Middle Phase 3 ~穢れた紅~
♪ここは退屈。この先は魔窟。引き返すなら今のうち。引き返しても袋小路。
♪追い詰められた獣の住処。怯えて漏らすなら部屋の隅か?
♪俺の手には38口径。目の前には白黒映画の殺風景。
♪かけるトリガー。飛び立つ鳥が。
♪BANG!BANG!倒れるギャング――こいつは明日の俺なのか?
バー『ロング・グッドバイ』――東京近郊にある地方都市、風見市の繁華街。その裏路地の、とりわけ人通りの少ない一角に建つ古い雑居ビルの地下階で、このバーは潜み隠れるように営業している。
客の入店を拒むかのような重い木の扉と軋む蝶番。その耳障りな音とは対称的に、涼やかに響くドアベル。内装は、いわゆるヨーロピアンスタイルのビアバーのそれだが、有線放送から流れてくるのはアメリカ西海岸のギャングスタラップだ。
よくよく見れば、カウンターの奥の戸棚に並べられているのは欧州の輸入ビールに限らず、ウィスキーにブランデー、テキーラ、ウォッカ、清酒の一升瓶や紹興酒、近所のスーパーで買ってきたような紙パックの安焼酎まで置いてある。
もし一見の客が来たならば、この寄せ集めじみた店内と、その異様な雰囲気を感じて、即座に店を出て行くだろう。もっとも、この店に関係者以外の客が来たところを、"
「――潜入任務だァ?」
ほとんど溶けてしまったベリーシェイクの飲み干すと、車持未紅は隣でストロベリーマティーニを傾ける女に訝しげな視線を向けた。
「そうさ。楽勝だろう、お姫様?」
チェシャ猫めいた笑みを浮かべ、女は――傭兵派遣セル《
バー『ロング・グッドバイ』は"ナーサリーライムズ"が有するセーフハウスの一つであり、依頼人との待ち合わせや所属する傭兵への
いつものように電話でこの店に呼びだされた未紅は、彼女が2時間遅れでやって来るまでに、バーのマスター手製のカルボナーラとパンプティングを平らげ、冷たいベリーシェイク――ハーゲンダッツのストロベリーと、冷凍されたクランベリーやラズベリーと氷をフードプロセッサーで丁寧に砕いて混ぜあわせた――を持て余していたところだった。
「先日壊滅した《パナケイア》セルが――覚えてるか? 我らがFHの中でも薬物と兵器開発、その運用と販売で勢力を伸ばしていたセルだ。どこかのセルとの勢力争いに負けて壊滅しちまったが――まあ、そいつらがまだご存命だった頃、とある顧客に『商品』を売りさばいた。まあ、それは良くある話さ。資金稼ぎの良くある話。《
"ナーサリーライムズ"は上機嫌でグラスの縁を爪弾いた。チンッ、と甲高い澄んだ音色がバーに響く。
「流石に安い金じゃないからな。客も必死で『商品』の行方を探すわな。で、散財に散財を重ねた依頼人殿が仰るには、『商品』は《パナケイア》の残党が持ち逃げして、どっかに隠しちまったんだとさ。ウケるだろ?」
「……全然。ウケねえよ」
未紅が吐き捨てるように言うと、下手くそな舞台役者めいた大げさな仕草で"ナーサリーライムズ"は天を仰いで嘆いた。
「おいおい……ここまで言ったら察してくれよ、お嬢ちゃん。言われたとおりにヤるだけのマグロじゃないだろ、お姫様?」
「まどろっこしいんだよ、テメエは。いつもいつも」
「おお怖い。じゃあ簡潔に言おう。『商品』は、秋津島女学園の付近で位置情報をロストした。いくつかの情報網を使ったが、学園以外の場所からは『商品』は見つからなかった――となれば、探すべき場所は1つしか無いだろ?」
「……馬鹿かよ。アタシにその学校に潜り込めっていうのか? そういうのは、あのサイコ女とか、あの胡散臭いレネビ女にやらせろよ」
どちらも未紅が今までに組んで――"ナーサリーライムズ"に否応なしに組まされた《烏合の衆》セルに所属する傭兵たちだ。
未紅がサイコ女と呼んではばからないアイリーン・ジャールート――
「あの変態サイコ女の情報収集力なら『商品』とやらを探しだすのも容易いだろ。それに女学園だぜ? あのサイコレズが大喜びしそうじゃねえか」
手口の非道さで知られる"腹話術師"だが、情報の収集と操作はセルに所属する傭兵の中でも随一だ。学園に潜入して隠された『商品』を奪い返すなら彼女の方が適任だろう。そもそも3年前に"ナーサリーライムズ"に拾われて以来、ある目的のために対人戦闘訓練だけを積んできた未紅には、今さら学生の真似事が出来るとは思えなかった。
だが、"ナーサリーライムズ"は未紅の胸中を見透かしたように、ルージュの引かれた唇の端を艶っぽく吊り上げた。
「ちなみに、その学園には既にUGNのチルドレンが潜りこんでるそうだ」
「あ?」
意図の分からぬ"ナーサリーライムズ"の言葉に、未紅は眉根を寄せる。"ナーサリーライムズ"は『待て』と『お手』の区別がつかない座敷犬を見るような顔で、肩を震わせた。
「前に渡しただろう? お前と、お前のお父様の仇の、紫色の《邪眼》を使うUGNのエージェントの資料を。その学園にいるそうだよ、その1人が。お前の、仇の1人が――」
"ナーサリーライムズ"の言葉に、未紅の脳裏で3年前のあの日がフラッシュバックしていた。
誕生パーティ。
突然の銃声。
爆音。
父の書斎。
暗闇。
電灯のスイッチ。
クナイ。
潰れた右手。
痛い。
父の死体。
死体。
死体。
紫色の瞳――
――ぐしゃり。
ベリーシェイクの入っていたグラスを、未紅は無意識のうちに握り潰していた。だが、グラスは砕け散らず、未紅の手の中――機械式のグローブに包まれた右手の中で赤熱し、溶岩のように流れてカウンターを焦がす。
「おいおい。アタシの店を火事にするつもりかい? そいつは止めておくれよお姫様」
「……うるせえ。そいつをブッ殺させろ」
「らしい顔をするじゃないか。それでこそ、私の
"ナーサリーライムズ"は、自分に昏い眼差しを向ける未紅を満足気に見やり、楽しげに嗤った――
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