Middle Phase 9 ~盗賊~

《ワーディング》起動。半径15m――


「ねぇ、はるみん。どうしたの? ねぇ? ねぇってば――ヒヒッ!」

 血で汚れたナイフに舌を這わせながら、『盗賊』ロバーは頬の筋肉を巧みに動かし、肉食の爬虫類めいた笑みを作った。傷口を抑えてうずくまる遥海を見下ろす。

 遥海の顔には驚愕らしき表情が浮かんでいたが、眼差しは鋭く、周囲に対する警戒は消えていない。そこにいるのは歳相応の少女ではなく、世界の裏側で暗躍する秘密組織のエージェントだと改めて実感する。

 『盗賊』は油断なく――表面上は、おどけた道化師のように卑屈に嘲笑あざわらいながら、右手のナイフをもてあそんだ。フィンガーガードに指を引っ掛け、クルクルと回してみせる。相手が戦意を喪失していれば示威行為に映るだろうし、そうでなければ油断と感じるだろう。もっとも、その隙はトラバサミに囲まれた退路のない行き止まりだ。おかしな動きを遥海が取れば、いつでも致命傷を与えられるだけの技量を『盗賊』は有している。

「ヒヒッ! はるみん、ちょー驚いた、って顔だよね! ヒヒヒッ! イイ顔してんじゃん! 俺好みだよ!」

 このチンピラめいた口調も、相手の油断を誘う役割演技ロールプレイだ。このような状況下で、敵対組織の潜入工作員エージェントである彼女が取る行動は、速やかな撤退だと『学者』スカラーは算出している。ならば、体力回復の時間稼ぎと逃走の機会を伺うために、遥海はこのおしゃべりに付き合うはずだ。

 喉の奥で嗤いながら、『盗賊』は遥海の目の前にナイフを突きつけた。

「失血で死ぬ前に教えてくんねーか? お前ら、どこまで俺達の事を知ってるんだ。なぁ?」

「知らないわ」

「とぼけんじゃねえ!」

 激昂――の反応を選択。切っ先を数ミリ前に差し出す。

「はるみんがさぁー、UGNとかいう連中の仲間だってぇー、あたし知ってるんだからねぇー」

 白々しく、己の優位を盲信する愚者を演出しながら『盗賊』は質問を次に移す。

「お前の任務は? 目的は? 他に仲間は? いるの? いないの? どっち?」

 矢継ぎ早に質問を浴びせるが、しかし質問そのものは単純だ。遙海が答えるか否か。ただ、それだけを問うための尋問でしかない。

「……聞かれて答える奴が――いや、いないと言い切れないけど、私は答えないわ」

「そりゃそうだ」

 血反吐が混じる遥海の軽口に、『盗賊』は肩をすくめて同意する。元より情報を引き出せる可能性は1%未満――と『学者』が導き出したように、この会話によって情報を得られるとは『盗賊』も思っていない。

(『学者』が集めた情報の通りならば、学園に潜入しているUGNのエージェントは清水遥海しみず はるみただ一人。そして私が正体を現したことで見せた表情、心拍、呼吸――検知した数値は、いずれも『学者』が予測した通りだ。

 言わば、これは答え合わせだ。既に《MPD》セルが手に入れた情報との確度のすり合せ。遙海が単独で潜入しているエージェントならば、ここでの横槍はあり得ない。だが、万が一と言うこともある。情報とは生き物だ。自分たちが手に入れた後で別物に変わることだってありうる。

 だが今回は、情報の更新は無かったようだ。無駄なおしゃべりによる時間稼ぎや、これ見よがしに展開した《ワーディング》に対しても増援の気配が無いことを悟り、『盗賊』はナイフを弄ぶのを止めた。遙海の反応次第では即座に殺傷行動に移行できるよう全身を制御しつつ、大げさなジェスチャーで敵意が無いアピールする。

