04-12 母土、江南   

 信じらんねェ。猫かぶりもいいとこじゃねェか。

 王珣おうしゅんから叩き付けられたんなァ、烈気、とでも呼びたくなるシロモンだった。

 騙し騙され、蹴落とし蹴落とされもする、妖怪どもの巣、宮中。そんな中で名門の宗主張るような奴だ、そんなヌルい奴なわきゃなかった。

 が、寄奴きどァ寄奴で、平然と返す。

「のし上がろうとしてる。これでいいか?」

 ほんのわずかだが、王珣はあ然としたみてェだった。

「――そうか、卿は武士であったな」

 すぐに笑みを取り戻す。

 さっきまでの気配が、一気に引っこんだ。

 何だこのやり取り、その場にいなくてよかったと、つくづくに思うね。オレがあそこにいたら、ビビって身動き取れなくなっちまってたろう。

「失敬した、いつもの癖でな。臓腑の覗き合いを試みてしまった」

 参った、とでも言うように、両手を挙げる。それから卓を脇に除けると、懐から竹簡を二本取りだし、まずァ一本目を寄奴との間に広げた。

淝水ひすいでの戦働きをきっかけとし、我が一門の王謐おういつ司馬休之しばきゅうし殿との知遇を得。会稽かいけいに出れば孔子の裔、孔靖こうせい殿とも知り合ったそうだな」

 次いで、もう一足の竹簡を広げた。

「いっぽうでは広陵こうりょうに足を運び、徐道覆じょどうふく殿の隷下にて五斗米道ごとべいどうにまつわる事件を解決。その際には、五斗米道の孫恩そんおん盧循ろじゅんとも出会った、と聞いている」

 筒抜けにも程がある。

 もっとも、寄奴だって別段その辺りについちゃ隠そうたァしてねェ。なら、王珣が知ってようが知ってまいが、そんなもんか、で済む。

 ただ、言ってこねェからって、崔浩とのこと、龍のことも知らねェ、たァ限らねェ。余計なこたァ口走んねェに限る。

「管見からでも、卿が出会った人物の幅広さ、影響力の大きさが伺えた。また、ここにはないが、淮北ではムロン・チュイに勧誘を受けた、とも報せを受けている。得ようとして、そうそう得られる人脈でもあるまい」

「だな。にしてもよく調べてある」

「ここに補足などは?」

「わかってんだろ? 言わねえよ。アンタとオレとじゃ、どう利害がかみ合ってんだか、さっぱり見えねえ」

 あんまりにもあけすけな物言いに、王珣が戸惑いを見せた。

「劉裕殿。卿は、交渉というものを存じておるかね?」

「そんなんしても、アンタから良さげなもん引き出せる気もしねえよ」

 少し話しただけで、もう分からされちまってた。

 いまの寄奴じゃ、どう逆立ちしても王珣にゃ勝てねェ。腕っぷしどうこうの問題じゃねェ。

 相手に、こっちを軽く見る気がまったくねェ。そうしてさえくれりゃ、まだ付け入る隙もあったんだろう。だが王珣は、敢えて身一つで寄奴の前に現れた。

 まったく、崔浩といい、王珣といい、肝の据わってるキレモンなんてな、厄介モン以外のなにモンでもねェな。

 だから、端から勝負にならねェ、って突き付ける。ついでに言や、見せてねェ手札を突き付けたところで、勝てやしねェ、ってことも。

 ぐい、と王珣が寄奴を覗き込んできた。

 公達らしく化粧もしてっから、ここまでァいまいち歳のかさが読めずにいた。

 っが、間近で見て、ようやく当たりがつく。

 寄奴よか、十かそこいら上っくれェか。

 ただ細いだけじゃねェ。しぼってる細さだ。貴族ってな青瓢箪ばっかだと思ってたが、そうでもねェらしい。

 つっても謝玄しゃげん大将軍みたく、いいとこの出でおられながらも、戦場を駆けずり回られてた方もいらっしゃるしな。変に見てくれだけで決めるわけにもいかねェか。

「卿はその眼力で、いかほどを射殺してきた?」

「どっちかってと、殺されかける口だ――例えば、今とかな」

 ふ、と王珣の目が薄らぐ。

 だーから。そいつが恐えェんだって。

 王珣が、姿勢を正した。

「なるほど、一筋縄では行かんな」

「そりゃどうも。なら、そろそろ本題に入ってくれ。己みてえな木っ端でも、意外と忙しいんでよ」

 ふむ、とひと息つくと、王珣は竹簡をまとめ上げて脇に除けた。改めて卓を引き寄せる。ふたつの猪口に酒を注ぎ、ひとつをつまみ上げた。

「では、仕切り直しと参ろうか」

 しれっと機先をそらしてきてくれる。この辺ァ上手ェ、って言うっかねェ。

 二杯目ァ、さっきよりゃ味が分かった。っつーか、とんでもねェ上物だ。

「卿の家門も、北来であったな」

「家門ってほどじゃねえがな。ひい爺さんの時に渡ってきて、爺さん、オヤジと食いつないできて、だ」

「四代か。私もそうだ、祖父のどうより後、父のこう。そして今や、息子のこうも間もなく元服を迎えようとしている。――中原を思うには、我々は、長く江南の地に留まりすぎた」

 寄奴の背に、ぞわっと鳥肌が立った。

 北伐ほくばつ捲土重来けんどちょうらい

 そんなお仕着せの言葉を抱えて、どれだけの奴らが血を、涙を、あるいは、命を落としてきた?

