04-03 草間から    

 劉牢之りゅうろうし将軍が、顎で天幕をお示しになる。寄奴はうなずき、従おうとした。

 ら、

「出所を言え」

 歩き始めるかどうか、ぐれェでいきなり切り込んで来なすった。

「歩きながらでいいんで?」

「わざわざ密談をする、と宣伝するようなものだ。それで、出所は?」

 二度目のお言葉は、柔らかくこそあっちゃいたが、あきらかに「これ以上は待たんぞ」って仰ってきてた。

 ぐっと唾を飲み込んでから、言う。

司馬休之しばきゅうしどのです」

 ふむ、と将軍が、顎髭に触れられる。

無忌むきが、貴様と共に公を助けた、と言っていたな。そうか、公は貴様らを頼ることになさったのか」

 あえて、穆之ぼくしのこたァ話さずにおく。寄奴きどの判断ァ、穆之の集めた情報頼りな所が大きい。だからこそ、そのタネだけは言わずにおいといた方がいい。

「変にあの方の名前お呼びすんのも危ねえんで、季子きしって呼ばせて下さい。なかなか身動きの取れねえあのお方の代わりに、王謐おういつどのが橋渡しになって、こっちに色々お教え下さってんです。司馬元顕しばげんけんのこと、宮中のこと。で、代わりにオレらは、巷の噂なんぞをお届けする」

「巷の噂?」

「ええ。王鎮北ちんほくと将軍の仲が最悪だ、とか」

 将軍が、かっと目を見開かれた。

 それから、豪快にお笑いになる。

「ろくろく恐れを知らぬと見える。迂闊に洩らして、貴様の首が飛ぶとは思わんのか?」

「飛んだら飛んだまででしょう。どのみち己ら、そう言う綱渡りにのっかっちまってんですから」

 淝水ひすいが終わってこっち、晋のくにをお纏めになってた謝安しゃあん様が亡くなった。柱がぶっこ抜かれた国内で、それでも謝玄しゃげん大将軍が、どうにかしようとほうぼうを駆けずり回られた。が、その大将軍も急死。

 誰が誰を殺すか分かったもんじゃねェ。ひとりひとりの首の値段が、べらぼうに安い。劉牢之将軍にしたって、寄奴がどんだけ使えるコマだろうとも、いや、使えるコマだからこそ、変な動きがありゃ簡単にお斬り捨てなすったろう。

「死人なのかな、貴様は」

「かもしれねえですね、淝水も五橋沢ごきょうたくも、何で生き延びたんだか」

「ならば、ここでも死んでもらうぞ」

「わかってまさ」

 それから将軍は、かいつまんでだが、将軍の置かれてる立場についてお教え下さった。

 中央を牛耳る司馬元顕と、そのお膝元の京口けいこう、北府軍。着々と軍拡を進めてる桓玄かんげんの西府を防ぐにゃ、どうしても中央と北府が手を組まなきゃなんねェ。

 本来、その要が謝大将軍のはずだった。が、ぶっこ抜かれて、後釜にゃ王恭おうきょう。功績とかで言うんなら、淝水で活躍なされた朱序しゅじょ将軍のほうがずっと相応しい。だってえのに。

「鎮北を推したのは、謝氏だ」

「謝氏? 謝大将軍のご一門ですか」

「そう。次いで言えば、桓玄との縁も深い」

 それを聞き、内心でぎくりとする。

 俺と寄奴が見聞きしてきたことを合わせりゃ、謝将軍の死は、八割がた桓玄のたくらみだ。が、よりによって、謝氏にそのことが伝わってねェ。

 たァ言え、さすがにこの辺は迂闊に口走るわけにもいかねェ。

「じゃ、裏に桓玄の動きも?」

「で、あろうな。桓謙かんけんを援軍に、とはよくも言ったものだ」

「元顕にしてみりゃ、目障りこの上ねえっすね」

「となれば、吾輩の元に来る元顕の用向きにも想像がつこう」

「――内応」

 将軍がうなずかれた。

「全く、面倒なことになったものだ。外に五斗米道ごとべいどうと戦おうというのに、内ではお偉方がせめぎ合っている。これならば北逖ほくてきどもの戈矛に斃れたほうがいくらかマシであったかな」

