ss-04 王、堕つ
いかなる兵であれ、確実に言えることはある。率いる者により、その様相を大きく変える。なるほど、主によって率いられる将兵を目の当たりとする敵には、斯様なる恐れが植え付けられるのか、と痛感する。
ゴンズ・ウロが吹き飛ばすは、あくまで兵であった。しかしながら、ムロン・チュイの率いる兵は、隊を同じように消し飛ばす。誰が、あの男を止めうるのか。
トゥバ・チェン様が歯噛みされた。
「
振り絞るような声を耳とし、我が声をかける。
「お気をつけ下さいませ、くれぐれも正面から当たられぬよう――」
「それであたら同胞の命を散らせるのか!」
怒気が、爆ぜた。
我は引き、頭を垂れる。我では、どう足掻いてもトゥバ・チェン様を鎮めるは叶うまい。
「ならば首を取ってみせろ、チェン」
主が告げるも、もはやそれのみ。
トゥバ・チェン様は主に頭を垂れられ、ムロン・チュイの元へと向かう。我には一瞥もなし、である。
「分かっているだろうさ」
主が、我に言う。
「貴様に向けたのは、ただの八つ当たりだ。ならば、詰ってやれ。奴が戻ってこれたらな」
らしからぬ、穏やかな口ぶりであった。
主には見えていたのであろう。
「――トゥバ・チェン様、討ち死に!」
その報せが、間もなく届いてしまうことを。
主は激せず、しかし、口元をきつく引き締められた。
ひと仕事を終えたヘ・ウィンを一度労った後、此度は別なる馬に乗る。戦棍は近習に持たせた。ヘ・ウィン以外の馬では、その重きに潰れてしまうのである。
「トゥバの勇士よ! ここで立てぬ! とはよもや言うまいな!」
トゥバ、偉大なり!
ムロン、誅すべし!
戦士らより、瞬く間に恐慌の色が払拭されてゆく。ムロン・チュイが王であるのと同じく、主もまた王である。その先導の確かなるを、戦士らはよく知っている。
主のもとに次々と戦況が飛び込んでくる。その内容は思いも掛けぬものであった。将を失ったはずのトゥバ・チェン隊が、なおもムロン・チュイの軍に食らいつき、その足を鈍らせている、というものである。
ぼそりと、主が呟く。
「リディか」
本営近く、小高い丘の上に出る。あえてトゥバの旗を高らかに掲げ、その居場所を示す。
多くのトゥバ兵に囲まれながらも、それを喰い破るムロンの動きは無人の野を征くが如きである。足並みが鈍らされているなどとは、ムロン・チュイを知らねば誤報と糾弾されても仕方のなきことである。
吐息を、ひとつ。
「チェン隊以外を退けさせろ。下手にぶつけたところで、恐慌を広げるだけだ」
その命令に、伝令役が驚愕を浮かべる。
「お、お待ちください、それではムロン・チュイを妨げる者が――」
抗弁させる時すらも惜しい。
疑義にかかずらっておる場合ではない。伝令役の首を、我が子飼いがへし折る。
ごとりと、躯がひとつ。
主はちらりと我を見た後、別なる伝令役に目を向けた。
「繰り返させるか?」
辺りが、恐れに縛められるのを感じる。
子飼いに命じ、それぞれが誰に伝えるか、を決める。もはや異議を挟めるものなぞおらぬ。怯えは拭い切れぬまま、しかし課せられたる任を果たすため、動いた。
「手間を掛けさせた」
主の呟きには、敢えて聞こえぬふりをする。
いちど伝えられれば、トゥバの勇士らの動きは速い。迫りくるムロン・チュイより銘々が距離を置かば、その突騎にまとわりつく兵らの姿もが、また眼下に見出される。
「出るぞ」
主の号令とともに、トゥバの中枢を守る精鋭らが丘を降り、迫りくる脅威に、敢えて向かう。言うまでもなく、自殺行為である。なれど我は、主の振る舞いを諌止しようとは思えずにいた。
