつかなかったことでしょう。

「鈿女命よ、舞を」と命じて、豊比売自身は祭祀を行うべく、岩戸の中に入りました。

 手力雄命たぢからのおのみことが、その扉を閉めます。

 豪族たちは不安になりました。

 ほとんど同時に、完全に日が隠れてしまったからです。

 天に日の光なく、地には神の代理となるべき豊比売の姿もありません。

 鈿女命は日陰蔓ひかげのかずら、古くは『ひかげ』と言いましたが、それをたすき掛けにして、真拆まさきと呼ばれるテイカカズラの蔓で鬘を作り、手には笹の小竹葉を結い、中が空のふねを伏せ、その上で踊り出しました。

 現在、京都にある松尾大社が酒と芸能の神として、仲津島姫命を祀ります。しかし地方の古い姿を残す松尾神社には、鈿女命も合祀されているところがあります。

 鈿女命の舞は巫女姿ではありましたが、神懸かりの舞で大きく動くせいか、胸もとや裾がはだけて、裳緒が太腿のあたりまで垂れ下がってしまうという、実にあられもない姿になってしまいました。

 その姿を見て豪族たちはどよめき、酒も入ったせいもあって、日蝕の不安や、新しい女王に対する懸念なぞ吹き飛んで、久しぶりに気持ちが高まり、大いに楽しみ笑いました。

 秦の者たちが持ち込んだ種麹は倭の風土と合い、苦味や雑味の出やすい赤米ではなく、白米の外側を削って精米することにより、沖那我、現在の沖縄の口噛み酒や、縄文の古から主流の果実酒とは違って、より澄んだ、アルコール度数が高く、切れのよい、深い味わいになります。

 そういう点でも、秦と密接な関係にある邪馬台国の技術力は先進的で、他国と較べ、格段に優れていたのです。

 日之巫女の占いの能力も、連合国の国々の首長たちにとっては重要でしたが、こういった秦の先進の技術を無償で提供してもらえる、という点も、彼らが日之巫女を女王として戴いている理由の一つでした。

 日子山の岩戸前は、日蝕のお陰もあって、まだ午前中だというのに、すでに夜の酒宴の様相を呈してきていました。

「豊比売は、今でこそまだ胸乳むなち小さいが、姉の高木姫は美しく、実にふくよかな乳をしていると聞く。必ずや豊比売もよい乳になるに違いない」

「おお、高木姫は確かに美人じゃ。乳の形もよいぞ」

「胸乳ならば、鈿女命の方が大きい。踊りながら乳が揺れる様は、悦楽至極」

 胸乳を肴に、これだけ酔えるというのは、なんとも男というのは、悲しい性です。いや、それ以前に、邪馬台国女王や元比売巫女の胸乳を肴にするとは、何とも罰当たりな輩です。

「いやいや、まだ小さき胸乳をこの手で揉んで大きくしてやるのもまた、男の喜びというもの。あの年であの美しさだ。妙齢になればもっと美人になるであろう。このまま巫女として一生を過ごさせるには、惜しい。実に惜しい」

 どちらが頭髪か顎鬚かわからぬような毛むくじゃらの好色親爺に、決して言われたくない台詞です。そんな親爺の毒牙にかかるくらいなら、巫女として清い身で一生を過ごした方がまだよい、と、あまたの巫女から言われそうです。

 それにしても、こんなことを言われて、よく、父である真若王が我慢していたものです。

 私は、と言うと、「孫にも等しき齢の豊比売を……」と、拳に力をこめながらも、かろうじて堪忍を守り通しました。

 四半時が過ぎ、次第にその上端より日の光が現れて来ました。

 手力雄命が岩戸に手をかけ、扉を開くと、その陽光を背に受けるようにして、豊比売が岩戸から出て来ました。その頭上には一層、強い日差しが降り注いでおりました。

 日が天空に上り、光量を増しただけだったのですが、豪族たちの不安は興奮に変わり、豊比売への賞賛となったのです。

「日之巫女さまの再来じゃ」

「いや、日之巫女さまより優れておわすぞ。この日の光が何よりの証拠」

 人の心というのは、何かちょっとしたきっかけで、一瞬のうちに変わってしまうものです。それが良しにつけ、悪しきにつけ。

 鈿女命は「その舞、天女が如し」と賛辞を受け、天鈿女命と称されました。猿田彦との子孫は、猿女君さるめのきみとして、大和朝廷で巫女として祭祀に携わり、その名を伝えました。

