05-04 相撲 丁 京口
突っかかってくる
西府兵どもと
「む、……っぐ!」
懸命に寄奴を押し倒そうとする臧熹。だが、当たり前だが、寄奴ァビクともしねェ。
どころか、足腰、手で、前に後ろに臧熹を揺り動かし、果てにゃあ、あっさりと転がした。
「うわっ!」
臧熹ァ勢い余って、庭の端っこまで飛ばされた。
ちょうどそこにゃア姉貴、
ちいとの間気遣わしげな目で見てたが、いったん目をつむると、顔つきを厳しくする。
「転がされたまんまでいんな! 敵は待っちゃくんねえぞ!」
「はっ……、はいっ!」
姉貴の声に後押しされ、起きしなに、もいっちょ寄奴に掴みかかってく。上げた雄叫びゃまだ細せェんなァ否めねェが、それなりにゃァなりつつもある。
改めて、ぶっかってくる。
「育ったな、熹」
改めて、肩を掴みながら。
「が、お前のことだ。どうせ
庭の片っぽ、ズタボロの泥まみれな
で、臧熹についても、やっぱりさんざ揺さぶったあげく、またもすっ転ばす。あれが疲れんだよな、踏ん張ろうとしても、すぐ別向きに押し込まれて、何がなんだかわかんなくなっちまう。己も先生にさんざやられたことじゃあったが、お気の毒さま、としか言いようがねェ。
「骨の強さ、肉の強さ。一人ひとりで違う。お前の骨と肉じゃ、彦之に力比べじゃ勝てやしねえ。使い方を考えろ。どう思ったまんまに動かせるか、どうやりゃ彦之の裏をかけるか。こんな押し合いひとつ取ったって、いくらでもおつむの回し方次第で強くなれんだ」
ったく、よく言うぜ。のきなみ先生の受け売りじゃねェか。
いきなり寄奴がわかったようなこと言いやがるもんだから、臧愛親がきょとんとしたツラになっちまってた。
安心しろよ、己ァ言ってやりたかったね。アイツが手前ェで考え、思いついたことじゃねェから、ってよ。
臧愛親が竹筒を投げてよこした。
受け取るなり、臧熹のツラに掛けてやる。
「ぷっ!」
そしたら、鼻に水が入っちまったらしい。思いっきり臧熹がむせ返った。爆笑する寄奴、だったが、
「熹! ――寄奴、手前ぇ!」
駆け寄ってきた臧愛親が狙ったんなァ、顔。
平手で、思いっきし行く。
ぱぁん!
派手な落として寄奴が吹っ飛んだ――正確にゃ、自分から飛んだ。着地して四つん這いになると、どっと冷や汗がわく。
「あ、愛親お前、マジだったろ今の! シャレんなんねえんだよ、お前のマジ!」
「うるせえよこのでくのぼう、竹筒一本でだって人なんざ溺れ死ねんだ! なのに何笑ってやがる! 熹に万一あったらお前、千回殺しじゃ済まねえからな!」
言うが早いか、心底心配そうな顔になって臧熹の背中を叩いてやる。そんな弟が大事なら弟の嫁に行け、って言いかけたが、飲み込む。
その代わりに、小さくため息。
「――あー、なんだ。悪かったな、熹」
「あ?」
仕方なく、って感じじゃあ、ある。なんで愛親ァさらに噛みつかんばかりの勢いだった。
っが、臧熹が袖にすがりつき、そいつを止める。
「あ、姉上! 私は大丈夫ですから! 将軍直々の稽古、にもかかわらず、情けなくも力尽きてしまった私が悪いのです!」
そうまで言われちゃ、臧愛親だってこれ以上食いつくわけにも行かねェ。舌打ちすると、袖を払った。
「そこまで言うなら、強くなれよ」
「無論です!」
びっと、臧熹が背筋を伸ばした。
で、この一部始終を見届けてたんが、庭のもう一方に転がされてた到彦之だ。
「アネゴ、あの劉将軍も相手じゃねえってのかよ……」
なんとか上体を起こして、寄奴から投げよこされた竹筒片手に呆然としてる。
「あぁ?」臧愛親が鼻白む。
「相手も何も、
「いや莫迦って、天下の暁勇にそんなこと言えんの、アネゴくらいだと思いますよ……」
「知るか、こんなん聞かん坊の唐変木だ」
臧愛親からの容赦のねェ言葉の矢が、いちいち寄奴を刺し貫く。どんどん背中が丸まってく寄奴を、己ァ盛大に笑ってやりたかった――先生に、しごかれてさえなきゃな。
暁勇みてェなふわふわした役回りじゃなく、
