02-07 東莞郡・臧功曹 

 ロバ飼いの到爺とうじィが信用できる、そう愛親あいしんが言ったのを鵜呑みにして、寄奴きどァあっさり到爺ィに馬を預けた。孟昶もうちょうから借りた馬だってのにな。かえって愛親が驚れェたくれェだ。

「え、い、いいのかよ?」

「信用できるって言ったのはお前だろ?」

 こともなげに言い切ってみせる。わりの悪さを感じたか、愛親ァちぃとまごついたが、意を決して到爺ィに威勢良く「頼んだぜ!」って声を掛けた。

 その様子を見て、寄奴ァ小さくにやりとする。好きなんだよな、あいつ、こうやって仕掛けんの。

 愛親らの住まい、っつったってそんなご立派なもんじゃねェな、地べたにわら敷いて、その上に柱を立て、ぼろ切れおっかぶせただけの代物だ。掘っ立て小屋だってこいつに比べりゃまだ上等だァな。寄奴に愛親、の三人が入りゃ、もうそんだけでみっちりだ。

「だから言ったろ、何にもねえって」

「いや、上等だ」

「はぁ?」

 愛親ァぞんざいな口を叩きながらも、奥の座ァきっちり寄奴に譲る。寄奴が腰を下ろしてから、入り口を背に自分も座る。その隣に熹も座る。

 二人とも、正座したその背はまっすぐに伸びてる。

「何だよ、さっきとずいぶん違うじゃねえか」

「茶化すんじゃねえよ」

 そう言うと、愛親、熹は頭を下げた。それこそさっきの半端な礼たァまるで違う。藁に額がつこうかって勢いだ。

「改めて、御礼おんれい申し上げる。項将軍こうしょうぐん、貴殿の奮武ふんぶにより、東莞とうかん功曹こうそう臧俊ぞうしゅんの子、臧熹は匹夫ひっぷの暴よりまぬかれた。熹を守ろうにも、惰婢わたしの非力では到底叶わぬ所であった。ともすれば臧家のとくを絶やし兼ねぬ危地を救い果せた将軍の神勇しんゆうに対し、今は下げる頭しか持ち合わせるものしかない。どうか、お許し願いたい」

 固っ苦しい口上だってのに、全く噛みもしねぇ。

 ちら、と寄奴が奥を見る。

 何もねェ、訳じゃなかった。ちんまい卓が置いてある。その上にゃ、銅環どうかんが飾られてた。

「親父さんか。どこの戦場だ?」

「戦場じゃない。家だ。蛮夷ばんいの強襲を受け、あたしらだけが逃がされた。銅環は、国に返してくれ、と」

「そうか」

 熹の鼻が、ず、と鳴る。そこにすかさず「なんだ当主が、情けねぇ!」って愛親の手が飛んだ。語気こそ鋭でェが、ぺし、って音ァ存外に弱々しい。

「誰に返す?」

「分かんねぇ。ただ、ここのお役所に行けば何とか、って思ってる」

 愛親の言葉にためらいがある。だから、寄奴は敢えて、言葉で切り捨てる。

「物盗りって疑われんのが落ちだぞ」

「けどなぁ……っ!」

 がば、と愛親が顔を上げた。眉間にしわを寄せ、口元をわななかせて。

 だが、すぐに歯を食いしばる。

「じゃあ、どうしろってんだよ」

 食いしばった面ァ、長く保つもんじゃねぇ。愛親の目に、涙が浮かぶ。

「臧家を建て直すためなら、何だってするつもりだったさ。けど、ここまでの道すがら分かったのぁ、ガキ一匹小娘一匹なんぞにゃ、どいつも目なんざくれねえって事だ」

 愛親の訴えを聞くでもなしに聞き、寄奴は外、に注意を向けた。

 ――いる。

 何人もだ。外から、じっと息を殺して、中の様子を伺おうとしてる。

 抱くんなァ怒り、焦り、あるいは怯えか。

 小娘一匹ね、顔には出さねェまま、寄奴はほくそ笑んだ。どうにも愛親の奴ァ手前の値段をよく分かってねェらしい。

 到爺ィを寄奴があっさり信用したのだって、別に戯れなんかじゃねェ。心酔してんのが分かったからだ。もうお迎えもやってこようってじいさまが、孫みてェな年かさのメスガキに対して。

 寄奴が、銅環をつかみ取る。

「て……っ!」

 慌てて身を乗り出した愛親だったが、銅環と愛親の間にゃ、他でもねェ。寄奴っつう、これ以上ねェさまたげがある。片手で寄奴の顔をふさぎ、もう片手で銅環を奪い返そうってェ肚だったみてェだが、寄奴相手に通じるもんでもねェ。