「ねぇ、はるみん。そんなに身構える事ないんじゃん? 俺たちクラスメイトっしょ? これまで通り、仲良くやってけると思うんだけどな」

「いきなり斬りつけてきたくせに、面白い事を言うわね……」

「そりゃあ、正当防衛ってヤツだよ。我々セル"欲望"のぞみは『平穏な学園生活』だからね。争いの芽を摘むのは最後の策にしておきたいのさ。その証拠に、今の今まで手を出してなかっただろ、はるみんにさァ」

「見逃してもらってた、ってわけ?」

「ああ。下手に手を出せばUGNの介入を招く。そうなったら『平穏』な『学園生活』がメチャクチャにされちまう。それは我々の望むところじゃねえンだよ。なのに、この馬鹿が」

 声音を調整。忌々しい、憎たらしい、不快の感情を混ぜて発声。『盗賊』は大の字に倒れて動かない"穢れた紅"を顎で指し示した。

「こともあろうに波風をおっ立てようとしやがる。勘弁して欲しいぜ。我々が望んでるのは、平穏で、平和で、昨日と同じ今日、今日と同じ明日が続く、代わり映えの無い『学園生活』にちじょうだ」

「何よ。自分たちはFHだけど控えめで邪悪ではありません、って言いたいの? 冗談。そんなFHセルなんて見た事も聞いた事も無いわ」

「徹底的に情報を隠蔽し、ひっそり隠れて生きてきたんだ。誰にも知られないように、我々は存在を埋没させてきた。だが、それもお終いのようだ」

 突きつけていた切っ先を下に向ける。油断ではなく、交渉と譲歩を表すボディランゲージとして選択。疑わしげに睨む遙海の眼差しに対して、『盗賊』は表情から下卑た嘲笑を消した。

「提案だよ、はるみん。我々の存在を見逃してくれ。君の上司に報告しないでくれればそれでいい。君がこの学園を去るまで、我々は君の安全と『日常』を約束しよう」

「提案……ですって? こういうの、脅迫って言うんじゃないかしら?」

「君と接触した時点で、既に我々は存在を知られる危険性を犯している。ならば交渉を優位に進めるためのリスクヘッジは必要だ。今回は、それが少々暴力的な方法となっただけ。過去の過ちとして水に流してくれると嬉しい。何だったら、このナイフを捨てて武装解除しようか?」

「……この場で武器を手放すヤツは阿呆か、予備の武器を持ってるヤツだけよ」

 失血の影響で蒼白になっているが、遙海の表情は警戒を露わにしていた。彼女は痛めた内臓が流している血の匂いを吐息に混ぜながら、首を横に振った。

「私だって他のチルドレンに比べたら不真面目な方だけど……流石に、アンタの提案には乗れないわ」

「どうして? UGNの理想は人越者オーヴァードと人類の共存でしょ? なら、俺たちとも共存出来るはずじゃない。いや、むしろ俺たちが人類との共存共栄のロールモデルだと言っても過言じゃない」

「――そのお題目は『遙か遠い夢りそう』だからよ」

 遙海は強い口調で言い切った。

「アンタの提案は、水素水の広告より信じられないわ。『日常』の裏側に隠れ潜む化け物が、人間のフリして何を言ってるって感じ。隠れて生きていくのは共存でも共栄でも何でもないし、人類からすれば腹を空かせたヒグマが『仲良くしようよ♥』って言ってるのと変わらない。未だに人類と人越者は信頼を勝ち得ていないし、得られるとしてもそれはきっと遠い未来の話よ」

「この提案が、その遙かな道のりの大きな一歩になるとは思わないのかな?」

「それもないわ。そう考えているなら、私が学園に潜入した時点で接触してきたはずよ。今の今まで泳がされ続けたって事は、元からアンタらは協力する気がない――って事でしょう? どう? 何か間違ってるかしら?」

