第二話 三姉妹 県内巡りスタート

午前五時頃。

(大里お姉ちゃんも、純美子お姉ちゃんもお休み中だね。よぉし。時刻的に早朝だからお外へ出ても問題ないよね)

 目を覚ました千花は、物音を立てないようにお部屋から出て玄関へ移動し、鍵をそーっと開け、こっそりとお外へ出る。

 それから三〇分ほどして千花は無事、戻って来た。

(全然危険じゃなかったよ。落人の亡霊や妖怪なんて出るわけないし。大里お姉ちゃんは心配性だなぁ。それどころか、理科の自由研究に良いもの取れちゃった♪ ビニール袋持っていって良かったよ♪)

 千花は満足げな気分で布団に潜り、再び眠りにつく。

さらにしばらくのち、貴晴の自室。

「もう朝か……ん?」

 まだセットされた目覚まし時計が鳴る前、七時頃に目を覚ました貴晴は、妙な違和感を覚えた。布団の中で、何かがごそごそと動き回っていたのだ。

「これって!」

 貴晴はやや表情を蒼ざめさせながら、掛け布団をおもむろに捲り上げてみる。

「うわぁっ!」

 瞬間、びくーっと反応して飛び上がった。

バッタ、ではなくイナゴがいたのだ。

それも二十数匹。貴晴のパジャマにも十匹ほどまとわりついていた。

「いつの間に入って来たんだ?」

 貴晴は体を激しく揺さぶり、振り払っていたところ、

「おっはよう! 貴晴お兄ちゃん」

 千花が部屋の扉を開け、爽やかな表情で挨拶して来て部屋に足を踏み入れてくる。

「これ、ひょっとして、千花ちゃんが?」

 貴晴は苦い表情で尋ねる。

「その通りだよ。去年家族旅行で行った松山が舞台の小説『坊っちゃん』の真似をしてみたのーっ! ちょうど稲刈りシーズンだからたくさん取れたよ♪」

 千花は得意げな表情で嬉しそうに言う。

「結局わたくしや大里の言いつけを破ってお外へ出たのね。ダメでしょ千花っ! そんな危ないことしちゃっ! 誘拐事件に巻き込まれる可能性だってあったのよっ! 貴晴ちゃんにも謝りなさい!」 

 いつの間にか背後にいた純美子は千花を担ぎ上げ、お尻をむき出しにしてパシーンと叩いた。悪い子へのお仕置きの仕方は地球人と共通のようだ。

「貴晴お兄ちゃぁん、ごめんなさぁぁぁい。もう二度としませぇぇぇん」

 痛かったのか、千花はえんえん泣きながら謝ってくる。

「あっ、いや、べつに、俺、気にしてないから」

 貴晴は戸惑ってしまった。

「……んにゃっ、どうしたん? やけに騒がしいけど」

 真輝も目を覚ましたようだ。むくりと上体を起こす。

「あっ、ねっ、姉ちゃん、危ないっ!」

 貴晴は慌てて注意を喚起する。

 遅かった。イナゴが二匹、真輝の鼻にぴょこんと乗っかったのだ。

「きゃっ、きゃあああああああぁぁぁぁぁっ!」

 真輝は瞬く間に顔を蒼ざめさせ、百デシベルは超えていそうな断末魔の叫び声を上げた。真輝は女の子にはとりわけ珍しいことではないのだが、虫が大の苦手なのだ。

 さらにもう一匹、真輝のきれいなピンク色の唇目掛けて乗っかる。

「……」

 真輝はパタッと仰向けに倒れた。

「真輝ちゃん、大げさなリアクションね」

 純美子も目を大きく見開き、びっくりしていた。

「姉ちゃん、しっかりしろ」

 貴晴が真輝のお顔に乗っているイナゴを一匹残らず叩いてあげたのち、頬をペシペシ叩いて真輝は無事生還。

「ごめんなさぁい、真輝お姉ちゃぁん。イナゴさん、すぐに片付けるからぁ」

 千花はえんえん泣きながら、土下座して謝る。

「千花ちゃん、泣いて謝ったくらいでうちが許すと思ったら、大間違いやっ!」

 真輝は目に涙を浮かばせながらこう言い放ち、猛ダッシュでお部屋から出て行った。

「おはようございまーす、皆様。朝から賑やかですねー。あらっ、蝗さんがいっぱい。【ぴょんぴょんと 蝗飛び交う 畳部屋】」

 入れ替わるように大里は寝惚け眼を擦りながらこのお部屋へやって来て、のんびりとした声で挨拶して、ちゃっかり一句詠んだ。

 七時五〇分頃、

「洗顔フォームで五分以上は念入りに洗ったのに、まだイナゴが鼻の上に乗ってる感覚が……あんた達ぃ、やっぱり問題事起こしたわね。これ以上泊めることは出来へんわっ!」

 応接間にて朝食団欒時。真輝は怒り心頭で三姉妹、のうち特に千花を睨みつける。

「ごめんなさぁーい」

 千花は涙目になりながら謝罪した。

「まあまあ真輝。佃煮の材料が出来て助かったんだから」

 母は優しくなだめ、それが盛られたお皿をローテーブル上に置く。

「きゃっ、きゃぁぁぁっ!」

 真輝は甲高い悲鳴を上げ、飛び上がって貴晴の体に抱きついた。

「ねっ、姉ちゃん、それくらいで怖がるなよ」

 貴晴はかなり苦しがる。顔に胸を密着されていたのだ。

「だっ、だってぇ。お母さん、そんな不気味なもの、作らんといてよ。あり得へん」

 今にも泣き出しそうな表情の真輝を見て、 

「もう、真輝ったら、イナゴの佃煮くらい作れなきゃ、お嫁に行けないわよ」

 母はくすっと微笑む。

「いつの時代の話なんよ」

 真輝はむすっとなった。

「甘辛くて、すごく美味しい♪」

「蝗さんは、昭和時代までは各ご家庭でよく食されていた日本食ですね」

 千花と大里はイナゴの佃煮をお箸で摘み、美味しそうに食していた。

「グロテスクね、怖いわ」

 純美子は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

「純美子ちゃんも苦手なのね」

 母は再び微笑む。

「あなたもそう思ってたんか」

 真輝は若干親近感が沸いたようだ。

「真輝ちゃん、わたくし達、気が合うわね」

 純美子はけっこう嬉しそう。

「うん、その一面だけはね」

 真輝は少し悔しそうに小さく頷いた。

 民宿が廃業して以降は高校の数学教師を勤めている父は、皆が朝食を取る前、七時半頃には家を出ていた。まもなく午前八時になろうという頃、ピンポーン♪ とチャイム音。

「おはよー貴晴くん」

 その約一秒後、ガラガラッと玄関扉の引かれる音と共に、のんびりとした声が聞こえて来た。

「おはよう、すぐ行くから」

 貴晴は通学鞄を肩に掛け、玄関先へと向かう。

訪れて来たのは、典恵だった。学校がある日は、いつもこの時間帯くらいに迎えに来てくれるのだ。貴晴は中学に入学した頃から現在完了進行形で登校は別々でも良いと思っているのだが、典恵がそうは思ってくれていないので付き添ってあげているという感じである。とはいっても貴晴もべつに嫌がってはいない。けれども通学中に同じクラスのやつ他知り合いにはあまり会いたくないなぁ、という思春期の少年らしい気持ちは持っていた。

