02-14 材木商・王玄伯 

「――そうかい。ザマミロだ」

 布団で横になる、包帯まみれの臧愛親ぞうあいしん

 襲われてからこっち、十日は経とうとしてる。

 だがいまだ、満足に起き上がれもしねェでいた。

 布団から出てる右手を、臧熹ぞうきがさすってる。そうしてもらえると、痛みが和らぐんだって言う。

 孟昶もうちょうの私邸、その客間。元々ァ寄奴きどのために割り当てられた部屋だったが、無理言って愛親らを匿ってもらうことにした。

「熹少年は、責任持って儂が預かろう。他にあまり類を見ぬ登用ゆえ、茨の道とはなる。が、他ならぬ君の弟だ、見事に乗り越えよう」

 布団の隣に、徐道覆じょどうふく将軍があぐら組んで座ってる。平服姿じゃいたが、その堂々たる恰幅かっぷくァおいそれと覆い切れたモンじゃねェ。

 そして寄奴ァ、その後ろ。同じくあぐらでいる。

「恐縮です、徐将軍。これ以上頭を下げられぬ事、申し訳ございません」

「何、項裕こうゆうより取り立てるのでな。君がわずらうこともない」

 言って将軍が、ちらりと肩ごしに寄奴を見た。あわせて愛親も見てくるが、あいつァすぐにそっぽ向いちまう。

 しゃあねえっちゃ、しぁあねェ態度だ。徐将軍が苦笑を浮かべると、寄奴ァ頭を掻いた。

「さて、あまり怪我人の隣で喧しくするものでもないな。この辺りでお暇致そう」

 徐将軍が立ち上がる。寄奴もそいつに続き、そんでふすまに先回りした。

「熹少年、――いやさ、臧功曹ぞうこうそう。ここから先、甘えは許されぬぞ。励めよ」

「御意にございます」

 臧熹が平伏する。将軍、寄奴が部屋を出て、ふすまを閉めるまで、そのまま微動だにせずにいた。

「思いがけぬ買い物やも知れんな」

 顎髭をしごきながら、将軍ァほんのりと嬉しそうに独りごちた。

「すんません将軍、まさか見舞いにまでお越し頂けるなんて」

「天下の驍勇を骨抜きにする女子だ、是非とも見ておかねばと思ってな」

「ほんと勘弁してください、柄じゃねえんですよ、そう言う扱われ方」

 将軍ァ心底愉快そうに、豪快な笑いを上げた。そんで乱暴に肩を叩いてきた。ありゃ寄奴じゃなかったら、普通に外れてたよな。

「それで、君はこの後殺される、と言うことでいいのかね?」

「ええ。五斗米道ごとべいどうの残党に恨まれた、ってんなら言い訳も立つでしょう。晴れて身軽に帰れるってもんです」

 手掛けた働きから勘定すりゃ、働き損って思ってたのも確かだ。だが、将軍へ返した言葉に偽りァねェ。評判についた尾ヒレを耳にするに、こん頃にゃもう、いつ寄奴が空飛んでていの蟻んこどもをなぎ倒してってもおかしくねェくらいでいた。そこに「実は広陵こうりょうで大立ち回りしました」なんて話をつけようもんなら、ますます身動きが取れなくなっちまう。

 少しでも早く、穆之と先のことをすり合わせねェといけねェ。これ以上広陵に縛られちまってる訳にゃ行かなかった。

「しかし、君の振る舞い、羨ましくはある。こちとら広陵に来て以来、王徐州おうじょしゅうの尻ぬぐいに追われ通しだ。あの白面、ろくに仕事もせず雑事ばかり増やしてくれて、どれだけ素っ首をひねってやろうと思ったことか 」

「刑場で、将軍の隣にいた奴っすね」

 臧熹が阮佃夫げんでんふを殺した、あの時。刑場の北側にゃ、立派なやぐらが組まれてた。言ってみりゃ、お偉いさんが執行の様子を見学するための特等席だ。

 そこに徐将軍、そして高雅之こうがし将軍を差し置いて、一等立派な椅子に腰掛けてた貴族がいた。そいつが徐州刺史じょしゅうしし王恭おうきょう。あの頃の北府ほくふ軍じゃ、謝玄しゃげん大将軍に次する肩書きを備えたお貴族さま。

 だがまァ、なんて言うか。とてもじゃねェが、戦ごとに強えェようにゃ見えなかった。

 徐将軍も、白面たァよく言ったもんだ。遠目にも、こんでもかってくれェべったべたにおしろい塗りたくってんのが分かった。お偉いさんってよりゃ、役者って言われた方がよっぽど腑に落ちるような出で立ちだった。

「そう言えば、劉裕りゅうゆう。王徐州は君にも興味を示しておられたぞ。何なら推挙してやろうか?」

「勘弁してください、あんなんに飼われたら、きっと息が詰まって死んじまう」

 心底げんなりした寄奴を見て、「それも面白そうなのだが」って、徐将軍がにやりと笑う。

 玄関まで来ると、孟昶、それから孟龍符もうりゅうふの見送りに出くわした。特に孟昶にしてみりゃ、内輪ごとの問題を解決して貰っちまったってもんだ。下げてくる頭が、とにかく低い。

「こんな縮こまった昶兄ィ、初めてっすわ」

 孟龍符がカラカラと笑った。孟昶がぎろりと睨むと、わざとらしくそっぽを向く。

「そう畏まらぬでも良い、同胞の煩いは相身互いよ。それよりも、高雅之こうがしの周りはますます慌ただしくなろう。君の俊才は内外にも聞こえている、よく高雅之を支えてやってくれ」

