04-09 謀反嫌疑    

 謝琰しゃえん将軍による会稽かいけい攻めの際、寄奴きどらは後ろに回された。

 つっても後ろァ後ろで、怪我人だ死人だの収容、軍資の搬送、なんかはしなきゃいけねェ。なかなかゆっくりはさせてもらえねェもんだ。

龍符りゅうふ長民ちょうみん! えん将軍の隊に回す分揃ったか!」

「まだだ! っうかこれ、チョロまかし出てんぞ!」

「知らねえよ! もういい、それで送り込んじまえ!」

 モノを動かすにゃ人手がいる。が、だいたいにしてこういうのが出る。

 戦時の盗み働きなんざ、ことが漏れりゃ斬罪だ。平時の盗み働きみてェに手ぬるく行ってる暇ァねェ。

 が、そいつを知ってても、ちょくちょく起こる。どんだけしきたりが緩りィんだか、って話だ。

 ここで苛ついたって仕方ねェんなァ分かってる。だから寄奴も、何とか抑えようとしちゃあいた。が、いかんせんひどすぎる。

丘進きゅうしん

「何だ」

 寄奴の隣で帳簿つけに精を出す虞丘進ぐきゅうしん。元々官僚畑の出らしく、なれた手さばきで書類を引き合わせてる。

「なんで己らで盗っ人殺しちゃいけねえんだ」

「それを狙っている連中が多いからだ」

「あ?」

 虞丘進は筆を止めねェままで、言う。

孫無終そんぶしゅう将軍より言付かっている。お前が挙げている功績を煩わしく思う連中がいる、とな。連中の狙いは、まさにお前が勝手に人夫を殺すことだ。戦場ならともかく、後方でやってくれれば罪に問えるからな」

「で? ここで物資を上手く運べねえなら、それはそれでお叱り、と?」

「そう言うことだな」

「――ご丁寧なこった」

 この仕事を言い渡されたとき、やけに劉牢之りゅうろうし将軍がニヤニヤしてたわけだ。この辺も全部ご承知じゃあったんだろう。ったく、いい上役さまでいらっしゃる。

 そうこうわちゃわちゃしてる寄奴ンとこに、馬に乗ったおさむれえが寄ってくる。

 劉毅りゅうきだった。

「精が出るな」

「将軍さまと違って、お仕事てんこ盛りなもんでな」

 言外に邪魔すんじゃねェよ失せろ、って込める訳だが、そんなんで劉毅が怯むわけもねェ。

「いや、これで一応、仕事を負う身だ」

 そう言うと、劉毅が懐から竹簡を取りだした。紐解き、読み上げる。

「劉功曹こうそうに叛意の嫌疑あり。至急の出頭を命ず」

 堂々たる劉毅の声に、辺りの奴らがざわつく。

「……あん?」

 竹簡から目を外すと、劉毅が、にやりと笑った。


 全くもっていきなりの話じゃあったが、そもそもにしてどこにも探られて痛てェ腹ァねェ。むしろそんなワケ分かんねェことほざく奴の面ァ拝んで、ことによっちゃ軽く撫でてやろう、くれェのつもりで出頭する。

 連れられた先は会稽かいけい内史ないし。つまりお役所。ここの一室を、本営として貸してもらってた。

劉裕りゅうゆう。多忙の折、よく来てくれた」

「将軍、それ謀反人に掛ける言葉じゃねえですよ」

 室内に入るなり飛びかかってくる劉牢之将軍のお言葉。

 周りの奴らから飛んでくる目つきからすりゃ針のむしろ、ってなもんだが、そんなん寄奴が気にかけるこっちゃねェ。

「ともあれ、仰る通りなんで、とっとと帰りてえんですが」

「謀るな、貴様!」

 屁ほどもビビってねェ寄奴に向けて、いらだたしく声を上げたんなァ袁山松えんさんしょう将軍。見りゃあ隣にゃ、謝琰将軍がいらっしゃる。おーおー、ずいぶん分かり易いこった。

「貴様が五斗米道ごとべいどうと通じておるのは明らかなのだ! この期に及んでしらを切るか!」

 全くもって思いもよらなかった言葉に、つい、きょとんとする。

 本営の上座、劉牢之将軍を見る。

 同じツラだ。

 寄奴に仕事を割り当てになった、あの時と。

「落ち着かれよ、袁将軍」

 劉牢之将軍が指示を出すと、一本の竹簡が取り寄せられた。そいつが、寄奴に渡される。

「竹簡っすね」

「何をとぼけるか!」

「いや、つーか、読んでほしいんですが」

「貴様! 言うに事欠いて、読ん――」

 妙な間。

「……なに?」

 場が、静まりかえる。

 あからさまな怒気を叩き付けてきた袁将軍じゃあったが、寄奴の返しァ、全くもって考えつかなかったらしい。

 あァ、一応言っとくがな。読めねェってのは、ある意味じゃほんとのことだ。何せ王さまってな、いやでも文字を追うお仕事。なら寄奴の頭ン中にゃ、当然とんでもねェ数の文字がひしめいちゃいる。

