かわたれ

たびー

第1話 かわたれ

「そういえば、筧先生はご存じでしたか?」

「なにをでしょうか」

 振り返った筧の涼やかな瞳で見られると、吉本は胸がクッと苦しくなった。

「座敷童のこと。噂じたいは結構まえからあったんですが、女子生徒たちが秋あたりから見たって騒いでいるんですよ」

 筧と同時にこの高校に配属になってから三年、同年代の筧の存在になれてもいいはずなのに、吉本はいつも緊張する。長い時間、二人きりでしかもこんなに話すのは初めてだ。

「高校に、座敷童ねえ。座敷もないのに」

 廊下に並ぶ引き戸を一枚ずつ開けて、教室の中を確認する。

 六時間目終了のチャイムが校舎に鳴り渡る。生徒たちの声が昇降口の方向から、かすかに聞こえた。

 今は春休みで新年度へ向けての準備期間だ。生徒の忘れ物がないかどうか、職員が手分けして調べている。

 窓の外は雪混じりのみぞれで、今年は春が遅いようだ。ようやく言葉を交わせたのに、今日を最後に筧は異動でここを去っていく。学校事務員の吉本は自分からろくに行動も起こさず、片恋の相手を見送るしかない。

「見かけると、両思いになれるとか、そんなことらしいですけど。黒板に小さな手形がついてたりするんですって」

「へえ」

 筧は長い指を折り曲げて唇に軽く当てた。左指のリングが鈍く光る。二年前に知り合ったときから、筧はリングをしていた。けれどその少し前に吉本は仕事柄、教職員組合のつながりから聞いていたことがある。

 妊娠中の奥さんを事故で亡くされた先生がいる、と。

「そんなの、だれでもできそうなイタズラじゃないですか」

「ええ。でも、鍵のかかった音楽室から子どもの歌声が聞こえたとか、廊下の先を横切っていく小さな影を見かけたとか」

 廊下に出ると、体育館からボールをつく音がした。

「近所の子どもが校舎に紛れ込んだのでは」

「まさか。それにここは官庁街だから民家なんてほとんどないし」

 確かにそうですね、と筧は机の中を一つ一つ確かめながら答えた。

 官庁街のなかにある高校は建物に囲まれ校庭が狭い。保健所と営林署の裏手にあって、西隣はすぐにコンクリで補強された崖、東どなりは総合病院だ。民家は坂道をくだった先に何軒か。元は城下なので住宅地ではないのだ。

「いまさらですが、お忙しかったらいいですよ。私一人で見回りしますから。片付けがあるのでしたら」

「いえ、もう昼過ぎには終わりました」

 筧の次の赴任地は沿岸の高校だ。今日来ている教師の大半は異動のための片付けだ。筧は手際よく済ませたらしい。

 確認し終わって廊下に出ると、校舎裏を行く生徒が見えた。吉本は二階の廊下の窓を開けて学生に声をかけた。

「気をつけて帰りなさい。裏道は使っちゃダメよ」

 鞄をしょった三人の女生徒は、肩をすくめてから、はーいと返事をした。外は名残の牡丹雪だ。裏道の坂はきついから、今日のような天候だと足を取られて転んでしまう。生徒たちが正門に回ったのを見届けてから、窓を閉めようとした吉本の鼻が鍋を焦がしたような匂いをとらえた。