 豊比売、数えで13の、初秋のことでした。

        *

 日之巫女の跡を継いだ豊比売の最初の仕事は、日之巫女の葬送の儀でした。既に陵墓の造営や段取りは私が取り仕切っていて、お膳立ては既にすんでいたので、後は祭祀です。

 魏国皇帝勅使張政ちょうせいを筆頭に弔問が行われ、豊比売の若々しく澄んだ通りのよい声は、参列者の皆を魅了しました。

「魂が洗われるような、美しい声である」と、張政は賞賛しました。

 祭壇から陵墓が見えないほど、各国より多数の献上物が届けられました。

 中でも奴国は首長兒馬觚じまこ、副首長卑奴母離ひなもりら30余名が参列。赤米や、秦の技術指導でようやく栽培され始めたばかりの、大粒の白米が俵で届けられました。五穀の他にも、魚、烏賊いかの干物や果実が供物とし山積みされ、その国力を誇示していました。

「邪馬台国は良き後継者を得られた。これからも魏は、邪馬台国への支援を惜しまぬ」

 張政は日之巫女の時と変わらぬ、最恵国待遇の継続を豊比売へ誓いました。

 葬送の儀を終えて1週間後、魏国皇帝には張政ら派遣の御礼にと、大夫率善中郎将の掖邪狗えきやくら20人に命じて張政の帰還に随行させました。

 掖邪狗はさらに都に立ち寄り、男女生口、つまり奴隷を30人、白珠五千個、翡翠の大玉2枚、異国模様の織物20匹を献上しました。

 次に豊比売に与えられた課題は、国の復興です。

 筑紫、中でも筑後の米作地に水路を施し、大川には別に水路を造り、大雨時にはそちらに排水できるようにしました。また、大川下流を掘削し、洪水に備えました。

「三角池の水より市杵島の潮が、今年はかなり温かいようです。今年は大風が多く来るでしょうから、早くに稲を植え、ひと月早めに刈り入れるとよいでしょう。もし刈り入れ前に大風が来てしまったら、周囲に柱を立て、稲藁の縄で周りを囲い、稲穂が倒伏せぬよう、心がけて下さい」

 海水温が高いと台風が多く、勢力が衰えぬまま上陸し、猛威を振るいます。現代でこそ科学的な裏付けがありますが、豊比売はそれを住民や秦の者たちから教わって検証し、実践してみせたのです。しかもそういった最先端の知見を惜しげもなく皆に教え与えました。

 さらに、稲穂が倒伏して水に浸かると稲の実りが悪くなってしまいます。中には腐って病気が発生して、その地区の田が全滅することもあります。

 現代で言うところの『いもち病』がカビと同じように高温多湿の環境で発生、一気に広がることから、稲を密集して植えないこと、風通しの良い田にするために、雑草をこまめに抜くことなども指示しました。

 また、レンゲがたくさん花を付けた田では、稲の生育が良く背丈が高くなる反面、倒伏し易く、いもち病にかかる率まで高くなることまで突き止め、レンゲのすき込みの適量を試行錯誤の上、どの程度までなら大丈夫かをつまびらかにしました。

 こういった工夫を重ね、狗奴国やさらに南の熊襲の地は台風等により大打撃を受けても、邪馬台国は被害が非常に少なく、ますます豊かになっていったのです。

 また、香春の南、今任原の日子山川流域の地に桑を植え付け、一大養蚕地を作り上げました。

 そして香春の素盞嗚の血を受け継ぐ辛嶋一族に、製銅の技を惜しげもなく教え与え、さらには曲金まがりかねで、鉄器の鋳造に当たらせました。加えて才能のある者を仲津に迎え、専門教育を施しました。

 母の頃と異なり、卑弥弓呼を失った狗奴国の力は地に落ち、ただちに遠征して来る気配もありませんでした。

 一大率の五十良いそらを失った伊都国の力も衰え、人口が激減しました。これは伊都国を見限って民が豊かな奴国に流れていったせいもあるのですが、奴国が稲作に適した広大な平野を有していて、田畑を耕すには多くの人手を必要としたため、奴国に人々が次々と移り住んだからでもあります。

 元来、人口も多い奴国でしたが、他国からの流入と、食料の安定供給による人口の自然増が、さらに拍車をかけました。

 かくして邪馬台国には平和が訪れ、食糧事情も改善、安泰となったのです。

 そのため、朝鮮半島での戦を逃れて辰韓の地から、さらに多数の秦の者たちが渡って来ることになりました。

 豊比売はその能力に応じて職に就かせました。中に養蚕や機織りの新しい知識を持つ者がいて、これを重用しました。

 しかし、荒波の玄界灘を越えて渡り来るには、多くの危険が伴います。

 当初は対馬、現在の壱岐の一支国を経て末廬国に渡っていましたが、これでは日数がかかりすぎます。しかも朝鮮半島と対馬の西水道、対馬と壱岐の東水道、そして壱岐から現在の松浦である末廬国への壱岐水道は潮の流れが速く、風の強い日には思うようにたどり着けないばかりか、難破する船も多く、海を渡るには命がけでした。

