ss-03 ムロンの牙
「おお、
実に朗らか、まこと親しげな殺害宣言もあったものである。
主直々にお選びになった騎兵らを、紙切れが如くに吹き飛ばす。笑うしかない。我が予断の外、故にこそ埒外は埒外なのである。
「ウロ殿は、主の側についておらぬで良いのか?」
「なに、気にするな! 儂の主は戦よ!」
些細な揺さぶりも、まるで通じぬ。
とはいえ、さすがはトゥバの精兵たちである。勝てぬと判ぜば、すぐさま受け流しに転じた。
「お、おおっ、お?」
我が元に直進せんとしていたゴンス・ウロであったが、その矛先がやや逸れた。無論、それすら僅かな暇を稼ぐに過ぎぬ、のだが。
「――煩わしい!」
その、一振り。
血嵐とともに、彼我を隔てるものが取り除かれる。
我が身に迫る脅威ながら、思わず感嘆してしまう。
よくぞ、その身はおろか、馬もまた勢いにねじ切られずにおるものである。
とはいえ、さしものゴンズ・ウロであっても、止めるのには難儀するのであろう。いちど矛先を頭上へと流し、止めた。
ぞわり、と悪寒が走る。
彼我の距離からすれば、届くはずがないのだ。なれど、予感が告げる。人馬一体の振り下ろしは、過たず我が頭蓋を割るのであろう――
「困るな」
仮に、トゥバ・チェン様よりの横撃が、間に合わなんだとしたならば。
「ッ!」
死角より飛ばされる刺突が、わずかにゴンズ・ウロの脇腹をかすめる。標的を捉えること叶わなくなった矛が、苛立たしげに横凪ぎとされた。
切り飛ばされるは、馬の首のみ。
ひと息早く跳躍したトゥバ・チェン様は我の乗る馬の片隅に着地、その手綱を握られる。
「ここな男を誰よりも殺さんと願うは、我らが大人よ。貴公に奪われでもしたら、おれが殺される」
「ぁあん?」
ゴンズ・ウロの声が、ひときわ低くなった。
先ごろ我を狙いたる矛は、いまやトゥバ・チェン様のみを向く。轟音すら伴う振り下ろし。しかし虚しく宙を切り、地面を大きく抉るのみ。
ゴンズ・ウロが舌打ちした。
「ここで死ぬお前がか?」
「殺せん貴公の台詞ではあるまい」
ゴンズ・ウロの笑みは、それを見たのみでも人を殺さんばかりである。
が、対峙もそこまで。
両者の合間に、槍のひと突き。
「ゴンズ将軍。お戯れも大概になされよ」
現れたるは、別なるムロン将。
細身の男、ユン・ミァであった。
「ミァ! お前までわしの餌を奪うか!」
「何を仰られます」
槍を引き戻し、しかしその目と穂先は決して我らより離さぬまま。
「将軍向きの餌は後背に迫りつつありましょうに。枝葉にこだわり、幹を見過ごしておられる場合ではございますまい」
「む?」
ユン・ミァの言葉を受け、見る間にゴンズ・ウロよりの殺気が霧散する。
「それを先に言え! なら、そこの羽虫を寄せつけるなよ!」
「御意」
やり取りの合間にも、トゥバの兵らはゴンズ・ウロに攻撃を仕掛けていた。しかしその全てが、馬首を返すおまけの一閃にて薙ぎ払われる。
ゴンズ・ウロが向かうは、主のもとであろう。だが、我らにはそれを阻む手立てがない。ユン・ミァの穂先は、寸毫にも目を離さば、我らを貫こう。
「羽虫は辛いところだな、軍師殿」
「致し方ございますまい。なれば、精々煩わせましょうぞ」
ユン・ミァの率いる隊が展開する。左右に広がり、やや両端を前に出す。徹底した、受けの姿勢である。
こちらも態勢を立て直す。トゥバ・チェン様には新たな馬が供される。
睨み合いには、何の益もない。我らはユン・ミァを抜かねばならぬ。
その向こうからは歓声が上がる。主が敵将ムロン・バオのもとに届いたか、あるいは。
錐のごとく兵勢を尖らせ、一点にて抜く。そのためにも一度手勢を広げ、面にて敵に当たる。併せてトゥバ・チェン様率いる突騎には敢えて下がり、刺し貫くだけの勢いを貯めていただく。
「掛かられよ」
我が気迫に乏しき声にも、トゥバの精兵は裂帛の気合を以て応え、ムロンの陣に踊りかかってゆく。
敵もさるものである。巧みに急所をそらし、受け止める。
加えて、いつの間に用意をしたのか。ユン・ミァの隊の合間合間に見えるは、こちらに向けて鋭き木の切っ先を向ける、馬防柵。