「さすがに、そのご冗談は笑えねえっすよ」

 いくら謝大将軍の急死があったたァいえ、実際の戦線は崩壊し、晋軍ァ淮北わいほくから尻尾を巻いて逃げなきゃいけなくなった。

 で、そいつァ劉将軍の責任だ、ってェことになった。だから将軍は、前線から外された。

 淝水の前からこっち、ずっと鮮卑ども相手に戦い続けて来られた将軍にとって、国内の反乱軍なんざ、どんだけ心躍る相手だったんだろうな。

劉裕りゅうゆう。この会稽には司馬元顕と桓玄、どちらの目も入り込んでいるものと思え」

 寄奴が頷く。

 そんな折も折、ちょうどだ。将軍の設えなさってた天幕にまで辿り着く。

「暫し、そこで待て」

「は?」

 言うが早いか、将軍は天幕ン中から壷をお持ちになった。漂ってきた匂いについちゃ、聞くまでもねェ。

「将軍、何でいま、酒なんすか?」

「言ったろう。貴様らにはとびきりの死地を用意してやると。故にこその、振る舞い酒よ」

 仰り、将軍がにやりとされた。

 寄奴ァちいと口元引きつらせながらも、壷いっぱいのそいつを、ありがたく頂戴した。


 会稽かいけいの町ァ海に沿って、横に広がってる。町ン中にゃ網目みてェな水路が走り、守るにゃ便利で、攻めるにゃ厄介な作りになってる。

 五斗米道どもにしたって、どうしても編み目の一つ一つを地道に潰してかなきゃいけねェし、いざ一つの区画を獲っても、水路を知り尽くした奴らから思いがけねェ反撃くらっちまったりする。戦嫌いどものつるむ町たァ言え、だいぶ奴らも手ェ焼いてるみてェだった。

 そこで、奴らァ軍勢を分け、南からぐるっと回り、町を取り囲む作戦に出ようとしてた。外からじわじわすり潰そう、ってェ算段だ。

 なんで将軍は、逸早く寄奴を突っ走らせた。

 包囲網が出来ちまっても、将軍にしてみりゃわざわざこっちにケツを向けてくれるようなもんだ。そこをぶっ叩いたって、別にかまやしねェ。が、どうしてもそうなっちまったら困る理由があった。

 会稽に住む名族どもが、我先にと逃げようとしてる。うっかり五斗米道の奴らに町を囲まれでもすりゃ、お偉方と五斗米道がばったり出くわす、なんてことにもなっちまう。

 そうなったら、お貴族さまなんざあっちゅう間にかっぱがれちまうだろう。こっちにどんなお叱りが飛んでくるか分かったもんじゃねェ。いや、お叱り、程度で済みゃいいがな。

「速さと地勢眼にて、賊軍先鋒の経路を見出し、現地に釘付けにせよ。貴様らが全滅するより前には、本隊にて駆けつけ、敵を殲滅しよう」

 仰り方が、とことんにひでェ。

 そんかし、将軍は恩賞に関しちゃどさっと出して下さる。なら、でけェ戦働きにゃ、命をかけででも突っ込んでくうウマ味もあるってもんだ。


「ほんに心づええよな、季高きこうの鼻はよ」

「余計なことはエエ。奴らもとことん警戒しとるデ」

 寄奴、季高、虞丘進ぐきゅうしん孟龍符もうりゅうふ。あとは諸葛長民しょかつちょうみんと、檀道済だんどうさい。それぞれが七、八人かそこらを率いてて、総勢で五十人弱。つるんで伏せてる茂みの向こうにゃ、隊列組んで進む五斗米道どもがいる。

 ざっと見て、千はくだらねェか。無闇に突っ込みゃ、あっちゅう間に潰されちまってしまいだ。

 寄奴と目配せすると、季高がひとり、隊から外れる。

 本隊に合流して、呼び込む役だ。

 そいつを見送ってから、改めて寄奴が、荒くれどもに言う。

「確認するぞ。奴らを少しばかり見過ごす。で、隊長格を叩き、先頭の指揮系統を乱す。その後は円陣だ。己、龍符、道済の三人を柱にして、間に四人ずつ。円陣の真ん中に丘進。柱の間でやべえところを、順次繕ってってくれ。で、長民は丘進の補佐だ。これで割と、お前の目端にゃ期待してっからな。こいつが上手く行きゃ、そうそうは崩れねえだろう。後は、本隊が来るまでの我慢比べだ」

 虞丘進がため息をついた。

「いま、無傷なのを喜ぶべきなのかな」

 孟龍符がはっ、って笑う。

「何言ってやがんだ、鮮卑どもに比べりゃちょれえだろ」

 丘進も負けじと返す。

「数の差の甚だしきに、怯えに躊躇ちゅうちょ、あまつさえ知恵のない連中を向こうに回す厄介さを知らぬようだな」

 まったく、仲がいいんだか悪りィんだかな。

「お前ら、盛りあがんのは構わねえが、くれぐれもデケえ音だけは勘弁してくれよ。先手取れなきゃ、こっちゃ自殺みてえなモンなんだから――」


 ――なんつーかな。

 持ってる奴ァ持ってる、としか言いようがねェ。

 寄奴が、隊の奴らに釘を刺そうとしてた。

 まさに、その時だ。


「うえっきし!」


 炸裂させやがった。

 長民が、くしゃみを。

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