ブラッド・ティアーズ ~Blood Tears~

芳川南海

Opening Phase ~穢れた紅~

 火の海――

 すべての証拠を隠滅するために仕掛けられた時限式発火装置は、真夜中過ぎに作動し、瞬く間に4階建ての白亜の校舎を炎熱の紅に染め上げた。

 階下のガラス窓が熱によって砕ける音が屋上まで聞こえてくる。学び舎を焼きつくす炎は、天へと火の粉を舞い上がらせ、粉雪のように吹き散らしている。

 火の粉の雪が舞う屋上に、一組の男女。一人はスーツ姿の男性で、もう一人は――

「これが、まさかデートのお誘いとは思わなかったよ」

 肩をすくめて軽口を叩いたのは、口ぶりとは対称的に不健康そうな肌をした銀髪の少女だった。

「そうだよなあ。なりふり構っていらンねえよな。自分の命が狙われてンだしな」

 煤で汚れた秋津島あきつしま女学園の制服。少女は白に近い銀色の髪を揺らしながら、ゆっくりと歩を進めた。髪の色とは対照的な土気色のクマが浮かんだ目元に喜悦を浮かべている。

 喜悦――いや、鬼気迫る歓びとでも言い表すべきか。それは餓えに餓えた狂犬が、血のしたたり落ちる生肉を目にしたかのような、獰猛で、凶暴で、狂おしく、17歳の少女が見せる表情としては、間違いなく凶相のそれであった。

 右眼から、ひとすじの涙がこぼれる。

 赤い、紅い、一滴ひとしずく。血涙だ。

 だが少女は血の涙を流す右目を気にすることなく、歩みを止めようとはしない。

「悪いけど、テメエの手品はタネが割れてんだ」

 少女の右腕の肘から先を覆うのは機械式の籠手ガントレット――その金属板のつなぎ目からどろりとした粘性の高い赤い液体があふれ出る。溢れ出た血は、空気に触れるや否や、ジェット燃料めいて橙色の火炎へと変化する。

「けど、いいぜ。付き合ってやるよ」

 流れ落ちた血涙が、土気色の肌の上で炎を上げた。

「……テメエは、アタシが焼き潰してやるッ!」

 それが合図だった。

 ほとばしる炎さながらに駆け抜け、少女はスーツの男に飛びかかる。轟々と燃える右腕を力任せに肩口に叩きつけるが、返ってきたのは肉を焼き斬る独特の感覚ではなく、もっと剛体の硬い感触だった。

(――チッ!)

 彼女はすぐさま身をよじり、男の腹をコンバットブーツで思いっきり蹴りこんだ。しかし鉛の入った重い靴底に返ってくるのは――予想通りというべきか、壁を蹴ったかのような硬い感触。反動を利用して男との間合いを取るが、着地した瞬間、紫電をまとった刃が眼前に迫っていた。

 30センチ弱の小型の直刀――刺身包丁に似たショートソード。男は炭化した上着にも、超高熱に間近で晒されて火膨れした顔面の左半分すらも意に介せず、魚を捌く機械のように正確に、直刀を少女の右目に狙って突き出す。その動きには躊躇はない。眼球から一気に脳幹まで破壊するつもりなのだろう。

「――――っけんじぇねえ!」

 少女は反射的に右拳で切っ先を打ち払った。焼き切られ、赤熱した刃の破片が宙を舞う。少女は拳を振り払った勢いを利用して腕を振りかぶり、ショートソードを持つ男の手首に目がけて燃え盛る手刀を打ち下ろす!

 感触は硬い。だが手応えはあった。数千度の炎を帯びたガントレット、その指先が男の手首の中程までを焼き斬っていた。想定外の硬さに両断とまではいかなかったが、炭化した切断面は白煙を上げている。男の手はショートソードを握ったまま、吊られた人形のように頼りなげに揺れていた。

 常人ならば直視に耐えうる光景ではない。それどころか激しい痛覚に悲鳴を上げていることだろう。しかし男は苦悶のうめきを上げるどころか、ちぎれかけた手首に、まるで他人事のような一瞥を落とし――残った腱と皮だけで繋がっているだけの手首が握る、先端が溶け折れたショートソードを少女の脇腹に叩きつけた。

「が――――っ!?」

 少女の肺腑から呼気が漏れる。華奢とは言え、少女一人分の重量を数メートル吹き飛ばすのはいかなる膂力か。速度超過のトラックにはねられたように、彼女は吹き飛ばされた。

「……浅い、か」

 男が初めて唇を開く。 数メートル先の床に転がる少女を眺めながら、手首をぶらぶらと揺する。握力を失っていたのか、握っていたショートソードが床に落ちて、乾いた音を立てて銀砂へと変じた。

 もはや右手が使い物にならなくなったことを理解したのか、まったく表情を変えずに嘆くように肩をすくめた。

「《パナケイア》セルの研究班が開発した最新式の《戦闘用義体フルボーグ》なのだが、耐久試験はおざなりだったようだ。それとも、君の出力が彼らの想定外だったかな?」

「抜かしてろ」

 刃のかすった脇腹を押さえ、少女は起き上がって獰猛な笑みを浮かべる。

「テメエの身体が鉄だろうが岩だろうが関係ねえ。アタシの炎は全てを焼き潰す」

「――だが、無尽蔵というわけではあるまい。情報によれば、君はブラム=ストーカー・シンドロームとサラマンダーの混血種クロスブリードだ。文字通り、自身の血液を燃料にするわけだが、それはいつまで保つのかね?」

 無表情のまま、男は嘲りの笑いを声音に乗せる。しかし少女の浮かべた笑みは、ますます獰猛さをむき出しにする。

「テメエこそ、その義体ボディは調整不足なんじゃねえのか? 顔の表情が全然変わってねえぜ」

「そうでもない。表情制御に割当てたメモリを減らして、戦闘用に調整チューンナップした特別性さ。これでも機械いじりは得意な方なんでね」

 合理的だろう?とデスマスクじみた無表情を向けると、使い物にならない右手首を左手だけで捻り切った。

「何より、この義体からだは武器に事欠かない」

 血が流れ出るかわりに、ずるり、と歪な切断面から金属片が飛び出した。形は尺骨そっくりだが、燃える炎を浴びて照り返す光沢は鋼のそれだ。さらに『骨』はベキベキと異音を上げて質量を増やし、全長を伸ばし、無数の関節を蛇腹めいて生み出し、金属製の触手――鞭に変形した。

 右手を一振りし、先端が鋭い破裂音とともに床を抉ったのを確かめると、男は声音だけで嗤った。

「な? 合理的だろう?」

「……そりゃ良かったな。けど、アタシはおしゃべりな奴が嫌いなんだ。特に空気を読まねえクソ野郎は張っ倒したくなる」

 うんざりだ――少女は、いらだちを隠すことなく吐き捨てる。同時に、彼女の右腕に灯る炎が激しさを増した。

「だからテメエは殺す」

「そうだな。もはや語らいは無用だろう。君とは殺し合いをするために、この場にいるのだから」

「だから、そう言ってンだろ、"鋼入り"スティーリーッ!」

「よかろう! 殺し合おう! "穢れた紅"ブライテッドルージュよッ!」



 少女と男――二人の超人オーヴァードは互いに吼え、そして激突した。

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