 そこで晴れた日には加羅や辰韓から目視できる対馬の大浦と、そこから目視できる沖ノ島、さらにその先、大島に狼煙のろし台を作り、宗像の辺津宮を結ぶ最短の海路を作ったのです。

 この沖ノ島というのは実に興味深い島です。

 周囲四キロのこの島は、上から見ると台形をしていて、周囲はほぼ断崖絶壁です。しかしこれは見方を変えると、どちらから風が吹いてきても、それを避けて船を停泊させることができ、台風の時でさえ、大荒れの海でも島を挟んで反対側では波は高いものの、船の係留が可能なのです。

 最悪流されても、西なら一支国で一息入れて、再び伊都国や末廬国を目指すことができます。東に流されたら、見島から豊浦を目指せばよいのです。

 これは航海に通じた海人族の流れをくむ宗像君の後ろ盾のお陰、と言ってよいでしょう。

 さらに航海に必要な天候占いと航海安全の祭祀に重要な巫女を配す必要がありました。その養成に重要な役割を果たしたのが、仲津宮であり、豊比売の姉、高木姫でした。

 高木姫は教育者としても優れていたのですが、先代の日之巫女にも勝るとも劣らないその優れた美貌と肢体を存分に活かして、精力的に地方を回りました。

 そして、かつて武力で巫女候補集めをしていた時の出雲での過ちを、彼女は見事に払拭してみせたのです。

 対海国を廻った時のことです。

 首長の卑狗は最初はにべもなく断ったのですが、再度、お目通りを、と頼まれて、しぶしぶ高木姫に会った副首長の卑奴母離は、その場で卒倒しそうになったそうです。

 無理もありません。

 まるでこの世の者ではないほど美しい姫に、心を奪われてしまったのですから。

 絹を中心とした、肌が透けて見えるほど薄くて光沢のある非常に肌触りのよい衣も、いっそう美しさを引き立てていました。

 高木姫は、自らの肢体の美しさをさらに引き出すべく、幅広の帯で胸もとを下から持ち上げるように締め上げ、首から胸もとにかけて広々と、男の目を惹きつける谷間を演出して魅せたのです。

「ぜ、ぜひとも、我が娘二人に高木之入日売命さまよりご教育を賜りたく、なにとぞお願い申し上げまする」と、卑奴母離は額を床につけるほど懇願し、娘二人を差し出してしまったのです。

 二人の娘が高木之入日売命のように美しくなればよし、まかり間違って、その娘が仲津宮の比売巫女となり、さらに豊比売の跡を継いで邪馬台国の女王となろうものなら、これぞ大願成就。

 そう考えただけで卑奴母離の胸は高鳴り、期待に胸ふくらませることになりました。

 これに激怒した卑狗は、単身、高木姫の船に乗り込んだのですが、そこにたまたま居合わせた婢の美しさに心奪われ、さらに奥から出てきた高木姫を目にして、魂を抜かれたようにへたり込み、我を忘れてひれ伏してしまったほどでした。

 そのおかげで、高木姫ら一行の巫女候補探しは非常に速やかに、障害無く行われることになったと言います。

 そして訪れた各集落で歓待され、自由に少女たちに接し、多くの者の中から選抜することができたのです。

 こうして優れた者が選ばれ、仲津宮の高木姫のもとで修行を行った後、各地の宮に配されました。

 その中でもひときわ有名な巫女が、宗像は沖ノ島・沖津宮の田心たごり比売巫女ひめみこ、同じく大島・中津宮の湍津たぎつ比売巫女、そして豊国仲津宮についで重要とされた、辺津宮の市杵いちきしま島比売巫女です。

 彼女たちは宗像に配されたので、宗像三比売巫女と呼ばれました。後に『比売』が仲津と同じでは恐れ多い、あるいは仲津と同じでは紛らわしいとのことから、同じ音の『比咩』の文字を充てることになったので、三比咩巫女と書かれることもあります。

 市杵島比売巫女には、逸話があります。

 宇佐神宮の正倉院とも例えられるいつきの浜、現在の杵築の海沿い、奈多なた宮から三百メートルほど沖合にある、満潮の時には水没しかねないほどの小島に、ある時、幼い少女が流れ着きました。

 彼女は海を渡ってきたと言い、その言葉から、南伽耶国、あるいは出雲を追われた伽耶国出身の貴族の姫、もしくは天候に詳しいことから、月読博士の娘ではないかとも推測されているのですが、確かなことはわかりません。

 しかし、その少女の天候と潮流を予測する才には天賦のものがありました。驚くべきことに玄海の荒波と関門の潮流を、子供一人で越えて来たのですから。

 市杵島比売巫女という名は、後に付けられた名です。

 流れ着いた小島が、いつきを行う小島だったので、その少女は市杵島姫と呼ばれるようになったのです。さらにその少女の名前が島の名前となり、市杵島となったと言われています。