「貴晴お兄ちゃん、典恵お姉ちゃん、行ってらっしゃーい」

 千花も玄関先へとことこ駆け寄って来て、手を大きく振りながら見送った。

「おはよう千花ちゃん、学校へ行ってくるね」

「じゃ、行ってくる」

 八時頃、典恵と貴晴はいつものお出かけの挨拶をして家を出発。この二人は高校へ入ってからも徒歩通学である。川真田宅から二人が通う高校まで1.5キロ圏内の自転車通学禁止区域に指定されているからだ。ちなみに紬も同じである。

「あの子達が通う学校も、長期休暇中はやっぱり宿題が出てるのかな?」

「日本の学校よりも多いみたいだった。昨日の夜、一生懸命やってたよ。トルナ星の学生は、日本の学生よりも勤勉だと実感したよ。大学入試の科目数も日本の大学入試よりもかなり多いんだって」

「そうなんだ。文明が地球以上に発達しているわけだね」

徳島名物、すだちの色を表す緑色ブレザーを身に纏った二人は門を抜けて、他愛ない会話を弾ませながら通学路を一列で歩き進む。

 八時一七分頃。川真田宅では、 

「食器洗いだけでなく、お掃除とお洗濯まで手伝ってくれるなんてとってもいい子達ね。お駄賃をあげたいくらいだわ」

 母が上機嫌で三姉妹を褒めていた。

「タダで泊まっとるんやから、やって当然と思うわ。お母さん、あの子達に小遣いあげたらいかんよ。それじゃ、行って来まーす」

 真輝は不機嫌そうに言い、家を出た。市内の私立大学に通っており、今日は朝一から講義があるのだ。その頃には、貴晴と典恵は一年一組の教室に辿り着いていた。幼小中高同じ学校に通い続けているこの二人は小学六年生の時以来、久し振りに同じクラスになった。共に一学年全八クラス中一クラスしかない理系特進コースへ入学したため、必然的になれたのだ。

「ノリエちゃん、タカハルくん、おっはよう!」

 二人が自分の席へ向かおうとすると、先に来ていた紬が元気な声で挨拶してくる。

「おはよう、野々瀬さん」

 貴晴は素の表情でごく普通に、

「おはよー紬ちゃん。今朝は冬の気配を感じたね」

典恵は爽やかな表情と穏やかな声で返してあげた。

「タカハルくん、あの子達泊めて、トラブルは起きんかったん?」

 紬がさっそくこんな質問を問いかけてくる。

「小さなトラブルは起きたよ。今朝、千花ちゃんに俺の布団にイナゴを入れられた」

 貴晴は苦笑いを浮かべながら伝えた。

「ほうか。夏目漱石さんの小説『坊っちゃん』みたいじゃね」

 紬はくすくす笑う。

「かわいいイタズラされたんだね」

 典恵はにこりと微笑む。

「幼い子のすることだし、俺は許せたんだけど、姉ちゃんは怒り心頭だったよ」

 貴晴がため息まじりに伝えると、

「タカハルくんのお姉ちゃん、やっぱ今でも大の虫嫌いなんじゃね」

 紬は真輝にちょっぴり憐憫の念を抱いたようだった。

「でも千花ちゃんは、理数系が得意でとても役に立つ子だったよ。あの、野々瀬さん。物理のテスト、千花ちゃんに解説付きの模範解答作ってもらったから再試験対策に役立てて」

 貴晴は鞄からその用紙を取り出し、紬に手渡す。

「おう、すごい。字はちょっときちゃないけど、教科書や問題集の解答例よりも分かり易い。チカちゃんやるじゃん。山ノ内の変わりに教師になって欲しいじょ。サンキュー」

 紬はざっと全体を眺めた後、ハイテンションな気分でじっくり目を通し始めた。

「よかったね紬ちゃん、貴晴くん、私にも貸してね」

「もちろんいいよ」

貴晴は快く承諾し、自分の席へ。それから七分ほどのち、

「やぁ、貴晴殿ぉー。さっそくで悪いのだが、数学の宿題見せてくれ」

「ほらよ、光司。ついでに昨日借りたラノベも返しとく」

「サンキュー。面白かったか?」

「まあまあだったな。途中で飽きて最後の方は流し読みになった」

光司が登校して来てのっしのっしと近寄って来る。身長一八〇センチ、体重は百キロを優に越える恵まれ過ぎた体格が仇となってか、光司は貴晴以上にスポーツどの競技も超苦手なのだ。

「貴晴殿、このラノベもべらぼうに面白いぞ、読んでみろ。来年一月からアニメも始まるんだぜ」

 光司は鞄の中から例の物を一冊取り出し、貴晴に手渡す。

「……一応、借りておくよ」

それを見て、貴晴は顔をしかめた。表表紙に下着丸見えの制服姿な可愛らしい少女のカラーイラストが描かれていたのだ。光司は、小学五年生の終わり頃からラノベや萌え系の深夜アニメに嵌っていたらしい。貴晴はこういう世界に深く踏み込んではいけないな、と本能的に感じている。すぐさま鞄の中に片付けた。

(これと同じの、姉ちゃんも持ってたような……)

じつは貴晴は、今から遡ること四年三ヶ月ほど前、光司から初めてラノベを借してもらい家に持ち帰った時、真輝にエロ本を読んでいると勘違いされ、「保健の教科書で我慢しなさぁーいっ!」と険しい表情で叱責されたあとに没収され、ビンタ一発、じかにお尻ペンペン十数発、とどめの大外刈り一発を食らわされた苦い経験があるのだ。皮肉にもその出来事が、真輝がオタク趣味に嵌ったきっかけとなってしまったのである。