「さっきの子たち、家庭科部だったかしら」

 なにか部活の調理で失敗したのかもしれないと思いながら、窓に鍵をかけて待っていた筧のところへ戻り、次の扉を開けた。

「座敷童というと、柳田国男の『遠野物語』かな。生徒たちのイメージは」

「そうでしょう。振袖を着た小さな女の子で、見た人に幸運をもたらす」

 吉本は机の中からメモの切れ端を見つけた。小さな文字でメールアドレスが書かれてある。交換しようと思ったのか、あまり気にしない相手からもらったのか。

 窓際の列からは正門が見えた。何人かの学生が雪ふりの寒いなか傘をさして立っている。

 彼氏、彼女を待っているのだろう。

 女子校出身の自分にはなかった、まるで物語のような一場面だ。吉本は腰を伸ばしてその光景を見つめた。

「でも、柳田国男に遠野の話しを伝えた佐々木喜善は自身が収集した本では全くちがう座敷童を紹介しているんですよ」

「あら、初耳。さすが国語教師ですね」

 筧が前髪をさらりと揺らして微笑んだ。三十代半ばだというのに若々しい。

「佐々木喜善は自身の本の中では、座敷童はひどく小さな老婆だったり、手足がひょろひょろと長くて障子の隙間から部屋に忍び込んできたりと書いてますよ」

「妖怪ですね」

「いや、振袖すがたの座敷童も妖怪ですよ」

 言われればそうだ。姿かたちは愛らしいイメージが世間に流布していても、座敷童は妖怪のカテゴリーに入る。

「そこには、とくべつ幸せになるとは書いていない」

「でも、実際見たって子たちは彼氏ができたとか、告ったらうまくいったとか」

 子どもたちの恋愛事情は、あまりおおっぴらに語られないが、意外なほど職員室内でも周知されている。

 妊娠や中退といったことを招かないためにも、情報共有はなかなに大切だ。

「高校生は、子ども以上大人未満。今年度の卒業生だってすぐに結婚する子もいるでしょう」

 珍しく筧がため息をついた。

「そういえば、筧先生の奥さまは」

「ええ、教え子でした。初任地のときの受け持ちで。成人式がすぎてからのクラス会に呼ばれて再会しました」

 筧は教師と教え子のロマンス、というわけではなく、卒業後のことだと強調する。

「子どもだと思って接していたら、むこうはそうじゃなかった」

「女の子は、大人ですよ」

 同年代の男子より、よほど大人だ。若い新任の教師に恋をしてもおかしくない。まして、その対象が筧ならばなおのこと。今年のバレンタインにも、紙袋二つ分もチョコレートを貰っていた。

 女子高時代の吉本は、そんな生徒たちの熱意にいつも気後れしていた。格別容姿に優れているわけでもない。ごく十人並み……結局いまも男性は苦手で結果三十五を越えても独身のままだ。

「恋愛にかけるエネルギーを勉強に向けたらいいのに」

「それは無理です、かわいそうですよ」

 吉本の言葉に、筧は瞳を見開いた。

「だって、人を好きになる気持ちは自然なことじゃないですか」

 筧があまりに無表情で吉本を見るので、吉本は自分が見当はずれなことを話したかと戸惑った。

「筧先生だって奥さまを好きになられてご結婚されたんでしょう?」

 好きという単語を口にするたびに息苦しくなる。吉本の口のなかは乾いてきた。反対に手のひらは火照り、汗ばんだ。

「……」

 筧は無言で次の教室へ向かう。吉本はあわてて小走りに筧のあとを追った。

 何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。亡くなった妻や子どものをことを思いださせてしまったのか。

「……座敷童がいるのは、家の中心の日の入らない薄暗い座敷」

 教室内を巡回しながら、筧が話し出した。表情を変えずに話していることが、静かな怒りを向けていられるようで吉本は気まずくなった。

「そこは座敷牢のような役目もしていて、不具者や気のふれた家族を閉じ込めたとか」

 日が長くなったとはいえまだ春の始めだ。空から降ってくる雪は霙まじり変わり表は薄暮に沈み始めている。電気をつけようか、吉本は壁際のスイッチを入れようと筧に背中を向けた。

 突然、廊下側の低い位置から壁を軽く叩くような音がした。まるで教室前の廊下を棒か何かで叩きながら歩いていくような。

 吉本は慌てて入り口から廊下を見た。

「え?」

 何も誰もいなかった。しんとした廊下が左右に伸びているだけだ。

「それから、間引きされた子どもだって話もありますよ」

 吉本の行動には関係なく、話は続いていた。吉本はこわごわと視線を筧に向けた。

 筧は教室の中央に立ち、後ろの黒板を見つめていた。

「貧しさから、生まれてすぐの子どもを殺したと。せめてもの償いに座敷童として大切に祀ったとか。ここは元は女子高ですよね。もしかしたら、闇に葬られた赤子が一人や二人いたのかも知れないですよ」