 もし、この島に流れ着かなかったら、飢え死に、あるいは水死していたかもしれません。よしんば、さらに南の地へ流れ着いたとしても、蛮族に捕らわれ、奴隷や慰み者になったかもしれません。

 そう言う意味では、彼女は強運の持ち主だったと言わねばなりません。

 高木姫は彼女を引き取り、倭の言葉と占術を教えました。

 ある夜、市杵島姫が館の建物を背に、外で天空を見上げていました。

「どうなさいました。故郷のことが恋しくなりましたか」

 たまたま通りがかった高木姫がそれを見て訊いたそうです。

 まだ倭国の言葉を習い始めたばかりで、思うように表現できないもどかしさからか、市杵島姫は寡黙で、多少ぶっきらぼうに見えることが多かったそうですが、この時は、天空の一点を指し、「あの動かない星、故郷では、もう少し上に見えた」と、答えたそうです。

 市杵島姫が指したのは北極星。

 確かに加羅国と仲津では緯度で2度近く異なるのです。

 高木姫は驚きました。

 まだ教えてもいない北極星の本質を見抜き、わずかな緯度の差を直観した、その鋭い観察力に、驚嘆したのです。

 聡明な彼女は、高木姫の教えをみるみる吸収し、仲津宮の比売巫女を10歳で継いで、豊比売の記録を更新しました。そして高木姫を母のように、豊比売を姉のように慕ったと言います。

 後に、前秦の初代皇帝から五世孫と言われる王族弓月君ゆづきのきみが、百二十県から三万人もの秦の者たちを引き連れて、百済から渡って来ることになった時のことです。

 その際、天候および潮流占いを引き受け、見事、この大人数を大過なく渡り果せたことで、三比売巫女は比咩大神と賞賛され、宗像大社に今でも祀られています。

しかし、無事に渡航できたとして、三万もの人々を養うというのは、並大抵なことではありません。

 奴国の人々との軋轢や、再び狗奴国に攻め入られることも考え、有明海を干拓することは取り止め、秦は秦で面倒をみるということになり、秦の民の本拠地東九州の現在の苅田から吉富にかけて、広い範囲で土地を耕すことになりました。

 かつて美夜古みやこと言われた京都郡苅田町。三角縁神獣鏡さんかくえんしんじゅうきょう十四面が出土した石塚山古墳、珍しい周濠のある御所山古墳など、大規模な前方後円墳があり、この地の隆盛を伺い知ることができます。

 美夜古という名がついたのも、家々の灯が満天の星空を地に映したように数多く、見事であったからです。

 また、一部は古くは鷹羽たかはとも記した田川の地へ進出。

 麦や稲を植えて食糧を確保するとともに、養蚕もさらに広げ、特産の絹織物を生産しては、奴国で産する米などと交換して、食糧事情を改善させました。

 中には秦酒公はたのさけのきみのように、京都は太秦うずまさに醸造と絹織の技術を持って進出して行った者もいます。秦河勝はたのかわかつのように、聖徳太子と関係が深かった者もいます。

 彼ら秦氏は広隆寺こうりゅうじ、別名太秦寺うずまさてらを氏寺として、近畿地方に広がっていったのです。

        *

 豊比売が新たな日之巫女となってからというもの、母の頃と違って朝鮮半島への遠征もなく、邪馬台国全体が平和になり、たまに土蜘蛛つちぐもと称する土着の、邪馬台国に帰順しない豪族がいて、数百の兵を率いて討ちに赴くこともありましたが、それも数えるほどになってしまいました。

 対外的には豊比売が祭祀を主に行い、私が実務的な政を行っていたので、傍から見れば私が大王のような存在に思われることがありました。あたかも、日之巫女の時の伊都国王五十良のように。しかし神にお伺いを立てて政を行う都合上、邪馬台国を統べるのは豊比売でした。

 最も違ったのは、私は豊比売よりかなり年長で、当時、すでに齢三十になろうとしていたことでしょうか。

 一方、豊比売はますます美しく成長し、二人で仲むつまじく談笑している様は、周囲からは夫婦と間違われることもあったほどです。

 ある日のこと。

 私が熱を出し、公務を取り止めたことがありました。

 豊比売は朝のお勤めを終えると、その足で宮元にある、私の館を訪れました。

「義兄さま、お加減はいかがですか?」

「おお、豊比売さま、わざわざのお渡り、恐縮です」

 そう答えて、私は体を起こそうとしました。

「何を申されます。義兄さまは義兄さま。宮を離れて日子の山を下りた今の私は、幼き頃、義兄さまと妹背の仲を誓った一人の女、豊です」と言って豊比売は襖を開けて入り、居ずまいを正しました。