「おっはよう、コウちゃん」

「……おっ、おはよぅ」 

突如、紬に明るい声で挨拶された光司は、俯き加減になり小さい声で挨拶を返す。彼は紬に限らず、三次元の女の子がよほど年上でもない限り苦手なのだ。

「光ちゃん、今後はなるべく自分の力で最後まで仕上げるようにしなきゃダメだよ。テスト本番で痛い目に遭うからね」

「はっ、はい」

典恵の忠告にも、光司は緊張気味に返事した。いつものようにこの二人から話しかけられるが、いつまで経っても慣れない光司に対し貴晴は、この性格は一生治らないだろうなとちょっと心配に思っていた。


貴晴達の通う高校で朝のホームルームが行われていたその頃、川真田宅では、茶の間にてこんな会話が交わされていた。

「おば様、こんな大金を渡して下さり、誠にありがとうございます」

「おばちゃん、ありがとう。大事に使うよ」

「電車賃や観光施設の入場料事前に確認したけど、今日行こうと思った場所を巡るにはお昼代含めてもじゅうぶん過ぎるわ。半分くらいお返しするね」

「いいんよ、お手伝いすごく頑張ってくれたから。では、気をつけて行ってらっしゃい」

 三姉妹は合わせて五万円以上の旅費を頂き、八時三三分頃に川真田宅を出た。JR徳島駅へと向かって歩いていく。

八時五〇分頃に辿り着いて、

「純美子お姉ちゃん、大里お姉ちゃん、あそこ見て。お遍路さんがいるよ」

「あら本当。さすが四国ね」

「生でご拝見出来て嬉しいです。眺めていると果報が授かりそうですね」

構内を少しうろうろしてから、

「あら?」

 券売機の前で、純美子はジーパンの両ポケットに手を突っ込みながらこう呟いた。

「純美子姉ちゃん、どうしたの?」

 千花は不思議そうに問いかける。

「あのね、財布、どこかへ落としちゃったみたいなの」

 純美子は苦笑いしながら答えた。

「純美子お姉さんったら、あれほど気を付けてって言いましたのに」

 大里は若干呆れ顔。

「大変だぁ。早く見つけないと、誰かに盗まれちゃうかも。拾い主が親切な人だったらいいんだけど」

 千花は純美子よりも深刻そうな面持ち。

「ついさっきまではあったの。みどりの窓口で学駅の合格祈願きっぷ買ってからポケットに仕舞って。すられたのかも」

「きっとその辺に落ちてるよ。あたしが探してあげる」

 純美子を責めることもなく、心配そうに接してくれた。

「ありがとう、ごめんね千花、迷惑かけちゃって」

 純美子は申し訳なさそうに礼を言う。その時、

「純美子お姉さん、十メートルくらい後方に落ちていましたよ」

 大里が拾って知らせてくれた。

「ありがとう大里。頼りになるわ」

 純美子は深々とお辞儀してから受け取る。

「純美子お姉ちゃん、見つかってよかったね。大里お姉ちゃんも、いいところ見せたね」

 千花はにっこり微笑む。

「純美子お姉さん、財布はいくら取り出し易くても、ポケットにそのまま突っ込むのではなく、鞄に入れて置きましょう。ガイドブックにも注意書きされてありました通り、スリの心配もありますから」

 大里は心配そうに注意した。

「分かったわ。今から気をつける。地球は治安悪いもんね」

 純美子はてへっと笑って少し反省。

 ともあれ一件落着。

 けれどもその後すぐに困った事が。

「これ、どうすればいいのかしら?」

「わたしも分からないです」

 切符の買い方で悩んでしまった。純美子は券売機の前で立ち止まってしまう。

「純美子お姉ちゃん、あたしに任せて」

 千花は純美子から一万円札を一枚受け取って、テキパキと操作をし始める。特に問題なく阿波池田駅までの子ども一枚、大人二枚計三枚の片道乗車券特急券と釣り銭が出て来た。

「千花、未知の機械なのに難なく使えて凄いです」

「たいしたことないよ大里お姉ちゃん、日本の電車の切符の買い方、社会科の授業でこの間習ったばっかりだもん」

 千花は照れくさそうに言う。

「今は小学校でそんなのも習うのですか?」

「ユニバーサル化がますます進んでるのね」

 やや驚く大里と純美子。

こうして三姉妹は計画通り、当駅九時頃発の阿波池田行き特急剣山に乗り込むことが出来た。

       ※

貴晴達の通う高校。十一時二五分、四時限目担任の美馬先生による古文の授業が始まってほどなく、

「それでは、呼ばれたら取りに来てね」

 美馬先生は教卓前からこう伝える。一月ほど前に行われた校内マーク模試の個人成績表がついでに返却されることになったのだ。

お昼休みが始まると、貴晴と光司は他の休み時間時と同様、近くに寄り添う。

「光司、本当に第一志望東大って書いたのかよ。無謀過ぎだろ。第二志望以降も難関国立大だし、徳島から出るんだな」

「もっちろん。オレ、早く高校卒業して、こんなど田舎から出て行きたいぜ。母ちゃんから下宿するんやったら国公立って言われたし、でも、徳大ですら手に届きそうに無いオレにとっては関東・関西圏の国公立はあまりに高いハードルだぜ」

 ため息混じりに呟いた光司に、

「徳島だってけっこう都会じゃろ。そ○うや、アニメ系ショップにアニメ制作会社もあるけん」

 紬はやや呆れ気味に言い寄ってくる。

「井の中の蛙だぜ。東京・大阪と比べたら全然や」

 光司は俯き加減に主張した。

「そこと比べたらそりゃしょぼいけど、マチ★アソビもやってるじゃろ。ついこの間のマチ★アソビの時ワタシ、しんまちボードウォークのパラソルショップの所でこういうのを見たら俺、まだ徳島から出んでええかなって思ってまうわって言ってたワタシ達と同い年くらいの子を見かけたよ。地方都市でのアニメ活性化は、若者を繋ぎ止める力があるよね。徳島は豊崎愛生ちゃんの出身地やけん、ワタシも徳島から出る気はないじょ」

 紬は熱く主張するも、

「徳島は豊崎愛生ちゃんの出身地で、アニメの街と呼ばれていることは誇りなのだが、いかんせんイベントの絶対数が少な過ぎる。マチ★アソビも関西からだとすぐに来れるし。オレ、父ちゃんと母ちゃんから力士になって横綱を目指さんのやったら受験界の横綱、東大か京大を目指せって言われてるし」

 光司の意志は変わらない。にっこり笑顔でこう伝える。

「コウちゃん、ワタシより成績酷いのによくやるねぇ。身の程知らずじょ」

 紬はすっかり呆れ顔だ。

「父ちゃんと母ちゃんは、光司なら絶対受かるって期待してくれてるぜ」

 光司は第一志望から第五志望まで書く欄に、第一志望東大理科Ⅰ類、第二志望京都大工学部、第三志望阪大工学部、第四志望神戸大工学部、第五志望神戸大理学部と書き、全て見事にE判定を取ってしまっていた。