 振り返った筧は、感情を伴わない美しい顔のままで笑みを浮かべた。

 すると、こんどは柔らかい音がした。

 黒板消しが落ちて、床に白い粉をまき散らかしていた。吉本は慌てて拾い上げた。そっと持ち上げたが、スカートにも粉の粒子が舞い散る。

 と、床のうえに小さな足跡が現れた。

「ひっ」

 ぱたぱたぱた……。

 軽い足音をたてて、白墨の粉を踏んだ足跡が筧の元へと伸びていく。

「クラス会に呼ばれて一服盛られて、気づいたら体のうえに……ね。あ、独身の吉本さんには刺激が強すぎたかな」

 吉本は何もかも見透かされたような気がして頬が熱くなった。独身、という言葉に含みを感じる。

「子どもが出来たから、籍をいれたんです」

 筧のスーツの裾が不自然によじれた。まるで小さな手が握っているように。

 近くの机に浅く腰をかけた筧は、吉本を見ている。吉本は、不自然に皺のよる筧のスーツを見ていた。

「そんな、いまでも机のうえに写真を飾っているじゃないですか。それに結婚指輪を外さないのは……」

「ああ、これ? 余計なことを言われたくないからですよ」

 さらりと筧は言った。長く伸ばしたスーツのズボンの上を何かが動いている。静かに衣擦れの音がする。

「座敷童、なのかなあ」

 筧がぽつりとつぶやいた。

「でも、見返りも要求されるものですよ」

「見返り?」

「ええ、ぼくは妻と事故にあったときには、足を骨折しました。告白がうまくいった子たちだって、何か怪我をしているんじゃないですか」

 吉本は思わず小さく叫んだ。養護教諭の井上から今年は生徒にかけている学生保険の書類が何度も回ってきたのを思いだした。

「座敷童だって信じたいだけじゃないですか」

 願い事をかなえる代わりに、見返りを求めるなんて聞いたこともない。

「奥さまは、事故で亡くなられたんですよね」

「ええ、運転はぼくでしたけど。臨月だったんでシートベルトしていなくて車外に放り出されました」

 スーツのポケットあたりに、白い指の跡がジワリと出現した。筧は気にする様子はない。吉本はさきほどから、筧のそばに靄のような幼子おさなごの幻が見えるような気がして、何度もまばたきした。頬のあたりに寒気がする。気づくと両腕に鳥肌が立ってブラウスの布地が当たるとザワザワとした。

 交通事故、筧も怪我を負った。でも、待って。言葉のつじつまが……。

 筧は言った。骨折したのは、見返りだったんだろうと。

 では、筧のかけた望みは。

 吉本は思わず耳をふさいでしゃがみこんだ。

 考えたくない、けれど、まさか。

 筧は妻を……。

「ぼくはね、これに好かれているようで。見えますか。見たなら、あなたも望みを口にしたらいいですよ」

 息をするのも苦しいくらいに胸の鼓動が激しい。筧にまとわりつく、とらえどころのない影のようなもの。柔和な笑みを筧は浮かべている。何かを引き換えに、自分の想いを口にするのか。

 あなたのことが……。

 意を決して言おうと顔をあげた吉本に、筧の首にかかる小さな手をみとめて悲鳴をあげた。

 同時に筧は哄笑した。しかしその顔は笑っておらず、頬をひきつらせているだけだった。

 吉本は机を乱しながら後ずさりした。

「か、片付けが、ありました……すみません、戻ります」

 吉本は椅子や机にぶつかりながら、廊下に飛び出るとそのまま一気に職員室まで駆けた。

 勢いよく引き戸を開けると、副校長が一人電話番をしていた。

「吉本さん? どうしたの慌てちゃって。筧先生と一緒じゃなかった?」

 恰幅のよい定年間近の副校長は体を揺らして立ち上がった。

「ええ……その、わたしまだゴミを片付けてなくて、焼却炉まで運ばなきゃって」

 胸に手をあて息を整えた。また動悸がする。なんどか深呼吸してから筧の机を見ると、見事にメモ一枚なくいつもの通勤かばんがのっているだけだった。

 不用品の入った箱を抱えて出ようとする吉本に副校長が声をかけた。

「そういえば、筧先生再婚するそうよ。組合からのお祝いは向こうの学校に行ってからの手続きになるのかって校長先生に聞かれたんだけど」

 吉本は棒を飲みこんだようになった。再婚? さっきはまるで恋愛とか結婚に無関心のように話していて。

「調べておきます」

 それだけ言うと、吉本は焼却炉へいく裏口から外へ出た。吐く息が白くなった。傘をさし、ゴミ置き場までのレンガが埋められた通路をおぼつかない足取りで行く。傘に重い雪が積もっていく。足元からしんしんと冷えが這いあがってくる。

 火の消えかけた焼却炉のふたを開けて吉本は息を飲んだ。

 黒焦げの塊が甘い香りを漂わせていた。

 鍋を焦がしたようなにおいは、チョコレートの残骸だった。

「これ……って」

 筧が捨てたとしか思えない。なかに、フォトフレームのようなものもあった。筧の机に飾られていたフォトフレームによく似ていた。

「なんで」

「じゃまだったから」

 声に驚いて振り返ると、窓を開けて筧が立っていた。

「二年くらいしてまた会えたら、その時には勇気をだしてぼくに声をかけて」

「え?」

 ふふふと筧は静かに笑った。

「また独り身だと思うから」

 吉本の背中を寒気が走った。

 微笑んだまま筧はガラスの窓を閉ざした。その向こうで、おげんきで、と唇が動いた。

 去っていく筧の姿をまばたきも忘れて見送った。

 水滴のついた窓に小さな掌の跡がぽつんとついてた。


 終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

かわたれ たびー @tabinyan0701

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