「これは日之巫女さまもお飲みになっていた、日子山の霊験あらたかな神霊水です」

 そう言うと、柄杓にすくって、薄く木をくり抜いて作った椀に移し、手渡しました。

「これは、かたじけない」と言いながら、私は上半身を起こして椀を受け取ると、一気に飲み干しました。

 気のせいか、豊比売の口もとが緩み、瞳が潤んだように見えました。

「さあ、お休みになって、義兄さま」

 私が横になると、布片を取り出し、別の壺の中に浸して絞り、私の額に当てました。

 その夜、なんと豊比売は一晩中、私の寝所で付き添ったのです。

 翌朝にすっかり熱もひいて、目を覚ました私の足もとに、明け方に少し微睡まどろんだ豊比売が伏しておりました。

 私はそっと一枚衣を掛けて、しばらくその寝顔を見つめていました。

 ところが3日後、今度は豊比売が高熱で倒れたのです。

  侍女たちは慌てふためき、私の館に飛んで来ました。

 急ぎ王宮に参じた私は、豊比売のその様子から、自分の病がうつったと確信しました。少し咳も出ていて、今で言う、インフルエンザだったのでしょう。

 しかし意識が朦朧として、女官たちが声をかけても答えがありません。女官長がうろたえながら、「何かの穢れか悪霊が、取り憑いたのでございましょうか」と、私にすがるように訊いてきました。

 私は「流行りの熱だ、案ずるでない」と言って、豊比売が私に飲ませてくれた神霊水を持って来るよう命じました。

 ひどい汗で、豊比売の唇は乾ききっていました。侍女が声をかけても、口を開けようともしません。

「昨夜からずっとこのようなご様子で、目もお開けになることなく、時おり、うなされているようでございます」と、うろたえながら女官長は言います。

「今すぐ、豊比売のお召し物を着替えさせよ」

 私は几帳から出ると、女官たちに命じました。

 着替えをすませて少しは安らかな寝顔になったのですが、依然として高熱が続き、さらに脱水状態が進んで脈が触れないほどになってしまいました。

 私は意を決して、女官たちを遠ざけると、神霊水を口に含み、豊比売に口移しに水を飲ませようと試みることにしました。

 最初は唇を動かすことすらしなかった豊比売でしたが、口もとから水がこぼれ落ちると、わずかに唇を開けました。

「よし」

 私は小声でそう言うと、もう一度試みてみました。

 すると豊比売の開いた唇は水を求めて、大きく動いたのです。そして、小さく喉を鳴らして水を飲み込んだのです。

「よし、よし」

 私はさらに多く口に含むと、口移しで水を飲ませました。

 繰り返すこと五回。ようやく豊比売はゆっくりと目を開いたのです。

「お気づきになられたか」

 私の姿を目にして、豊比売は慌てて夜具を引きかぶるようにして、目から上だけ出して言いました。

「沐浴も致しておりませぬ、このような姿をお見せするとは……」

「今、水浴みなどしては、かえって体に障ります。それに、先ほど女官たちに命じて、着替えはすませております」

 私はは柄杓で椀に水を移すと、豊比売に差し出しました。

 体を起こして飲もうとした豊比売は、自身の唇が濡れていることに気づいたようでした。そして顔を上げて私に視線を移したところ、私の唇も濡れていることに気づいたようです。

 豊比売はそれがどういうことか、すぐに察しました。椀に視線を落とし、頬を染めて俯いてしまったのです。

「早く飲まれよ」

 豊比売は小さくうなずいたものの、唇を指でなぞると、恐る恐る私を見上げました。

 私と目が合うと、慌てて視線を逸らします。

「あ、有り難うございました」

 そう言うと、豊比売はさらに頬を染めてうつむいてしまいました。

 私はその仕草から、豊比売が寝ている間にされたことを気づいている、と確信しました。

「は、早く飲まれよ」と、少し上ずった声で繰り返します。

 豊比売はもう一度小さくうなずき、椀を手に取ると、一気に飲み干しました。

「さ、休まれるがよい」

 私は豊比売の頭に手を添えてゆっくりと豊比売の体を倒して、夜具をかけました。

 豊比売はその時、少し不安になったそうです。そして自問したそうです。

 誉田別尊は皆にこのように優しいのだろうか。姉さまにもこのようなことをされたのだろうか。そして、私はまだ子供だから、誉田別尊は私にこのようなことをしても、平気なのだろうか。私はこんなに胸が高鳴っていると言うのに。