「親ばかだな。まあ東大も、相撲界入って横綱になるよりはずっと簡単なことだろうけど」

 貴晴も呆れ顔だ。

「ノリエちゃんは徳大総科余裕のA判定か。羨ましいじょ。神大阪大も狙えそうじゃね」

「私、そこは受ける気は全くないよ。家から通えないし、絶対受かりそうにないもん」

「ほうか。ノリエちゃんらしく安全思考じゃね。タカハルくんもこの模試、第一志望ワタシと同じで徳大の工学部にしてたじゃろ? 判定どうじゃった?」

「B判定だった。もうあと二点高かったらA判定になるところだったけど」

「めっちゃいいじゃん。もっと嬉しそうにしなよ。ワタシなんてEに近いD判定なんじょ」

 紬は恥ずかしげも無く堂々と言い張る。

「なあ貴晴殿、オレらの高校のホームページに書いてること、絶対詐欺だよな? 何がハイレベルなカリキュラムで東大・京大をはじめとした難関国公立大に合格出来る学力が身につきますだ。全然身につかないではないかぁ」

光司は貴晴に向かってこんな不満をぶつぶつ呟く。

「いや、べつに、皆が身につくわけじゃ……俺もたいして身についてないし」

 貴晴は迷惑そうに意見した。

「コウちゃん、それは毎日授業の予習復習、宿題をしっかりこなして、真面目に自学自習に励んだ場合じゃろ。ただ授業に出席しただけで身につくなんていうのは、甘ぁい考えなんじょ。東大・京大への進学は、日々コツコツ勉強を頑張った子だけが叶うんよ。ワタシが言うのもなんやけんど」

さらに紬に苦笑顔で言われた。

「しかしながら、実際に東大・京大に現役で合格出来るやつ、理系特進クラスからでも毎年十人に一人くらいではないかぁ。比率少な過ぎるよな?」

「偏差値五〇くらいのごく普通レベルの高校からじゃと、一学年三百人程度として、東大京大に現役で合格出来る子は年に一人出るかどうかくらいなんじょ。それと比べればずいぶん高いじゃろ」

 尚も不満を呟く光司に、紬はこう意見する。

「まあ、そりゃぁそうだが……」

 光司はまだ腑に落ちない様子だった。

「光ちゃんも今からでも一生懸命勉強頑張れば、きっと東大京大へ行けるよ」

 典恵はほんわかとした表情で励ましてくれた。

「光司は典恵ちゃんのような継続力も向上心も無いから、何年掛けたって絶対無理だろ」

 すかさず、貴晴は素の表情でさらりと言った。

「はっきり言うなよ貴晴殿、否定は全く出来ないが」

 光司は軽く苦笑いする。

「貴晴くん、そんなネガティブなこと言っちゃ光ちゃんがかわいそうだよ。ところで明日の鳴門公園への遠足だけど、貴晴くんと光ちゃん、一緒に回るんでしょう? 私達と一緒に回らない?」

「やめとくよ」

「オレもけっこう」

「あーん、残念。私達はどこから回ろうかな」

「やっぱ美術館からじゃろ。渦潮は明日は午後の方が見頃みたいやけん」

「うずしお汽船にも時間があったら乗ろう」

「ほうじゃね。より大迫力のを見れるけん」

 典恵と紬でそんな打ち合わせをしていたその頃、あの三姉妹は、

「千花、こんな足場の悪い所、よくすいすい進めるわね」

「わたし、足を踏み入れたことを後悔しましたよ。想像以上の恐ろしさです。眺めるだけでじゅうぶんでしたね」

徳島県西部祖谷地方にある観光名所、かずら橋を渡っている最中だった。

「大里お姉ちゃん、純美子お姉ちゃん、後ろの人がつかえちゃうよ。早くぅ」

「千花ぁ、揺らさないでー」 

「怖いです、怖いです。落ちちゃいそうです」

 シラクチカズラで編まれた幅二メートル、長さ四五メートル、川面からの高さは一四メートル、国の重要有形民俗文化財にも指定されているそんな知る人ぞ知る吊り橋の真ん中付近で動けなくなっていた大里と純美子を見て、ゴール間近の千花は笑いながら楽しそうに手すりを揺らす。 

何とか無事渡り切れた三姉妹はすぐ側の琵琶の滝を眺め、そのあと近くにある祖谷そばと、でこまわしが味わえる食堂で昼食を取り、路線バスで大歩危へと向かったのであった。

 貴晴達が通う学校、この日の帰りのホームルーム終了、解散直後。

「再試験、嫌じゃぁー。だるいじょ」

座席で頬杖をついてため息をついた紬に、

「紬ちゃん、頑張れ。きっと上手くいくよ」

 典恵は優しくエールを送ってあげ、一年一組の教室をあとにした。

掃除の後、教室を見渡すと紬の他にも、七人はいた。うち六人が男子だ。

光司もいた。余裕の構えか、ラノベを読みながら待機していた。

「一緒に頑張ろうね」

 一つ前の席に座る、紬以外の唯一の女子が優しく声をかけてくれる。

「うん、今回は他に女の子がいてくれて嬉しいじょ」

 紬はちょっぴりやる気アップ。

教室の時計の針が午後四時ちょうどを指してほどなく、

「グッイーブニン、それでは、再試験を始めますでー」

山ノ内先生はいつものように編み笠法被袴姿足袋&下駄履きで、カッポカッポと足音を立てて颯爽と現れ教室に入り込んで来た。休まず再試験用の問題用紙と解答用紙を八人のクラスメート達に配布していく。

「それじゃ、始めてくれ。カンニングするならわしにばれんようにな」

 この合図で、試験開始。

(おう、本試験と問題ほとんど一緒じゃ。手抜きしたんじゃろうけどラッキー)

 問題を最後までザッと見渡してみて、紬は思わず微笑んだ。確実に分かる問題から順に解いていく。それから約四五分後、

「おーい、麦茶。おはようさん!」

 山ノ内先生は紬の頭の上に、何かをちょこんと乗っけた。

「うわっ、びっくりしたじょ」

紬はすぐさまビクリと反応し目を覚ます。慌てて床に払い落とした。

「ハッハッハ、お目覚めじゃな」

 山ノ内先生は大きく笑う。

「もう山ノ内ぃ、何するんよぅ? 『坊っちゃん』に影響受け過ぎじゃ」

 紬は迷惑そうに言い放つ。イナゴだったのだ。

「佃煮にするとナイステイストなんやけどな。そんなことより、テスト終了や。あと集めてないん、麦茶だけやで」

 山ノ内先生はさらりと告げる。

「え!? もう終わりなん? ワタシまだ、ほとんど埋めてないんよーっ」

「自業自得や。集めますでー」

「あーん。不可抗力なのにぃーっ。山ノ内、ちょっと待って。せめてあと二、三分」

 紬はかなり焦っている。

「それはあかん。わしはせっかちやさかい。そんじゃわし、阿波おどり部と文楽部と女子硬式野球部と水泳部と天文部の見回りに行って来るわー。ほな、おおきに」

けれども山ノ内先生はおかまいなしに紬の答案をパッとすばやく奪い取り、教室から走り去っていった。

(山ノ内のアホゥー。まあ、ワタシも悪いんやけんど)