馬をよく知るはムロンとて同様である。対応を取るは当然のことであろう。しかしながら.柔軟に過ぎる。
すぐさまトゥバ・チェン様に向け、突撃の中止の合図を送る。迂闊に飛び込まば、甚大なる被害がもたらされよう。
既に走り始めておられたトゥバ・チェン様の馬であったが、我が元にたどり着くまでには、並足にまで戻っておられた。
「軍師殿、どうされた」
「思った以上に、備えられておりました。周り込もうにも、他の陣営の立て直しも速い。地道に削るより他なきようにございます」
トゥバ・チェン様が舌打ちをなされた。
「やはりはムロンかよ! どうにも楽はさせてくれんらしい」
主と真逆の言葉を耳とし、斯様な場にありながらも、笑いがこみ上げそうになる。
「なれば、皇叔。如何に難敵を踏みにじるかに、意を注ぎましょうぞ」
とは申せ、ユン・ミァの呈ぜる陣容は堅固。攻め手はまるで示さず、ただ得るべき時を稼ぐを至上としていた。
強襲は甚大なる敵軍の損壊をこそ至上とする。ユン・ミァに堅牢なる陣を敷かれたところで、目論見の半ばは潰えたに等しい。
歩騎の立ち上らせる砂煙を眺むらば、我が不明を痛感せずにおれぬ。まこと、戦の只中に立たば、見出し切れぬものは、余りにも多い。
砂に霞む、その向こう。ムロンの陣営より、ややゆったりとした銅鑼が鳴り響く。それを聞くに、我らを食い止めるユン・ミァらもが後退を始めた。
大将を逃しきった。故に、諸軍も引く。斯様なる合図であったのだろう。敢えてユン・ミァが矢面に立ち、我らに向け、勝ち誇った笑みを示す。戦そのものは我らトゥバの勝利である。しかしながら、詰めの一手を差し込み切れなんだこと、その一手を一人の将に妨げられたることには、忸怩たる思いを抱かずにおれぬ。
やがて砂煙の向こうより、騎馬の一団が現れる。
主であった。
「チェン、崔宏! 首尾はどうだ!」
トゥバ・チェン様は右手をを胸に当て、頭をお下げになる。
「申し訳ありません、ゴンズ・ウロ、ユン・ミァ両名に阻まれ、ムロン・バオまでは届きませんでした」
主が舌打ちをなさる。
「やられたな。まるまるムロン・ジアに転がされたか」
手になされていた戦棍もそのまま、あたりの隊に招集をお掛けになる。ムロンの陣営とあまり当たらずにいた者たちより三千を編むと、すぐさま追撃に出す。
我とトゥバ・チェン様は、主に従い、馬にて陣内をめぐる。
「ムロン・バオの詰める本営の守備は、いとこのムロン・ジアに任されていた。バオはともかく、ジアははじめからこの事態になるのを想定していたようだ。おれをいなす形で陣が編まれていた」
ムロンはガオシェと違い、もとよりの通交厚き間柄である。投降者は掬い上げ、敵対者なりの礼をもって遇する。まして、襲い掛かったがムロンの本陣である。どのようなものが残されているとも知れぬ。
「で、ようやくおれがそこを抜こうとしたところで、ゴンズ・ウロの到着だ!」
「心中、お察し申し上げます」
「全くな! 総大将がジアでなく助かったわ!」
その語気には、ありありと本音が透けて見える。すなわち「ジアが総大将だったら、もっと心躍る戦いができたろうに」である。
トゥバの戦士らには、戦に勝った相手よりの略奪が認められている。ただしそのうちの幾分なりを主の元に献上する、という条件付きで。無論この献上内容で主の歓心を買わば、より大任に引き立てられやすくもなる。
故に、巡回より戻ってきた主の天幕の横では、献上品の整理に南人官僚らが追われていた。
「崔宏。あの中には南人にしか価値のわからんものもあるだろう。あらかじめ、それだけは抜き出しておけ」
返答を待つよりも前に、主は馬より降りられた。ひと仕事を終えたへ・ウィンを労うは余人では叶わぬ。主以外にはなせぬことである。トゥバにとり、愛馬とは半身にも等しきもの。
――なれど。
ひとときの休息は、急使により、打ち破られることとなる。
「き、急報! ムロンの別軍が現れ、追撃隊は壊滅いたしました! 別軍を率いるのは、――ムロン・チュイにございます!」
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