01-05 その男、崔宏  

 てい族の愚かな虚栄心が招いたこの戦場は、果たせるかな、惨憺さんたんたるものとなり果てた。

 さしたる大義もなく起こされた諸族の軍営、その繋がりはにしてもろい。むしろ内輪で相食あいはんでいた漢族どもの繋がりを、空脅しによって無闇に強固にしたようなものだ。

 概況を見渡せば、此度の対陣、その初動はほぼ漢族の勝利。本陣は大いに乱れ、立て直しを図らねばならぬ有様である。が孤軍気炎を吐いたとて、所詮潮流には逆らえぬ。このかたなき憤懣ふんまんよ!

 故にこそ猛者、劉裕りゅうゆうよ。汝との邂逅かいこうには、喜びを禁じ得ぬ。一合の毎に重みを増す、汝が剣。色せた戦場が、汝によって精彩を取り戻した。

 示すべきは血、示すべきは誇り、示すべきは命!

 強者と干戈かんかを交え、討ち果たし、くて我が天命は勇躍す。強者、劉裕よ。汝は予が糧たるに相応しい。故にこそ、この邂逅を、今は惜しまねばならぬ。

 この戦は、汝を更なる強者へと育もう。予が握るは龍、予が握るは天。鳳雛ほうすうを討ったとて、果たしてえき至極しぎょくを示そうか。

 雄飛せよ、強者よ。汝は予と同じく、天によみされし者。のちの戦場にて、雌雄を決せん。


 ……穆之ぼくしと目が合った。たぶん、言いたかったことは一緒、だな。

「ところで、晋国の猛者よ。我は今、大人よりの賜句しいくに込められた威儀いぎを、余すところなく・・・・・・・表現したわけだが」

 また穆之と目が合った。それから二人して長民ちょうみんを見る。例によって長民は、なんで己らに見られてるのかには気付いてそうにもねェ。

「――もう少し、恐れかしこまっても良いのだぞ?」

 そこに、すかさずトゥバ・ギの蹴りが入った。崔宏さいこうが何をやらかしてんのか察したらしい。

 だいたい、ほとんど吠え声に近かったトゥバ・ギの一言二言が、なんでいちいちあんなキラキラ言葉に化けるってんだ。奴らがどんなやり取りしてんのかは分かんねえが、あん時の身振りからすりゃ、おそらくは「そんな、貴方のためなのに!」「知るか莫迦バカ、まじめに仕事しろ」、あたりだったろうな。

「何やってんだあいつら」たァ長民。いや、お前ェも大概似たようなことやってんぜとは、優しい己だから飲み込んでやった。

「つまりアレか、優しい優しいトゥバ・ギ様だから、己らのことを見逃して下さるってか」

 寄奴が笑ってた。

 んで、わなないてた。

 やべェ、さっきとは違った意味で穆之と見合う。アレは、寄奴がブチ切れてたときの顔だった。

 ガキ同士のケンカじゃねェ。チンピラどもとの厄介ごととも話が違う。相手は今、己らをあっさりと、一方的にぶち殺せるだけの備えをしてる。しかも、一旦その気になれば、即、だ。寄奴一人がキレてどうにかなる状況じゃねェこた、きっと誰よりも寄奴がわかっちゃいたはずだ。

「あ、兄貴……」

「分かってンだよ!」

 声だけだ、身じろぎは一切ねェ。だってのに、あの穆之がマジでビビってた。空気だけでひと死にが出てもおかしかねェくらいだ、つうか己ァ普通に漏らしてた――今更なんだがな。とうの昔っから、服なんざテメェのクソでベトベトになってたしよ。