 だからこそ、諦める訳にゃいかねェってのもあるだろう。だが、そもそもそいつを目指しさえしなかったんなら、失われずに済んだ仲間も、家族も、たんまりといる。

「我々は、この地での営みをこそ尊ぶべきなのだ。北伐を国是とせるは、徒に官民を損耗させよう」

 王珣のセリフは、寄奴が常々思って来てたことに嵌ってくる。

 ――そりゃもう、えらく薄気味悪りィくれェに。

「悪くねえ話だ。が、そこにどう、己が結びついてくる?」

 言いようのねェ居づらさを感じる。

 そう、崔宏さいこうの懐に飛び込んじまった時と、全く同じ類のやつだ。

 王珣が、底冷えのする笑みを示した。

「この国に求められるのは、北伐と言う呪いより解き放たれた将である。――そうは、思わんかね?」


「そりゃ、潰す気だね。司馬氏のこと」

 京口に戻って穆之ぼくしに話しゃ、開口一番にこれだ。

 寄奴ですら口にするのも、思うのも、どうにもためらわれたそいつを、こともなげに言い切りやがった。

 国ってな、そこを束ねる王さまの本拠地がどこにあるかを指す。その辺でいや、晋ってな長安ちょうあんやら洛陽らくようよりもさらに北。この地に国を構えるってんなら、とか、あるいはえつって名乗るべきじゃある。だが、敢えてはるか遠くの地の名前を付けてる。

 それもこれも、「いつかは晋の地を取り返すから」って決意に他ならねェ。

 北伐をやめるってな、「晋」であることも捨てることになる。

「そう、なるよな。ってこた、いい手駒として目星付けられたってことか」

「出世はできるだろうね、失敗しなきゃだけど」

「まぁ、出世はしなきゃだろうがよ」

「利害は噛み合ってる。なら、どうお互いに利用できるかだ」

 そう喋る穆之ァ、木片に筆を走らせる。そして、寄奴に示したのは「常在耳壁邊」の五文字。――いつ、どこで、何が聞かれててもおかしくないって思え、ってことだ。

 寄奴ァ、ゆっくりとうなずく。

「どっから手を付けてくべきですかね? 諸葛亮しょかつりょうくん」

 やめてよそういうの、穆之がげんなりした顔になる。

「ひとまずは大きく動かないこと、北府での地位を確立すること、じゃないかな。と言っても、こっからは縦よりも横のつながりに重きを置いた方がいいと思う」

「出世しすぎんな、って?」

「そう。いままでみたいに、ちょくちょく問題起してくれればいい」

 好きで起こしたわけじゃねえよ、って言おうと思ったが、やめといた。変にそんなこと口走ろうモンなら、そっからァ穆之がここぞとばかりにお説教を始めるに決まってる。

「これまでさんざん民を苦しめてきた司馬元顕しばげんけんが、唐突に人前で演説だって? 今回起きた乱で、奴は追い詰められつつある。王恭おうきょうを殺したのだって苦肉の策だろう。けど、もっとまずいのは劉牢之りゅうろうし将軍だ。下り坂の人間の、更に風下に立った。鎮北の号だって、もう虚号みたいなもんだ」

 すらすらと、寄奴からの話からで状況を解きほぐしてくる。まったく、どっか高いところに目でもついてんのかね。

「いまの北府じゃ、もう謝玄大将軍が培われたような強固なつながりは求められないだろう。こんな危うい軍中で、変に高位に就けば、いざというときには斬首ものさ」

「ぞっとしねえな」

「毎日が綱渡りさ。踏み出す先を間違えれば落ちるし、下手すりゃ間違えなくても、突然綱を切られたりもする。慎重に越したことはないけど、できれば綱に頼らず、向こう岸に行きたいもんだね」

 面倒この上ないけど、そう言う穆之は、言いながらもにやにやを隠し切れてねェ。なんだかんだで心底楽しんでやがったんだよな、あいつも。

 が、いきなり真顔を取り戻す。

「兄貴。その目と耳、これ以上に大事にしなよ」

 寄奴のことだが、それだけじゃねェ。

 その向こうにいる、己の目、己の耳。

 王珣の、崔宏の耳目がある以上、寄奴ァ下手にゃ動けねェ。そうなると、どいつの動きが重きをなしてくるか。


「演技を覚えな」って、先生の言葉。

 そいつがやけに、己の肩にのしかかってきたモンだ。

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