第8話再会

 俺は大雑把な計画を立てた。

 歯磨きして武装を整えると家を出る。

 重要なものは水と食料だった。

 荷台が空の軽トラックに乗り、スーパーへ向かう。


 スーパーにつくと、そこでも唖然とさせられた。

 いつも使っていた出入口が溶けていた。

 大きな穴が開き、ガラスと金属とコンクリートが絵の具のように混ざり合っていた。

 床はえぐれてクレーターになっている。

 気にしなければ出入りに不自由はない。

 だが俺は気に食わなかった。

 そんなふうになった場所に近づきたくなかった。

 奥へ進むと、もう一つの出入口は無事だったので、その前に車を停める。

 そこにいるだけで、中から濃密な腐敗臭が漂ってきた。

 生鮮食品の多くは放置されたまま腐っている。

 俺は車の中に積んであったガスマスクをつけて、店の中へ入った。

 鳥なら構わないが、野良犬が入り込んでいる可能性もあった。

 俺はボウガンを構えて、雑然とした店内を見回す。

 ここでは聴覚ももちろん重要だった。

 幻聴が出てこなければいいが。


 しばらく様子を見た結果、襲ってくるものはいないようだとわかった。

 ボウガンの矢を外して、ベルトに吊るす。

 俺は空いた両手で作業を始めた。

 まずは水分からだった。

 大型のカートを二台引いていき、ペットボトルの入ったダンボールを積めるだけ積む。

 そのまま外まで運んで、トラックの荷台に積み替えた。

 四往復もすると、荷台の三分の二が埋まった。

 ほとんどは水とお茶だった。

 甘い飲み物も少しは持っていくが、融通が利かない品物なので、多くは持たない。

 店内に陳列してあった水はだいぶ少なくなった。

 店はここだけじゃないが、予想よりもずっと消費が早い。

 店には酒もたくさんあったが、酒は病気に悪影響を与えるし、俺は元から飲まない主義だった。


 水分の次には食料を積む。

 俺はカートを往復させて、米と缶詰、インスタント食品を荷台に載せた。

 ふと確かめてみると、カップ麺の消費期限が思いのほか早かった。

 俺は米が好きなので、それをメインにして食べてきたが、これからはしばらくカップ麺を食べたほうがよさそうだった。

 今まであまり手をつけていなかった即席麺の類を大量に積む。

 あと必要なものは乾電池くらいだった。

 売り物だったトートバッグを取り、乾電池を詰め込むと、車の助手席に放り込む。


 これで一仕事終わりだった。

 身体を動かすことに励んだおかげか、幻聴は聞こえてこなかった。

 軽トラックはずいぶん重くなり、アクセルを深く踏まなければならなかった。

 食事をするために家へ戻る。

 家の前の駐車場へ軽トラックを停めると、俺は数個のカップ麺を持ったほかは、荷物をそのまま放置した。

 こうしておけば、いつでも飛び出せるし、雨に濡れて困るようなものもない。

 門を潜り、庭に入って、異常がないか周囲を見回す。

 ガス釜に触れられた形跡はない。

 今日はまだマサキが現れていないようだった。


 家にあがって湯を沸かすと、外のテーブルでカップ麺の準備をした。

 屋内は腐敗臭が強まっていた。

 テーブルの上で、味噌ラーメンとカップ焼きそばを作った。

 残った湯は保温ポットに入れておく。

 マサキが現れて米がないことに文句を言ったら出してやるつもりだった。

 炊いた米がなくとも、温かいものを提供してやれば、それなりに満足するだろう。


 久しぶりに食べたカップ麺は、どちらもかなり旨かった。

 残りのものを腐らせてしまうのはもったいない。

 これからはカップ麺をメインに食事をしていこう。

 カップ麺の容器を業務用の大きなゴミ袋に捨てる。

 すべてのゴミをこの袋に放り込んでいた。

 いっぱいになったら、隣の家の庭へ投げ入れる。


 満腹になったので屋内へ戻り、コーヒーの準備をして歯を磨く。

 歯を磨いていると、門の軋む音が聞こえた。

 幻聴か、マサキか……。

 どちらでも問題ない。

 そう暢気に構えていたが、あることに気づいて心臓を鷲掴みにされた。


 ボウガンをテーブルの上に置いてきてしまった。

 

