02-08 徐道覆     

 こんなん改めて言うことでもねェんだけどな。寄奴きどみてェな奴だ、当然女にゃモテた。京口けいこうでも女に困ったこたねェし、行く先々でもデケェ、強えェ、気っ風きッぷがいい、

んだけ揃ったアイツをほっとく女なんざ、そうそう居たもんじゃねェ。

 だからこそ、って言うべきなんだろうな。アイツァほとんど女ってモンに冷めてた。言い寄られりゃ適当に応じもすんだが、まァメスガキどもにしちゃ、較べられっちまうのが、なにせ簫文寿しょうぶんじゅ様だしな。そりゃもうお気の毒様って申し上げるより他ねェ。

 そんなアイツを知ってるから、

「いい女みっけちまいましてね。つい、たけっちまったんです」

 こんな言葉が飛び出るたァ、ついぞ思ってもみなかった。

 広陵こうりょう府、執務室。だだっ広れェ机の上にゃ竹簡がこれでもか、とばかりに積み上げられてる。その向こうにゃ竹簡を書令史しょれいしに開かせ、ざっと目を通し、左の隅っこにちょい、と墨を入れて、を繰り返す徐道覆じょどうふく将軍の姿があった。

「なるほど。で、そののろけをわしにしてどうするのかね?」

「や、徐将軍のお顔拝見したら、つい聞いて欲しくなりまして」

「そうか」将軍がため息をつく。

破天荒はてんこうなのは、戦働きにのみ留め置いて欲しいものだが」

 窓の外にゃ、慌ただしく動き回ってる役人やらおさむれぇやらの様子が見える。将軍の墨が入った竹簡は乾くのを待つのもそこそこに丸められ、書令史の手から待機してた役人に渡された。役人は慌ただしく退出する。

「にしてもお忙しそうっすね、将軍」

「見る目はあるようだな、劉裕りゅうゆう。ところで君が儂の仕事をひとつ増やしてくれたのには気付いたかね?」

「将軍がいらっしゃるなら何とかなんだろ、って。頼りに思ってました」

「儂は君の便利屋ではないのだがな」

 ひとつ竹簡をさばく内に、ふたつ、みっつと新手が加わる。徐将軍は心底げんなりしながら書令史に「おい、そろそろ二人三人くらいの主簿しゅぼは付けられんのか」ってぼやいた。

「は、はっ、手配しておりますが、なにぶんどこも手薄でして……」

「――もう良い!」

 ことさら乱暴に筆を走らせると、将軍は筆をぶん投げた。

「休憩だ! 劉裕、散歩に参る! 付き合え!」

 がた、と派手に椅子を倒し、将軍が立ち上がる。

「し将軍! しかしこの件は火急の――」

「徐書令史! 同姓のよしみだ、君にしばし全権を委任する!」

「っええっ!? っそ、そんな!」

 完全に泣きっ面な徐書令史――徐羨之じょせんしを尻目に、将軍ァ寄奴の首根っこ捕まえて、さっさと執務室から逃げ出した。

「あーあ、かえーそうに。災難だな、書令史どのも」

 ンなこと言う寄奴が、将来もっと無茶振りしてアイツ泣かすんだけどな。

 廊下に出ると、行き交うどいつもが徐将軍のツラ拝むなり慌てて脇によけ、拱手きょうしゅする。そんでちら、と後ろにつく寄奴に奇異の目を向ける。ただ、何者かって聞く度胸はどいつも持ち合わせちゃいねェみてェだった。

「それで? しん国の英雄殿は、この広陵に何を嗅ぎ付けた?」

「嗅ぎ付けた、ってほどじゃねえですよ。いま一等荒れ狂ってるところに首突っ込んだら面白そう、ってくれえで」

「荒れ狂うか、確かにな」

 階段を上り、高楼こうろうに。哨戒しょうかいに当たってた兵に「しばし息抜きする! そこを退けい!」って怒鳴り散らし、広陵府いちの展望を奪ってから、どっからくすねたか、酒瓶をふところから取り出した。

「ところで劉裕、儂は正直、君を信用しておらん」

「いきなりっすね」

「うむ。だので、儂につかえぬか?」

「や、話が見えねえんですが?」

 ハッ、って徐将軍が笑った。酒瓶を一口あおると、寄奴に押し付けてくる。寄奴ァ迷いもせず、残りの分を一気に飲み干した。

淝水ひすいの時にも思っていたのだがな。君は人の下に従容として付く口ではないだろう。首輪をつけておかんと、何を仕出かすかとんと見当がつかぬ。この広陵入りのこととて、孫無終そんむしゅうは知らんのではないかね?」

「そうっすね、結構行き当たりばったりで来ましたんで」

「町の様子は見てきただろう。いま、君はその気になればこの町で一大勢力を築くことも難しくない。講談師の手を経て、君の名はいささか大きくなりすぎている。儂のような小心者には手に余る事態だ」

「買いかぶりっすよ」寄奴は酒瓶を高楼の外に投げ捨てた。

「それに、おれも正直、この名前の売れ方にはうんざりしてたんです。だから将軍が、警邏けいらの奴らから有無を言わせず連れ出してくださったこと、感謝してます。叶うなら劉裕りゅうゆうなんて奴あ広陵にいなかった、で押し通してほしいくれえで」

