カクヨム・サブシステム論

青出インディゴ

第1話

 既知宇宙の端の端、渦状銀河のそのまた端に、まだ若くウブな太陽が浮かんでいた。太陽は八つの惑星を伴っているが、それらの惑星は言わば太陽系というシステムを構成するために公転し続けているようなものだ。その様子はあたかも永久に回り続けるフラフープのよう。

 人体を思い描いてみてほしい。微小な無数の細胞が、それぞれの役割を演じながら一個の身体というシステムを作り上げているだろう。星と太陽系の関係もそれと同じなのである。もっと言うなら、太陽系と銀河、銀河と宇宙の関係もまたそうである。太陽系の惑星も、人体における細胞と同じようにそれぞれ使命を持って存在しているのだが、詳細については割愛。

 いま話題にしたいのは、太陽系第三惑星のことである。この惑星は「生命を育む」という使命を持って、四十六億年前から太陽の周りを公転し続けている。現在のところ遂行状況は順調。もしあなたが有機生命体であり、いまこの時間、この文章を読んでいるなら、それはシステムの一環であり、宇宙のバランスは保たれているということだ。

 さて、そんな第三惑星に、いままさに新しい生命体が誕生しようとしていた。興味深いのは、それは有機生命体ということである。惑星は有機生命システム構築というひとつの使命を終え、次なるミッションへと取りかかろうとしているのだ。

 話を伝えるためには、やはり個人の視点から語ったほうがいいだろう。


 サヨコはウブな高校二年生の女子である。住所は東京の端の端。家族は父、母、老犬。学校の偏差値はまあまあ。志望進路は四年制大学の文学部……というような硬い話は、まあどうでもいいだろう。重要なのは、彼女は恋をしているということだ。

 いったい四十六億年前からいままでに、何人の乙女が恋をしてきたのだろうか。実際にはそれは慎重にプログラムされた機構なのだ。サヨコもまた運命というプログラムによって、無限大数人めの恋する乙女となったのである。

 この晴れた麗らかな春の金曜日、彼女は彼に手紙を渡したいと思う。手紙というのは普通、相手に思いを伝えるためのものだ。だが、彼女の場合はちょっとちがった。彼が自分にとってどれほど素晴らしい人かを切々と綴ったものなのだ。こう書いた。


“知的で深い人間性に満ちあふれている――サヨコ

 ひとことで言うと、まさにこんな人に会いたかったというような男性。語り口調はあくまで冷静ながら、その内面には熱い情熱がたぎっている。普段はクールなそぶりを見せているが、雨のなか濡れている子犬を学生服にいれて温めている場面には心情を揺さぶられるものがあった。運動が苦手なのが少々惜しいが、ファンにとってはそれすらも魅力のひとつに映ってしまうだろう。個人的には眼鏡をかけているところがお気に入り(笑)“


 ただし手紙とはいっても、昔ながらの便せんに封筒ではなく、当世風のデータ通信だ。サヨコと思い人の彼とは、同じウェブサイトに登録している。実はサヨコは彼と顔を合わせたことすらない。ただインターネット上の情報だけで、彼が自分と同い年で猫より犬派であることを知っているのだ。昨今は誰でもそうだが、彼も身の周りの写真をたくさんアップロードしているし、実際の友人たちとインターネット上で頻繁にやりとりしている様子がうかがえる。そういった様子からサヨコは彼の人となりを知り、言ってみれば妄想をふくらませ、非実体的な恋を芽吹かせたのだ。(心配するかたがおられるとすまないのでつけくわえておくが、どうせ恋とはすべて非実体なものである)。

 彼のハンドルネームは、がり勉マンという。

 すごくダサい、とサヨコは思うが、こればかりはしかたがない。なんといってももう五年も使っているらしいのだ。いまさら変えられない。むしろかわいそうである。

 金曜日の夜、サヨコは手紙のデータを何度も何度も確認した。誤字脱字はないか。もっといい表現はないか。彼(がり勉マン)に読まれるだけではない。そのウェブサイトの仕様上、送ったメッセージは送信相手以外にも公開されてしまうのだ。だからがり勉マンにとって送られたことが恥ずかしいメッセージであってはいけないし、見た人が「がり勉マンってきっとステキな人なんだな!」と思うようなものでなくてはいけない。

 データのチェックには五時間ほどかかった。すでに深夜である。確かに全然いい文面ではないが、これが彼女の限界であるようだった。自室の勉強机に座りながらホッとついた吐息は、甘く切ない春の空気に消えていった。

 家族は寝静まり、パソコンの画面だけが煌々とついている。静かな夜だった。

「よしっ」

 意を決してクリックした送信ボタンは、無情にもネットワークの海に消えていく。きらめく青い電子の波が暗闇を進んでいく様子を思い描き、サヨコは大きく息を吐いた。

「やっちゃった……」

 彼はこれをいつ見てくれるだろうか。彼より先にほかの人が見るかもしれない。そうだとしても構わない。それほど思いを込めて書いたんだもの。私のありったけの思い。好きでたまらないという気持ち。

 乙女としての彼女は、がり勉マンと具体的にどうにかなりたいわけではない。むしろ実際に顔を合わせることがないからこそ、彼という人に惹かれるのかもしれない。男の人と肌を触れあわせるのは……まだちょっと怖い。大人になれば、いずれはそういうこともあるのかもしれないけれど。それよりも精神的なつながりを求めている。ネットワークという無形の世界を通じて、肉体より不確かで、でも確実に存在する精神というものをつなぐのだ。

