Breeze will be blowing:風は如何なる場所でも吹き荒ぶ



「……何者なんだ、アイツ」


 幾度となく繰り返されたその質問に、答える人間はいなかった。


 何か得体のしれないものとかかわってしまった恐怖と、その正体について知りたいという好奇心がせめぎあっていた。――そしてその結果として、前方に迫る何かに対処ができなかった事も付け加えておこう。


 顔に衝撃が走り、何か毛深いもので包まれた。声を上げる間もなく抱き留められた俺は、意識をその毛深いモノへと向ける。


「大丈夫かい? 何処かにケガはない?」


「あ、ああ。大丈夫です……」


「ごめんねぇ。おばちゃん、熊人族だから背丈が高いし図体がデカいのよー! 私もぼーっとしてたから、申し訳ないわぁ」


「……いえ、こちらもすみません。お怪我はありませんか?」


「んーにゃ? ほら、おばちゃんって、熊人族だから! この通り、体は強いのよ!」


 確かに本人の言う通り図体は大きい。俺がだいたい百七十九センチメートルで、軍隊の中で平均くらいの身長だ。しかしこの熊人族の女性は三メートル近く身長がある。


 今まで全獣人の熊人族とこうも間近で話をする機会がなかったので、少し物珍しそうに見ていたのかもしれない。女性はその顔を少しだけ砕いて、朗らかな笑みを浮かべる。


「あんらー。あんたさんもしかして、熊人族とお話しするのは初めてかしら?」


「い、いえ。以前半獣人の熊人族とお話したことはありましたけど、全獣人の熊人族とはお話しする機会がなかったんです」


「あら、そうなのねぇ。半獣人の子のほうが全獣人より珍しいけど、よくお話しできたねぇ。警戒心が強くて大変だったろうに」


「あー……。それは特別な事情がありまして」


 そういえば、あの半獣人の熊人族を保護したのも第八区画だった。あの子は気が弱く、話しかけられるのは俺だけだったが……今頃何をしているのだろうか。将来は軍人になりたいと言っていたから、今頃この区画で仕事をしているかもしれない。


 そんな思考をいったん外に置いて、そういえば、と思い出した用事を済ませるために、この熊人族の女性へと質問する。


「すみません、軍団長に用事があってここに来たんですが、ここの軍団長のお部屋はどこにありますか?」


「ああ、そういえば軍団長さんが今日ここに誰かが来るって言ってたねぇ。えっと、そこの階段から四階に上がってね、そしたら、すぐ近くにでっかい扉があるから。そこが軍団長さんのお部屋だよ」


 どうやら以前と変わっていないようだ。それならすぐに向かえることに安堵しながら、女性に頭を下げてお礼を言う。すると、女性は目を見開いて、俺をずっと見つめていた。……何か粗相でもしたのだろうか。だとしたら謝らなくてはいけない。


 しかし、どうやらそうではなかったらしい。女性はほほぅ、と感心したような声を出して、俺の頭を撫でた。


「偉いねぇ。最近の軍人さんは、挨拶もできないしお礼も言えないから……。うん、偉い偉い。あんたさんの名前、教えてもらってもいいかね?」


「あ、はい。ヴィオラ・レーシュテイン第二位将官です。今日付けでここに赴任になりました」


「ヴィオラ……いい名前だねぇ。私はメイト。普段は厨房で働いてるよ。お腹がすいたらいらっしゃいな!」


「では、その時になったら是非。ではこれにて失礼します」


「いってらっしゃいな! 道に困ったら、私と同じような格好をした職員に聞くといいよ! アイツらは全員、この施設のことを知り尽くしてるからね!」


 さらに助言をしてくれた女性に頭を下げつつ、階段のほうへとゆっくりと進んでいく。階段も過去ここに来た時から変わっていなかった。それが少し懐かしく、同時に心が痛んだ。


 少し前……もしかしたら今もそうなのかもしれないが、ここには非道な人体実験を行っていた施設が存在していた。その施設こそ、全ての始まり。ツユメたち――通称『少女兵器群』と呼ばれる、生体兵器の開発場だった。三年前にその実験自体は中止が発表されたが、今も行われているかどうかは内部の人間しか知らない。


 そして、俺は今確信を抱いている。



――まだ実験は行われている


「―――ちょっと、どういうことか説明してくれるのよね! なんで今になって『管理人』が必要なのよ!」


 ……聞き覚えのある声が、耳に響いた。それは紛れもなくあの少女であり、その声は怒りの意味が多分に含まれていた。


 しかし、そんな声が響いていようと、軍関係の要件はすべてに優先される。その後に告げられる任務におおよその見当をつけながら、扉をノックする。


「ああ、ちょっと静かにしたまえ君。入ってよろしい」


「……失礼します」


 扉を開けると、一面を木製の棚で囲まれた部屋が目に入ってくる。その中央には大きい執務机があり、その奥の椅子には俺と同じくらいの歳の男性が座っている。


 ……徽章を見て、その人の階級が第一位将官であることを確認して、最敬礼。


「ヴィオラ・レーシュテイン第二位将官! ただいま第八区画へと到着しましたをご報告いたします!」


「ご苦労。……って、なんだい君。なんでそんなにわなわな震えて――」


「な、なんでここに……! いや、来るとはわかってたのだけれども、わかってたのだけれども! なんでよりにもよってこの役職にあなたがいるのよ……!」


 銀髪を揺らして、俺を指さす少女。


 ……先ほど声が聞こえた瞬間、俺はこの少女の正体を察する。そして先ほど、なぜ俺の名前と階級を言い当てることができたのかも。


「……まさかお前、そうなのか?」


「ええ……。改めて自己紹介するわね」


 少女は背をこちらに向け、着ていたワンピースを脱ぐ。


 白い肌が露わになるが、俺も軍団長も決して頬を染めたりなんらかの反応はしていない。それは、ひとえに少女の肩甲骨あたりにある、鋼鉄のプレートがあるからだ。それは、この少女が人間ではない――もっと言えば、この世界に通常生きている生物ではないことを証明している。


 それは。それが指し示すところは。


「……初めまして、でいいのかしら、『管理長』さん。製造番号002-0549。個体名は……そうね。伝説の英雄にちなんで、『ツユメ』と名付けられているわ」


 瞬間、頭をガツンと殴られたような衝撃が走る。目の前がくらくらとして、足元がおぼつかなくなる。ぐらりと倒れそうになる。意識を失いたくなる。でも失えない。まるでこの現実を、過酷なる実情を絶対に逃させないと、俺の中のアイツが俺を操っているかのように。


 ……少女は、俺の前に片膝を立てて座る。少女の柔らかな肢体が目の前に広がる。そのまま少女は、少しだけ楽しそうに……いや笑う。


 その笑顔は、以前どこか見たような……――違う。ずっと見ていた笑みだ。


 それは、ツユメが、何かを企んでいるときの笑みだった。


 違うのは、銀の髪と空色の瞳のみ。それ以外の仕草はまるで、まるで……ツユメそのもの。


「なんだ……お前は、なんなんだ……!」


「私は個体名『ツユメ』。名も知れない『管理人』とともに戦った英雄『ツユメ』の後継者――とも言えるかしら」


「……軍団長。こんなくだらない冗談は――」


「冗談ではないよ、ヴィオラ君。彼女は……。いや、ソレは、個体名『ツユメ』の後継機……。ああ、要約して言うとだね。少女兵器群の中でも特に大きな力を持っている『決戦兵器』だよ、ヴィオラ君」


 そう聞いた瞬間に、俺の意識はすでに俺の理性の制御下を離れていた。

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