 と、歓声とともに、囲みの一隅が乱れる。

 トゥバ・ギの眼差しが寄奴から逸れた。同じく崔宏も音のした方に向く。

「ほう? 貴公ら以外にも活きの良いのが居るようだ」

 奴らの対応は速かった。囲いが解かれたかと思うと、音のした方にぶ厚く配下どもが配される。トゥバ・ギから鋭く二、三の指示が飛ぶ。

「大晋国、徐道覆じょどうふくが属、何無忌かむき推参! 蛮夷よ、道を開けよ!」

 囲みの向こうからのでけェ声。声とともにトゥバ・ギの一部隊が大きく崩れたのが分かった。

「予想以上に、やる」

 だが、トゥバ・ギたちの余裕は崩れねぇ。新手を受け止めるだけの布陣が瞬く間に組まれると、馬首を返し、悠々と退却を始める。トゥバ・ギを先に逃がし、しんがりに、崔宏。

「劉裕」

「あン?」

「改めて、我からも礼を言う。あれだけ愉しそうな主上のお顔を、久々に拝することが叶った」

 そう語る崔宏は、やっぱり涼しげで、まるで親友に話しかけるみてェな。そんな表情だった。

「我らトゥバ部は今、ムロン、ユウェンの二部に圧され、その趨勢すうせい、はかばかしいとは決して言えぬ。主上の焦り、苛立ち、慮るに余りあった。そこに、貴公が風穴を開けてくれたのだ」

「そうかよ」

 まるで聞く耳持とうともしてねぇ寄奴。まァ穆之が全力で耳ンなってっから、問題ねェっちゃねェんだろうが。

 崔宏が寄奴に微笑んだ。ただ、そいつァ「優しい」からは程遠いシロモンだった。細まったその目が、とことんまでに冷てェ。

「肥えてくれよ、立派な贄に。我が大人のためにな」

「――!」

 止める暇なんざ、あらばこそだ。

 トゥバ・ギとの戦いでズタボロになった長刀を握り、躍りかかる寄奴。怒りにまかせた渾身の一撃、だが崔宏はそいつを、いつの間にやら取り出してたじょうで防いだ。

「良い打ち込みだ、大人が惚れるのも分かる」

 いなし、弾く。

 あっさり寄奴は振り落とされた。その長刀は、あえなく真っ二つに折れた。

 着地こそ難なくしたものの、どうにもブチ切れの収まった気配はねェ。忌々しそうに舌打ちし、剣を乱暴に投げ捨てる。

「なら奴に言っとけ、てめぇの天とやらは、この己にぶった切られるさだめだってな!」

「頼もしいな」

 柳に風、たァあの事だな。柳を見てっとよく分かる。

 人の足で、馬に追いつこうなんてのがどだい無茶な話だ。追撃をかけようとするこっちの軍をうまくあしらいながら、奴らが遠ざかる様を見送る以外、もう己らに出来るこたァなくなってた。

 寄奴は、しばらくは怒髪天だった。が、目をつぶり、二、三度大きく息を吐くと、

「――戻んぞ、己らも」

 その声は、もう落ち着きを取り戻してた。


孫無終そんぶしゅう軍が属、諸葛長民。他の者も同属だ。助勢に感謝する」

 ああいう局面で、まさか長民が役立つたァな。

 軍属になったたァ言え、結局己らはやくざもんみてェなもんだ。おさむれぇ同士での会話とか言われても、お作法がトンとわかんねェ。

 何無忌の隊に拾われ、その陣営にまで引き返した。

 どっかで見たことあるよーな見事なかぎっ鼻、つっても年かさは己らと同じくれェか。ちょこちょこ隊員どもとのやり取りを見てると、ずいぶん信頼されてんだな、って思う。

 何無忌ァ、そういう男だった。

「それには及ばん。むしろ我々こそ礼を言わねばならんのだ」

 何無忌から聞いた戦況は、こうだ。

 苻堅ふけん軍の一軍隊、きょう族ヤオ・チャン率いる軍勢の一部将としてトゥバ・ギは配されてた。対する晋軍ァ徐道覆・孫無終の両軍。戦況ァ晋軍優位に進んだが、遊軍として動いたトゥバ・ギが要所要所で破壊的戦果を挙げ、情勢以上に戦況を硬化させた。

 で、たまたま居合わせた寄奴が、あろうことかトゥバ・ギを足止め。そんで戦況が大きく動き、ヤオ軍撤退のきっかけを作った、んだとか。

 それが本当ならとんでもねェ大手柄だ。ただ、当の寄奴にしてみりゃそんなもんはクソどうでもいいこと、みてェだった。

「何もできなかったんだ」

 トゥバ・ギ、そして崔宏。あの二人に、完全に封じ込められたこと。

「手前がいくら切れたところで、アイツらがその気なら、とっくに終わってた。ひたすら、手前の無力にムカついて仕方ねえ」

 そう、さっきも落ち着いたわけじゃァなかった。

 内に、内に。泥だんごを握り締めて、固くするみてェに。

 戦意を、より濃く煮詰めていやがった。

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