01-07 龍、来たりて  

 さて、と。

 いきなりだが先生、龍、っていると思うかい?

 あァいや、信じる信じねェは、正直どっちでもいいんだ。ただ、こっから先に起こったことを話すに当たって、前置きなしだと、ちぃと突拍子もなさすぎっからよ。

 そいつが起こったのは、実際の戦いが始まる前だった。

 淝水ひすいを挟み、にらみ合う苻堅ふけんの軍と己ら。本当、冗談みてェな景色だったぜ。川岸をみっちり埋める奴らが、皆して己らを殺そうって手ぐすね引いてんだ。

 向かい合っただけで逃げだそうとした奴らも沢山いたって聞く。そいつらはだいたい捕まって殺されたらしいけどな。

 けど、メンツって奴がどうしても重要になんのが、やんごとなきかたがたの事情なのかね。数に任せてただ突っ込んで来りゃ、並べて事も無し、だったろうに、よりにもよって盛大に鼓吹こすいを鳴らし、親分さま、こと苻堅が単騎前に出てきやがる。

「憐れなる漢奴よ! まずはいたいけなその奮戦を讃えよう!」

 でけェだけじゃねェ。敵さんだってことも忘れそうになるくれェの美声だった。

「なれど、汝らの苦闘、これ以上は見るに堪えぬ! 我が刃は天下を安んじるが為にあり! 淝水を汝らの血に染むるは、我が本意にあらず!」

 檄に対してキレるとかどこのアホかって話だが、大変残念なことに、うちの寄奴きどァ掛け値なしのアホだった。

「ほぉう……?」

 先頭に陣取ってた寄奴ァ、例によってこめかみをぴくつかせながら前に出る。いやいやそこは出る幕じゃねェから、とヤツを抑えようとして、

 そこだ。

 そこで出会った。



 講談の世界じゃ、どでけェ転機ってな、だいたい英雄同士が実際にぶつかり合ったときに起こるもんだ。けど、本当は目が合う、だけで十分らしい。身をもってそいつを知った。



 龍が、来た。



 ――始まりは盤古ばんこ。ひとを統べる、そいつを初めて叶えた男だ。龍ァ、そいつン中で目覚めた。

 その跡を神農じんのうが継ぐと、龍もそいつン中に移った。そんで伏羲ふっきに、女媧じょか、つまり三帝。そっから黄帝こうていからしゅんまでの、いわゆる五帝を泳ぎ渡ってく。

 舜を継いだのが、王の国、だ。龍はそっから十七代、けつ王の時代まで、ずっと王とともにあった。

 桀王の時、龍は夏から離れた。代わりに宿ったのはご存知とう王、いんの初代王だ。湯王からちゅう王までが三十代。

 で、しゅうの武王。武王から幽王までが十三代。龍は、そっからていの武公に移る。

 史記でも確か、こっからを春秋時代って呼んでたよな?

 周が覇権を失ってこっち、龍は王と王の間を渡り歩いてった。斉の桓公、晋の文公、楚の荘王。呉の闔閭こうりょ、越の勾践こうせん、んでもう一回呉、夫差ふさ

 龍が夫差から魏の文公に移った辺りのころ、晋が割れた。こっからが戦国時代だな。

 この時代、龍は少しばかり国とともにあった。文公、武公、恵王。恵王の時代に斉に移る。威王、宣王、びん王と。そんで、秦だ。その頃の秦の王が孝公。かの始皇帝に至るまでが七代。

 龍ァ、始皇帝から楚の項籍こうせきに移った。コイツは通り名のほうが有名か。項羽こうう、だな。そんで劉邦りゅうほうへと至る。つまり漢の高祖だ。

 いったん滅んだ平帝までが十四代。龍はそのまま光武帝に移り、献帝までで十四代。曹操そうそうを経て、宣帝司馬懿に移り、いよいよ我らが晋の御代……といきてェが、そうは問屋が卸さねェ。武帝までの四代のあと、龍は、匈奴リウ部の王劉淵りゅうえん、そしてその息子劉聡りゅうそうを次の覇者に選んだ。

 こっからはもう、歴史の流れからすりゃ最近だよな。羯の石勒せきろく、石虎。氐族に移って苻建ふけん、そんで、苻堅。

 一回、暇に任せて数えてみたんだがよ。百四十人いた。


 まァ、先生にとっちゃ今更な昔話だよな。ともあれなんでそんな話持ち出したって、

 ――来たのさ。

 龍に喰われたと思った、そん時に。これら王さまがたが見たこと、感じたこと。そんなモンが、いっぺんに。

 気でも違ったのかと思ったぜ。ノーテンキな莫迦バカにゃ過ぎたシロモンだ。

 いきなり降って沸いたそいつに、己ァ暫く固まっちまった。のたうち回ることも許されねェ。周りの奴らにも訝られたみてェだが、どうしようもねェ。そんな己を少し冷やしてくれたのが、


 ――なんだ、こりゃ?


 そんな、寄奴の呟きだった。

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