Middle Phase 8 ~刃紋燕~

 ――狙撃だ。

 それもオーヴァードによる、異能エフェクトでの。

 目の前で左胸から血飛沫を吹き上げて、"穢れた紅"が仰向けに倒れたのを見て、遥海は直感的に悟った。反射的に電柱の陰に身を隠し、狙撃地点を見やる。

「あれか……ッ!」

 この路地からの直線上にビルが一棟建っていた。あの場所は絶好の狙撃ポイントだ。遥海の目には、その屋上で何かが動いたのが見えた。おそらく観測手スポッター狙撃手スナイパーのどちらかだろう。もしくは、その両方か。

(味方の増援……!?)

 ありえない。遥海は混乱しつつも、可能性を否定した。もし狙撃手が味方なら、オペレーターから連絡があったはずだし、発射角度と着弾地点から導き出せる射線は、一歩間違えば遥海を背中から撃ち抜いていただろう。

 マー・アーリンと連絡を取りたかったが、先程しこたま壁に叩きつけられたせいで、通信機は壊れてしまった。通話ボタンを押しても、興奮して叫ぶチンパンジーのような雑音を繰り返すばかりだ。

(一体、何がどうなってるのよッ!)

 呼吸を整えながら遥海は電柱に背中を預けて空を見やった。神様なんてものを信じるつもりはないが、もし存在するなら――おそらくはレネゲイドビーイングの一種だろうが――今の遥海を見て腹を抱えて転げ回っていることだろう。そんな性根が腐った輩に違いない、きっと。

 "穢れた紅"によって、壁に叩きつけたれた時に出来た全身の傷は塞がりつつあるが、消耗した体力までは回復していない。謎の狙撃者に狙われれば、勝ち目はない。そもそも、この電柱でさえ遮蔽物としては心許ない。

(根比べ――は不利よね。対物ライフルとか持ち出されたら、こんなコンクリ製の電柱なんて濡れた障子紙も同然だし)

 だが、注意深く狙撃者の様子をうかがう遥海の耳に、路地を覗き込んだ第三者の息を呑む声が――聞き覚えのあるクラスメイトの声が聞こえた。

「ヒ――ッ!? は、はるみん? そこで何してるの……!?」

 全身の血の気が引く。ズタズタの身体が粟立つ。

 見られた。クラスメイトに。よりにもよって。

 どうする?

 ――どうしようもない。

 記憶処理?

 ――今は無理だ。

 《ワーディング》は?

 ――そんなことよりも。

「来ちゃだめ!」

 遥海は思いっきり彼女を怒鳴りつけた。今はここで、このタイミングで、路地に入ってくれば、彼女は狙撃者にとって格好の的だ。

 彼女を引っ掴んで路地を駆け抜け、狙撃手の有効射程から離脱スコープ・アウトする――五体が十全に好調なら、その程度の仕事は容易くこなせていただろうが、今の遥海は折れていない骨を探すのに苦労するほどの満身創痍だ。こんなゾウガメよりもすっとろい動きでは、物陰から飛び出た途端に狙撃されかねない。

 だが、それでも――

(この馬鹿ッ!)

 それは他ならぬ自分への怒罵だ。遥海は殴りつけるように悪態を吐き捨て、怯えて立ち尽くす少女へと駆け出した。

「ヒ――ッ!」

 再び少女の喉から漏れる引きつった音。血塗れで傷だらけの同級生が、山刀を手に飛びかかってくれば悲鳴を漏らすのも仕方のないことだろう。遥海はもはや気にしていなかった。なりふり構わず、クラスメイトをこの場から逃がすために走る――

(……あれ?)

 違和感を覚えたのは、その刹那だ。

 空気が変わっていた。ほんの数秒前に、この路地を支配していた狙撃手の気配――殺気を隠せたとしても、絶対に隠せない狙撃手の視線が揺らいでいる。

 

 遥海がその事実に気づくのと、眼前の少女の手のひらに奇術めいた唐突さで出現したナイフの刃が、遥海の喉めがけて突き出されたのは、ほとんど同時であった――

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