Middle Phase 2 ~刃紋燕~

 ジャックナイフ・スパロウは授業中も気が気ではなかった。砂漠の真ん中に置いてけぼりにされたような焦燥感が全身を支配している。おかげで教師の話は耳をすり抜けていったし、板書された日本語をノートに書き写したはずなのに、アラビア語めいた別の文字にすり替わっていた。

(冗談じゃない)

 タイマー表示の壊れた時限爆弾――作動中で、いつ爆発するか分からない上に解除も不可能――みたいな奴と、今日から一緒の教室だと?

(……冗談じゃないわッ!)

 空腹のホオジロザメで満たされたプールに突き落とされた気分だ。相手は確実に近くにいて、こちらの決定的な隙をうかがっている。油断すれば一気に襲い掛かってくるだろう。そうでなくても、転校してきた当日のホームルームで《ワーディング》を展開するようなイカレた奴だ。元来FHの構成員は、レネゲイドによる異能を誇示する傾向が強いが、それでも無駄にチカラを振るうような愚は犯さないはずだ。ジャームを除けば。

(――"穢れた紅"がジャームだという情報は無い。観測されていないだけで、ジャームという可能性は否定できない)

 彼女が投入された戦場では、確実にUGNの被害が増したという。中でも『特定の能力』を持つエージェントやチルドレンだけは、どれだけ傷を受けても絶対に再起不能にしてきた兇人だ。

(まともじゃないわよ!?)

 日本支部に連絡を入れて増員の要請か、さもなくば保護を要求しよう。

 もちろん、彼女も戦闘訓練を受けたチルドレンだが、勝ち目の薄い戦いに突撃して無駄に散るのは愚か者のする事だ。引き際の見極め、彼女の訓練教官は常々生徒たちに諭していたし、ジャックナイフ・スパロウもその点では共感していた。

(早くしないと――)

 どこか目立たない場所に隠れて日本支部と連絡を取ろう。目立つことは避けたいが、相手がアレではなりふり構っていられない。ジャックナイフ・スパロウ――遥海は、二時間目の授業が始まるや担当教員の男性に、女性特有である毎月の不調を訴えると、答えも聞かずに足早に教室を飛び出していった。



 秋津島女学園、本校舎4階。北側にある電算教室横の生徒用トイレは、季節を通して不気味なほど薄暗く、空調が悪いのか不安を覚えるほど空気も気持ち悪い。この近寄りがたい雰囲気のトイレは、10年前に電算の授業中に発作を起こして亡くなった生徒が、クラスメイトから隠れて昼食をとっていた個室があると言われ、今も幽霊となって彷徨っている――と、まことしやかに噂が囁かれている。

 その真偽はともかく、このトイレを好んで利用する生徒は多くない。特に一番奥の個室は、隠れて何かをするには絶好の場所であった。

「どっ!?」

 思わず張り上げそうになった大声を飲み込み、遥海は奥歯を食いしばって自制した。トイレから聞こえる謎の奇声、なんて新たな7不思議に数えられるのは御免被りたい。声を潜めて通信機の向こうのオペレーターに問いかける。

「――どういうことよ? 増援は出せない、ってのは」

「額面通りデスヨ、刃紋燕。日本支部、イツモ人材不足デス」

 通話口に出た女性オペレーターはアクセントの怪しい日本語で、パソコンに初めて触る類人猿を諭すように言った。

「日本支部、今、戦闘員、ミンナ出払てマス。カザミ市で大きナ事件あたネ。ミンナ、それの手伝い行タネ」

「いやいや、1人ぐらい出せるでしょ!? "穢れた紅"あんなの1人でやりあえワンオペって、どんなブラック企業よッ!?」

「ブラック違ウネ。UGNとてもホワイト。お給料ちゃんと出てル」

「……その給料分は働いてほしいんだけど!」

 ヒートアップする感情を、細く小さく尖らせながら、遥海は顔も分からぬオペレーターに吐き捨てた。

「別に、私だって霧谷支部長を呼べとは言ってないわ。単純に勝率を上げたいのよ。1対1よりも2対1、2対1より3対1――騎士道精神なんて無用の長物。囲んで敵を叩くのが、賢いエージェントの戦い方でしょうに」

「ソレは理解。でも出来ナイ相談。ワタシ、オペレーター。増員すル権限ナイ。アナタ、チルドレン。現場のエース。ワタシ、サポートする。情報アレば、アナタ戦えマス。だってアナタ、ジャックナイフ・スパロウでショウ?」

 遥海の頼みを退けながらも、オペレーターは力強く断言する。

「アナタのデータ見ましタ。訓練所の成績、常にトップクラス。トテモ優秀。特に白兵戦、アナタ秀でてル」

「おだてりゃ踊ると思わないでよ。訓練所の成績が良くたって、実戦向きじゃないのよ、私は。てか、私の経歴見たなら分かってんでしょ?」

「ハイ。アナタ、最初の任務デ失敗してマス」

 ストレートに物を言うオペレーターだ。『失敗』という言葉がザクリ、と胸をえぐり、脳裏によみがえる苦い思い出が無意識のうちに遥海の鼓動を早めていた。

「過去の失敗ト現在の問題は無関係デス。それに相手ハ、チョト有名なダケの野良犬デス。目の前のエサに飛びつくダケのバカ犬。アナタなら負ける相手ではナイ」

 彼女は断言するが、とても根拠のある言葉とは思えない。だが、ここで言い争いを続けても得るものは無いし、時間ばかりが減っていく。生き延びる確率を上げるには何をするべきか。遥海は大きく息を吐いた。

「分かったわよ。ええと……」

「マー・アーリン。ワタシ、マー・アーリン、です。北京Beijing支部からヘルプで来てマス。増援出せナイ。でもアナタのサポートしまス」

「あー……もう、分かったわよぅ……」

 この日本語の怪しいオペレーターを最大限使って、あの女と戦わずに生き延びてやる。風見市で起きた事件とやらが終息すれば、こちらの援軍に回せる人員も出来るはず。それまでだ。それまでの辛抱だ。

 遥海は揺るぎない決意とともに拳を固く握りしめた。





Bytheway,刃紋Jackknife燕。Sparrow.日本語Becausethe得意Japanesearenotないgoodのでat,英語yousureyouwanttoしてcallinよろEnglish?しいですか?」

「……良いわよ。I'll good,問題ないわno problem.

 遥海は握りしめた拳を開いて、ヒアリング教材のように流暢な英語を聞きながら頭を抱えた。

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