Middle Phase 1 ~刃紋燕~

 昨日と同じ今日。 今日と同じ明日。

 世界は繰り返し時を刻み、変わらないように見えた。

 だが、世界は大きく変貌していた。


 二十年前に起きた飛行機事故によって引き起こされた、未知のウィルス――レネゲイドによる地球規模の生態系汚染パンデミックは静かに、しかし確実に人類の世界を変質させていた。

 人智を超えた異能を発症する人々。あるものはバケモノとなじられて排斥され、またあるものは異能に溺れて暴走し、そしてあるものは己の欲望を満たし、快楽を得るためだけに人を害した。

 だが、異能を得てなお人間ひととして生きる道を選んだ者がいる。

 弱き人々の盾となり、理性を蝕む異能を制し、絆を胸に、いつの日か人類と超人が手を取り合う未来を信じる《世界の守護者ユニバーサルガーディアン》たちが。



(馬鹿馬鹿しい……)

 コードネーム"刃紋燕"ジャックナイフ・スパロウ――清水遥海しみず はるみは、物心ついた時から訓練施設で育てられた生粋のUGNチルドレンではあったが、教官や上司たちの唱えるお題目は『夢物語りそう』でしかないと割り切っていた。

 どだい無理な話である。人類全体が善良か、よっぽどのお人好しでもなければ、そんな夢は叶うわけがない。現に、レネゲイドウィルスとは関係ないところで争いが生まれ、オーヴァードではない人間同士が憎み合っているじゃないか。スマートフォンのニュースアプリで国際系の記事を流し読みつつ、秋津島女学園の校門をくぐる。生活指導の教師が「歩きスマホは危ないぞー」と遥海の手元を見咎めて注意してくるが、彼女は「申し訳ありません」と会釈とほほ笑みを返して、スマートフォンを上着にしまいこんだ。

(馬鹿らしい……)

 戦闘訓練を受けたUGNチルドレンが歩きスマホ程度で怪我などしようものか。無論、それをおくびに出す真似はしない。心中で毒づいたが、うわべを取り繕うのは得意なので、彼ら一般人が気づくはずもない。おかげで、あの生活指導の教師のみならず、学園内での遥海の評価は悪くなかった。

(馬鹿げた話だわ……)

 学園周辺のレネゲイドウィルス濃度が平均値よりも2%高い、ただそれだけの理由でジャックナイフ・スパロウは、この平和なお嬢様学園に生徒として潜入させられた。近隣に支部はなく、バックアップは全くなし。週に一度、日本支部への調査報告を出すことになっているが、滞ったところで催促も無ければ、監査も視察もない。任務を出したことを忘れているんじゃないだろうか――それなら、それで構わないのだが。

(ほんと、馬鹿らし……)

 かと言ってFHファルスハーツに転向したり、脱走する気にはなれない。エスケープキラーどもに命を狙われるくらいなら、つまらない潜入任務を淡々とこなした方が、ずっと良い。UGNが人類を護るのは、その方がオーヴァードにとって得だから。正体をバラして生きづらくなるより、正体を隠した方が楽だから。遥海にとってUGNチルドレンでいるのは、生きていくのが簡単だから。

 適当な任務を適当にこなし、エージェントになったら、日本支部の事務方にでも移籍しよう。そして事件とも任務とも無縁な生活を送るのだ。

 いつもの平穏な日々を過ごすべく、いつものように教室に入る。

 だが、遥海が所属する2年D組の教室は、いつもと異なる騒がしさに包まれていた。仲の良いグループが輪になって囁き合ったり、クラス内にグループを持たない生徒は1時間目の教科書を取り出しながら、キョロキョロとあたりを見回したりと、見るからに落ち着きが無い。

 戸惑う遥海にクラスメイトが小鼻を膨らませ、興奮気味に言った。

「はるみん、聞いた? 転校生。今日からうちのクラス、転校生来るみたいよ」

 クラスメイトはだいぶ興奮しているのか、まるで日本語を覚えたばかりの外国人のような口調になっていた。

 とりあえず彼女の話に相槌を打つ。既知の情報を初めて聞いた風に装うのは、チルドレンとしての初歩中の初歩だった。

「へぇ、そうなの? 初耳。どんな子? イケメン?」

 初耳――というのは嘘だ。まがりなりにもUGNチルドレンである。先週、転校生の情報を聞きつけ、日本支部にに照会を依頼している。日本支部からの回答は既に返ってきており、その結果は『シロ』だった。身元の裏付けが取れた一般人の転校生だ。UGNチルドレンとして警戒する必要は何もない。

「でも、単なる転校生でしょ? その割には、みんな浮ついてない?」

「隣のクラスの子が、さっき職員室に行った時に、学園長室からウチらの担任の先生と一緒に出てくる生徒を見たんだってさ。すっごい色白でプラチナブロンドだった、って」

「外国人?」

「ハーフだかクォーターだって噂。しかも帰国子女だってさ」

「それはまた驚きね……!」

 ――これも情報通りだ。今日転校してくる女子生徒は、北欧系の血を引いている。一ヶ月前まではアメリカのハイスクールに通っていたが、家庭の事情で日本に帰ってきたとのことだ。