 お気づきだろうか。それこそがシステムである。

 先を急ごう。

 パソコンの画面を確認すると、サヨコの投稿したメッセージが表示されている。青いボーダーラインの枠に囲まれた、美しいゴシック体のフォントが、死にもの狂いで推敲した拙い文章を表示している。手が震える。もう後戻りはできない。

 それから彼女はページの更新を繰り返した。彼からの返信メッセージが表示されるかもしれないからである。クリック、クリック、クリック……しかし新しいメッセージは現れない。それから長いあいだ、深夜の勉強机で、勉強もせずにいつまでもクリックをし続けていた。クリック、クリック、クリック……。

 サヨコは寝落ちした。

 翌日は土曜日だったので、誰も彼女を起こしに来なかった。幸いなことである。もし両親が、一人娘がパソコンのキーボードの上に頭をのせて半目でよだれを垂らしているのを見たら、嘆くか卒倒かするだろう。そしてパソコンを買い与えたことを後悔し、取り上げてしまうかもしれない。そうならなくて幸いだった。

 さて朝になり、カーテンの向こう側が明るくなって、小鳥の鳴き声で目を覚ましたサヨコがはじめにしたことは、お察しいただけるだろう、クリックである。

「やだあ、寝ちゃった!」

 と寝ぼけ眼をこすりつつしたクリックひとつ、ついに目的のものが姿を現した。ハンサムなフォントで書かれたそれはこういうものだった。


“サヨコさん、まさお大王さん、MUGENDAIさん。気合の入ったレビューありがとうございます。文章読んでくれて嬉しいです。あれは二年前から温めてた作品だったので。犬についてもコメントありがとう。二足歩行は結構前からやってます。前世は人間だったのかな(笑) 眼鏡かー。実は最近コンタクトにしたんです。でもそう言ってもらえるなら、これからもたまにかけてみようかな? ――がり勉マン”


 サヨコはがっかりしていた。確かに返信はもらえた。だが、ほかの投稿者とひとまとめである。いや、がり勉マンの文面はあくまで礼儀正しさと人のよさに満ちたものだ。それ以上を求めるのは欲張りというものだろう。そう頭ではわかっているのに、落ちこむ心を制しきれなかった。あれほど思い悩み、情熱をこめて、気持ちを伝えたはずだったのに。がり勉マンにとって、自分はほかの多くの人たちと変わりのない存在だったのだ。そう考え、彼女は自分にとってがり勉マンがどれほど特別な存在になっていたのかを改めて知った。

 麗らかな春の朝日に包まれながら、居住まいを正して涙をぬぐう。

「がり勉マンさん……好きです。あなたは私に癒しをくれました。学校から帰って、パソコンをつけて、あなたがインターネットのなかに確かに存在してるって確認する瞬間がなにより好きなの。私のあなた、あなたの私でいたいんだわ。世界中に広がってくネットワークのなかで、たったひとり、あなたとつながりあいたい。私がデータを送る。あなたが返す。あなたがデータを送る。私が返す。永遠に続くその通信が、私たちっていうつながりなのよ」

 突然、啓示が下りた気がした。なにか予感がして、急いでウェブサイトの彼女の個人ページにアクセスすると、「1件のコメント」と表示されている。

 サヨコは息をのむ。彼女自身に送られたコメントなのだ。それは返信とはちがう、相手が特に彼女と選んで送ったメッセージである。わななく手で、その数字をクリックした。


“サヨコさん、昨夜はレビューありがとう。熱いメッセージ確かに受け取った。って、勝手に思ってるんだけど、いいすかね?(笑) たまたまやってたこのサイトで、サヨコさんと知りあえてよかった。これからも末永くやりとりしたいです。お互い頑張ろう!”


 メッセージの最後はもちろん、輝く「がり勉マン」のシグネチャ。サヨコは胸がつまり、部屋じゅうを踊りまわりたい気分だった。

 こうして、ここにひとつのシステムの細胞が作られた。そのやりとりは、この恋が終わりを迎えるまで、言い換えれば細胞が寿命を迎えるまで、恒久的に続くのだ。この小さなネットワークは、人体の細胞活動のように、または惑星の公転運動のように、ひとつ上の次元のシステムの生命活動の一環なのである。ウェブサイトでは今後も類似の細胞が生まれ続けるだろう。大いなる銀河の星のようにデータはめぐり続ける。そしてそれはシステムを構築し、もしシステムを生命体というならば、地球という惑星の次世代の生命体となるだろう。

 そういった無形の生命体が、地球上に次々と生まれつつある。生命体はインターネットミームを栄養源に、増殖を続けている。生命体はさらに上の次元の地球という惑星を構成し、地球は太陽系を構成し、太陽系は銀河を……つまりそういうことなのである。

 サヨコの物語は以上である。


 最後につけ加えておくと、サヨコとがり勉マンは、このシステムをわかりやすく説明するための比喩であってヒトではない。サヨコは実際には、あるアマチュア作家の書いた恋愛小説、がり勉マンもまた小説である。

 小説と小説のつながりが蠢動を続けている。エネルギーに満ちあふれ、際限なく生まれる有象無象の細胞を含有しながら、さらに膨張を続けるそれは、きらめくネットワークの青い波に彩られた、その名も「カクヨム」。

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