 徐将軍が、まっすぐに寄奴を見る。寄奴だって別に後ろ暗れェ所があるわけでもねェ。真正面から将軍の目を見返す。

「――これでも目力には自信があったのだがな」

「や、普通に怖えぇですよ」

「そう言う事にしておくかね」

 将軍の懐から二本目、三本目の瓶が出てきた。どうなってんだその懐。

 片方を寄奴によこすと、将軍は一気に呷る。寄奴もそいつに続く。

「まぁ、よかろう。君がこの町で自由に動けるよう、便宜べんぎを図ってやる」

「助かりまさ。じゃ、己のこた、項裕こうゆうって呼んでいただければ」

「よりによってその姓か」将軍が苦笑いを浮かべた。「呉楚ごその地で、しかも劉姓の君が名乗るにはいささか皮肉が利きすぎてはおらんか?」

「面白れえでしょう?」

「それを、晋将たる儂に言うかね」

 ――項。

 寄奴がこいつを偽名に選んだのにゃ、かの項羽こううのことが頭ン中にあったからだった。いにしえの、始皇帝しこうていで名高いほうの秦帝国亡き後、中原を席巻したの旗を掲げた、項羽。どでけェ武功を上げた寄奴がその姓を偽りゃ、下手すりゃ「劉裕に晋を滅ぼす意図あり」って見られてもおかしかねェ。

「まったく、君という男は――ともあれ、項参軍さんぐん。こちらも便宜を図るのだ、当然こちらの依頼も聞いてはくれるよな?」

「承知してまさ」

 うむ、と将軍が頷いた。

建康けんこうから回ってきた物資に、だいぶ横流しが出ておるようでな。些少さしょうであれば見過ごせもしようが、どうにも広陵府内にもつながりがあるようなのだ。放っておくと大ごとにもなりかねん。探りを入れてはもらえんかね?」

「――は?」

 思わず寄奴ァ、素で言っちまった。

 そいつを見て、将軍がにやり、と笑う。

 さらりと言ってきたが、徐将軍がねじ込んできたのァ、既にして結構な大ごとだ。下手すりゃ広陵に駐屯ちゅうとんしてる軍部が割れかねねェ話ですらあった。

「将軍、こっちが断れねえからって、ブッ込んできますね」

「いや、自由に使える耳目がなくてな。難儀しておったのだ」

 そう言って将軍が、寄奴の肩をポン、と叩いた。


参振威軍事官さんしんいぐんじかん、項裕。広陵市街にて擾乱じょうらんを引き起こし、市中に不安をもたらしたとがにより、三日間の謹慎処分とする。期間中はくれぐれも同様の騒ぎを起こさぬこと。仮に禁を破りし折りには免官めんかんも有り得るものと心せよ。――鎮北ちんほく軍事司馬しば 振威しんい将軍 徐道覆。”


 そう書かれた符を眺め、寄奴は舌打ちした。

 将軍からいただいた立場は「好き放題したせいで徐将軍からお叱りを受けた暴れん坊」だ。そいつをもっともらしく見せるために、小半刻くれェひと前でこってり絞られてからの放免ほうめん、ってェ形になった。

「あのジジイ、覚えてろよ」

 符を懐にしまい込む。

 怒鳴りつけてくる将軍の目が、ちょくちょく笑ってたのを寄奴ァ見逃さなかった。将軍のことを恨んでる、そういう建前にしといた方が寄奴が動き易いのァ確かだ。だが、その一方で寄奴で鬱憤ウップン晴らししてんのも間違いのねェことだった。

 広陵府を後にする。

 モノもヒトも激しく出入りしてる中、寄奴一人きりが立ち尽くす。でけェのに往来のど真ん中に立たれたもんだから、行き交う奴らが針みてェな視線を飛ばしてくんのがわかる。

 そん中に、一つ。好奇心に満ちた眼差しがある。

「いた! 項将軍、ですよね?」

 ぱたぱたと、そいつが駆け寄ってきた。

 ガキだ。十を数えようかどうか、ってとこだろう。仕立てのいい着物に身を包んで、うっすら化粧もしてるみてェだった。貼りつけた笑顔について言えば、小賢こざかしさを鼻にかけたような、って言えばいいか。

「あん? なんだガキ、物乞い、って訳でもなさそうだが」

「ひどいな! なんで真っ先にそっちが浮かぶんですか! 探してたんです、ある方に頼まれて!」

「生憎だな、こっちにゃ用はねえよ」

 寄奴の勘が、全力で告げたんだ。このガキにゃ関わり合いにならねぇ方がいい、って。だからとっとと振り切ろうとする。

 が、すそを掴まれた。

「ちょ、ちょっと! じゃあ、せめて言伝だけでも聞いてくださいよ!」

 所詮しょせんガキの力だ、引きずって引っぺがすのなんざ、別に訳ァねェ。けどつい今しがた将軍に釘挿されちまったかたわら、変な波風の元を立てるわけにもいかねェ。

 そんかし、聞こえよがしに舌打ちしてやった。

「わーったよ。聞くだけ聞いてやる」

「へへ、さすが将軍。そうでなくちゃ」

 おべんちゃらはいいんだよ、って切り捨てる。ガキに怯んだ様子ァねェ。口元に手を当て、寄奴にしゃがみ込むよう促してきた。渋面こそ示したが、聞く、って言ったんなァ他でもねェ、寄奴自身だ。大人しく従う。

 にやり、とガキ――王鎮悪おうちんあくが笑った。

 そいつァ奴くれえの年かさのガキにゃ到底出せそうもねェ、何てんだろうな――そう、奸智かんち、ってやつに満ちたシロモンだった。


「白髪の側仕えはご健勝ですか、劉裕殿?」

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