04-11 琅邪の王珣
その名も、
ひと言、世界が違った。
いったい一つのお屋敷に、
「親戚って言やあよ、
牛車の窓から覗く景色があんまりにも途方ねェモンだから、思わず寄奴ァ
――や、今だからわかるんだぜ、そいつがどんだけトンチキだったかってよ。
いま寄奴が聞くべきなんなァ、これから会うことになる、オッサンの親戚のことのはずだ。が、どうにもそいつの想像がつきにくい。
だから思い付いた疑問を、とりあえず投げつけることにした。
オッサンがきょとんとする。
「王恭と? 何ゆえにかね」
「いや、同じ苗字だしよ」
オッサン、少しの間のあと、ようやく寄奴に何言われたのかわかったみてェだった。
まさかオッサンも、思ってもみなかったろうな。寄奴が
そこいらのお貴族さまが聞いたら爆笑モンだったろうが、そこはオッサンだ。困ったように笑うくれェで済んだ。
「それならば、心配は要らん。王恭の一門と私の一門、同じ姓ではあるが、別の一族なのだ。あるいは遠い先祖は同じ、とも聞くが」
「へぇ?」
「王恭の一門は、太原。北方の地だ。先祖には
「なるほど、でアンタの一門は?」
「我々は琅邪を出身としている。この国を建てた、
「ああ」
主に敵として、な。
龍が寄奴に伝えてきた王導ァ、百年くれェ前に龍が乗り移ってた王、
さんざ苦労してようやく滅ぼしたと思った
寄奴にとっちゃ、また龍にとってすら敵でも味方でもねェ訳だが、劉淵以降の王どもにとっちゃ、うっとうしくてうっとうしくて仕方ねェ名前だ。
「王導様の功績により、我が一門は随一の家門として栄えた。だがその栄華も、従兄の
へー、興味ねェ。
……とも、言っちゃらんなくなってきたらしい。
っが、ここでオッサンの親戚とやらに会っちまや、全く話が変わってくるだろう。
どうせ、道端でやかましく吼える犬っころくれェにしか見られねェだろう。っが、犬っころが人間さまに噛みつこうとすりゃ、すぐに殺されるだろう。
その程度にゃ警戒されてる、って思っとかにゃなんねェ。
「話が見えねえな」
だから、寄奴は言葉を選ぶ。できることなら、目先のエサに喜んで食いつく腹ぺこ犬くれェに見られるようにしなきゃなんねェ。
「そんなお偉い方が己なんぞに会ってどうしようってんだ? こちとら、売れるモンなんて
「君の編む草鞋は、一度履いてみたいものだがな」
「そうか? なら今度編んできてやるよ」
「楽しみにしている」
ふっとオッサンが笑うと、ほぼ時を同じくして、牛車の歩みが緩んだ。
「着いたようだな」
呟くと、オッサンの顔が、もう引き締まる。
「
オッサンはいったん言葉を切った。
そいつを言っていいもんかどうか、迷ってる風じゃあった。
「重々、気を付けてくれ」
っが、宗主殿とやらのご自宅ァ、例のお宿にも負けちゃねェ。いや、あれよりも、ずっとひでェ。
金ってな、ある所にゃあるもんだ。この家の倉を
オッサンの先導を受け、通路の奥、身ぎれいに飾り立てた女官が左右に立つ扉の前に立つ。
「王謐、劉劉裕殿をお連れし、推参いたしました」
「大儀です」
向こうから伝わってくる、涼やかな声。
小さな水滴が、静かな水面を打つ。そんな感じだ。
微かで細い、そのはずなのに、妙に耳に響く。
女官が扉を開けると、その向こうは思ったよりも地味だった。真っ白な壁紙にゃ飾り立てるようなモンも何もなく、床にゃ敷布が広げられてる。さすがにそいつァ、見るからに高そうだったが。
敷布の上にゃちょこんとした卓、徳利と銚子が乗ってる。二人ぶん。
その向こうに、まるで陶磁器みてェな、ほっそりした貴公子がいた。崔浩も貴公子っぽかったが、アレたァまるで趣が違う。
「手間を掛けました。君とも積もる話はあるが、まずは暫し、
項、ときた。
いきなりのぶっ込みに、寄奴ァ内心じゃ身構えた。表にゃ出さねェようにしたつもりだが、どうやら、まるで隠せちゃねェようだった。
宗主どのの目が細まる。
「警戒をさせてしまったかな。申し訳ない、卿と語らうのに、ある程度は方向性を示しておかねばな、と思ってね」
言うと、そいつは立ち上がり、拱手してきた。
「お初にお目にかかる、私の姓は王、諱は
対する寄奴だが、拱手は返さねェ。
その代わり、尋ねた。
「己も名乗った方がいいのか?」
ひっ、とオッサンが息を呑んだ。
ぶしつけなやり口に、ぶしつけで返す。そんだけのことじゃあった。が、まァオッサンからすりゃ、宗主に対しての、ってオマケまでつくわけだが。
だが、拱手は崩さねェまま、王珣が答えた。
「礼なき場だ。卿が此方の仕来りに則るべき義理もあるまい」
言って、顔を上げる。
「が、やはり、卿の口からは伺っておきたいとは思う」
言うと、微笑む。
――なんだ、こりゃ。
こん時の寄奴の気持ちって言や、戸惑う、が一番近かったろう。
王珣にゃ、まるで圧がねェ。怖さもねェ。お貴族さまにありがちな侮蔑も、恐怖も。
敢えて近けェ雰囲気の奴を挙げるとしたら、
だが、孫恩から感じた、一種の諦めじみたモンも感じねェ。
無だ。無がそこにあった。
だから思わず、寄奴も拱手する。
「本籍は
ここまで莫迦丁寧な自己紹介、そうそう寄奴ァしたこたァねェ。ほとんど、考える前に口走っちまったようなもんだった。
王珣がうなずくと、卓の手前を指し示す。
促されるまま寄奴があぐらを組むと、王珣も改めて座った。
「では、王珣様。私は後ほど」
後ろで、オッサンの気配が扉の向こうに消える。
部屋ン中にゃ、王珣と寄奴、二人きりだ。
卓上の銚子を取り、寄奴に口を向けた。
「まずは一献。卿に会えたことを、嬉しく思う」
少し戸惑ったが、猪口を取り、受ける。さほど大きくもねェ中に、四分目っかた。軽くあおりゃ、それでもう飲み干しちまう。
ただ、少ねェ訳だ。かなり、キツい。京口であおる、うす酒たァまるっきり違う。
「良い呑みっぷりだ」
今度ァ王珣が猪口を取った。銚子は卓に戻す。
寄奴も、王珣の真似をする。やっぱり、一気に飲み干した。
猪口を置く。
「少々口を軽くしておかねばな。卿には、聞いてみたいことが、少なからずある」
「そうか? まあ、聞かれりゃ答えるけどよ」
ふむ、と王珣がうなずく。
と、いきなり目を見開きやがった。
「では、問おう。卿は、何を目論んでいる?」
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