永遠の別れ

 先程まで激闘が繰り広げられていたとは思えない静けさが体育館の裏に訪れていた。闇の頭領であったナギの青黒い返り血を大量に浴びた妙義榛名は、かつてスセリと呼ばれた闇の者の姿のままたたずんでいる。その顔は恐ろしいものであるが、それを見つめる妙義白雲には悲しそうに見えていた。

「ナギは滅びました。これで貴方との約定も終わりです」

 榛名は目を細めて口元に笑みを浮かべた。白雲はナギの身体から離れた彼の娘の春菜の力が宿っている青い光の玉を抱えて頷いた。

「これでお前と春菜は一つになれる」

 白雲は唇を震わせながら言った。すると榛名は口元の笑みを消し、真顔で白雲を見た。

「いえ、それはあり得ませぬ、白雲様」

 榛名の平板な声に白雲の顔が引きつった。榛名は続けた。

「闇の頭領であるナギは、闇の者全てを生み出した創造主です。ナギが消えれば闇の世界も崩壊し、そこにいる者全てが消滅します」

 白雲は引きつったままの顔で無理に笑おうとしているが、それができない。

「そ、そうであろうが、お前は私が浄化したのだ。だから、消滅する事はない。大丈夫だ、榛名」

 しかし、榛名はゆっくりと首を横に振った。

「そのような偽り、おっしゃいますな、白雲様。私は全て存じておるのですから」

 白雲はその言葉に危うく光の玉を落としそうになった。

「ま、まさか、気づいていたのか、榛名?」

 彼の全身から汗が噴き出す。榛名は再び微かに笑みを浮かべ、

「はい」

「一体いつから?」

 白雲の絞り出すような問いかけに、

「最初からです」

 榛名は事も無げに言った。白雲の目に涙が浮かんで来る。

「ならば、何故?」

 白雲には榛名、いや、スセリの考えが理解できなかった。協力しても人間になれないのであれば、白雲を裏切って闇の世界に戻れたはず。何故そうしなかったのか、わからないのだ。

「貴方を愛してしまったから」

 スセリは俯いて応じた。白雲は口の中がカラカラに渇いていくのを感じた。

「だが、その私はお前を利用していたのだぞ。自分の娘を助けるために……」

 するとスセリはスウッと人間の女性の姿になった。それはかつてスセリがナギの命を受けて白雲を陥れるために借りた白雲の妻に瓜二つの女性だった。

「私も始めは、貴方を騙すために貴方の心の奥底にあった女子おなごの姿になりました。これでおあいこです」

 スセリは悲しそうに微笑んだ。白雲はスセリの話で合点がいった。白雲は亡き妻の姿で現れたスセリに実はたぶらかされていたのだ。

「そうか。私がお前に抱いて欲しいと言われ、葛藤しながらも抗えず、お前を抱いたのは、そういう事だったのか」

 スセリは続けた。

「貴方の奥方のお姿をお借りした故なのか、私は貴方に強く惹かれ、貴方を騙すどころか、自ら軍門に降り、その上、貴方に抱かれたいと懇願してしまいました。まさしく天命とはこの事と思い至ったのです」

 白雲を誑かして彼の命を奪うつもりが、白雲の心の中にあった彼の妻の姿を真似たせいで、スセリはその思いまで写し取ってしまったのだ。それ故、彼女は白雲を誑かしたにも関わらず、自分も白雲に惹かれてしまったのである。