 紬は若干罪悪感に駆られながら教室を出て、廊下を歩き進んでいく。

「紬ちゃん、再試験お疲れ様。出来はどうだった?」

 典恵と貴晴は下駄箱前で待ってくれていた。

「最悪じゃー。途中で寝てしまったじょ。チカちゃんに面目立たんじょ」

 紬はげんなりとした表情で伝える。

「まあまあ、気を落とさずに、結果を待とう」

「野々瀬さん、そんな状況に陥った時って、意外と良い点取れてるものだから」

 典恵と貴晴は優しく慰めてあげたが、

「絶対再々試験になっちゃうよぅ」

 紬の気分はさほど晴れず。

このあと三人は校内裏庭へ。今日は畑に植えられてあるさつまいもを収穫する。品種は鳴門金時だ。六月半ばに苗を植えていたのだ。

「おイモさん、おイモさん。私、この日をずっと待ってたよ」

 一番喜んでいるのは典恵だった。中腰姿勢になってさつまいもの葉っぱを眺める。

三人は動物避けの防護ネットを取り外した後、スコップ片手にイモ掘り作業を始めた。

「思ったより引き抜き易いな。昨日昼過ぎまで雨降ってたからかな?」

「きっとそうだね」

 貴晴と典恵がそんな会話をしながら土を掘っていた時、

「ノリエちゃん、タカハルくん、これ、抜けないんよ。かなり大物みたいじゃ」

 紬は葉っぱと茎の部分を持って、懸命に引っ張り続けていた。

「紬ちゃん、私に任せて!」

 交代して、典恵が挑戦するも、

「……あっ、あれ? 全く動かせないよぅ」

 全く歯が立たず。

「俺も手伝うよ」

貴晴も快く協力してくれることに。

「三人で一緒に引っ張ろう。貴晴くん、私の背中掴んで」

 典恵はこう提案する。そんなわけで貴晴は典恵の腰の辺りをつかみ、典恵は紬の腰の辺りをつかみ、紬は本体を引っ張った。こうして三人で力を合わせ、ようやく引き抜くことが出来たのだ。

貴晴は勢い余って地面にドシンッと尻餅をつく。

「いたたた、あの、典恵ちゃん、早く、退いて、欲しいな」

 彼のおへその辺りに、典恵のおしりがどっかり。ズボンが少しずれて、花柄のショーツも見えてしまっていた。

「ごめんね、貴晴くん」

 典恵は慌てて立ち上がり、ズボンを引っ張り上げる。その後、貴晴の方を向いてぺこんと頭を下げた。

「ロシア民話『大きなかぶ』のさつまいもバージョンじゃね。こんなのがとれて、めっちゃ嬉しいじょ。ワタシの気分もすっかり晴れたよ」

 紬はにっこり微笑む。そのさつまいもは、十本以上は絡み合っていた。

「大きなかぶ、小学校の時、学習発表会の劇でやったよね。私はねずみさんの役だった」

「ワタシはお婆さん役やったんよ。懐かしいじょ。さてと、おイモ掘りのあとは、これをやらなきゃね。事前に美馬に許可は取ったよ」 

 紬はそう伝えて、通学鞄の中からチャッカマンとアルミホイルを取り出した。

「さすが紬ちゃん、準備がいいね。焼きイモ、焼きイモーッ」

 典恵は満面の笑みを浮かべて喜ぶ。

 三人は落ち葉や枯れ枝を集め、おイモを三本、アルミホイルに包んでその中に埋めて、火をつけた。しばらくのち、香ばしい香りが漂ってき出した頃、

「ぃよう、おまえさんら。いいもん作っておるな」

山ノ内先生がどこからともなくひょこっと現れた。

「げっ、最悪じゃ。一つもやらんよ。帰った、帰った。しっし」

 紬は迷惑そうな表情を浮かべる。

「ハッハッハ。わし、焼きイモなんか子どもの頃から飽きるほど食うてるから取らへんって。おまえさんら焚き火始めよったさかい、面白いもんお見せしてあげようと思うてな。あのことわざや」

「あああーっ、山ノ内先生、それは絶対やめてぇーっ! 危険です。心臓に悪いです」

 典恵は大声で叫んで懇願した。

「桑内よ、よう勘付いたな。大当たり! さすがやな。わし、今から『火中の栗を拾う』をビジュアルでお見せ致します。ことわざっちゅうんもやはりビジュアルで体験するんが一番脳内にインプットされやすいからな。百聞は一見にしかず、Seeing is believing.や」

 そうどや顔で得意げにおっしゃり山ノ内先生は、右手に持っていた竹籠の中から栗を一粒取り出した。

「これは命より大事な栗、高級丹波栗『銀寄』やっ!」

「ダメダメダメェェェーッ!」

 典恵は目にも留まらぬ速さでそれをパッと奪い取り、遠くへ投げ捨てた。

「おう、きれいな放物線運動や。今年度一年一組の傾城、桑内よ。斜方投射で一番飛距離を出せる仰角45度に限りなく近かったからな。それより残念やったな、まだまだいっぱいあるから」

