2月29日 浦崎淳太郎「地球は回る」
回る地球のその上に暦を持つ生物が存在していることを証明するために閏年はあるのだと高校時代に友人が言っていた。
傍から聞けば他愛もなく、実につまらない文言だが、若い当人たちにとっては深刻で大事な会話のなかで出てきた重要な言葉だった。
そうかといって、その時その輪にいた自分が、こうして数十年経ったあともそれを思い出すのは、それが青春の一頁的な象徴として脳裏に刻み込まれているからというわけではない。
今日が二月二十九日で、そして、いやになるほど胃が痛いからだ。
極端にマクロな話は物心ついた時から大嫌いだった。
怖いのだ。矮小な自分のまわりで、どうしようもないくらい大きなものが動いているというのを突きつけられるのが怖い。
だから、友人の言葉を耳にした瞬間も、自分の胃はギュッと縮こまり、途方もない痛みをもたらした。
知恵づいた人間がどれだけ計算しても上手に割り切れないものを生み出して、たくさんの人間を乗せて何食わぬ顔をして回っている、回っていられる地球が怖い。
いつだって深く考えないようにしてやりすごしたい。だが、そんな自分の小さな希望はかなしいほどにはかない。
大体、自分の手のなかにある、金属の棒は何だ?――追い詰められた自分が、死にたくないと望めば水だの氷だのを吐き出すロクでもない棒だ。
理屈など知らない、知りたくもない。
何でこんなものを使わなければならないものが存在している?
その存在を許すのは誰だ? 行政も警察もあてにならないなんて、こんなバカげた話があるか。
自分が生きる世界には、どうしてこんなにあやふやで、曖昧なものが満ち満ちている?
何を氷漬けにして叩き割れば、この棒切れがバカみたいな力を持つ話が終わるのだろう。
いや、棒切れはいい。どうにかしてあの化け物たちを消し去りたい。あの化け物たちがいなくなれば――でも、地球は回り続けるだろう。
回り続ける地球は、どうせまたつまらないものを生み出す。
そんな時にあの化け物たちがいなかったら、自分はこの棒切れで、今度は何をめちゃくちゃに壊すのか――
「――難しいことを考えている顔ですね」
山木君の声が嗤う。
視線を上げると、声ほどには嗤っていない、むしろ表情のない白い顔があった。
薄い唇が淡々と動く。
「そんなに考え込むようなことでもないでしょう。お膳立てはこちらでします。あなたはしかるべき時に一芝居打てばいいだけです」
「そうして田実君を騙せ、と」
田実君を騙して、彼の棒切れの使い方をもう少し使えるようなものにしろと。
「ええ。市川さんが定年を迎える来月を逃してしまうと、次はいつになるかわかりません」
地球は回る。回り続ける。
来月を逃したとしても、次の機会はそのうちめぐってくる。そもそも必要ない可能性だってある。
何を急いているのか。
見つめる口もとが弧を描く。
「大丈夫ですよ、浦崎さん。田実君が使えるようになっても、あなたの仕事は減りません。あなたはこれまで通り未確認生物を殺し続けることができます」
今日が二月二十九日でなければ、そして、胃が痛くなければ、自分はいったいどんな判断を下しただろう。
いや、どのみちこの計画を把握しているという行平課長や北島君の顔を思い出して、勝手に胃を痛めて、了承することになっていただろうが。
――胃が痛い。
次、化け物を殺せる期間がめぐってきて、終わる時、自分は水道局営業課収納係停水班の申し子を生み出しているのだろう、きっと。
【了】
戦え! 水道局営業課収納係 岡野めぐみ @megumi_okano
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