 急に豊比売は寝返りを打つと、私に背を向け、「義兄さまがそんなに見つめていると、眠れませぬ」と、少し怒った口調で言いました。

「あ、ああ……。それでは、そろそろ戻るとしよう」

 そう言って、私は腰を上げ、足もとを回って几帳から出ようとしました。

「お、お待ち下さい、別尊……」

 急いで上半身を起こし、潤んだ瞳で懇願するような表情をしましたが、次の瞬間、意識を失って、そのまま仰向けに倒れてしまいました。

 私は几帳を跳ね飛ばしながらも、豊比売をなんとか倒れる前に抱き留め、ゆっくり寝かせました。

 横になると、豊比売の意識はすぐ戻りました。

「も、申し訳ございません、別尊」

「急に起き上がると、また目を回しますぞ」

 豊比売は横になったまま、私に両手を伸ばして、少し甘えるような声で言いました。

「義兄さま、私を起こして……」

 私は小さくため息をつくと、そっと抱き起こします。しかし豊比売はそのまま手を離しません。

「もう少し、もう少しこのまま……」

 中腰の私はそのまま腰を下ろすと、豊比売の背中に手を回し、「ええ、いいですとも、豊比売」と言って、しばらく抱いたまま、その長くて美しい髪をゆっくり梳き続けました。

 一部始終、その様子を見ていた者がいました。奴国の有力者の子息が通って来るようになったという侍女です。

 几帳が倒れて、中の様子が丸見えになり、うら若き侍女は私たちの睦事に胸の高鳴りを抑えるのに必死で、他の侍女や女官が入ってこないか、気が気でなかったようです。

 まるで蛇のように這いつくばって、私の背中の方から回り込み、倒れた几帳を起こすと、そのまま後ずさりして、元の控えの場所に戻ろうとしました。

 ふと、後ろに人影を感じて、恐る恐る這いつくばったまま顔を回して見上げると、そこに女官長の姿を認め、その場で凝固してしまいました。

「何をしておる」と、少し声高な口調で侍女に言ったものの、固まってしまった人間には何を言っても、無駄。冷や汗をかいて、ますます固まるだけです。

 その声は几帳の奥の私たちにも届いていました。

「豊比売さまのご容態は?」

 そう言うと、奥へ入って行きます。

 几帳の手前でいったん正座し、「豊比売さま、お加減はいかがでございましょうか」と言って、几帳の横からそっと顔を出し、奥を覗いて、今度は女官長が絶句しました。

「こ、こ、これは誉田別尊……」

 私が寝所にいたことを、驚いたのではありません。

 まず、女官長の目に飛び込んできたのは、慌てて取り繕ったと覚しき夜具の乱れと、豊比売の紅潮した顔でした。

 さらに、陶然とした表情とも取れる豊比売の熱によるうつろな瞳、そして肩で息をしている呼吸の荒さを目にすると、驚くのも無理からぬことでしょう。

 落ち着いて考えれば、熱を出していたので息が荒くて、顔が紅潮しているのは当たり前なのですが、大いに狼狽、勘違いした女官長は、「こ、これはとんだご無礼を……」と、慌てふためいて、ぐるりと回れ右すると、日頃の慎み深さはどこへやら、足音を立てながら、大股で豊比売の寝所を後にしてしまったのです。

「これは、大変なことになるやも知れませぬな」

 女官長の後ろ姿を目で追いながら、私はまるで他人事みたいな口調で言いました。豊比売も上気した顔で微笑みながら、同じように他人事のような口調で言いました。

「はい、まことに……。大変なことになるやもしれませんね」

 二人は顔を見合わせると、小さく吹き出した。

 その夜、私は豊比売の枕もとに付き添い、翌朝、朝餉を豊比売と一緒に食して、国務へと出かけました。

 几帳の横から出かける私を見送りながら、豊比売は側に仕えていた侍女に小声で呟くように訊いたそうです。

「朝、背の君を見送る気持ちと言うのは、こういうものなのですか?」

 侍女は顔を赤らめ、「恐れ多いことでございます」とだけ言って、伏して答えませんでした。

「それとも誉田別尊は、妾を娘のように思っておられるのか……」

 少し寂しげな表情で見送っていたそうです。

 その日、女官長は朝から悩んでいました。

 豊比売さまは、女王をお辞めになるのであろうか。それとも、日之巫女さまのように隠し通して、隠しおおせないとわかった時点で公表し、それまでと同様に振る舞われるのだろうか。

