黄昏tails

黄昏狐

「この世界は理不尽だ」

 この世界は理不尽だ。

 生きていたいと望む者が生きられず、死にたいと望む者が死ねない。

 人はよく「おお、神よ」なんて口癖のように言うが、神なんてこの世界にはいない。

 故郷である星は、戦火に巻き込まれ、いとも容易く跡形もなく吹き飛んだ。私の両親を、その地に抱いたまま。

 私は「フォクシー」と呼ばれる、言うなれば人間に狐的特徴を足した亜人系の種族の、今となっては数少ない生き残りである。

 凛々しく天を仰ぐ狐耳と、ふわふわの毛を纏う尻尾は我々フォクシーの誇りであり尊厳でもある。

 数隻の惑星脱出艇によって、我々フォクシーは種の存続に成功はしたものの、座標指定なしの緊急ワープであったがために、仲間同士散り散りになってしまったのは確かだ。以来、我々は故郷を亡くした流浪の民として世間様には認知されている。


「あれから、もう10年かぁ……」

 今ナビゲーション中の航宙輸送艦の入港手続きをこなしながら、私はぽつりと呟いた。

 故郷が無くなって、つまりは両親が亡くなってからちょうど10年の月日が流れていた。

 8歳の時に天涯孤独の身になってから、死に物狂いで生きてきて、今ここに居る。

 自分で言うのも何だが、我々フォクシーは頭が良い。なので、色んな分野で引っ張りダコなのは紛れもない事実であった。

 実際、私も路頭に迷っていたところを、フォクシーだから、ただその一つの理由で今の会社の社長に拾われ現在に至る。

 私は航宙艦のナビゲーションを仕事にしていて、三次元把握能力とマルチタスク能力の高さから、社長から一目置かれている。亜空間高速通信を使用してのリアルタイムナビゲーションは難しいものなのだが、私にとっては朝飯前で、だだっ広い宙域はもちろんだが、小さな小惑星や宇宙船の残骸などが無数に漂い、重力変動がランダムに起こる宙域において、その能力を最大限に発揮する。

 なので、少々ナビ料金はお高くなっているが、それでも利用したいという船主は多い。

「入港手続きを完了。艦体制御をポートコントロールに移行、ガイドビーコン確認。私の仕事はここまでです」

「ありがとう、いやー今回も助かったよ」

「またのご利用をお待ちしております」

 言いながら頭を下げて通信を終了し、椅子に深く腰掛け直して深く深呼吸する。

 1回の仕事の拘束時間が長い上、ミスが許されないので精神力を消費する仕事だが、余計なことを考えなくていいので助かっている。

「ふう……。そろそろランチかな?」

 勢いを付けて椅子から飛び降り、自分のデスクを離れ、トテトテと歩きながら今日のランチを考えてみたりする。今の仕事は好きだが、気分転換も大事だ。

「ん……。今日も無事に帰ってきたみたい」

 常連のカフェに行く途中、外が見える通路があるのだが、そこから見える光景の中に、結構な頻度で現れる個人所有の航宙輸送艦がある。

 私が今いるこの会社は地球の軌道上に作られた巨大宇宙ステーションの一部を間借りしていて、ちょうど通路が艦船ドッグの方を眺められるように開けている。

 初めてコーヒーを口にした10年前から、同じドックナンバーの場所に現れる船なのだけど、どこのどんな人が乗っているのかは知らない。

 ガイドビーコンに従ってドックに接近してきたので、遠目ながら艦橋が見える。中が薄暗いのでよくは見えないものの、人の姿がわかり、こちらが手を振ると振り返してくれる。

 いつもの日課になりつつあり、長期間帰ってこない時はちょっと心配になったりもした。

 今日もまた手を振ると、向こうも振り返してくれたが、すぐに接舷のための180度回頭に入ったため見えなくなった。

 もう10年にもなるため、他の新鋭艦に比べると見劣りするが、それでもメンテナンスが行き届いているので、どこかの星間輸送会社のメンテ投げっぱなしの定期便よりはよく見える。

 いつかあの船をナビしてみたいなんて淡い気持ちを持ち続けてきたが、ナビ料金が高すぎるのか私に依頼が来たことはない。

「ふむ……」

 個人所有の航宙輸送艦なんて、そうそうお目に掛かれる代物ではないので、ネット検索すれば何かで引っ掛かりそうなものだが、過去に全身全霊を使ったハッキング紛いの事をしても情報は何一つ出てこなかった。