 山ノ内先生がにやけ顔でそう伝えると、

「えぇぇーっ!」

 典恵はさらに慌てふためく。

「山ノ内、やめて下さい」

 紬も止めに入った。しかし山ノ内先生は学習した。

「おまえさんらに届くかな?」

今度は手を上に伸ばし籠を高く掲げ、二人に届かないようにしたのだ。

「俺ならなんとか届くかも」

 身長一六七センチの貴晴も助けに加わろうとした。その時――。

「アホノウチ、こんな所で油売ってたんですか!」

 と、一人の女生徒の叫び声が聞こえた。

「あっ……見つかってしまった」

 その瞬間、山ノ内先生の動きがピタッと止まる。

「園芸部員の皆さま、アホノウチが多大なご迷惑をおかけしたみたいで、本当に申し訳ございません。すぐに片付けますので」

この隙に、その子は山ノ内先生の後首襟をぐいっと掴んだ。

「オーマイゴッド、あともう少しやったのにぃーっ」

 こうして彼はずるずる引き摺られ、連れ戻されていったのであった。

「どなたか知りませんが、ありがとうございました」

 典恵は深々と頭を下げ、お礼を言っておいた。

「おそらくは天文部の子じゃろう。これで邪魔者は消えたね」

 紬は近くの用具置き場にあったトングを使っておイモを全て掴み、アルミホイルを除けた。一人一本ずつ手に取る。

「美味しいーっ。太っちゃいそう」

「甘くて最高じゃ。さすがは鳴門金時じゃね」

 一口齧った瞬間、典恵と紬に満面の笑みが浮かぶ。

「店で買ったやつよりも美味しく感じる」

 貴晴も満足げだ。

きちんと火の後始末をして、本日の部活動は終了。もう午後六時を過ぎ辺りは真っ暗だ。収穫したおイモの残りはスーパーの袋に詰めて、お土産としておウチへ持ち帰ることに。

途中で紬と別れ、貴晴と典恵、二人で一緒にしばらく歩いていると、

「やっほー、帰る時間たまたま一緒になったね」

真輝と出会った。こうして残りの道は、三人一緒に帰っていく。

 午後六時半頃に貴晴と真輝が帰宅し茶の間に向かうと、

「おかえりーっ、貴晴お兄ちゃん、真輝お姉ちゃん、帰りに一緒になったんだね。かずら橋、すっごく楽しかったよーっ」

 千花が駆け寄って来て嬉しそうに報告してくる。

「かずら橋か、懐かしい。貴晴、途中で動けんなって泣いとったね」

 真輝はくすっと微笑む。

「姉ちゃん、思い出させるなよ。あそこのキャンプ場も、幼稚園から小学校の頃、家族で夏休みに行ったよな。典恵ちゃんや野々瀬さんも誘って」

「かずら橋は身の毛がよだつ恐ろしさでしたが、名物の祖谷そばとでこまわしも堪能出来て、楽しかったです」

「大歩危もけっこう見所満載だったわ。わたくし達の住んでる国じゃあんな壮大な景観眺められないもの」

 大里と純美子も満足げな様子だった。

「そっか。今日は楽しい思い出がいっぱい作れたみたいだね」

「それにしても、あんた達、いろんな妖怪グッズとかお菓子とかその他いろいろ、いっぱい買ったのね」

 真輝は、茶の間に置かれていたそれらを眺め、眉をくいっと曲げる。

「申し訳ございません。今日は土産物類を買うだけで二万円近くも使ってしまいました」

「ついつい買い過ぎちゃったの。ごめんね」

「あたし達の住んでる所じゃ、手に入らないレアな物ばかりだったもんね」

 三姉妹は決まり悪そうに伝える。

「あんた達、立場分かってるの?」

 真輝はため息をついた。

「まあまあ真輝、せっかく観光に来たんだから、思う存分楽しんだっていいじゃない」

「お母さんがお金渡し過ぎるから、この子達、こんなに無駄遣いしたんよ」

「真輝も人のこと言えないでしょ。お部屋見るたびにいろんなグッズがどんどん増えてきてるし」

 母に笑顔で突っ込まれると、

「そっ、それは……」

 真輝は反論出来なかった。

「姉ちゃんも部屋飾りの雑貨とかマンガとか、けっこう無駄遣いしてるよな。みんな、今日はさつまいも収穫して来たから、庭で焼いもパーティしよう」

 貴晴がさつまいもの詰められた袋を通学鞄から取り出してかざすと、

「わぁー、おイモさんだぁ!」

「お土産ありがとうございます、貴晴さん」

「貴晴ちゃん、気が利くわね」

 三姉妹はとても喜んでくれた。

 このあと、川真田宅裏庭にて焼いもパーティを行うことに。

 三姉妹が落ち葉や枯れ枝を集め、母がマッチで火をつけてくれた。

「貴晴、こんなにいっぱい収穫しちゃって。うち、太っちゃうじゃない」

「姉ちゃん、そう言いつつめっちゃ食ってるじゃないか」

「落ち葉で焼きイモ、日本の秋の風物詩ですね」

「し○かちゃんの大好物だね。このさつまいもさん、甘くてすごく美味しい♪」

「やっぱり焼き立ては最高ね。こういうイベントが楽しめるとは思わなかったわ」

 真輝も三姉妹も大いに満足出来たようだ。

 そのあとは応接間にて、昨日と同じ座席配置で夕食会。今夜は寄せ鍋だった。

「もーらった」

「こら千花、この肉団子、わたくしが最初に目に付けたのよ」

 昨日と同じように千花と純美子、争奪バトル。

「もう、お行儀良く食べなさい! お汁が跳ねて火傷するわよ」

 真輝は不機嫌そうに注意する。

 夕食後。貴晴は、この家では二日振りの入浴。広々とした湯船に浸かってゆったりくつろいでいたところへ、

「貴晴お兄ちゃん、一緒に入ろう」

「貴晴さん、ご一緒しますね」

「お邪魔するわね、貴晴ちゃん」

 三姉妹がいきなり入り込んで来た。千花はすっぽんぽん姿で。

「うわっ!」

 大里と純美子は肩から膝の辺りまでバスタオルを巻いていたものの、貴晴は当然のように慌てる。

「貴晴ちゃん、わたくしと大里は、ちゃんと気を遣ってクレープみたいにタオル巻いてるんだから、そんなに慌てなくてもいいじゃない。それに、家族同士は男女の区別なく一緒に入浴するのが普通でしょ? わたくし達も川真田家の一員だから」

「いつから俺の家族になったんだよ?」

 貴晴は呆れ返る。

「昨日からよ。なにより貴晴ちゃん一人で入るには広過ぎるでしょう?」

 純美子はにこにこ顔で問いかける。

「それは、そうだけど、いつも俺一人で入ってるし」

 貴晴が困っていたところ、

「ちょっと、ちょっと、あんた達、貴晴に何しようとしてるのよ」

 真輝も入り込んで来た。彼女は千花と同じくすっぽんぽんだった。

「裸のお付き合いよ」

 純美子はすかさず答えた。

「裸のお付き合いよ、じゃないわよっ!」

 真輝は怒りに満ちた表情で純美子のおっぱいを両手で押し、壁際まで追い詰める。

「あっ、あのう、真輝ちゃん、どうして、そんなに、怒っていらっしゃるのかしら?」

 純美子はやや怯えながら、不思議そうに問いかける。

「貴晴に不健全なことしようとしたからやっ!」

 真輝は険しい表情でこう答えた。

(俺の目の前でも平然と裸になる姉ちゃんの方が、よっぽど不健全だと思うんだけど……)

