1話 昼休み《ブレイクタイム》


「はぁ~」

 せっかくの昼休みだというのに深いため息がもれた。周囲は浮かれ気分で「学食いこうぜー」とすでに廊下へ出たり、弁当組は楽しげに輪をつくったりする。

「どうした? 腹減って死にそうなん?」

 軽々しい声が聞こえ、私の気分がさらに落ちる。

「女子に向かってその言い草はひどいし。お腹は減ってるけど」

 ふてくされながら答えると、前の席に座っていたアイノ君が小馬鹿にしたようにケラケラと笑った。入学式の日から全く人見知りせず話しかけられて、それは今も継続中。最初(今も)はチャラい奴と思ったけど、毎日続けば日常に変わる。もしかしたらクラスで一番話しやすいかもしれない。総会話時間プレイタイム、計測不能。

「外に食い行こうぜ。パスタ」

「パスタって言っておけば間違いないとか思ってるでしょ。バスタ好きだけど」

 アイノ君は「決まりっ」と指を鳴らしながら立ち上がり、私を急かした。段々状になってる教室を軽やかに降りていく。この軽いノリを半分でも分けてもらいたい。

「早いなぁ……」

 手を振るアイノくんのから視線をずらし、もうすでに姿のない市村くんの席を一瞥する。たった一人いないだけで教室にぽっかり穴が空いている気がした。

 市村くんは授業が終わるや否や、誰よりも早く教室を出る。気になって後をつけようとしたこともあったが、最後列からだと私が教室を出る頃には見失ってしまう。

「おい何やってんだー。早く行かないと混んじゃうぞー」

 垂れ目の眉根を寄せながら、アイノ君不機嫌そうに茶髪の頭を掻く。私は市村くんの席から目を離し「今行くー」と急ぐそぶりを見せながら扉の方へ向かった。

 今日も特別ではない昼休みが始まる。特別がひしめき合うあおはる学園高校の中で、私には特別になる権利がなかった。


「昨日の月9見た?」

「うん見た。早くも続きが気になるよー」

 講義棟を出てフードコートへ向かうキャンパス内を歩く。コンビニのレジ袋を持っている生徒が多く、ベンチでパンをかじる姿を見ると、ただのコッペパンも美味しそうに見えた。

「アイノ君って毎日外で食べてるの?」

「毎日食べてるよ」

「アオ高って飲食店多いよね。激戦区」

「せっかくアオ高に入学したんだから楽しまないと」

「うーん、その貪欲さは私にはないなぁ」

「ユイはここの生パスタ食べたことないんだよな? マジで美味いぞ」

「それは楽しみ」

 話半分に聞き流すと、アイノ君はしかめっ面を浮かべながら地面を蹴った。くるぶし丈のデニムパンツは男性ファッション誌で今年の流行と特集された、らしい。ボーダーのシャツもはやり流行を意識してるのだろうか。

