05-02 相撲 乙    

 呉甫之ごほしの奴ァ、オレよっか頭一つ分まるまるでけェ。その上みっちり詰まった肉の硬さ。これであいつにオツムがあったらすごかったんだろうがな。

 己と向かい合っても、ニヤついてばっか。まァこっちゃ先生にゃ絞る方でやられてたから、アイツにもヒョロガリにゃあ見えてたんだろう。

はんみてえなチビ潰したからっていきがんじゃねえぞ、あ?」

 言って、わざわざ手前ェから腕の肉を誇示してくる。

「知らねェよ。己ゃとっととこっから逃げてェんだ」

 そのぼやきを、どうやら挑発にとったらしい。こめかみに血管が浮かぶ。

「そうかい、後悔すんじゃねえ……」

 立会人の、開始の掛け声。

「ぞっ!」

 そいつとともに、呉甫之が突っ込んでくる。

 ――なるほどな。先生の言ったとおりだ。

 寄奴きどが、へえ、って感心する。

 迫ってくるガタイの割にゃ、勢いも圧もねェ。これなら己も、慌てねェで寄奴に体を貸してやれる。

 こき、と手の骨を鳴らすと、寄奴ァ両手を目の前に突き出した。

「ほう?」

 呉甫之がその手を掴んでくる。

 んで、そのまま強引に押し込んできた。

「そのガタイで力比べってか。甘く見られたもんだな!」

 や、己ァそこについちゃなんも言っちゃねェ筈だがな。

 ただ、寄奴もそいつに応じて踏ん張りゃした。足から、腰からで、呉甫之を食い止める。周りから、おぉって声が漏れた。

 思いがけねェ手応えに驚いたか、わずかに呉甫之の顔つきが険しくなった。が、すぐに笑みを取り戻す。

「そうかい、ガタイ通りじゃねえってか。健気だな、だがよ――」

 言って、呉甫之がさらに圧を加えて来る。

 そいつァまさに、寄奴の狙い通り。

 息を合わせて、圧がかかりはじめたとこで、引く。

 ついでに呉甫之が踏み出してた右足の膝を、こっちの左足で、横から軽く押してやる。

 手前ェで掛けようとした力が、その右膝から抜けていく。立て直しなんざしようもねェ。どずん、って音を立て、見事に呉甫之ァ肩から落ちた。

「ッなっ!?」

 いきなりの事に、呉甫之が目を白黒させた。

「先生が言ってたぜ、甫之ァなまじっか腕力があるもんだから、いつも足元がおろそかだってよ」

 優しい己ァ、この上なく丁寧に、呉甫之に説明してやる。

 何せ勝敗について持ち出してきたんなァ、他でもねェ、桓謙かんけんだ。こっちゃ奴の取り決めに従い、勝ってやった。

 呉甫之も、見てくれほど莫迦バカじゃあねェらしい。己に憎々しげな目つきこそ向けちゃあ来たが、地面を殴ると、それ以上ァ何も言わず、退散した。

 訓練がよくよく行き届いてる分、ものわかりがよくていらっしゃるらしい。こちとら再戦があったら速攻逃げるけどな。

 が、そんな己の気持ちなんざ、奴らが汲んでくれるわけもねェ。

「呉司馬の無念、我が晴らして進ぜよう!」

 芝居がかった大声で、皇甫敷こうほふが進み出る。わっとあたりが盛り上がる。

 見りゃ、どいつもが「長史! 長史!」って囃し立ててきやがる。よっぽど二連敗にムカついたらしい。知らねェよ。巻き込むんじゃねェ。

「長史って事務方だろ? っつーかお偉方が三番手ってこた、桓謙どのはともかく、四番手の朱齢石しゅれいせきってな、そこまで強えェんか?」

「強いよ、考えすぎんのが玉に瑕だがね。それよっか、敷のだ」

「あァ」

「あいつは、別の意味で考えすぎる。あと見栄っ張りでもある。だから、きっと敷のに仕掛けてやったやつで、転がそうとしてくんだろう」

「あいよ」

 呉甫之ほどじゃあねェが、皇甫敷もそれなりにゃあ、でけェ。しかも、さすがにもうこっちを軽んじてくれるつもりもねェらしい。はぁ、面倒くせェ。己ァ寄奴と違って、読み合いとか好きじゃねェんだ。

 ――だよな。

 ――なら、なおのことお前がやれ。

 寄奴の野郎、ひでェこと言いやがる。わーったよ、そう答えて、己ァぎゅっとこぶしを握っちゃ開き、それから両手で手前ェの頬を張る。じんわりとした痛みで、手足を手前ェの方に取り戻す。

 合図とともに、皇甫敷が手を伸ばしてくる。

 で、ニヤリとした。

「司馬のお礼参りっすか、長史」

「先生に貴様のことをけしかけたのは、我でもある。帳尻は合わせんとな」

 武昌ぶしょうでさんざ食らったお小言のことを思い出す。ねちねちねちねちと、よーもまァおしゃべりになるたァ思ってたが、なるほど、引きずる口か。やだやだ、スッキリ青空で行きてェもんだ。

 ま、いいさ。その気なら話が早えェ。誘いに応じて、組み合――

 おうとした側から、いきなり引いてきやがった。

 どこかで仕掛けてくるだろうたァ思ったが、そんないきなりか。兵は拙速を尊ぶってな、たしかに孫子も言ってたな。

 が、孫子ァ手前ェと敵、両方のことをよく知れ、とも言ってたよな。

 己ァ丁寧に、呉甫之の崩れ方を真似してやった。そしたら皇甫敷も、ご丁寧に膝を蹴り崩そうとしてくる。

 アレだな、皇甫敷、あいつァ手に入れたおもちゃを見せびらかす口だ。そいつでこっちがもうさんざ遊び倒してるたァ、心にも思っちゃなかったらしい。

 狙われた前足を半歩踏み出し、弾くように、開く。己を引き倒そうとしてた力が、行き場をなくす。

 そしたら己がやってやんなァ、そいつの逃げ場を作ってやる事だ。皇甫敷の残った片足を、すみやかに刈ってやる。

「うォッ!?」

 押し込んでた己、引っ張ろうとしてた皇甫敷。ふたり分の勢いだ。足元崩されりゃ、後ァもう、どうしようもねェ。

 繋ぎ合った手も離せねェから、皇甫敷ァ地面に腰をしたたかに打ち付けることになった。

 あぁ、って声が上がった。

 にしても、皇甫敷、あのクソ莫迦力ときたらよ。ヤツの手が離れたあと、しばらくしびれが抜けなかったぜ。

 出会い頭じゃあったが、まァなんとかうまく行った。思わず己ァ、安堵の息を漏らした。

「……ほう」

 そこに、桓謙の唸り声。

 見りゃ、後ろにこめかみ抑えて涙目の胡藩こはんを引き連れていやがった。どうやら、お仕置きはつつがなく済んだらしい。

「三連勝か。さすがは先生の秘蔵っ子、これは素直に称賛すべきなのであろうな」

 とか言いながら、その顔がちっとも褒め称えちゃきてねェ。どう安く見積もっても「殺すぞお前」、だ。

「とは申せど、齢石。我らとて晋国が誇る鋭矛えいほう。このまま武威を示さずにおるというわけにもゆかんな?」

 ぎろり、その目が、ただでさえ縮こまってた朱齡石を射抜いた。

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