01-05 その男、崔宏
さしたる大義もなく起こされた諸族の軍営、その繋がりは
概況を見渡せば、此度の対陣、その初動はほぼ漢族の勝利。本陣は大いに乱れ、立て直しを図らねばならぬ有様である。
故にこそ猛者、
示すべきは血、示すべきは誇り、示すべきは命!
強者と
この戦は、汝を更なる強者へと育もう。予が握るは龍、予が握るは天。
雄飛せよ、強者よ。汝は予と同じく、天に
……
「ところで、晋国の猛者よ。我は今、大人よりの
また穆之と目が合った。それから二人して
「――もう少し、恐れ
そこに、すかさずトゥバ・ギの蹴りが入った。
だいたい、ほとんど吠え声に近かったトゥバ・ギの一言二言が、なんでいちいちあんなキラキラ言葉に化けるってんだ。奴らがどんなやり取りしてんのかは分かんねえが、あん時の身振りからすりゃ、おそらくは「そんな、貴方のためなのに!」「知るか
「何やってんだあいつら」たァ長民。いや、お前ェも大概似たようなことやってんぜとは、優しい己だから飲み込んでやった。
「つまりアレか、優しい優しいトゥバ・ギ様だから、己らのことを見逃して下さるってか」
寄奴が笑ってた。
んで、わなないてた。
やべェ、さっきとは違った意味で穆之と見合う。アレは、寄奴がブチ切れてたときの顔だった。
ガキ同士のケンカじゃねェ。チンピラどもとの厄介ごととも話が違う。相手は今、己らをあっさりと、一方的にぶち殺せるだけの備えをしてる。しかも、一旦その気になれば、即、だ。寄奴一人がキレてどうにかなる状況じゃねェこた、きっと誰よりも寄奴がわかっちゃいたはずだ。
「あ、兄貴……」
「分かってンだよ!」
声だけだ、身じろぎは一切ねェ。だってのに、あの穆之がマジでビビってた。空気だけでひと死にが出てもおかしかねェくらいだ、つうか己ァ普通に漏らしてた――今更なんだがな。とうの昔っから、服なんざテメェのクソでベトベトになってたしよ。
と、歓声とともに、囲みの一隅が乱れる。
トゥバ・ギの眼差しが寄奴から逸れた。同じく崔宏も音のした方に向く。
「ほう? 貴公ら以外にも活きの良いのが居るようだ」
奴らの対応は速かった。囲いが解かれたかと思うと、音のした方にぶ厚く配下どもが配される。トゥバ・ギから鋭く二、三の指示が飛ぶ。
「大晋国、
囲みの向こうからのでけェ声。声とともにトゥバ・ギの一部隊が大きく崩れたのが分かった。
「予想以上に、やる」
だが、トゥバ・ギたちの余裕は崩れねぇ。新手を受け止めるだけの布陣が瞬く間に組まれると、馬首を返し、悠々と退却を始める。トゥバ・ギを先に逃がし、しんがりに、崔宏。
「劉裕」
「あン?」
「改めて、我からも礼を言う。あれだけ愉しそうな主上のお顔を、久々に拝することが叶った」
そう語る崔宏は、やっぱり涼しげで、まるで親友に話しかけるみてェな。そんな表情だった。
「我らトゥバ部は今、ムロン、ユウェンの二部に圧され、その
「そうかよ」
まるで聞く耳持とうともしてねぇ寄奴。まァ穆之が全力で耳ンなってっから、問題ねェっちゃねェんだろうが。
崔宏が寄奴に微笑んだ。ただ、そいつァ「優しい」からは程遠いシロモンだった。細まったその目が、とことんまでに冷てェ。
「肥えてくれよ、立派な贄に。我が大人のためにな」
「――!」
止める暇なんざ、あらばこそだ。
トゥバ・ギとの戦いでズタボロになった長刀を握り、躍りかかる寄奴。怒りにまかせた渾身の一撃、だが崔宏はそいつを、いつの間にやら取り出してた
「良い打ち込みだ、大人が惚れるのも分かる」
いなし、弾く。
あっさり寄奴は振り落とされた。その長刀は、あえなく真っ二つに折れた。
着地こそ難なくしたものの、どうにもブチ切れの収まった気配はねェ。忌々しそうに舌打ちし、剣を乱暴に投げ捨てる。
「なら奴に言っとけ、てめぇの天とやらは、この己にぶった切られるさだめだってな!」
「頼もしいな」
柳に風、たァあの事だな。柳を見てっとよく分かる。
人の足で、馬に追いつこうなんてのがどだい無茶な話だ。追撃をかけようとするこっちの軍をうまくあしらいながら、奴らが遠ざかる様を見送る以外、もう己らに出来るこたァなくなってた。
寄奴は、しばらくは怒髪天だった。が、目をつぶり、二、三度大きく息を吐くと、
「――戻んぞ、己らも」
その声は、もう落ち着きを取り戻してた。
「
ああいう局面で、まさか長民が役立つたァな。
軍属になったたァ言え、結局己らはやくざもんみてェなもんだ。おさむれぇ同士での会話とか言われても、お作法がトンとわかんねェ。
何無忌の隊に拾われ、その陣営にまで引き返した。
どっかで見たことあるよーな見事な
何無忌ァ、そういう男だった。
「それには及ばん。むしろ我々こそ礼を言わねばならんのだ」
何無忌から聞いた戦況は、こうだ。
で、たまたま居合わせた寄奴が、あろうことかトゥバ・ギを足止め。そんで戦況が大きく動き、ヤオ軍撤退のきっかけを作った、んだとか。
それが本当ならとんでもねェ大手柄だ。ただ、当の寄奴にしてみりゃそんなもんはクソどうでもいいこと、みてェだった。
「何もできなかったんだ」
トゥバ・ギ、そして崔宏。あの二人に、完全に封じ込められたこと。
「手前がいくら切れたところで、アイツらがその気なら、とっくに終わってた。ひたすら、手前の無力にムカついて仕方ねえ」
そう、さっきも落ち着いたわけじゃァなかった。
内に、内に。泥だんごを握り締めて、固くするみてェに。
戦意を、より濃く煮詰めていやがった。
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