蕭文寿様ァ引っ越しに渋られてたが、そこに、他ならねェ劉牢之将軍からの口添えがあった。
いわく、寄奴がそれなりの身分になった以上、誰がどう狙ってくるとも限らねェ。なら、ある程度守れるような屋敷で、信用できる奴に守ってもらう。そんくれェはしといたほうがいい、ってな。
寄奴だけでの説得ならともかく、国すら動かせるくれェの大将軍に勧められちゃ、さしもの蕭文寿様だって従うっかねェ。
っが、
「我が身は所詮、広げて三尺、掲げて五尺。三五のこの身を横たえる布団さえ敷ければ良いま」
蕭文寿様ァそう仰って、ご自身の部屋なんてもんを持とうたァなさらなかった。そりゃもう頑なにも程がある。
そんな蕭文寿様が折れたんなァ、後にもうちっと育った寄奴の娘、
「言っときますけど、熹だって広陵府の若手にしちゃそこそこなんですからね」
出された食いモンに、全く遠慮無しで箸をつけながら。けど、手前ェのこたァすっぽかして、到彦之が臧熹を推してくる。
二人ァ広陵府からの報せを京口に届けるついでで、一日ばかしの休みをもらってきた。その名目も広陵府主簿、詰まるとこ
「やめろよ彦之、未熟者同士で何言ったって、恥の上塗りだ」
「けどよ! お前、あんだけ頑張ってんだし、そこは認めてもらえよ!」
っが、臧愛親ァ容赦なく冷や水を浴びせてくる。
「彦之。お前、殺されたあとにも未熟を言い訳にするのか?」
「う……」
そいつを言われちまや、到彦之に継げる言葉もねェ。さっきまでの威勢も、あっちゅう間に萎んじまう。
臧愛親自身、寄奴と会うまでにゃ、そう少なからねェ、殺すの殺さねェのの瀬戸際を乗り越えてきてる。
殺せるだけの力がなきゃ、殺される。実際に我が身を痛めて、実感してるやつのセリフだ。重みが違う。
寄奴ァ、小さく笑う。
「愛親、そういじめてやんな」
部屋の上座に寄奴、左手側に臧熹、右手側に到彦之。下座に蕭文寿様と臧愛親。それと、興弟が、愛親の後ろに隠れてる。
ふと、臧熹と興弟の目が合う。
臧熹が微笑むと、興弟ァ逃げるように、臧愛親の背中に引っ込んだ。
「これ、興弟。叔父上にきちんと挨拶なさい」
「蕭夫人、お気になさらず。恥ずかしながらこの臧熹も、興弟殿のごとく、慣れぬ来賓に対しては上手く挨拶せずにおれたものです」
「本当に恥ずかしいな、胸張って言えることかよ」
「あ、姉上! そうではなく、興弟殿も間もなく劉家のご息女として、立派に挨拶を果たせるようになると!」
「なんだ、今のお前が立派に挨拶できてんのか?」
「っそ、それは……!」
あわあわする臧熹に、みんなして笑う。
つられて、興弟も笑った。
寄奴ァ目を細めたあと、一口、茶をすする。
「ただよ、愛親。孟昶からの報せも読んだろ? 講義の方でいや、彦之はともかく、熹は秀抜だそうじゃねえか。聞きゃ孟昶の奴あ、めったに人を褒めたりしねえそうだ。そんなアイツに褒められてんだから、相当なもんだろ」
臧愛親が不服そうに言い返そうとしたが、そいつよか早く、到彦之が割り込んでくる。
「え、そうなんすか!? 孟主簿、熹への当たり、めっちゃ強いっすよ」
「そんだけ期待されてるってこったろ。そんで彦之、お前はどんだけ孟昶に叱られてんだ?」
「……た、ため息ならちょくちょく……」
「お前、人の心配してる場合じゃねえだろ!」
言って、寄奴ァ大笑い。
一緒になって臧熹も大笑いした。
が、ややもすると居住まいを正す。
「できるだけのことは、やれていると思っています。けれども、どうしても焦ってしまうんです。今、こうして笑っている間にも、数年前の私のように苦しみ、泣いている人が生まれているのかもしれない。こうして劉将軍よりの恩賜あって尚武に、勉学に励めてはいます。それでも、孟主簿が見込んでくださっているだけの成長ができているのかどうか。なにぶん、今のこの身では、府僚を苦しみから助け出してやることもできませんし」
ふとした、臧熹の言葉。
場から、やおら笑顔が、消えた。
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