ss-02 ムロン部    

「派手にやったな、チェン」

「おれも目を疑いました、こうも軍師殿の見立てがはまるとは」

 主の甥御、トゥバ・チェン様が我に畏敬の眼差しをお向けになる。故に我は、敢えて縮こまり、拱手する。

「愚人はただ、皇叔こうしゅくの武を頼りましたるのみのこと。その勲は、紛れもなく皇叔の許にございます」

 はっ、と主がお笑いになる。

「ほんに、貴様が言うと皮肉にしか聞こえんな!」

 平原を埋めるは、長らくトゥバの辺側にて患を為していた勢力、ガオシェのむくろの群れ。その馬具や武具のうち、少しでも使い物となりそうなものは全て剥ぎ取られている。

 勝者が、敗者を食らう。北土の戦は、中原が如き温情とは縁遠きものであること、あらためて思い知らされる。

 主が、南を見る。

崔宏さいこう。ロランの動きはどうだ?」

「過日の攻勢が効いておるのでしょう。部族総出の立て直しが図られております。戦力編成には、今しばしの時が求められるかと」

「我が大叔父上・・・・は?」

「病、未だ癒えず、戦陣には息子のバオが立っておる、とのよし

「そうか」

 鮮卑せんぴは近接した部族同士での通婚をなし、互いの物資の融通を図る。それぞれの部族の境さえ荒らされねば、手を携え合うが常である。それはトゥバとムロンであっても変わらぬ。事実として、主の祖母がムロンの生まれ、どころか、ムロン・チュイの姉でさえある。

 が、ここ近年打ち続く、飢饉。

 遊牧の民は、北にゆけばゆくほど、縄張りを広く持つ。その寒きにより草木が活力を失うため、馬羊の飼い葉を広くに確保せねばならぬのが、その理由である。主の仰せであるロランは、まさにこれに当てはまる一族である。

 トゥバの北に広く版図を持つロランが、敢えて南下の道を選ぶ。

 無論、撃退こそがなすべき手ではある。しかしながら、トゥバの抑える地が、その寒きにより今までのような暮らしぶりでは立ち行かなくなりつつあるのも、また事実。

 故に、トゥバもまた南を目指さねばならぬ。その先にいるムロン、あるいはヤオを踏み潰してでもその地を得ねば、滅びるのは他ならぬトゥバである。

「――同じ狼として、このおれが大叔父上の死に場所となってやるべきかもしれんな」

 主が、戦棍をきつくお握りになる。

 誇り高き戦とは、我ら中原の民には容易に受け入れがたきこと。なれどトゥバには、それがある。

 余計なことを考える必要はない。いかにトゥバが勝つか。この崔宏に求めらるは、それのみである。


 水時計を見、主へと声を掛ける。

「友よ、刻限だ」

「そうか」

 外套を肩に掛け、椅子より立ち上がる。天幕の入り口にかかる幕を小姓らが開けると、凍てつく外気が肌を刺す。日の出にはまだ、遠い。

 主の姿を認めると、銘々が片膝を付き、右手を胸に当て、頭を下げる。

「トゥバ、雄渾ゆうこんなり!」

 将軍の一人が声を上げると、周辺の兵らもまた同じ文句を斉唱する。

 主は辺りを見回された後、右手を掲げられた。

「はっ!」と将軍が語気鋭く返答すると立ち上がり、「直れ!」と声を上げる。その一言で兵らは立ち上がり、めいめいの作業に戻った。

 トゥバは何より、軍馬を優先する。

 主君ですら、ひとときの敬礼以外は例外にない。各自の動きに無駄はなく、それぞれが間もなく始まらんとする戦の時を待ち構えている。

 主が、側にいた者に問われる。

「ムロンの動きは?」

「その明かりが、にわかに慌ただしくゆらぎ始めました。何か変事があったものかと」

「そうか」

 ちらりと、我を見る。

「毒を盛る、と言っていたな。何をした?」

「ムロン・チュイの死を伝えた」

「――確かなのか?」

「さて、どちらなのやら」

 そう、どちらでも良いのだ。報せを、いかにももっともらしく伝える。それだけで良い。ムロンの者がらに取り、決して欠くべからざる巨星。それがムロン・チュイである。失われるや、否や。ただそれのみで、ムロンは、大いに揺らぐ。

 ばぎり、主の拳が、何かを砕く。

「戦がこうも楽なものだとはな」

 口ぶりは唾棄せんばかりである。

 構わぬ。戦いの末の死を美化させるわけにはゆかぬのだ。死は損耗であり、それは何よりも避けるべきこと。

 侍従より愛馬、ヘ・ウィンの手綱を受け取り、跨る。宵闇に溶けんばかりの、漆黒の毛並み。北を司る聖獣、玄武げんぶを想起せるは、我が心も踊るが故か。

 我もまた、馬に乗る。この地では、自ら馬に乗れねばなに一つ成し遂げられぬ。南人が軽んぜられるは、一つにはいつまでも馬の扱いに長けられぬゆえでもある。

「狼よ、吼えよ!」

 陣内に、主の大音声が轟く。

「ムロンの灯火を見よ! 忙しげに揺れるは、即ち彼奴らの心中と知れ! 我らと相対しながらも、心そぞろとなる鹿に、いかなる道が残されようか!」

 怒号が上がるは、死と、殺。

「駆けよ! 爪牙の鋭き、示しあれ!」

 トゥバ、偉大なりの斉唱とともに、次々と兵らが騎乗する。主も鞍に括りつけられた戦棍を確かめた後、へ・ウィンのたてがみを撫でられる。

「出るぞ!」

 言い終わるや否や、誰よりも速く、主が駆け出した。その後に続くは直属驃騎、二十。トゥバ・チェン様が千からの騎兵隊を率いて続き、更に他の千人隊らが連なる。

 我がかれらと同じ速さにあることは叶わぬ。雄々しきトゥバの疾駆を妨げぬよう、道の端に寄り、しかし為し得る最高速にて追従する。

 東の空が白み始めた頃、ムロンの陣営と接触した。

 見るからに、陣営が割れていくのがわかる。稲妻のごとく敵陣を割り、容易く貫き去ったのである。いかにムロンとて、騎乗さえできておらねばなす術など無い。

 主の後を、トゥバ・チェン様以下の将兵が繋ぐ。この耳にも、戦の喧騒が届く。

 遅れて到達する我が見出すべきは、ムロンが将の在り処。主の鼻であれば、戦の只中にあっても嗅ぎ付けられはしよう。なればその風通しを、少しでも良くせねばならぬ。

 ムロンの動きを見、伝令にことづてる。

「大人へ伝えられよ、右後ろ手、馬幅三十」

「承った」

 混乱の只中とは言え、ムロンの中枢は精鋭揃いである。いち早く動きの立て直しがなされよう。そこに主と我が先に辿り着き、討つ。

 トゥバの牙は速きを、鋭きを尊ぶ。

 主が我が側に配し給うた将兵も、また精鋭である。戦場の外より見出したる決勝点に、さながら何一つの障害もなきが如くに導かれる――と、我が視野を、肉塊が覆った。

「んー? 軽いな、トゥバの肉は! まともに食えておるのか?」

 肉塊の向こうより轟きたる、その声は――ムロンの豪将、ゴンズ・ウロ。

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