殊に私の好んでよく居着いた国は、日本である。当国には、人や物が縦横無尽に溢れ返り非常に良い。それから四季もある。見慣れぬものに触れるのは大変心躍る。

 その日もまた、普段の通り日本を訪れた。どのようにして、どんな風に、などという疑問は興が醒めるだけなのでどうか思わぬよう。格好は日本人のそれと全く変わらぬ。かつては着物に興味が出、そうして出掛けたこともあるが、存外に奇異の目が突き刺さる。あまり目立つのはよくない。本来我々が諸君らの世界を、特別の案件のある外に歩くことはなく、――禁忌や禁則という訳ではないが、我々の内々での外聞に関わる――現在座を頂く者に勘付かれることだけは避けたかったのである。

 外界の者であるから、諸君らの世界について無知であると思うなかれ。そもそも第二次世界大戦の後に座にあったのは、他ならぬ私であり、日本やアメリカ、ドイツ、数十国に関する案件を処理に手を貸したのも私に相違ないのであるから、無知であれという方が難しい。しかし文化や社会の浸透度までは鳥瞰からの視点ではいまひとつ計りかねる。衣服文化に関しては、日本は最早欧米のそれと変わらぬことを知った。この一つをとっても貴重な経験であった。

 以降は、どこの店でも売っているようなジーンズにそこらのファッション雑誌に載っているような、当たり障りのない服装で以って、日本を歩くようにしている。

 流行には別段積極的ではないが、音楽というものには興味が尽きない。我々の世界にはいわゆるポピュラーミュージックというものはない。というのも、我々と諸君らの性質の相違というものを鑑みれば当然のことといえる。

 この性質というものについてくどくど述べ立てるのも興醒めというものであるから、また折を見て少しずつ話していこうと思う。

 おや、あそこに一人の男がいる。公園のベンチに腰掛け、両手の指を絡ませて神に祈るようにして、しかし視線はただただレンガ敷きを見つめている。眉をハの字に下げ、すっかりしょげた様子である。私は斜向かいのベンチに座り、不自然のないよう、文庫本を取り出し開く。

 人間の性格を推し量るにおいて、一人称、すなわち自分自身への呼称というのは、かっこうの判断材料となる。例えば、ああ、彼に関して叙述しよう。

 彼は落ち着かなさそうに腿を揺すり、踵を小刻みに震わせている。何某かの不都合があったのだろう。唇もきゅっと真一文字に結び、その口から言葉の漏れることはなさそうである。そしてしきりに腕時計と、携帯電話を気にしている。姿格好は私となんら変わりない、オーソドックスでありふれたもの。しかも、銀のアクセサリを首から提げている。鞄は持っていないが、ポケットに膨らみがある。

 あの手の格好とあの手の表情をする男の一人称は、きまって「僕」である。僕と自称する男は大抵どこか自信がない。それでいて、しかし自身の他人よりも誇れるところに理想を抱いている。美しき哉。いやはや、馬鹿にしている訳ではけしてない。とはいえ、僕と自分を呼び倣わす男は、そういう密かな自惚れに恍惚とする者もいれば、反対にその自惚れにのぼせあがらぬ己に「自惚れる」者もいる。後者の方が、女々しくいやらしく、厄介であることには言うまでもないであろうが、男類の抱く誇りだとか理想は、破傷風のようなものであって、それ自体として手に負えないものであると私は考える。ささいなことから発症し、時には筋肉の痙攣、難聴をきたし、場合によっては死に至る。それを匿して絹の如き滑らかな肌を見せ付けて得意になる男は、女々しいの一言に限る。 

 一方で、この病を自慢げに語る男たちも、またいる。丁度、あそこで煙草を吸っている風な者らがそうである。

 俺と自身を称する男は、大方が傲岸不遜で持ち前の腕力に自信を持っている。その気になれば何でもできるという気概すら持っている時もある。かくの如き輩は、死に至る病をあたかも男児の勲章と勘違いしてしまっている。またそれをさぞ高貴の、或いは剛勇の権化として誉めそやすから、天狗になるのである。猛々しい、雄々しいというものではない。これぞ大馬鹿者である。

 それからまた一つ、男類には面倒な呼称がある。外面では「俺」と胸を張って見せるが、家族や親しい友人などの内々では途端に萎縮してしまって「僕」と言い換える。彼らを、先程の青年のように一見して判断するのは実に難事である。十年間、飽くなき探究心で以って男に対する審美眼を培ってきた私をして、安易な断定を許さない。

 そして最後に、彼奴ら男類の中で最も最低で、かつ最悪、醜悪の者らであるが、「ぼかぁ」などと自称――否、奇言を発する。かく手合いは必ず怠惰の性質で、また悪徳の、不徳の極みに相違なく、断じて赦されざる不逞の輩である。畢生以ってして、詩を生まず、資を生まず、史を生まず、死を生む。

 「ぼかぁ」発する男類、怠惰の、毒の如き体に回ること、破傷風の痛みに気付かぬほどである。知らぬ間に、喉が狭まり、体は石のように硬くなり、果てには歩くことさえ、歩くことさえ!


 おとこるい。たいだたたって。たつことも。

 嗚呼、なんてことをしてしまったのかしら!

 さる時にぞ、彼の男類、かく嘯く。

「ぼかぁ、本当に駄目な男さ」

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不可思議極まれり、世の男 終末禁忌金庫 @d_sow

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