見れば、ムロン・チュイに一騎が離れずつきまとっていた。幾度にも打ち込まれる漆黒の
ほぼ、死に体である。なれどその顔には、決してこの場を退くまいとの決意に満ちていた。
ユ・リディ殿。
トゥバ・チェン様の副官である。如才なく配下を慰撫、あるいは鼓舞して回られる上官とは違い、常に寡黙、余計なことを語ることもない。その上でかれの目は常に全体に行き渡り、やや漏れもあるトゥバ・チェン様をよく補って来られていた。
自ら出る口の方では、ない。故にその武幹については秀抜と仄聞する程度でしかなかったのだが、よもや、かのムロン・チュイを向こうに回し、引かずにおれるほどであったとは。
「――せめて、リディ。貴様には生き延びてもらわねばな」
主は戦棍を抱える側仕えを制し、単騎、進み出る。
そして、仰るのだ。
「久しいな、大叔父上!」
それは敵意に満ちたものではない。言葉の通りに、訪れた崇敬すべき親族への挨拶であった。
ムロン・チュイの黒槊が、止まる。
それは、もはやろくに腕も上がらずにいた、ユ・リディ殿への止めの一撃を見舞わんか、と言うときのこと。
その馬足もまた、止まる。
「ギか! 遠目にもわかるぞ、育ったな!」
「お言葉、ありがたく頂戴する!」
主は我に目配せをなされた後、悠々と馬をお進めになる。向かうは無論、ムロン・チュイの元である。
一方で我は、トゥバ、ムロンの双方に使いを飛ばす――伝うるは、「戦いが終わった」こと。
「済まぬな。チェンを殺した」
「悲しきことだ。が、おれもムロンを殺した。これからも殺さねばならん。ならば、大叔父上を恨む筋合いでもあるまい」
「殺し返してくれる、と言えれば良いのだが」
両者が指呼の間合いとなる。
そして、抱き合う。
「今は、ギよ。そなたの強さを誇りに思う」
「悔やまれてならん。あなたと戦うことが叶わなかった」
ムロン・チュイの
殺意の
ましてや、今しがたまでムロン・チュイの槊を受け続けておられたユ・リディ殿にしてみれば、理不尽にもほどがある流れとも言えよう。馬から降ろされ、トゥバの戦士らに支えられながら、それでもその瞳は怒りと憎しみに燃えている。
「良き戦士だ」
主より離れ、ムロン・チュイは呟く。
手にしていた槊を、ユ・リディ殿に向け、投げた。
槊は、ユ・リディ殿の手前に刺さる。
「そなたのような者がギを支えてくれること、まこと頼もしく思う。受けよ、
ユ・リディ殿の顔に、様々な感情がよぎる。
その怒りをどう処したものか。なすすべもなく弄ばれ、加えて施しを受けるのである――かつ、怒りをぶつけるべき相手は、間もなく、散る。
立ち止まりたるムロン・チュイの形相は、みるみる間に衰えゆく。
本来であれば、馬に乗ることすら叶わぬほどの病魔であったのだろう。なれど、それを押してでも、ムロン・チュイは攻め上った。
「ギよ。敢えて聞きたい。バオの戦は如何であったか」
「話にならん。はじめからジアに任せておれば、もう少しまともな戦果を出せたろうに」
「手厳しいな」
ムロン・チュイが苦笑した。
「ならば、ギよ。そなたには、此度の戦をこそ餞としよう。大いなるムロンを継ぐべきは、強者である。なれど我は、強きジアでなく、弱きバオを後継とせねばならなかった。――何故であろうかな?」
主が、目を見開かれる。
なれど、ムロン・チュイに問を重ねるは叶わぬ。にやり、と笑わば、その上体が傾ぐ。
主の動きは速かった。
馬より降り、地に落ちんとするムロン・チュイの抜け殻を抱き止めた。
それをいちど、強く抱き。
――主は、哭いた。
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