 悔しそうに唸りながら「絶対に感謝させてやる」と思い切り指をさされる。

「人を指差すなんて失礼だなぁ」

 ついとそっぽを向くと、アオ高が誇るアリーナが視界の端に映る。私は入学式で一度入ったっきり。体育の授業ですら使うことはない。特別な場所。

「やっぱりすごいよね」

「何が?」

「バスケ部専用のアリーナ。何人くらい入るのかな」

「ああ、アリーナね。確か三千人。俺たちが入れるのはバスケ部の試合観戦か体育祭ってとこか」

「詳しいね」

「アオ高に入学したし」

「市村くんはあそこで練習してるんだね」

「そうだな。世代別の日本代表。そんな奴が同じクラスとかビビるし」

 この学校には特別がある。そのひとつが奨学金制度スカラシップ。野球、サッカー、テニスなど、日本でも盛んな競技は特に優遇される。バスケももちろん含まれる。

「不思議だよね。スポーツ特待生なのに私たちと同じCクラスで勉強も頑張ってるんだもん」

「市村はアメリカの大学進学を志望してるからなぁ。向こうだと勉強も一定以上の成績がないとバスケをさせてもらえない規定なんだよ」

「そうなんだ。本当に詳しいね。アイノ君ってバスケとかやってたの?」

「いや、やったことはないけど少し興味を持って調べただけ」

「そっか。まあアイノ君がアオ高のバスケ部に入っても絶対すぐ辞めちゃうもんね」

「ぶっとばすぞ」

 アイノ君がわざとらしく拳を振り上げる。私もムキになって「殴ってみれば?」と意地の悪いことを言うと、軽く肩を小突かれた。

「いた、全治三ヶ月だなぁこりゃあ」

骨粗鬆症こつそしょうしょうを心配したほうが良いレベルだな」

「ひど。ろくでなし」

「うるせえなぁ、分かったよ。生パスタおごってやるから許せ」

「やりぃ」

 私ができもしない指パッチンをすると、アイノ君は「こうだ」と手本を見せる。言うだけあって軽快な音が心地よく鳴り響いた。悔しいがうまい。


「うまいだろ」

「うん、美味しい」

 フードコートの一角にあるパスタ屋さんで、私は舌の上で太麺を転がした。

「ミートソースも濃厚で、麺がもちもちしててしっかりしてる。アイノ君とは正反対だね」

「おごられてるくせに何様だし。そしてどや顔で批評すんな」

 イタリアンバル風のおしゃれな作りで、女子生徒の比率が多い。なぜかお酒も並んでいるがメニューにはない。もしかしたら夜な夜な先生たちが一杯ひっかけているのだろうか。カウンター席の向かいにあるキッチンでは筋肉質な紳士風なおじさんが寡黙にグラスを拭いている。若いスタッフが忙しなく動く中、彼だけはほとんど動かない。不気味な存在間をかもし出す。私は勝手に彼をマスターと決めつけた。

 アイノ君はフォークにパスタをからめると、口を大きく開けて頬張る。男子らしい豪快な食べっぷり。

「服汚れちゃうよ。アイノくんなりにおしゃれに気を使ってるっぽいんだからさ」

「俺なりってなんだ。ちゃんとスプーンの上でパスタ巻いてるから平気だし」

 スプーンの上に竜巻みたいなパスタの渦ができる。私服制度のアオ高ではファッションもひとつの個性。ニット生地のボーダーシャツに薄手のカーディガンを羽織った爽やかなコーディネイト。ミートソースが跳ねてそうでどきどきするが、アイノくんはかまうことなくパスタを水で流し込みんで、わずか一〇分でたいらげた。

「せっかく美味しいのにもったいない」

「早く食べないとおしゃべりタイムが減っちゃうからな」

「本当にしゃべるの好きだよね。女子か」

「ユイもさっさと食べろ。女子か」

「女子だ」

 私はアイノ君にはかまわず自分のペースで咀嚼そしゃくする。弱めの間接照明は落ち着いた雰囲気で、大学生か社会人にでもなった気分。

「私たちって運がいいね」

「純粋にそうだな。Cクラスなんて倍率がすげえ高いだろうし」

 この学校には普通がある。中学の学業も運動神経も人並み。一芸を持っているわけでもない。

「だからこそ私は少し引け目に感じちゃうなぁ。なんで私がみんなと同じ敷居を跨いでるんだろうって」

「何言ってるんだ。四割が俺らと同じCクラスだからむしろ大衆だし」

「ポジティブだなぁ」

「せっかくアオ高に入学したんだからな」

「だね」

「さっさとパスタ食え」

「うるさい」

 私はフォークへパスタを多めに巻きつけると、大口を開けた。以外と量が多い。ハムスターみたいに頬張ると、アイノ君はお腹を抱えて「なんだそりゃあ」と笑う。文句を言いたいが、口内のパスタに阻まれて何を言っているのか伝わらない。しかし本当にモチモチ感が美味しいから、じっくりと味わう。毎日外で食べている人間は伊達じゃない。褒めたくはないけど。

 望んでもいないのに今日もまたアイノくんと昼休みの一時間分を過ごしてしまった。それを本人に伝えると「嬉しいだろ?」と言葉をそのまま受け取ってくれない。根拠のないポジティブさは素直に羨ましいと思った。

 なんだかんだアオ高の学園生活でもっとも気兼ねしない日常のひと時。だからこそ少しばかりの焦りと不安を煽った。せっかくアオ高に入学したのにこのままで良いのかと。

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