 まずは結婚の儀を密かに行い、日之巫女さまや仲津彦尊の御霊前に報告しなくてはならない。

 誉田別尊が豊比売さまのところにお通いになっているという話は、まったく聞いていなかったが、いつからなのだろうか。

 思いあまって女官長は、その夜のお付きの侍女を呼び出して訊きました。

 侍女は平伏したまま答えました。

「昨夜、初めて誉田別尊が寝所にお通いになられた様子でございます」

「そうですか……。ならば明後日の朝餉の際には、内々でお祝いをせねばなりませんね」

 侍女は顔を上げて、不思議そうに訊いたそうです。

「何の祝い、でございましょうか」

「何の、とは……。三日みかの祝いに決まっているでしょう。それとも奴国の者が相手の場合は、また祝い方も違うのですか?」

「め、滅相もございません」

 侍女は平伏して、床に額をこすりつけながら言ったそうです。

「それにしても、訊いていませんか? 今後、いかがなされるのか」

「な、何を、でございますか?」

「そなたは、本当に気が回りませんね。婚姻のことに決まっているでしょう」

「はぁ……」

「かようなことになってしまったからには、豊比売さまには、なんとしてもお幸せになってもらわねば。そしてこのことは、王宮以外には決して漏れぬように。もし漏れるようなことがあったら、厳罰に処します。いいですね」

「は、はぁ……」

 その夜、遅くなって私が再び寝所を訪れました。

 待ちわびたのか、私のもとに駆け寄ったものの、豊比売は「今宵は、もう、おいでにならないかと思いました」と顔を伏せ、拗ねた声で言うのです。

「いや、豊比売のお顔は、日に一度は目にせぬと、安心して眠ることもできませぬ」

 そう私が答えると、瞳を輝かせて、「まことに、まことに?」と、抱きつかんばかりに訊きます。しかし、すぐ、「日に一度とは……。私は誉田別尊の姿が見えなくなるだけで、もう、おいでにならないのではないか、と案じてしまいます」と、また少し拗ねた表情で、嬌態を作ります。

「でも、こうしてまたお姿を目にすると、一日のお勤めの苦労や疲れも、吹き飛んでしまいます」

 そう言うと、私の衣を掴み、胸もとに顔を埋めるようにして、笑みを浮かべながら目を閉じた。

 その夜も、私は夜遅くまで豊比売と話に興じ、褥と夜具は別々ではありましたが、向かい合ってしばし夜伽をして、豊比売が眠ったことを見届けた後、眠りに就きました。

 明け方、目を覚ました豊比売は、横に私が心地よさそうに寝息を立てて眠っているのを確かめると、そっと人差し指で私の唇をなぞって自分の唇に当て、安堵の表情を浮かべて、再び床に就いたそうです。

 お付きの侍女は、豊比売の方からことに及ぶのではないかと思って、いつお手をさしのべるべきか、ドキドキしながら見守っていたそうです。なんとまぁ、はしたない侍女でしょう。きっと、奴国の青年との逢瀬を思い出して、体を熱くしていたのでしょう。豊比売がそんな方ではないのは、誰の目にも明らかなのに。

 翌朝、私が豊比売と朝餉を一緒に食し終わった時のこと。

「誉田別尊にお目にかけたいものがございます」

 侍女が恭しく捧げ持って来たのは、薄墨色の絹の衣袴でした。喪服らしく絹であっても、光沢を抑え、細糸できめ細かく織ってあります。

 服の合わせは紐で留めていて、仲津宮の御紋であり、私の紋章でもある一つ巴がすでに刺繍されています。加えて厳冬期用に重ね着ができるようになっており、内の衣もすべて絹という逸品でした。

 当時は国内の機織りの技術は未熟で、一枚の大きな布を作り出すことが不可能でしたが、秦の民は「つなぎ」にしなくても、手間暇かければ作ることが可能でした。

 もっとも、倭国ではそれを逆手にとって、色とりどりの色彩豊かな錦様の異文雑錦を作り出し、それを豊比売が魏国皇帝に献上したこともありました。

 私はその衣袴の美しさに感嘆したのですが、これを作ることができるのは、王宮に仕えるごく限られた秦の民くらいです。誰に頼まれて作ったかは、一目瞭然です。

 しかも豊比売の衣裳と、上の重ね着の部分の色の濃淡の度合いも同じで、縫製等、基本的に同じ作りです。いわゆる「お揃い」なのです。

 これを着て王宮から朝帰りすれば、何があったのか、まるで皆に吹聴して回るようなものです。

 でも、私は豊比売のその心根がいじらしくて、断れませんでした。いや、嬉しくて、そこまで考えが及ばなかった、と言った方が正しいかもしれません。

 豊比売は熱も引いて、気分もかなりよくなったのか、はたまた自分が選んだ衣袴を私が着てくれたのを喜んだか、その朝は笑顔で見送ってくれました。

 そして夕方。日が山々の合間に隠れる前に、再び私は王宮を訪れました。

 まるで申し合わせていたかのように、豊比売もお勤めを終えると、すぐに饗応してくれました。

「これは、今朝いただいた衣袴の、お返しです。どうぞお納め下さい」と、侍従に持参させた衣装箱を目の前で開けました。

「こ、これは……、日之巫女さまの盛装」

「母が魏国の遣いを饗応した折、身につけていたものです」

 豊比売は手に取り、抱きしめました。

「日之巫女さま……」

 閉じた眼瞼の間から、一筋の涙が流れ落ちました。

 その夜も、豊比売と遅くまでとりとめもない会話をして、明け方近くにまどろんだものの、少々寝過ごして侍女に起こされ、間の悪かったのなんの。それでも、なにはともあれ三日三晩寝食を共にした妹背は、結婚が成立したとして、神に報告しなくてはなりません。

