07-05 羅落橋の戦い 上

 本当なら司馬休之しばきゅうしどのらの合流を待ちてェところじゃあったが、そんな悠長なことしてたら、奴らに時間をくれてやるだけだ。寄奴きどァすぐさま号令をかけ、西のかた、建康けんこうに向けて出立する。

「ずいぶんと慌ただしくなったな」

 寄奴の隣に、魏詠之ぎえいしが馬首を並べる。

「しゃあねえさ。ま、変に余裕貰うほうが気も緩むしな。却って良かったんじゃねえの」

 寄奴ァ、敢えて軽く笑い飛ばす。

 うまく行かねェことに苛つきゃ、そんだけ泥沼にハマる。なら、どうそいつを突っ切れるか。どう、目の前の面倒ごとをぶち破れるか。そこに頭をめぐらしちまったほうが早えェ。

 そこに、何無忌かむきが並んでくる。

広陵こうりょうから成功の狼煙が上がった。これで背中に憂いはなくなったな」

「そっか。なら、後ぁどんだけ己らがこじ開けてけるか、だな」

 見遙かす先、土げむりがもうもうと上がる。

 そら、敵の先発隊のご到着だ。


「逆賊劉裕、何無忌、魏詠之! 本来であれば劉牢之りゅうろうしとともに刑場の露となるべきであったところを許され、あまつさえ引き立ててさえくださった、陛下よりのご恩! よくぞ擲てたものよ!」

 軍の先頭で、皇甫敷こうほふが怒鳴り上げる。その後ろ隣にゃ呉甫之ごほし。西府の誇る強面二枚看板だ。

「あまつさえ貴様らがその素っ首を並べているということであれば、桓脩かんしゅう様をも手に掛けた、ということになるな! どこまで狂逆を為せば気が済む! これ以上の罪を重ねる前に、我が矛の錆としてくれる!」

 そう言う皇甫敷ァ、けど動かねェ。それもそうだ、奴らの目の前にゃ、川。正面にゃ一本の橋が掛かってる。羅落橋ららくきょうだ。

 橋づてに攻めるにしても、川を渡るにしても、攻め手がどうしても不利になりやすい。奴らがそれ以上進む意味ァ無ェが、寄奴らは進まにゃ話になんねェ。

 全軍を止め、寄奴ァ単騎、前に出る。

「ほざいてろ! 狂逆ってんなら、他でもねえ、手前らだ!」

 言って、いきなり寄奴ァ橋に向けて駆け出した。

 敵どころか、味方にだって思いもよらねェ特攻。どいつもが出遅れる。寄奴に弩が射掛けられんのも、もう橋を半ばほど駆けてからだった。

「ははっ! 聞きしに増す猪ぶりよ! 面白い!」

 呉甫之が皇甫敷の前に出て戦棍を構える。そいつをぶん回されりゃ、どんな甲冑着てたとこで簡単に肉団子にさせられちまうだろう。

 だが、そいつァ寄奴の持ってる長剣にしたって同じこと。

 構えんなァ、寄奴のが一拍速えェ。

 次いで、ここで馬にムチを入れる。馬が一段速くなる。

「ッ!」

 ほんの僅かな違いだが、その差で寄奴の剣ァ、真上から呉甫之に襲いかかるようになった。

 呉甫之のやつァ、己に下半身の弱さ指摘されても、結局腕力にばっか頼んのを止めようたァしなかった。実際、やつが戦棍ぶん回してりゃ勝手に敵どもァ吹き飛んでくからな。

 っが、寄奴みてェのに真上から行かれちまうと、どうだ?

 下から、上。ただでさえ不利なうえ、足元のふんばりこそが物を言う。そう、呉甫之の野郎がまったく鍛えてこなかった、下半身の。

 剣と棍とがぶつかった、その刹那。

 寄奴ァ、吠える。

 呉甫之の肩口の服が筋肉の膨らみで爆ぜたが、そんなんじゃ止めようもねェ。棍ごと呉甫之と、その乗ってやがった馬、もろとも。

 ぶった斬った。

 っが、そこで終いになんかできゃしねェ。馬ァそのまま突き進む。ともなりゃ寄奴も、敵陣まっただ中だ。

 寄奴ァ笑う。面倒がなくていい。突き進む先で二度、三度と長剣を振るう。血煙と、悲鳴があたりに満ちる。

「精鋭! 続け!」

 後ろから、何無忌の声。

 四度目に長剣を振るった頃にゃ、何無忌率いる騎馬隊が追いついてきてた。

「莫迦者、劉裕! お前に万が一があったらどうする!」

「おー、悪りい悪りい」

 剣を担ぎ、何無忌に笑って返す。渋面の何無忌ァ、ややあってため息をついた。

「まあ、いいがな。結果としては初手で大きく食い込めた。これならしばらくは上手く進みそうだ」

 この上なく荒っぽい形で橋を取り、先鋒が突き進む。たァ言え、大した幅の橋でもねェ。良くていちどに、ふたり。川向こうで待ち構えてた軍勢を一気に食いつぶすにゃ、到底足りねェ。

 見りゃ、魏詠之と虞丘進ぐきゅうしんがそれぞれで橋の両側から川を渡ろうとしてる。

 呉甫之を取られたからって、残念ながら皇輔敷にゃ大きな動揺ァ見られねェ。橋の近くを精鋭で取り囲み、あっちゅう間に立て直してきてる。また、渡河しようとする奴らに向けても弩で、槍で攻撃を仕掛けてる。

 そん中で寄奴ァ、本来呉甫之が指揮を取ったろう部隊を探した。いくらなんだって、そこの動きゃ鈍くならざるを得ねェだろう。

「無忌、左だ!」

「なにっ?」

 余計な説明なんざしちゃらんねェ。寄奴自身でまたも突っ込み、その最前の奴らをぶち破る。すぐその意図に気づいたか、何無忌ァ号令をかけ、そこに先頭部隊をねじ込んだ。いったん開いた亀裂ァ、広がるのも速えェ。まだまだ数じゃ負けてるが、勢いァ明らかにこっちに傾いてきてる。

「またお前は、無茶をするなと言っているだろう!」

「ここでしなくてどこですんだよ! それに、どうせこいつの振り納めになんだ! 少しくれえ暴れさせろ!」

 そう言って、また他んとこの敵兵をぶっ散らかす。

 振り納めってんにゃ、ふたつの意味があった。ひとつァもちろん、くたばったときのこと。そうなりゃ剣なんぞ振りようがねェ。

 もうひとつァ、この戦いに勝ったときのことだ。そうなりゃ寄奴らァ、一気に貴顕だ。戦場に出るにしたって、先陣を切って戦う、なんざ許されねェ。せっかくあつらえた剣も、敵と言い味方と言いをビビらすくれェにしか使えねェだろう。

 そんなんを考えてたんが、ほんの瞬きの間。いつまでも囚われちまや、勘が鈍っちまう。相手の守りを派手に崩したとこで寄奴ァ奥に引く。橋のとこまで戻り、渡河してるやつらの様子を確かめる。

 どっちも押しちゃあいた。魏詠之のほうが進みはいいか。もうそろそろ渡りきった先に陣取れそうだ。対して虞丘進ァ、やや苦戦しちまってるみてェだった。

「おい無忌、進の方に援護を――」

 そう、言いかけしな。

 魏詠之のほうで、どでけェ歓声が上がる。

 そんなに広々と戦ってるわけじゃねェ。何が起こったかなんざ、すぐ耳に飛び込んできやがる。いわく――

「魏詠之将軍、討ち死に!」

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