07-04 決起      

 何が起こってもおかしかねェ。その心づもりはしてきた。だいいち、見立て通りにものごとなんざ進むはずがねェんだ。

 朝服姿の何無忌かむきを先頭に、朝廷からの使者のよそおいで寄奴きどらが続く。

 門前で何無忌ァ声を張り上げる。

「開門せよ! 詔勅である!」

 それなりの理由がなきゃ、手勢を引き連れて京口けいこう府になんぞ押し込めねェ。っが、詔勅、つまり桓玄かんげん陛下直々のお言葉を届ける使者ってんなら話ァ別だ。後ろにぞろぞろ引き連れてく名分も立つってもんだ。

 門番も、やや訝りゃしたようだった。っが、取り立てて疑う理由もねェ。なにせ使者が、他ならねェ、何無忌。

 門が、開く。

 ここで寄奴ァ、声を張り上げた。

「行くぞ!」

 閧の声が上がる。

 異変に気づく門番だが、もう遅せェ。

 何人かで門番をふん縛り、脇に転がす。後ろのほうで剣持って待ち構えてた奴らァ京口府内になだれ込み、主だった将軍たちを狙う。

 寄奴らが目指すんなァ、桓脩かんしゅうの部屋だ。命令を受けにとか、ちょっとした雑談も交えたりしながら行き来した廊下を進む。あからさまに殺気を撒き散らしながら進む寄奴だ、そいつを見てあえて止めようだなんて芸当のできるやつなんざ、いねェ。

「桓将軍、多忙のところ、失礼致す!」

 大声を張り上げ、寄奴ァ入り口の戸をぶち開ける。室内で書きもんをしてた桓脩ァ、ものものしい寄奴らの装いを見、筆を置いた。

「来たか。待っていた、というべきかな」

 その面に、恐慌ァねェ。

 落ち着き、微笑みさえしてる。

 しかめっ面で乗り込んできた寄奴らでさえ、つい毒っ気を抜かれちまうほどの。

「そのご様子なら、こちらの要件はわかってらっしゃるんですね?」

「無論だ。抗いはせぬよ。これが、いまのそなたらに、最も必要なものであろう?」

 そう言うと、とん、と自らの首に手刀を当てた。

 余計なこた、聞く必要ァねェ。ひとときのためらいが成否を分ける。そんな瀬戸際だ。

「――なんで、なんですか?」

 っが、聞いちまった。

 寂しそうに、桓脩ァ笑う。

「帝は天を背負い、民に向かい合うもの。その徳は、いかに天命を得たりと言えど、ひと一人で背負うには重すぎる。京口にあり、痛感させられたのだ。主は、急ぎすぎた。結果が、そなたらの蜂起」

 書いてた竹簡を巻き、紐で結ぶ。

 そいつを持って立ち上がると、寄奴の後ろの奴らが色めきだった。

 寄奴ァそいつらを押し止める。

 桓脩ァ机を回ると、奇奴の前にひざまづき、竹簡を両手で差し出した。

「我が甥に、桓胤かんいんなる者がある。我が父、桓沖かんちゅう様の爵位を継ぎ、そして主からは敢えて距離を置いていた。大逆をなした我らは良い。だが、父上の家門だけは、どうかお残しくださるまいか」