「……なるほど。我々の提案は受け入れられず、交渉は決裂した。そう見なして良いって事ね?」

 遙海は答えない。

 『盗賊』は首を横に振った。感情は落胆に設定し、声帯を震わせる。

「そうか。とても残念だ」

 言葉とは裏腹に『盗賊』は確信を得ていた。

 この二人、遙海と"穢れた紅"は互いに単独潜入だ――そう結論づけた『盗賊』は、議決された予定通りの行動タスクを実行に移した。

「じゃあ仕方ねえな。とりま、お前らには"事故"に遭ってもらうわ」

 べきり、と音を立ててナイフが形を変える。見えない巨人によって押し潰された粘土細工のように、ぐにゃりと曲がり、質量を増やし、ナイフではない別の物体へと変貌してゆく。

「モルフェウス・シンドロームってわけね……」

 ナイフから折れた自転車のフレームに変質した切っ先から目を離さず、遙海が今にも絶えそうな息使いで喘ぐ。

「おっと。これ以上は手の内は明かさないぜ?」

 無から有を生み出し、卑金属を黄金に変えるレネゲイドがもたらす異能。

 先の奇襲もタネを明かせば、手中に隠し持ったネジを、コンバットナイフへと錬成して斬りつけたに過ぎない。

「秋津洲女学園の生徒二名が自転車を二人乗り。運悪く転倒し、一名は折れたフレームが喉に刺さって死亡。もう一名も車輪から外れたスポークが心臓を貫通して死亡――そういう筋書きだ」

「それは……いろいろと無理のある話じゃない?」

「お前が気にすることじゃねえよ。そこら辺は、うちのボスが適当に辻褄を合わせてくれるさ。俺は現場の実行部隊なんでな」

「……トドメを刺すなら、先に"穢れた紅"の方からやってよ」

「その隙に逃げようって腹づもりだろ? その手には乗ってやらねえよ」

「違うわ。私は動けないから、代わりに殺しておいて――って言ってるの」

「必要ねえな。アイツは俺の仲間の狙撃を心臓に受けた。いくらオーヴァードだって、あれは致命傷さ」

 『長銃兵』の弾丸――それは、モルフェウス・シンドロームの能力で生成したボルトやナットなどの金属部品を電磁加速させて発射する擬似的なリニアカノンであり、その加速度と威力は最新鋭戦車の装甲さえも貫く。たとえ、どんな精鋭のエージェントが相手であろうとも『長銃兵』の弾丸が心臓を撃ち抜けば間違いなく死ぬ。

「だったら、お仲間に伝えてよ。今すぐ"穢れた紅"あいつの頭を吹き飛ばせ、って」

 見え透いた挑発だ。口車に乗る必要は無いが――

「ああ。そうさせてもらうよ。このぶっといの、はるみんのお喉に深々と突き刺ディープスロートしてから――ねッ!!」

 『盗賊』は不意を打つ形で遙海の喉元にフレームを突き込んだ。

だが、肉を抉る手応えは浅い。避けられた。ほとんど地面に倒れるように遙海は身体を投げ出し、致命的な一撃を躱していた。

 この行動は予想の範疇だが、反応は舌打ちを選択。起き上がって、駆け出そうとする遙海のアキレス腱を狙い、フレームを――その先端だけを幅広の肉切り包丁に変化させ、横薙ぎに振るう。

「ぐ――ッ!」

 遙海の口から押し殺した悲鳴が漏れた。アキレス腱ではないが、ふくらはぎを真一文字に斬り裂かれ、遙海は勢いよくバランスを崩して地面に倒れ込んだ。

 これで王手詰みチェックメイトだ。もはや彼女に逃走経路はない。『学者』の作成したアルゴリズムで予測された通りの結果。想定通りの結末に対して『盗賊』は何の感慨も持たないが、『盗賊』としての役割演技が下卑た笑いを自動的に浮かばせる。

「ヒヒヒッ! 逃げんじゃねえよ、はるみ~ん! 逃げられるわけねえだろぉ~? そっちに逃げるのは予測済みなんだよ!」



「――うっせえよ」



 唐突に背後から聞こえた吐き捨てる声に『盗賊』は思わず振り返り――、その行動が全くの手遅れであったと気づいたのは、反射的に振り抜いた武器が半ばから焼き切られ、炎に包まれた掌底を顔面に叩きつけられた後であった。

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