 が、知っててもそいつを掘り起こすんなァ、けっこうな手間なんだ。

 穆之ぼくしと一緒に、そいつを掘り起こすための練習だなんだはしてた。が、元が元だ。そうそう簡単な話でもねェ。

 なんで、寄奴ァろくすっぽ文字が読めねェ。そういうことにした。

「いや逆に、なんで俺が読めると思ったんで? 俺が読めんなあ、手前の名前と草鞋の編み目くれえですよ」

 とか言いながら、場の気をしれっと読むわけだ。

 あからさまな嫌悪を挫かれて戸惑いが現れ、更にそっからわき上がってくんのが侮り、軽んじ。

 お貴族さまらに取っちゃ文字が読めねェ、なんてな問題外にも程があるってもんだ。それに寄奴にしたって、そう言うとこで軽んじてくれる方が、何かと都合がいい。

 見りゃ、袁将軍の顔つきにも余裕やら侮りやらが浮かんできてる。ちょっと分かり易すぎじゃねェかって噴き出しそうになったが、そこは堪えた。

「よくぞその蒙昧さをさらけ出して、恥じずにおれるものだ。まあ良い、ならば聞かせてやろう」

 袁将軍がひとりの令史を呼び、命じる。そいつまでがちらっと寄奴に嘲りの目を向けてくんのがちょっと面白かった。


 書に曰く。

 広陵こうりょうこうぜられた筈の項裕こうゆう将軍が、この会稽で我らの前に立ち塞がった、と聞き、はじめは我が耳を疑った。しかも、将軍は劉裕と呼ばれているそうではないか。劉裕と言えば、淝水ひすいの驍勇。過日と此度とで示された烈武に、ようやく得心が行った次第である。

 天意と人気とによみされた我らであったが、いくら晋に天意尽きたりと言えど、将軍が如き驍将を擁する軍を前にすれば、形勢はいささか不利に傾かざるを得なかったようである。

 必勝の態勢を十全に整え切らず、此度の不利をこそ得たが、そもそもにして会稽の地は中原の鼠賊そぞくのものにあらず、我ら呉楚ごその民のものである。必ずや奪還し果すべく、我らは爪牙そうがを磨き上げよう。

 また、将軍の勇武は頽落たいらく粗門そもんに押し込むべき器ではあるまい。我らとともに長江を得、ひいては中原に蟠踞ばんきょせる胡賊を打ち払わんとすべし。


 聞きながら、孫恩の顔を思い浮かべる。

 あの無理もなく、ただ、在ることだけを心掛ける、そんな奴のありようからァ、どうにも遠いように思えてなんねェ。

「聞けば、貴様は孫無終そんぶしゅう殿に隠れて広陵こうりょうに渡ったそうではないか! その際によしみを通じ、この会稽にても裏での取引をしておったのだろう!」

 さて、どう考えたもんか。

 恐らく、文面通りに取るわけにも行かねェ。だから寄奴ァ、ひとまずいまの内容を、遠い西の彼方、己に書き留めとくよう伝えてきた。よくわかんねェモンは、のきなみ穆之ぼくしにぶん投げちまうに限る。

「――おい、聞いておるのか!」

「あ、いや? 聞いてねえです」

 言っちまった。

 袁山松将軍の顔が真っ赤になった。穴っ中穴から血が噴き出てきちまうんじゃねェかって勢いだ。

 ついに、辛抱たまらんとばかりに劉牢之将軍が噴き出す。

「全く、だから言うたろうに! 糾すだけ無駄だと!」

 劉牢之将軍が立ち上がると、いやでも周りの奴らァ黙るっかねェ。

 見るだに分かる。今の劉牢之将軍ァ、名族どもにわがまま放題されてた、ついこないだまでの将軍たァ違う。どんなクソ野郎たァ言え、会稽かいけい王の後ろ盾ァ、そんくれェにでけェ。

「問おう、劉裕りゅうゆう。貴様は孫恩と旧知であるな?」

「ええ」

「そして貴様は、旧知を斬れるか?」

「その前に敵です」

「うむ」

 満足そうに将軍がうなずく。

「――が、周囲が貴様に対し、疑いの目を向けるのもやむを得ぬ仕儀である。そこで、劉裕。本日この場より、貴様を改めて参軍として取り立て、吾輩の監視下に置くこととする」

「うぇ!?」

 そこまでも寄奴ァ、劉牢之将軍直の部下じゃあった。だがそいつァ功曹こうそう、使いっ走りも多く、その分劉牢之将軍の目からも割と自由じゃいられた。

 参軍に引き立てられんなァ、言ってみりゃ将来の将軍候補だ。

 前に広陵じゃ蕩難とうなん将軍、って肩書きをもらったことがある。が、そいつァ平時の荒事を抑えこむ責任者、みてェな肩書きだ。こうして戦時中にもらう将軍候補の肩書きとじゃ、まったく訳が違う。

「劉将軍! さすがにそれはおかしいのでは!?」

 立ち上がり、謝琰将軍が食い下がろうとした。さっきまでァ全部袁山松将軍に任そうとしてたわけだが、さすがにそうも言っちゃられなくなったらしい。

「おかしい、とは? 吾輩自身、謝玄しゃげん様より腕っ節を見込まれてこの地位に就いており申す。元より北府とは、険敵たる鮮卑せんぴに抗うための府。此処までも劉裕は、大いに北府の将たる武を示してきておるよう愚想致しまするが?」

 言い回しァそれなりだが、まったく謝琰将軍の意見なんざ聞くつもりァねェ、って言いきっていらっしゃる。


 ――劉毅がにやりとしたわけだ。まったくこの親子、変なとこでそっくりでいやがる。

 参軍の座を得たんなァ、ありがてえっちゃありがてェ。が、どうせ将軍のことだ、また無茶苦茶なことごり押ししてくんだろう。

 やんなきゃなんねェのは分かってる。が、やりてェかどうか、はまた別問題だ。

 さて、何を穆之と丘進に押し付けようか。そんなことを、寄奴ァ考え始めた。

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