01-06 参軍・何無忌  

「聞いたぞ劉裕りゅうゆう、値千金の活躍ではないか」

「勘弁して下さいや、お目こぼししてもらったようなもんですよ」

 夜。寄奴きど、己、穆之ぼくし孫無終そんぶしゅう将軍の天幕てんまくに招かれた。卓の上には滅多に飲めねェような上モノの酒、アテには煎った豆と塩。喜んで飛びつこうと思ったら「モノには順番があんだろ」って穆之にはたかれた。

 天幕の中には己ら、孫将軍のほか、副官の桓不才かんふさい、それから妙に威厳のあるおっさんが一人。その隣には何無忌かむきが付き従ってた。

「こちらは徐道覆じょどうふく将軍だ。そなたの話を聞き、会ってみたい、とのことでな」

「はあ、どうも」

 桓副官が色めきたつが、そいつを止めたんなァ他でもねェ、徐将軍だった。

「今、必要なのは戦働き。そうであろう?」

 穏やかな物言いじゃァいたが、にべもねェ。嫌な予感しかしない、って穆之の顔にありありと書き出されてた。

「助かりまさ、話が早そうで」

 そう言って寄奴が酒をあおり、豆を頬張った。もう桓副官ときたら、どう返すか考えんのも面倒くさくなったみてェだった。

 くく、と徐将軍が肩を揺する。

「だいぶ暴れ馬のようだな。ぎょせそうか、何無忌?」

「御する気はありませんよ。自分に出来るのは運ぶこと、位でしょう」

 徐将軍が大きく笑う。

炯眼けいがんだ、何参軍さんぐん

 孫将軍も妙に愉しそうだ。何とも居づらそうにしてた寄奴の渋面ったらねェ。

「話が前後したな。劉裕、其方には、ここな何無忌と共に、明日の先鋒を務めてもらいたいのだ。いったん部隊から離れてな」

「将軍直々にってこた、ただの先鋒じゃねえですよね?」

「話が早いな、そういうことだ」

 徐将軍が促すと、何無忌が卓の上に地図を広げた。真ん中に淝水ひすいが大きく描かれてる。その左側にたくさんの赤い駒と、右側にゃそれよっかまるで少ねェ白い駒が置かれてく。

「赤がしん、白がしんだ。淝水を渡ってきた部隊との戦いは並べて優勢であったが、肝心の苻堅ふけん本軍は、いまだ岸の向こう。だが、それも明日になれば動いてくる」

 孫将軍が赤い駒の内、一番でけェやつを河中に押し出した。それに合わせて徐将軍、桓副官がほかの赤い駒どもを一気に動かす。あっちゅう間に白い駒が飲み込まれた。

「己ら全滅っすか」

「このままでなは」

「じゃ、どんな仕掛けなんで?」

「大将軍は、脆きを衝く、と仰っていた」

 聞き覚えのある言葉だった。

 よりによって、そいつァ敵さんからのもの、だったが。

「合図があるそうだ。秦軍内部からのな。その合図とともに、各軍の最精鋭を、一斉に、叩きつける」

 話を聞きながら、寄奴ァじっと地図を眺めてた。やがてその顔に喜色が浮かんでくる。

「こんな博打、よく張るもんですわ。うちらのお頭、頭沸いてません?」

「まぁ、認めるにやぶさかではないな」

 正直己にゃ、この話を聞いてても、翌朝に何が起こるのかなんざ、とんと見当がつかなかった。

 ただ分かったのは、寄奴の笑い方が一世一代の大博打張ったとき、まんまだったことだ。寄奴のやつ、いつもの賭け事じゃすぐスカンピンになるくせに、どでけェ勝負でその負けを一気に取り返しやがるんだ。

 その笑顔に何度か儲けさせてもらった身としちゃ、あ、行けるんだな明日、ってついつい考えちまう。

「どう転んでも、中途半端はなさそうっすね。明日、楽しみにしてますよ」


 孫将軍と徐将軍とで打ち合わせたいってことで、己らは解放された。

 天幕から出ると、そろそろ夜も更けようってェのに、割と辺りはまだざわついてた。笑い声とか、喧嘩だとか。いつもの夜だ。ふと、思っちまった。あのうちどんだけの奴が、次の夜にも同じことができたんだかな。

 切った張ったしてんだから、隣のアイツがいなくなる、なんてな珍しい事じゃねェ。ただ、さすがにあの日は失い過ぎた。ふとこうして思い出すと、あいつがいたら、こいつが生きてたら、なんてこともちらっと考えちまう。

「兄貴、どうなっちまうんだろね」

「さてな。ま、くたばったらくたばった、だ」

「……兄貴に聞くのが間違いだったよ」

 はは、と何無忌が笑った。

「兄弟、仲がいいんだな。羨ましいよ」

 思いがけない言葉だったのか。寄奴と穆之がきょとんと何無忌を見、そんでお互いに向き合った。すぐにうへぇ、とでも言わんばかりの顔になる。

「そうか? 面倒くせえぞこいつ」

「喧嘩するほど、という奴だ。本音をぶつけ合えれば、その分互いの背も守りやすくなるだろう。信頼は、何よりの武器だ」

 そんなもんかね、寄奴はいまいち納得いってねェ様子だった。こっちにしてみりゃもうまさしく仰る通りって感じだったが、わざわざ藪から蛇をつつきだすこともあらんめェ。

「何参軍、失礼ですが、……劉牢之将軍とは、ご親戚なんですか?」

 おずおずと、といった感じで穆之が切り出した。

 その立派な鈎ッ鼻、戦場にあってよく通る声。大将軍のお顔を近くで見たわけじゃねェから、もしかしたら顔立ちもそっくり、なの、かも。

「多少、気弱になっているのかもな」何無忌が苦笑した。

「親戚というかな。いわゆる、庶子という奴さ。公的には甥と言う事になっているが」

 つまり、劉毅将軍たァ腹違いの兄弟ってことになる。

 ずいぶんあっけらかんと内々のことを教えてくれるもんだ。まァ、あとで聞いたんだが、そこを明かした方が信頼してもらえるだろう、と思ってのことだったらしい。

「万騎将の軍才を疑ってはいない。功名心に逸るのを悪いことだとは思わん。が、それが幾分悪いように働いているように思えてならんのだ。君らのように上手くかれを扶助できれば、劉牢之将軍もきっと安心できるだろうに――と、まぁ老婆心にも程があるのだが」

 漏らす言葉がいくぶん芝居がかっちゃあったが、何無忌がいい奴だ、ってのは疑いようがねェ。ついでに言えば、手前ェから貧乏クジ引く性分なんだろうな、ってのもよく分かった。

「扶助もクソもねぇだろ。結局んとこ、どう敵を殺せるか、じゃねぇか」

 寄奴の切り捨て方ァ、ひたすらに容赦がねェ。

「手厳しいな」

「どこがだよ。殺さねえと己らがおっ死ぬんだぜ? 死んだら死んだ、仕方ねえさ。けどな、何にも足掻こうとしねえで、いけしゃあしゃあとくたばるなんざワリに合わねえだろ」

 そう言って、寄奴が何無忌の首根っこを抱え込む。「っな、何を……」って戸惑う何無忌になんざ全然お構いなしだ。

 そんかし、ただただ強く、言い切った。


「そう簡単にゃくたばらせねえからな。呑もうぜ、美味え酒をよ」

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