 顔に向かってきた手をあっさりねのけ、そのまま寄奴ァ愛親を抱きすくめた。

「なんだ、本当にモヤシだな」

「う、うるせぇ!」

 じたばたする愛親を、構わず寄奴は手前ェに押し付けた。銅環は返す。そしたら存外すんなりと、愛親の奴ァ大人しくなった。

「あんま気張キバりすぎてんなよ。思ってるほど、お前らぁ二人ぼっちじゃねえぜ」

 そう言って、寄奴が愛親の頭を撫でようとした。

 そしたら、

「――誰が!」

 完全に油断してたんだよな、寄奴の奴。あっさり愛親に突き飛ばされ、オマケに頬に一発、思っきしイイのをもらった。目は白黒するわ、口ン中にサビ臭せェ匂いは広がるわ、本当にモヤシの一発なのかよって疑いかけたくれェだ。

「ドサクサに紛れてテメェ、好き勝手しやがって! なんだかんだ言っても結局はぼぼ狙いかよ! お生憎様あいにくさまだね、こちとらこの股ぐら、そうお安く払い下げるつもりなんざ毛頭ねぇよ! ちょっと恩着せてくりゃすぐそれかい、ほとほと見下げ果てたもんだ! そんなに欲しいならくれてやらぁ、ただしてめぇが突っ込むぼぼぁ、くたばったあたしの冷え切った奴だと思いな!」

 真っ正面からその啖呵を貰うと、なるほど、もう気合いだけで木っ端なら吹っ飛びそうなもんだぜ。

 だから、堪らず、寄奴は噴き出した。

「――ははははははは!」

 口ン中ににじんだ血がこぼれたが、意に介そうともしねェ。

 いったんツボにハマったら、そう簡単に笑い止めるもんでもねェ。

 戸惑いながら「馬鹿にしてんのか?」ってスゴんでくる愛親にも、片手を挙げて制すんのが関の山だった。

「いや、悪りいな。お前みてえのに縮こまられちまったら、ケツがむず痒くなっちまってよ」

 何とか笑いを抑えて、二、三回深呼吸する。口許の血をぬぐう。

 そんでぼろっ切れの向こう、あからさまに聞き耳立ててた気配に向け腕を伸ばし、むんずと捕まえる。

「うわわわわっ!?」

 片手でそいつを引っ張り込みながら立ち上がり、もう片手では柱からぼろ切れを引っぺがす。くくりつけられてた紐じゃなく、布そのものが派手な音を立てて引き裂かれた。

「えっ、おい、おま……っ!」

 愛親、熹、それと、寄奴。

 三人の上に青空が覗き、一方じゃぼろを着た男と言わず女と言わずが、わらわらとつんのめり、倒れ込んできた。

「うわっ!」

「ち、ちょっと!」

「ぎゃっ!」

 めいめいに上がる悲鳴を聞き、愛親ァどっから怒りゃいいのかわかんなくなっちまったみてェだった。

 つんのめり、ずっこけ、積もり積もる顔、顔、顔。

 どいつも愛親と目が合うと、ばつが悪そうに笑う。

「な、何だよこれ」

莫迦バカどもさ」

 言われて愛親が寄奴を見る。

 そのツラからァ毒っ気が完全に抜け落ちてた。

 へっ、って寄奴が笑う。

「その様子じゃお前、気付いてなかったな? こいつら、お前が己を連れ込んでこっち、ずっと外から心配してたんだぜ」

「……嘘だろ?」

「そんなん、つく意味ねえだろうが」

 崩れた人垣から、ガキが一匹這い出してきた。

「ね、姉ちゃん! 無事なのかよ!」

 そう言って縋り付いてきたガキの肩を、愛親が抱き留める。

「や、彦之げんし、何カン違いしてんだよ、別にアタシぁ――」

 そこまで言って、はっと愛親が顔を上げた。

 寄奴と目が合う。

「なあ愛親、ちっと、おつむ巡らしてみろ。つまんねえ奴を、誰がこんだけ心配する?」

 改めて、愛親が周りを見渡した。

「――本当、莫迦ばっかだよ」

 ぽろりと、涙が落ちた。


 仕事が早えェ奴ってな、どこにでもいるもんだな。そう時を置かず、広陵こうりょう警邏けいらの隊がやって来た。寄奴も大人しくばくにつく。やらかすことやらかしてるわけだしな。

「愛親」

 引っ立てられる前に、呼び掛ける。

「約束してやるよ、その銅環、己が戻すべき所に戻してやる」

 そいつを聞き、愛親はきょとんとしたが、ややあって苦笑した。

「莫迦かおめえ、どの口でほざいてんだ。いいから死んでこい」

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