 貴晴は壁の方を向いて、心の中でこう思う。

「艶やかな体さらけ出してる真輝ちゃんの方がずっと不健全だと思うわ」

 純美子も彼と同じような考えだった。真輝の腰の辺りをガシッと掴む。

「マワシなしのお相撲ごっこだぁーっ! のこった、のこった!」

 千花は嬉しそうに大声で叫ぶ。

「日本の伝統文化、相撲はわたし達の住む街でも子ども達の間で流行っていますよ」

 大里はにっこり微笑んだ。

「うちの裸は貴晴が赤ん坊の頃から見せ慣れてるのっ! せやから貴晴にとっては全然性的なものじゃないねん」

「そうかしら? 貴晴ちゃん、とっても気まずそうにしてるわよ。千花も行司さんごっこ始めたし、この体勢になったことだし、わたくしと力比べしましょう」

「望むところよ!」

「強気ね。さすが日本人、大和魂。でも真輝ちゃん、わたくしより二〇センチ近くも背がちっちゃいし太ってもないから、わたくしの勝ちは決まりね」

「体が大きいからってうちに勝てるとでも思ったら大間違いやっ。そりゃぁっ!」

 真輝は純美子の腰を両手で掴むや高々と吊り上げ、ぶんっと放り投げた。

「嘘ぉ! きゃっ!」

 純美子は湯船にぼっちゃーんと突っ込む。

「真輝お姉ちゃん、力すごーい。純美子お姉ちゃんよりずっとちっちゃいのに軽々と投げ飛ばしちゃったぁー。ただいまの決まり手は……吊り落としかなぁ?」

 千花はにっこり微笑み、パチパチ拍手した。

「……」

 貴晴の頬がカァッと赤くなる。純美子の巻いていたバスタオルが解け、すっぽんぽんになった状態をばっちり見てしまったのだ。さらに純美子の唇が貴晴の頬に直撃していた。

「ごめんね貴晴ちゃん、ファーストキス、奪っちゃった? それとももう典恵ちゃんと」

 純美子はゆっくりと自分の唇を貴晴の頬から放し、にやけ顔で質問する。

「たっ、貴晴の唇が、純美子ちゃんに!」

 真輝は怒りに満ちた表情だ。握りこぶしも作る。

「真輝ちゃんがわたくしを投げ飛ばしたせいでしょ。自業自得よ」

 純美子はくすっと笑った。

「否定は出来へんけど、こうなったら……んっ」

 すると真輝は、大胆な行動をとった。その瞬間、

「ねっ、姉ちゃん、何てことを……」

 貴晴の頬はさらに赤くなった。のではなく、逆に瞬く間に蒼ざめた。

 真輝は今しがた貴晴の唇に、チュッとキスをしたのだ。三秒ほど。

「あらぁ、禁断の恋」

 純美子はにやける。

「貴晴お兄ちゃんと真輝お姉ちゃんの唇と唇とが完全非弾性衝突だぁ!」

 千花も嬉しそうに叫ぶ。

 大里はこんな状況にも惑わされず、風呂椅子に腰掛け髪の毛を洗っていた。

「これでおあいこや」

 真輝は純美子を睨みつけながら言い、風呂椅子にどかっと腰掛ける。

「汚なっ」

 貴晴は湯船に接する水道の蛇口を捻り、唇をすすぎ始めた。

「ちょっと貴晴、失礼よ」

 真輝はむすっとなる。

 そんな時、浴室の扉がガラガラッと開かれた。

「賑やかそうにしてたから、来たよー」

 そしてこんなのんびりとした声が――。

「のっ、典恵、ちゃん……」

 貴晴は咄嗟に目を覆う。

「あらっ、典ちゃん。いらっしゃい」

「典恵お姉ちゃんだぁーっ、いらっしゃーい!」

「典恵さん、こんばんはです」

「いらっしゃい。わたくし達の騒ぎ声、典恵ちゃんちまで聞こえてたのね」

 他の四人は温かく歓迎した。典恵は昔から時たま、川真田宅のお風呂を頂きに来るのだ。

「はい、丸聞こえだったよ。私、ちょうど入ろうとしたら、みんなの声が聞こえて来て、楽しそうだったから」

 ちなみに川真田宅の浴室と、桑内宅の浴室は低い塀越しに向かい合っていて、双方の窓が開いていれば互いの浴室をなんとか覗けるようにもなっている。

「典恵ちゃん、来るなら俺が入ってること確認してから」

 貴晴は湯船から飛び出し、浴室から逃げて行こうとするが、

「貴晴お兄ちゃん、待ってぇー」

 千花に通せん坊され阻止された。

「……」

まだつるぺたな幼児体型だが、貴晴は目にした途端思わず視線を逸らしてしまう。

「大丈夫だよ、私、タオルでしっかり隠してるもん。貴晴くんだって前隠してるでしょ。一緒にプールに入ってるようなものだよ」

 典恵は貴晴の下半身をちらっと見て、にこやかな表情で主張した。

「そういう問題じゃないって」

 それでも貴晴は居た堪れなく感じ、千花の横をさっと通り抜け浴室から出て行った。

「あーん、逃げられちゃったよ」

 千花は舌をぺろっと出した。

「貴晴くん、なんでそんなに恥ずかしがるのかなぁ? んっしょ」

 微笑み顔の典恵は風呂椅子にゆっくりと腰掛ける。貴晴がいなくなったということで気兼ねすることなくバスタオルを外し、すっぽんぽんになった。シャンプーを出して髪の毛を洗っている最中に、

「典ちゃん、この子達、淫乱だから気をつけてね」

 すぐ隣にいる真輝は真顔で警告する。

「真輝ちゃん、そんな言い方したら失礼だよ。かわいそうだよ」

 典恵は髪の毛を擦りながら、困惑顔を浮かべた。

「真輝お姉ちゃん、淫乱ってなぁに? 教えてー」

 千花が顔を近づけて質問してくる。

「そっ、それはね」

 真輝が困っていると、

「千花はまだ知る必要のない難しい日本語ですよ」

 大里が慌てて説明。彼女はその単語の意味を既に知っているようだ。

「それにしても、みんな髪の毛染めてるのかと思いきや、地毛のようね」

 真輝は三姉妹がシャンプーを付けても髪の色が落ちないことに、少し不思議がる。

「あたしも純美子お姉ちゃんも大里お姉ちゃんも、赤ちゃんの頃から髪の毛この色だよ」

「染めてるかと思ってたのか。まあ、地……日本人にはそう思われても仕方ないわね」

「わたし達の住むト……村の人々は、髪の色のバリエーションがその他地域に住む人々以上に豊富なんです。ちなみにわたし達姉妹のお母さんの髪の色は水色ですよ」

 大里からされた説明に、

「そうなんだ。アニメキャラみたいなカラフルな髪の色の民族って、実在するのね。マチ★アソビの時には街中や眉山でこんな感じの子いっぱい見かけるけど、あの子達はコスプレだから染めてるかカツラ被ってるかだし。世界は広いわね」

