『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』はなんで『抜けない』映画なのか

今村広樹

『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』はなんで『抜けない』映画なのか

まずは僕が前によそでかいた感想を再録する(^_^;)テヌキジャナイヨ

マン・オブ・スティールの続編にして、ジャスティス・リーグへの序章


…にしても、このMOSよりも煮え切らない、重たいのは何事だろう


1、レックス・ルーサーのキャラ(頭がめちゃくちゃいいけど、普通の人)なので、バットマンvsスーパーマンの直接対決まで、謀略戦にならざるえない→ヒーロー映画としては地味


2、ジャスティス・リーグへのフリあるのは良いが、あまりにも要素詰め込みすぎて(ワンダーウーマンだけではなく、フラッシュとか顔見せ)、本筋のvsがかなり後半にすし詰めにされている


でも、ワンダーウーマン含めた三人が見栄を切るシーンは本当ワクワクするので、ジャスティス・リーグはもう少し爽快感ある映画にしてね(;´д`)


とまあ「ひたすらオナ禁させてれてる」ような映画というのが、僕の評価だけども

ではなんで「そういう映画になったのか」を少し考えてみよう

ちょってあれどけども、まずはライバルであるマーベルの『アントマン』と多分ここら辺の作品を仮想敵にしてたと思われる『実写版進撃の巨人』を想起してみる

それで2つの点に気づく

1、ヒーローチームを結成するまでの単体の映画としての魅力

僕は『アントマン』がすげえ好き(ああいうノリが良いんだよね)なんよ。で、あれは映画単体でも面白いというのもあるけど、

「シビル・ウォーの前振り」という点でMOSの親戚なわけです(色々みてないとおいてきぼりな点も含めて)

でもある一点で大きな差があって

「MOSは作品単体の出来より連続性を重んじてる」

ていうことです

アントマンは連続性もあるにはあるけど、1つの物語自体はその映画で完結してる

対してMOSはDCエクステンディッド・ユニバース としての連続性が(スーパーマンのキャラ造形含めて)強調

その結果として、アントマンは映画で描かれる事件自体は完結してるのに、スーパーマンは続編でも同じような悩みを抱えてるというわけです

2、観客が楽しめるか、作者のオナニーか

僕はワンダーウーマン含めた3大ヒ―ローでデーンの部分とか好きなんだけども、どうも「作者のたのしそうな顔」が透けて見える感じもするんよ

『実写版進撃の巨人』でよく言われてた「あー、このシーン、考えたり、撮ってて楽しかったんだろうなあ」という、あの感じですよ、あの感じ

このシーンを一生懸命作った(進撃でいう所の巨人の描写とか映画の引用とかゲイリー・スー(メアリー・スーの男性版だそう)ことシキシマとか)

のはわかるけど、もう少し観客のことも考えてねと感じるのは洋邦問いませんな

ジャスティス・リーグが(興業的にではなく、作品としての)成功するにはこの要素をいかに抜かすかだと個人的には思います

ともあれ無責任な観客である僕等は来るべき『シビル・ウォー』『シン・ゴジラ』『スーサイド・スクワッド』を待つのみであります

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