 しかし豊比売は、未だ私に体を許してはいませんでした。

 それは、神と霊的に交わることにより神託を得るという、巫女としての職を全うすべく、限界のところで身を律していたからです。

 そして私も、まだ正妻を迎えることなく、豊比売がまだ幼き頃の誓いを守っていたのです。

 二人の気持ちとは関係なく、王宮では三日の祝いが行われました。

 私は豊比売と顔を見合わせましたが、すでに祝い餅をはじめ準備が整っていて、否定するのも野暮。祝いの席が密かに執り行われることになったのです。

 一週間ほど経って、私たちは仲津宮を訪れました。品陀真若王はすべてご存じでした。豊比売が文で報せていたからです。

「この仲津の真の主の誉田別尊と、盟主邪馬台国の日之巫女さまをこういう形でお迎えできること、光栄至極にございます」

 真若王は「結婚」のことには一言も触れず、私と豊比売を饗応しました。豊比売はそんな父の姿を見て、少し寂しげな表情をしていました。本当は娘として、父に甘えたかったのかもしれません。

 それにしても気の毒なのは、女官長でした。

 肯定も否定もしない二人に、「ご懐妊されたあかつきには、公務はいかが致そうか」と、やきもきしていたのです。

 ひと月が経ちました。

 女官長は気が気でありませんでした。

 豊比売に月のものが来たかどうか、何としても訊かなければならなかったからです。

 もし、来ていなければ、ご懐妊あそばされた、ということで、公務を大幅に見直さなければなりません。いや、下手をすると、女王の座を明け渡すことになるかもしれないのです。

 その場合の後継者は誰に?

 実力ではかるなら高木之入日売命が有力ですが、豊比売に仲津宮の比売巫女を譲った後は、一線を退いています。それに豊比売は、我が母、日之巫女すら一目置いた比売巫女です。代わりが務まる者など、そうそういるわけがありません。

 お陰で夜も眠れぬ女官長でした。

 次第にやつれ果てていく姿の女官長を目にした豊比売が心配になって、「近ごろ様子が優れぬようですが、どこか具合でも悪いのですか?」と、訊きました。

「いえ、少々……、月のものが……」

 ボーッとしていて、思わず口走ってしまった女官長は、さすがに慌てました。

「そう言えば、月のものがある時、いつも頭が痛いと申しておりましたね。薬草を選んでおきますので、煎じて飲まれるとよいでしょう」と言って、豊比売は薬草庫へ向かおうとしました。

 遮るように女官長は頭を振ります。

「いえ、違いまする。豊比売さまはお体が大丈夫かと……」

「大事ありませぬ。この通り元気です」

 そして数歩、歩き出して、思い出したように振り返って言ったそうです。

「そうそう、私も二日前に月のものが始まりましたが、私は頭が痛くなったりはしません。それに誉田別尊とは、皆が案ずるようなことは致しておらぬゆえ、心配には及びません」

 あからさまに、女官長は安堵の表情をしましたが、まだどこかに疑念が残った様子でした。

「しかし、あの一月前……」

 言いにくそうに、私と豊比売が寝所にいた時のことを口にしたそうです。

「ああ、あれは熱を出して具合が悪かったところを、誉田別尊が見舞って下さったのです。起きあがろうとしたら倒れてしまって、誉田別尊が受け止めてくれなければ、頭を打って、本当に意識を無くしてしまうところでした」

 豊比売は素っ気なく言うと、小さくクスリと笑って部屋を後にしました。

 へなへな、と女官長はその場で腰を落とし、がっくりと手をついて、しばし立てなかったそうです。

        *

 私はしばらく開いた口が塞がらなかった。

 それもそうだろう。のろけ話を延々と聞かされたのだから。しかもそれをほとんど表情を変えず、淡々と話し続ける本田に、私は驚異の眼差しを向けてしまった。

「つい、話に夢中になってしまって申し訳ありません。今日のところはこれくらいにしておきましょう」

 本田は睡魔王の異名を持つ文化人類学の某大学酒井教授のように、まるで時間が来てチョークを置くかの如く、話を中断した。酒井教授との最大の違いは、本田の話ではまったく睡魔に襲われることはなかったことだ。

 それにしても、いつまで聴き続ければよいのだろうか。

 ちらっと、そんな不安が頭を過ぎって行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る