04-10 凱旋      

 会稽かいけいにゃ謝琰しゃえん将軍が守りの要として就き、劉牢之りゅうろうし将軍やら主だった面子は、司馬元顕しばげんけんを守る形で建康けんこうに引き返す。

 その道すがら、急報が飛び込んできた。

 なんと、皇帝陛下が急死された、とのこと。

 なんでも妾に暴言を吐いて、それで恨みを買って殺された、って言う。

「ずいぶん陛下ってちょれえんですね」

「そうさな、――会稽王の居らぬ間にとは、また痛ましき偶然もあったものだ」

 跳ねるように、寄奴ァ劉牢之将軍を見た。

 が、将軍は振り向かねェ。今しがた、ご自身がなに言い放ったのかも覚えちゃねェ、くれェの装いだ。

 だから、すぐに寄奴きども前を向く。

 そこに司馬元顕の名が上がる必要なんざ、ほぼほぼねェ。ってこた、将軍は司馬元顕から何かを聞いてることになる。

 が、そいつが何か、まで明かすワケにゃ行かねェらしい。

 なら、寄奴ァどうするべきか。

 ひとまず、考えるのをやめる。

 手持ちの駒ァまるで足りてねェ、ろくろく盤面も見えねェ。こんなときに変に動きゃ、あっさり司馬元顕だ桓玄かんげんだに嗅ぎ付けられるだけだ。将軍の振る舞いが伝えてくんのも、これ以上のこたァ語れねェ、って事。

 それと、ただ司馬元顕に尻尾振っただけじゃねェ、って事か。

五斗米道ごとべいどう、狙ってきますかね。こっちのドタバタ」

 だから、寄奴も話を脇に逸らす。ほんのわずかだが、将軍の口元が緩んだ、気がした。

「謝琰殿には十分な兵力を委ねている。あれを抜かれるのであれば、もはや手立てもあるまいよ」

 そう仰る劉牢之将軍ァ、どこか楽しそうだった。


 五斗米道どもが好き放題に暴れ、「王恭おうきょうが乱に乗じて謀反を企み」、とどめに皇帝陛下が崩ぜられる、ときた。建康の都は、当たり前だがどえれェてんやわんやだった。

 が、そんな騒ぎを、劉牢之将軍以下を率いた司馬元顕が鎮める。

 ゾッとしたね。

 劉牢之将軍の振る舞いからすりゃ、恐らくそこまでが司馬元顕の仕込みだ。悪政、凶兆てんこ盛りん中に、突如淝水ひすいの英雄を従えて現れる貴公子。民草がすがりたくなるワラとしちゃ、とんでもなく上出来な茶番だ。

「憂うなかれ、大晋の壮士よ!」

 ここでも、司馬元顕の声は良く通る。何が相手に伝わるかってのを、よくよく分かってやがる。

太上たいじょうの崩ぜらるは、甚だこくすに値せる大喪である! なれど太上は、既にお世継ぎをお示しである! 我ら晋人、夷狄いてき寇難こうなんに臨み、ただ流涕りゅうていをのみしておれようか! 世子徳文とくぶん、その沈思しんしせるの深きは宣帝にも似る! 晋人よ、我らはぎょうしゅんよりの皇統を仰ぐ、社稷しゃしょくの民である! 愚臣元顕、世子を奉り、晋人らを再び中原に連れ戻さんが為、砕身して参る所存である!」

 堂々たる演説を、大乱を鎮めた兵らを従えてぶつ。

 高めに見積もったところで、司馬元顕にゃ声望らしい声望ァねェ。

 だが、この演説で、風向きが変わった。

 新しい皇帝陛下が立つと、司馬元顕が宰相の座に就く。劉牢之将軍ァその下で、鎮北将軍に昇格した。王恭がもと就いてた地位だ。ふつう、名門出身でなきゃ到底辿り着けねェほどの高位。

 ここから先、劉牢之将軍は司馬元顕の手先として、貴族たちからの批判、その矢面に立たされ続けることになる。


 いっぽうで、寄奴だ。

劉裕りゅうゆう殿」

 新帝即位、伴っての劉牢之将軍昇進を祝う宴が大々的に催されるなか、王謐おういつのオッサンに呼び止められる。

「おう、珍しいな。アンタがこんなとこに出てくるなんて」

 オッサンが仕えてんなァ、司馬休之しばきゅうし殿。司馬元顕にゃ命まで狙われたことのあるお方だ。劉牢之将軍が司馬元顕の下で昇進なされたってんなら、そいつァもう敵陣のまっただ中に乗り込んできたにも等しい。

「ずいぶん、君の立場も難しいものになってきてしまったな」

「だな。がまぁ、将軍もお考えあって司馬元顕の下に潜り込まれたみてえだし、なるようになるだろ」

 ハッタリだ。

 全くもって何にも見えねェ。だから早いとこ帰って、穆之が探り出したモンとの摺り合わせがしたくて仕方ねェでいた。

 っが、これが巡り合わせって奴なんだろうな。

 オッサンは申し訳なさそうな顔つきで、寄奴に耳を寄せるよう手招きした。

「我が一門の長が、君に目をつけた。連れてくるよう言付かっている」


 こん時ゃまだ、どんな奴に目をつけられちまったのか、寄奴ァさっぱり分からずにいた。

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