05-03 相撲 丙 桓玄 

「言っとくがね、の。今のお前さんじゃ、齢石れいせきのにゃ勝てない。……いつものあいつにゃね」

「わーってるよ、落ち着かせんな、ってこったろ」

 胡藩こはんと言い朱齢石といい、普通切るだろ、こんなヤツら。てんで真面目じゃねェヤツとか、とことんなビビりとか。まァ、どうせ先生にとっちゃ「面白れェ」が一番なんだろうが。

 向かい合う朱齢石にゃ声も掛けねェ、目も合わせねェ。下手にいじって落ち着かせねェほうがいい。

 で、始まりの合図を受けしな――

 余計に混乱させたろう、そう思って、やつの目の前で手を叩いてやった。

 っが、まさかそいつが裏目に出るたァな。

 思いっきり驚かしたとこを、そのまま押しつぶす。そんなつもりでいた。

 そしたら、前のめりな己の上体ァ、うまうまと朱齢石に潜りこまれ――勢いもそのまま、投げ飛ばされる。

 分かってるよ、相手の攻め手こそこっちの攻め口、だろ? そんなん百も承知だ。そこは己いじめねェで、素直に朱齢石褒めてやれよ。

 まるで勢いも殺されねェで、己ァ背中からしたたかに落とされた。いくら受け身取ったとこで、息ァ詰まる。

「――っかッ!」

 えづく己の声ァ、たちまち歓声にかき消されちまった。齢石、齢石。大盛り上がりだ。

 っが。

「静まれ!」

 桓謙かんけんの怒鳴り声が、そいつらを押しつぶす。

 己を投げ飛ばした朱齢石だったが、まるで手前ェが叱られでもしたみてェに縮こまり上がりやがってた。ったく、何なんだあのあべこべな肝っ玉ァよ。

 静まり返った西府せいふ兵どもを、ぐるりと桓謙が見回した。

「貴様ら、よくも盛り上がれたものだ。この白髪が壮士である、それは良い。精兵を迎え入れるは、我らが地の守りをより堅固としよう――だがッ!」

 ふたたびの一喝。

 どいつもが首をすくめる。

「先生の師事を受けたる、この白髪を打ち倒すに、精鋭四人を要さねばならなかった! 此れは、我らが鍛錬の敗北であるッ! 即ち、我らが先生の教えを十全に受け継ぎ切れておれぬ証なのだッ!」