「勿体なきお言葉にございます」

 深々とした拱手を頑なに崩さねェ孟昶の肩を、将軍が二、三度軽く叩いた。

 外に出る。

 門のところにゃ車が留められてあった。二頭の馬と、周りにゃ人夫たちが何人か。それから、そいつを手配したって言う商人が、ひとり。

「待たせたかな、王玄伯おうげんぱくどの」

 徐将軍が、崔宏さいこうに向けて、そう呼びかけた。


 徐将軍が前向きに掛け、寄奴と崔宏が並んで将軍に向かい合う。孟昶の家から広陵府までは、馬の並足で半刻足らず。わざわざ車で戻るような距離でもねェ。

「劉裕よりは、君が此度の画図を引いてくれたと聞いた。ならば広陵のわずらいの種は、君が刈り取ってくれたようなものだな。感謝する」

「礼には及びませぬ。利鞘りざやを劉裕殿に見出したまでのこと。むしろお蔭様にて、こうして将軍に汗顔かんがん晒すこと叶いました」

 寄奴ァ聞こえよがしに、思いっきり舌打ちをしてみせた。崔宏ァまるで動じねェし、徐将軍についちゃひたすら大笑い。寄奴の腹の虫ァますます元気になってくる。

「だが、お互い暇ならぬ身よ。君の言う利鞘について、早々にごくんじ願えるかね?」

 ぐい、と徐将軍が身を乗り出す。

 炯々けいけいとした目力ァ、前に寄奴が鐘楼しょうろうで浴びたそれたァ圧がまるで違った。

 寄奴ァ、それでも徐将軍に取っちゃお仲間だ。だが王玄伯って偽った出来しゅったい不明の輩を受け容れる理由ァ、徐将軍にゃ、まるでねェ。たとえ寄奴づてだとしても、いや、寄奴づてならばこそ。

 まして、この期に及んで寄奴の氏素性を知ってる奴が徐将軍の前に現れんだ。構えねェほうがおかしい。

 だが崔宏は、飽くまで涼やかに、拱手を示す。

「私どもは材木商を営んでおります。淝水ひすい落着のこの折、江北こうほくより淮南わいなんでは、今後復興事業も多く立ち上がりましょう。しかるに、我らが抱える拠点は下邳かひ。この南徐州みなみじょしゅうでの事業に携わるには、些か遠くございます」

「では、ここ広陵に拠点を築きたい、と?」

「恐れながら」

 何だって、危うく寄奴ァ声を上げかけた。何とか堪え、外を見る。

 崔宏が示してきた一手ァ、じかにこっちを殺しにくるモンでもねェ。だが、明らかにのど元に匕首あいくちを突き付けてくる類のもんではあった。

 どんだけ、敵のことを調べ尽くせるか。その上で殺すための手立てが取れるか。寄奴だってその辺をおざなりにする気ァ毛頭ねェ。だが、速すぎる。

「どうかしたのかね、劉裕?」

「いえ、――この野郎、まだ儲けるつもりなのかよって思いまして」

「とんでもない。我が目指すは晋国を支えうる基石きせき貨殖かしょくはその術に過ぎぬ」

「わざとらしいぞ、玄伯どの」飽くまで愉快そうな声色は崩さねェままで、徐将軍が割り込んでくる。

「だが、ここから木材が入り用になってくるのは確かだ。加えて、君の手腕は劉裕づてにではあるが、確かに見せて貰った。なるほど、悪からぬ話であるよう思う」

「では――」

 少し前のめりになった崔宏を、徐将軍が制した。

「ただし、だ。この広陵において、儂は所詮客将に過ぎぬ。推挙までは請け負えようが、地元の問屋連への折衝までは叶わぬぞ」

「心得て御座います。商いもまた戦なれば、この非才、振り絞る所存にて」

「そうか」徐将軍が頷いた。

 車の足が緩む。どうやら広陵府に到着したみてェだった。

「では後刻、こちらでも手筈は整えておく。活躍を楽しみにしているぞ」

「ご期待に添えるよう、尽力致します」


 車から降りると、崔宏と並んで拱手し、広陵府に戻ってく徐将軍を見送った。

「肝が冷えたぞ」

「あん?」

 飽くまで、頭は垂れたまま。

「貴公が、我の素性を暴露するのではないか、とな」

「言ってろよ」

 材木商を偽る王玄伯ァ、実ァ鮮卑どもを利する漢人の裏切者、崔宏でござい、ってか。そんなん到底言えたもんじゃねェ。敵地に身一つで出て来てんる崔宏を売ったとこで、残るんなァ奴を向こうに回すんが恐ろしくなっちまった臆病者、って汚名。

「どう逆立ちしたって己の負けなんだ。今更みっともねえ真似晒せるかよ」

「その潔さは、我が主上とよく似ているな。好ましく思うぞ」

 冗談ともつかねェその言葉に、寄奴がう、って詰まる。

 顔を上げる。

 相も変わらず、底を読み取り切れねぇ、曖昧な笑顔。

「――くそ」頭を掻く。

「本当、どうしようもねえな。ここまで手玉に取られちまえば、もうぐうの音も出ねえよ。降参だ、降参。だから、せっかくの機会だ。教えちゃくれねえか」

「何をかね?」

 相変わらずの笑顔に、わずかにいら、っとくる。

 少しでも、意趣返しができりゃいいんだが。

 そう思いながら、寄奴ァ言葉を投げつける。


「この茶番を仕立てた理由だよ。わざわざ、五斗米道とまでつながってな」

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