 病気が悪化の兆しを現すと、やはりどこか間の抜けたことをしてしまう。

 あれを取られるわけにはいかない。

 俺は歯ブラシを投げ捨てて走り出した。

 居間を抜け、靴も履かずに玄関を飛び出す。

 入ってきたのはやはりマサキだった。

 なんとかマサキより早くテーブルにつく。

 俺は口を泡だらけにしたまま椅子に座り、ボウガンを取って膝の上に置いた。

 マサキはこの前見たのと違い、清潔な衣服に着替えていた。

 ブルーのダウンジャケットに、表面のツルツルした化繊のズボン。

 顔も洗っているようで汚れていなかった。

 明るいところで見ると、最初の印象より老けていた。

 三十代前半といったところか。


 マサキは歯を見せて、人懐こそうな笑顔を見せる。

「何をそんなに慌ててるのさ」

 声は若い。

 俺はペットボトルに残っていたお茶で口を濯いでから答えた。

「近頃物騒だからな。お袋がバラバラにされた」

 マサキの顔から笑いが消える。俺はさらに言葉を続けた。

「おまえしかいないだろう?」


 俺が驚いたことに、マサキは膝をついて許しを請うた。

 両手を合わせて、悲しげな声で言う。

「許してくれ、あれが俺の仕事なんだ……。しかたないんだよ、やるしかないんだよ今は……」

 マサキは顔をくしゃくしゃにして嘆いた。

 その様があまりに哀れを催すので、俺は追及するのをやめた。

 こいつにしたって、俺と同じ病気で苦しんだはずだ。

 そんな相手には、あまり怒りも湧いてこない。

 俺は本心を口にした。

「本音を言えば、大して気にしてない。最初に見たとき、ぎょっとしたくらいだ」

「本当か、許してくれるのか……?」

「許すさ、別に。あんなことくらい」

 マサキはほっとした様子で、深い息をつきながら立ちあがった。

 歩いてきて、俺の向かい側の椅子に腰を下ろす。

 ツンとする腐敗臭が鼻をついた。

 見た目は小奇麗だが、死体の臭いが染みついているらしい。


 マサキは確信に満ちた目で、身体を乗り出してきた。

「世界がバラバラになるのを防ぐには、あれしかないんだ……」

「おまえがそう信じてるなら、それでもいい」

 俺はペットボトルを一本差し出してやりながら続ける。

「だけど、臭いがキツくなって困ってる」

 マサキはペットボトルのキャップをひねりながら答えた。

「そりゃすまないね。でも、どこでも似たようなもんだろ」

「臭いにだって濃淡てものがある。おまえ、ねとねとの死体に触るのに抵抗がないんだろ、お袋を外へ運びだしてくれないか。庭に穴を掘って埋めたいんだ」

「今日は勘弁してよ。着替えたばっかりなんだ。明日、仕事の後になら、言われた通りにするよ。どうせ汚れるから」

「じゃあそれでいい。明日、穴を掘っておく」

 お茶を飲み下すマサキを見ながら、俺はさらに言葉を繋いだ。

「おまえが言ってた『青い目』っていうのは、宝石をつけた骸骨のことか……? 生き物とは思えないような……」

 ペットボトルから口を離して、マサキが答える。

「やっぱりあんたも見たの? やっぱり俺の幻覚じゃなかったんだな……。驚いたろ、最初はさ」

「ああ、ビビったね。あいつは何をしてウロウロしてるんだ?」

「俺が思うに、あいつは見た目通りの死神だろ。病気や怪我で死にかけの人間にとどめを刺して回ってるみたいだ。あいつを見かけるときには必ずそばに死体があるし、その死体はまだ冷たくないんだ。世界はもう滅ぶことが決まっているから、長く苦しむ前に始末をつけてくれるんだよ」


 こいつにどんなアンテナがあるのか、言われてみるとそうなのかもしれないと思ってしまう。説得力がある理屈だった。


 俺は疑問を聞いてみた。

「あの骸骨は俺たちを見逃してくれるのか? まだ自力で動ける俺たちは? 襲われそうになったことはないか?」

 マサキはかなり打ち解けた雰囲気で喋りだした。

「俺だってわからないよ。でも、今まで三回出会って、恐ろしかったけど、向こうから追いかけてきたりはしなかったな」

「そうか、襲われないならいいけどな……」

 それから俺はテーブルの上で腕を組み、ちょっと考えてから切り出した。

「ほかの……生き物を見たことはないか? 鳥でも犬でも猫でもないやつを。変な形をしている生き物なんだが……」

 マサキは目を輝かせた。

「ああ! 見たよ! 何度も! あれこそ幻覚だと思ってたのに! やっぱり現実なんだ!」

「どうも現実だと思う。俺は病気が酷かったころも、あんな幻覚を見たことがない。この世の生き物じゃないやつらだ。今まで二種類見た。一つは今朝、この庭に来たんだ」

「ああ、やっぱり! やっぱり俺の理屈が正しいんだ!」

 俺は先を促した。

「どういうことだ、話してみてくれ」

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