「すまない、榛名。それでも私は……」

 光の玉を包んだ護符を横に置き、白雲は膝を地面に着いて土下座をした。スセリは白雲に近づいて膝を着き、

「お顔をお上げください、白雲様。私は、ほんの一時でも人間となり、貴方の娘となれた事が嬉しかったのです。そのような事をなさらないでください」

 スセリの目は涙で潤んでいた。顔を上げた白雲の目も潤んでいる。

「ナギを倒せば、自分も消えてしまう。それはわかっておりました。それでも、貴方のお役に立ちたかった。春菜を救いたかったのです」

 スセリは白雲の手を包み込むように握った。白雲には、スセリは妻の転生した姿なのではないかと思えて来た。

「お前はもしや前世では、志乃という名ではなかったか?」

 白雲は右目から一粒涙を零して尋ねた。するとスセリは、

「私には前世の記憶はありませぬ。ナギの娘として生まれる前の事は何も覚えておりませぬ。しかれど」

 更に強く白雲の手を握り、顔を近づけた。

「貴方にそう言われて、微かに思い出した事があります。志乃と呼ばれた女性が、禁忌を破って身籠もり、流浪の果てに子を産んだと。そして、掟に従い、その命を絶ったと」

 スセリの返答に白雲は確信した。彼女は亡き妻である志乃の転生した姿であると。

「やはり、そうであったか。それも全て私のとが。それなのに志乃だけがその罪を背負って死んでしまった」

 白雲はスセリを見つめて言った。

「私も後を追おうと思ったが、生まれたばかりの春菜を遺して行くのが堪えられず、今日までおめおめと生き永らえてきた」

 スセリは潤んだ瞳で白雲を見つめ返し、小さく頷いた。

「志乃は平安の世から続く陰陽師の一族の末裔であるのに、格下の陰陽師である私と駆け落ち同然に家を飛び出し、春菜を産んだ。そのせいで、一族から禁忌を犯した咎で命まで狙われた。志乃は春菜と私を守るために自分の命を差し出した。一族は志乃の死で私達を追うのをやめてくれた」

 白雲は両の目からポロポロと涙を零しながら話を続けた。

「次に私達を襲って来たのは、お前も知っている通り、闇の者達だった。春菜に宿された陰陽師の力を手に入れれば、更に強くなれるという噂が広まっていたからだ。恐らくそれを広めたのは志乃の一族だろう。私と春菜を消すために闇の者を利用したのだ」

 その話にはスセリは目を見開いた。

「そこまで憎まれていたのですか?」

「当然だよ。私は一族の最高峰である志乃を寝取ったのだからな。殺すだけでは飽き足らないくらいだったはず。但し、志乃の命を捨てての願いを一度聞き入れた以上、直接私達を狙う訳にはいかない。だから、闇を動かしたのだ」

 白雲は自嘲気味に笑い、

「お前が使役していた式神の禍津も、元は闇の者。それを私が調伏し、式神としたのだ。それができたのも、志乃のお陰。そして春菜に宿っている力のお陰だった。それ故、闇が動き出した時には、すぐに黒幕が誰なのかわかったよ」