 桓謙が、ぶわっと涙を流しながら力説した。

 ……そういう手合いかよ。

 いきなりの事に己ァぎょっとしたが、うつむいたままのやつ、もらい泣きするやつ、様々だった。

 列の隅っこで胡藩があくびしてたが、あいつについちゃ、見なかったフリしとくのがいいんだろう。

 桓謙が涙を拭う。

丁主簿掾ていしゅぼろく

 いきなり肩書で呼ばれたもんだから、手前ェが呼ばれたって気づくのに、ちっと時間がかかった。

「ん、己か?」

「貴様以外に誰がいる」

 ちっと苛ついたみてェだが、さすがは桓謙。すぐに気を取り直してきた。

 背中の打ち身以外で、痛めたとこもねェ。え3っちら立ち上がると、奴ァ己の正面に立ってくる。

「まずは貴様を軽んじおいていたこと、陳謝いたす。先生が見出しただけのことはある、と認めぬわけにも参るまい」

 それでもまだ、ちっと引っかかるらしい。

「ならば、貴様に対して全力を尽くすのが、礼儀というものだろう」

「……は?」

 何言われたのかに気づくよりも早く、桓謙の奴ァ、構えてきやがる。

 とたん、大盛り上がりになりやがる西府兵ども。桓奮威ふんい! 桓奮威! の大合唱だ。

 ほんと勘弁してくれそう言うの、心底げんなりしかかった己じゃあったが、さらに。

賢兄けんけい! 何をしておられる!」

 官営の方から、桓脩の声が飛んできた。

 見りゃ桓謙そっくりな、けどちっと線の細せェおっさんが、つかつかとこっちに向かってきた。

 そんな桓脩の後ろにゃ、幾分ぽっちゃりした、ガキ、とでも呼べそうな奴がいる。

 しまった、とばかりに桓謙が二人を呼んだ。

「修、玄」

 己ァ、こんとき初めて、その面ァ拝むことになった。

 西府軍の長にして、お国の意向にゃ従わず、着々と軍拡推し進めてやがる男――つまり、桓玄かんげんの。


「大盛り上がりだな、兄上」

 しかめっ面の桓脩を下がらせ、桓玄ァ桓謙の前に立つ。上背も、あたまひとつ違う。ぱっと見じゃ、どっちが親玉なんだかな、って感じでもある。

「何をしに来た、玄」

「他ならぬ、我が手足だ。気に掛からぬはずがない」

「気まぐれに過ぎるぞ。だいたい俺は、貴様がこの武昌ぶしょうに出向いておったことも聞いておらなんだ」

「兄上の驚く顔が見たかった」

「ンなっ……!」

 渋い顔なまんまの桓脩、いきなり変なこと言われて泡食った桓謙を見比べ、桓玄がくっ、くって笑う。

 周りの奴らァ、みんな固まっちまってたっけな。

 と、桓玄の目がこっちに向いた。

「それで、この白髪の兵殿は? 見慣れぬ顔だが」

「先生の肝いりだ。なので、稽古を付けてもらっていた」

「ほう」

 上から下まで、じっくりと視線が絡みついてくる。裸どころか、肉、骨まで見透かしてきそうな感じがした。

 ――おい、身体貸せ。

 寄奴きどが言ってくる。桓玄を試したくて仕方ねェらしい。マジかよ、やめとけ。己ァそう返したが、そんなん気にも留める奴じゃねェ。己の手足が、いきなり勝手に動いた。

 ふだんの己じゃ到底できねェような、鋭でェ踏み込み。桓謙、桓修の顔つきが険しくなったんが、いっぽうじゃ先生が「ほっ?」って笑ったんが見えた。

 桓玄の襟首を狙って伸ばした手ァ、あっさりと躱される。驚く様子もねェ。むしろ、楽しそうに笑ってやがる。

丁旿ていご、貴様!」

 いきり立つ桓謙、それと西府兵の奴ら。

 だがそいつァ、桓玄のひと挙動で抑えつけられた。

 やったんなァ、空に向けて、指さしたこと。そんだけだ。そんだけで、どいつもがふん縛られたみてェに動きを止める。

「我が手足に、稽古をつけてくれていたのだろう? ならば、この玄にもご指南願えるかな」

 笑みはそのまま、だが、そいつァ己と、寄奴の背筋に冷てェモン走らせるにゃ充分だった。

 ったく、なんてことしでかしてくれやがったんだ。こうなったら、もう突っ込んでくしかねェ。

 桓玄と己、背丈はとんとんくれェ。ずんぐりむっくりしちゃあいたが、さっきの避け方からすりゃ、鈍重だなんてこた期待しねェほうがいい。腰を落とし、だらっと立つ桓玄の動きをじっと見る。

 どこからでも行けそうだ。っが、余裕がありすぎる。誘ってんのか、どんな攻め手にも対応できる自信があるからか。こっちからじゃ、まるで予測がつかねェ。

 奴から来る気配ァねェ。なら、こっちからいく。

 間は、両手を広げてふたりぶん。一回突っ込んじまや、後ァ抱き合えちまう。左右に気を散らして――

 なんてこと考えてたら、桓玄の指がいきなし目の前に迫ってきた。

 寄奴だって、考えなしで突っ込もうとしたわけじゃねェ。ああ来たら、こうする。そんなんを七つか八つァ考えてた。

 っが、そん中にゃ、桓玄が取った手なんざ含まれちゃねェ。

 含める、はずもねェ。

 目突きを囮に、本命ァのど元。

 どっちもぶつかり合おうって時に狙うにゃ的が小さすぎる。っが、まるでぶれもせず、当てて来やがった。

「……っぐ!?」

 のど元を締められりゃ、息だってままならねェ。外そうにも、万力みてェな力で、ビクともしねぇ。たまらず、膝をついた。

 が、桓玄の力ァ緩まねェ。

「ところで、兄上」

 己の様子を見て取ったあと、桓玄ァ桓謙に聞く。

「この稽古は、勝敗をどう決めるのだ?」


 ――つーかよ、先生。

 大事な事ァ、先に教えてくれ。

 この桓玄こそが、先生の一番弟子だ、なんて事ァよ。

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