 クラスメイトは、若干大げさな身振りで天を仰いだ。

「ああ、どうしよう。私、英語の成績よくないから、転校生と話せるかなぁ?」

「その転校生の日本語が堪能なことを祈りましょうよ」

 軽く冗談めかして言ってやると、「そうだね」とクラスメイトはケラケラと明るく笑って自分の席に戻ってゆく。

(馬鹿馬鹿しい……)

 無意識のうちに、ため息が漏れた。

 もしも自分が、彼女らと同じ普通の人間であったなら、季節外れの転校生というサプライズを楽しむことが出来たのかもしれない。だが、ジャックナイフ・スパロウは違う。世界の真実を知らされて生きてきた怪物オーヴァードだから。

 例えば体育祭だって、本気で走れば一位になれる自負はある。だが、それでは駄目なのだ。成績優秀だが、さりとて目立たない。それがUGNチルドレンであるということだと彼女は理解していたし、学園というコミュニティに属していながら深く関わることの出来ない疎外感には、もう慣れた。

(……私と彼女たちは住む世界が違いすぎるのよ)

 ホームルームが始まるまでに、他のクラスメイトが話しかけてきたが、やはり内容は転校生の話題一色だった。胸中では辟易しつつも持ち前のうわべと愛想の良さで相手をしていると、予鈴のチャイムが鳴り、担任教師が教室に入ってきた。

 初老の担任教師は、やや間延びした口調で生徒たちに着席を促す。私立のお嬢様学校なので、教師の合図に逆らう者は一人もいない。すぐさま生徒全員が着席し、教室内は先程までのざわめきが嘘のように静まり返る。

「えー……君たちも既に知っているかもしれませんが……」

 のんびりと――彼は焦らしているわけではなく、単に挙動が遅いのだ――担任教師は、いつもの通りのマイペースな口調で、今日から転校生がクラスメイトになることを告げる。一瞬、木立に風が吹いたかのように室内がざわめくが、「静かに」と教師が温和に微笑むと、クラスメイトたちは一斉に静かになった。

 彼は廊下で待機しているであろう生徒に入ってくるように促した。

「……失礼します」

 転校生の入室と同時に、再び室内はどよめいた。

 腰まで伸ばされた銀色の髪。白い――というよりも、血色に欠いた青白い肌。しかし受ける印象は病弱ではなく、不健康のそれだ。

 そして何よりも――異様な右腕。肘まで覆う金属製の籠手ガントレットめいた紅いグローブにクラスメイトたちの注目が、否、ジャックナイフ・スパロウも釘付けになっていた。

(――――何でッ!?)

 銀髪。右腕に機械式の紅いグローブ。少女。すべてが情報と違う。

(――どういうことなのッ!? 何で、コイツが――)

 UGN嫌いの狂犬。精鋭部隊ストライクハウンドの1小隊を単身で壊滅させた怪物。UGN要注意人物リストの一人。

(何かの間違いだ。こんな潜入任務に不向きな奴が、どうしてこんなところにッ!?)

 内心に大汗をかきつつも、ジャックナイフ・スパロウは努めて冷静を装い、転校生の挙動に注視していた。転校生は教壇に上がると、ぎこちない笑みを浮かべた。

「皆さん、はじめまして。黒渕未紅くろぶち みくと申します。この右手は、生まれつき不自由なもので……どうか、気になさらないでください」

 いわゆる筋電義手の一種だと説明する転校生。どよめいていたクラスメイトたちも、触れてはいけない話題なのだと理解すると、ざわめきのトーンが2段階ほど下がった。

 そして、"刃紋燕"ジャックナイフ・スパロウ――遥海もまた、単なる筋電義手だという彼女の説明が、跳ね上がった心拍数を落ち着かせてくれることを祈っていた。きっと他人の空似だ。UGNからの事前情報では完全無欠の『シロ』だったじゃないか。彼女はきっと右腕が不自由で病弱な、UGNが護るべき一般人だ。そうに違いない。そうであってくれ。

 だが――

「……皆さん、よろしくお願いしますね」

 その一言が世界を塗り替える。炎が、世界を覆う薄い膜を焼き払う。

 《ワーディング》――オーヴァードならば誰しも使える異能エフェクトが、転校生の身体から幻視の炎となって吹き出し、教室内を焼き尽くさんばかりに舐め回した。一般人であるクラスメイトや担任教師は、炎に包まれていることさえ知覚することは出来ない。

 しかし、ジャックナイフ・スパロウは別だ。

 熱すら感じる《ワーディング》の中、壇上の転校生と目が合う。転校生は、ぎこちない笑みを――餓えた野犬に人の笑顔を真似させたような笑みを取り払い、野犬のごとく牙を剥いて笑った。

「まどろっこしいのは抜きにしようぜ。こいつは宣戦布告さ」

 転校生は、ぶっきらぼうに言い放つと《ワーディング》を引っ込め、元のぎこちない笑みを顔に貼り付けた。《ワーディング》が展開されたのは1分にも満たない。担任教師やクラスメイトたちは意識を失っていたことすら気づくまい。だが、遥海にとっては数十分近い長さに感じられた。

「なによ、これ。馬鹿じゃないの……」

 何に対する怒りの声か、遥海が絞りだすように吐いた言葉を聞き咎めるものは、誰一人いなかった。


 




 この日を境に、UGNチルドレン清水遥海の仮初の『平穏にちじょう』は崩壊の一途を辿ることとなる――

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