 スセリは再び悲しそうな顔で白雲を見ている。白雲はスセリを見て、

「だからこそ、ナギは執念深く私達を狙って来た。私は必死に戦ったが、一瞬の隙を突かれて春菜を殺されてしまった。ナギも私の護符で深手を負ったため、そのまま逃亡した」

「ナギは自分では貴方を倒せないと思ったのか、私を差し向けました。ですが、それこそがナギの一番の失策でした」

 スセリも自嘲気味に笑った。白雲はスセリの手を取り、

「まさにお前との奇跡的な出会いであった」

「白雲様……」

 二人はどちらともなく顔を近づけ、口づけをかわした。それは次第に激しくなり、お互いを貪り合うような激しさとなっていった。

「もう抱いてくださいとは申しません。最後に未練を遺したくはありませんから」

 スセリを抱きしめようとした白雲を彼女は押し返して微笑んだ。

「榛名……」

 白雲はスセリの反応に目を見開いた。

「まだその名でお呼びくださるのですか。ありがとうございまする」

 スセリは元の闇の者の姿に戻ってこうべを垂れた。

「榛名」

 白雲はまた泣いていた。スセリは目を細めて、

「お別れの時が来ました。春菜と仲ようお暮らしください」

 その言葉が終わらないうちに、彼女の身体が少しずつ砂のように砕けて消え始めた。

「榛名!」

 白雲が涙声で叫んだ。スセリは口元に笑みを浮かべ、

「さようなら、白雲様。お元気で……」

 そして、彼女の身体全てが細かく砕け、霧のように広がり、消滅してしまった。

「榛名ァッ!」

 白雲はあらん限りの声で叫んだ。その時、護符に包まれていた青い光の玉がフワッと浮き上がり、倒れている春菜の身体に近づいた。

「春菜?」

 白雲は涙で霞む目で娘を見やった。光の玉はユラユラと漂いながら春菜の身体に近づき、その胸の辺りにスウッと吸い込まれるように消えた。白雲はハッとして駆け寄った。

「お父……様?」

 うっすらと目を開けた春菜が白雲を見て呟いた。白雲は甦った娘を複雑な表情で見つめた。

「はるな……」

 その呟きは、どちらの「はるな」に向けたものなのか、白雲自身にもわからない。


 Q県N市にある繭蓑中学校。その二年三組の教室で、次の授業の準備をしていた太田裕宇は、雷に撃たれたような気がした。

「ああ!」

 いきなり大声を出したので、クラス委員で彼と付き合い始めた桐生美緒茄はビクッとして裕宇を見た。

「驚かさないでよ、太田君! 何よ、一体?」

 裕宇は美緒茄を見て、

「思い出したんだよ、桐生が言っていた転校生の事を!」

「え? ああ、妙義榛名さんの事?」

 美緒茄は尋ね返した。裕宇は何度も頷いて、

「そうだよ! 俺達を助けてくれたんだよ、妙義さんは! そんな命の恩人を忘れるなんて、ホントに俺、どうかしてた!」

 そう言って悔しそうに何度も机を叩いた。

「そう言えば、私も妙義さんに助けられたんだ」

 美緒茄も体育館の裏に呼び出されて危うくリンチに遭いそうになったのを榛名に救われたのを思い出した。そして同時に、彼女が不思議な力を持っている事も思い出した。

「今頃、どこの中学校にいるんだろうね、妙義さんは」

「ああ」

 二人は窓の外に見える大きな入道雲を見上げた。


 P県L市にある舞烏帽子中学校。その二年五組の生徒である片品翠と倉渕美琴、そして厩橋渉も、時を同じくして雷に撃たれたような衝撃を受けていた。

「妙義さん!」

 教室を移動中だった三人は顔を見合わせて叫んだ。

「何だ?」

 クラスメートの吉岡保がそれを見て首を傾げた。

「何だろう、今、急に彼女の事を思い出した。僕達を助けてくれたのに、どうして今まで思い出さなかったんだろう?」

 渉が言うと、翠が、

「そうね。頭の片隅にもなかった。何故なんだろう?」

「私も。何で今まで彼女の事を忘れていたのか、全然わからないわ」

 三人が興奮気味に話しているので、

「お前ら、一時的な記憶喪失だったんじゃねえの? 俺は妙義さんの事、ずっと覚えてたぜ」

 吉岡が誇らしそうに言った。

「お前にそんな事言われるようじゃ、世も末だな」

 渉が肩を竦めて言い返した。

「何だよ、それ?」

 吉岡は口を尖らせて渉を睨んだ。そんな二人を微笑んで見ている翠と美琴。彼女達はすっかり昔同様の親友に戻っていた。

「私達、もう二度と仲良くなれないと思ったのに、妙義さんのお陰で昔と同じになれたんだよね」

 翠が懐かしそうに回想すると、美琴も、

「彼女にきちんとお礼を言った覚えがないのよね。それだけが心残りだわ」

「私も」

 翠も悲しそうな顔で同意した。すると渉は、

「妙義さんがちょっと怖くて、あの時はそんな気持ちになれなかったけど、彼女がいてくれたから今こうしていられるんだよね」

 しんみりとした口調で呟いた。翠と美琴がそれに頷く。

「妙義さん、どうしているのかな?」

 渉が廊下の窓の外の空に見える入道雲を見上げた。それに釣られるように翠と美琴も空を見上げた。


 そして、X県R市の逆柿中学校。白雲に言われて校舎に戻った高山遼はクラス委員の宮城綺奈と口喧嘩をしながら職員室に向かっていたが、不意に榛名の事を思い出した。

「妙義さん!」

 お互いに相手を指差しながら言って、お互いに驚いた。

「何だろう、急に妙義さんの事を思い出したわ」

 綺奈が言うと、高山は、

「榛名ちゃん、危ないんじゃないの? あのお父さん、何だか妙な感じだったし」

「行こう!」

 二人は担任の新里さくらの制止を振り切り、体育館へと向かった。

「待ちなさいよ、二人共!」

 さくらは慌てて追いかけたが、二人はすでに廊下からいなくなっていた。

「榛名ちゃん!」

「妙義さん!」

 高山と綺奈が体育館の裏まで来た時、すでにそこには誰もいなくなっていた。

「妙義さん?」

 綺奈は榛名が倒れていた場所まで行って辺りを探したが、誰もいなかった。

「どこ行っちまったんだ、榛名ちゃんは?」

 高山も綺奈も途方に暮れてしまった。


 白雲は、まだ意識が朦朧とした状態の春菜を運び、すでにセダンで移動中だった。

(榛名、すまない。命ある限り、私はお前に懺悔を続ける)

 白雲は赤くなった目から涙を流して誓った。

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闇属性の中学生 神村律子 @rittannbakkonn

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