 真輝はハッとさせられていた。

「典恵お姉ちゃん、一緒に遊ぼう」

 千花が水鉄砲を差し出して誘ってくる。

「もちろんいいよ」

 典恵は受け取って、快く誘いに乗ってあげた。

「典恵お姉ちゃん、くらえーっ!」

「きゃあっ、やられたー。千花ちゃん強い。私も負けないよ」

「あーん、典恵お姉ちゃん、わきの下はくすぐったいよぅ」

楽しそうに一緒に撃ち合う。

「典恵ちゃん、ご迷惑かけてごめんね。この子、小四のわりには幼くて」

 純美子は申し訳無さそうにしていた。

「いえいえ。私、ちっちゃい子どもは大好きですから」

 典恵はじゅうぶん楽しんでいるようだ。

 同じ頃、 

「疲れが取れるどころか、くたびれたー」

 貴晴は自室に入って、椅子にどかっと座り込んだところだった。

 とりあえず化学の教科書をぼーっと眺めてしばらく過ごしているうち、

「貴晴お兄ちゃん、一緒にテレビゲームしよう!」

「貴晴ちゃん、美術の宿題の人物デッサンでモデルになって欲しいんだけど、いいかな?」

「貴晴さん、百人一首で遊びましょう」

 風呂上がりの三姉妹がノックはしたが許可は取らずにすぐに入り込んで来る。

「勘弁して。俺、明日遠足だからあんまり夜更かしするわけにもいかないし」

「どちらへ行かれるのですか?」

 大里はにこやかな表情で表情で尋ねる。

「鳴門公園」

 貴晴は疲れ切った様子で答えた。

「鳴門公園かぁ。あたし達も四年ほど前に家族旅行で神戸行った時ついでに寄ったよ」

「鳴門の渦潮は壮観でしたね。大塚国際美術館も、展示品は全て贋作ではありますが素晴らしかったです。皆さん、貴晴さんが明日ばてないように、早めに寝かせてあげましょう」

「はーい。貴晴お兄ちゃん、おやすみー」

「貴晴ちゃん、遠足前夜だからってあんまり興奮し過ぎないようにね。おやすみ♪」

 三姉妹は速やかにお部屋から出て行ってくれた。

 それからさらに数分のち、

「姉ちゃん、今夜も俺の部屋で寝るつもりなのかよ」

「うん、まだ安心出来んねんもん」

 真輝が昨日と同じく貴晴の自室に布団一式を運んで来た。

「俺はもう寝るから。明日遠足だし」

 貴晴はそう伝えて椅子から離れ、布団に潜る。

「貴晴、うちがお弁当作ってあげよっか?」

「いらないって。レストランで食うから」

「あーん、頼りにして欲しいのに。それじゃ、おやすみ。うちはもうしばらくしてから寝るから」

 真輝はこう伝えて自室へと戻っていく。

 夜十一時半頃。

「こんばんはー、真輝ちゃん」

 真輝の自室に、純美子が入り込んで来た。

「何よ? うち今原稿作業で忙しいねん」

「ちょっと、頼み事が……あの、人物デッサンのモデルになって。美術の宿題になってて」

「嫌っ! 恥ずかしいことさせないで」

 真輝は純美子からぷいっと顔を背け、原稿作業に戻る。

「真輝ちゃん、ヌードデッサンかと思ったでしょ?」

 そんな仕草を見て純美子はくすっと笑った。

「……そっ、そんなことは、ないわよっ!」

「もう、照れなくっても。丸分かり♪」

「とにかく、あなたの描く絵のモデルになんかにはならんからねっ!」

「あーん、残念。それじゃ、代わりに、わたくしを膝枕して」

「なんでよ?」

 真輝は眉をくいっと顰める。

「わたくし、長女ゆえに大里と千花の面倒見てばっかりで。甘えさせてくれるお姉ちゃんが欲しかったの。ほんの数秒だけでいいので」

 純美子にきらきらとした瞳で見つめられると、

「……しょうがないなぁ」

 真輝は十秒ほど悩んだのち、嫌々ながらも引き受けてあげた。

「ありがとう、真輝ちゃん、おやすみなさい」

 純美子は真輝のお膝にぽすっとお顔をうずめる。

「こらこら、寝たらあかんよ」

 真輝は不愉快そうな表情を浮かべながら、Gペンの先端で純美子の後頭部をこちんっと叩いた。

「あいてっ。ごめんなさい。ぷよぷよしてあまりに気持ち良くって。それにしても真輝ちゃん、ちっちゃいのにとっても強いわね。わたくしがあんなに軽々と投げ飛ばされちゃうなんて。ひょっとして、柔道やってました?」

 純美子がくいっとお顔を上げて質問すると、

「うん、中学まで、部活で。高校でも授業でやったんよ」

 真輝は照れくさそうに打ち明けた。

「そっか。真輝ちゃんが強いはずだ。そういえば、紬ちゃんって子にもわたくしあっさり投げ飛ばされちゃったんだけど、ひょっとして」

「あの子は小学校時代まで、柔道じゃなくて相撲を習ってたんよ。この地域の小学生相撲大会で男の子に交じって準優勝の経験あるし、かなり強かったわよ」

「そうなんだ。どうりで。真輝ちゃん弟の貴晴ちゃんとすごく仲良さそうね。真輝ちゃんがわたくし達に敵意を持ってるのは、貴晴ちゃんを素性の知れないわたくし達から守ってあげたいって思う気持ちが強いからなんでしょ?」

 純美子にしつこく問い詰められると、

「そりゃぁ、うちのかわいい弟なんやもん」

 真輝はさらに照れてしまう。

「そっか。わたくしも大里や千花を守ってあげたいって思う気持ちは強いから、真輝ちゃんの気持ちは良く分かるわ。それじゃ、真輝ちゃん、おやすみ♪」

 純美子は真輝の体から離れると就寝前の挨拶をして、割り当てられたお部屋へと戻っていった。

(不覚にも、あの純美子ちゃんって子に添い寝したいなと思っちゃったわ。ってインクが原稿にこぼれとる。完成しかけの一ページ台無しやー。やっぱりあの子は許せへんわ、貴晴にキスしたし、いや、あれはうちのせいやぁー)

 真輝はどこに怒りをぶつけていいのやら分からない心境に陥ってしまった。頭を抱え、机に突っ伏してしまう。


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