 その姿を見て、ようやく気付く。

 今となっちゃ寄奴ァ、すっかり桓脩についちゃ悪からず思うようになってた。

 立場を越え、認め合う。そして のし上がってくってな、こういう奴らの屍も踏みつけにしてく、ってことでもある。

「確かに、お預かりする」

 寄奴もそいつを両手で受け取り、懐にしまう。で、佩いてた剣を抜く。

「そなたに斬ってもらえるのか、ならばこの末期も、そうは悪くない」

 そう言って、桓脩ァ、笑った。


 桓脩、それから主だった面々の首を吊るし、寄奴ァ京口府門の前に出る。文武構わずの人だかり。辺りにゃ何無忌が書いた檄文が紙でばらまかれ、立て札にも掲げられてる。

「北府軍廣武将軍、何無忌である!」

 大衆に向け、何無忌がどデケェ声を張り上げる。ざわついてた奴らが、その一声で黙り込んじまうくれェの。

「此度の決起にて、我らは建武将軍、劉裕どのを謀主とし、立ち上がった! 我らの壮志を、将軍よりお伝えいただく! 清聴なされよ!」

 促され、踏み出す。

 本音を言や、いま高らかに檄を上げようだなんて気分にゃ、到底なれねェ。っが、既に乗っちまった船だ。

 集まった奴ら、一人ひとりを見回す。どでけェ期待と、いくらかの不安と。そいつらを、まとめて桓玄打倒にぶち込まにゃなんねェ。

「このくにの出来事をさかのぼりゃ、どうしても平和なとき、乱れたとき、ってのが存在しちまってる。そして乱れた時にゃ、小ざかしい狼がまるで聖人君子みてえにもてはやされたりもする。誰のことか、言うまでもねえよな?」

 桓玄! 逆臣桓玄!

 辺りから声が上がる。寄奴ァうなずいた。

「いまの陛下が玉座につかれてから、くには侫臣奸臣どもの巣窟になっちまった。どれだけの奴らが泣かされてきただろうな? 殺されちまっただろうな? そいつらを打ち払うふりをした桓玄ぁ、だが、畏れ多くも陛下から皇位をぶんどりやがった。あの野郎ぁ、考えるまでもねえ! 王莽おうもう董卓とうたくなんぞよりも、遥かにクソだ!」

 辺りから歓声が挙がる。

「あいつが皇位を手に入れて、お前たちゃなんか恩恵をもらえたか? 爵位が上がった? 食い扶持なんざ変わってねえよな? それどころか楚の国のための宮殿建設に駆り出されるわ、適当な税制のせいで木っ端役人どもにかっぱがれるわ、どう割り引いたとこで、悪くしかなってねえよな? 己ぁ何を見させられてんだ、って思ったさ。ひでえ冗談だ。だが、己にゃ力がねえ。だから、桓玄のやつに従うふりしてなきゃいけなかった。その裏で、やつを倒すだけの手立てを、バレねえように整えてな。だが、そいつも今日までだ!」

 何無忌の書いた檄文じゃ、このへんで詩経しきょうだ何だを元ネタにした話が長々と綴られてる。ちらりと何無忌を見りゃ、その口元がやや引きつってた。

「この決起にゃ、孫恩そんおんどもから建康けんこうをお守りになった司馬休之しばきゅうし様のお力も仰いでる! 陛下が都に戻るまで、このくにを大いに支えてくださることだろう! 桓玄に睨まれ北土に亡命しなきゃいけなかったが、劉毅りゅうきの手引きを受け、今日にも広陵こうりょうで、同じように決起なされてる! 歴陽れきよう、建康にも、決起の同志がいる! 己らはここから、すぐにでもくにを取り戻すため、動き出す!」

 更に大きな歓声が上がる。

 熱気が渦を巻く、そんな気さえする。いにしえの王たちを通じて見させられた景色じゃある。だが、やっぱり、直に浴びるのとじゃ、まるで違う。

「己らの大義ぁ、国の奪還だ! だが、お前らの理由は何でもいい! それこそ手柄を上げる機会ってことでもいいし、ムカつくやつをぶっちめてえ、でも構わねえ! 力を貸してくれ! 手前ひとりでこんなことを成し遂げられるはずもねえ! ただ、お前らが力を振るう目印くらいにゃなれると思ってる!」

 そこで、一旦言葉を切る。

 歓声が、ざわつきが、徐々に静まる。そんかし、渦巻く熱気そのものァより濃密になる。

 満を持して劉裕ァ、ひときわ大きな声で、言う。

「倒すぞ、桓玄を!」

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