 本来、航宙艦というものは戦艦、輸送艦、軍属、民間という括りにとらわれず、唯一無二の識別ナンバーの表示が義務付けられ、データベースへ登録されているはずである。表示が無いのは無法者ぐらいだが、無法者が地球連邦直轄の、地球連邦宙軍基地があるまさにお膝元とも言えるこのステーションへの係留を許されるわけが無い。

 考え事をしてもしょうがないので、いつものようにいつものカフェに向かう事にする。

 職場は人口重力下にあるが、通路は低重力状態であり、壁に掴まって移動する装置が設置されている。

 棒状の取っ手に掴ると、取っ手自体が進行方向に移動を始め、体が引っ張られる。

 私はいつも会社の制服を少しアレンジした丈の短いワンピースを着ているので、中が見られてしまいそうなのだが、そこは見えてもいいようにスパッツを着用するなど気を使っている。たまにフォクシーの容姿に釣られてフラフラと後ろを付いてきた男がため息をするのを知っている。尻尾が目当てで付いてくる変態さんもたまにいるが。

 400メートルほど進むと隔壁があり、通常重力下の商業区に到着する。

 会社に食堂がないので不便極まりないが、隔壁すぐ横にお気に入りのカフェがあるので、まあ良しとしている。

 私のお勧めメニューは『トリプルお揚げサンド』と『稲荷寿司』だ。というのも、このカフェの店主が自分と同じフォクシーで、我々の母星では高級食材だった油揚げをふんだんに使ったメニューを揃えている。稲荷寿司とコーヒーを一緒に嗜む姿を他種族が見ると奇妙奇天烈に見えるようだが、地球圏のフォクシーの間では一般的な光景であった。どこかにフォクシーが営む世界中の油揚げのみを集めた油揚げ専門店なるものもあるそうだが、遠いらしいので行った事は無い。

 ここ、地球にある「ジャパン」という島々にたまたま立ち寄った店主が、油揚げを宇宙に広めた第一人者だとか。また、「ジャパン」には狐を神聖視する文化もあるようで、私たちフォクシーととても相性が良いらしい。

「マスター、いつもの」

 カウンター席に着くなりそう言うと、私の姿を一瞬だけ確認した店主がすぐに調理を始める。

 ここの店主は我々フォクシーの中でも希少である、「シルバーフォックス」の末裔だ。すでに50歳を超えているだろうが、その毛並みは若い私が見惚れるほどの艶とボリュームで、白と黒味がかった銀のツートンカラーが織り成すもふもふ感は、一度心行くまで埋もれてみたいと誰にでも思わせる魔力を秘めている。ハイテクな時代に合わないアナログな眼鏡を掛けていることもそれに一役買っているようだ。

「はい、どうぞ」

「ども」

 ローテクな店主に似合わず店はハイテクで、テーブル上に料理が置かれると、代金と「ここに端末置いて」の表示がされるので、そこに自分の持つ端末をかざすだけで支払いが完了する。

 『クォーン』と甲高い狐の鳴き声がして決済が終了。端末上で幾ら支払った、と看板を持った狐がアニメーションしている。

 そして、待ちに待った(それほど待たされていないけど)瞬間が訪れる。

 私はおもむろにピラミッドのように積み重ねられた稲荷寿司(6個)の頂点の1個を手に取ると、口へ運んだ。

 甘辛く煮詰められたお揚げと包まれた酢飯が舌に上で絶妙なハーモニーを奏でる。

 瞬間的に体を電流のようなものが駆け巡り、ブワッと尻尾の毛が逆立つ。

 顔はたぶん他人に見せられない、恍惚とした顔をしていることだろうが、こればかりは止められない。一種の中毒と言っても良いのかも知れない。

 3つ隣のカウンターにもフォクシーが座っているのだが、同じような状況になって、慌てて尻尾の荒ぶりを静めようとしていた。私はすでにこの悪魔との取引を甘受していたので、お構いなしだけど。

 前にマスターが「お揚げがあれば世界は平和になる」と言っていたが、はっきり言うと私たちフォクシーの頭の中がお花畑になるだけで、他種族には意味がない。

「──また今日もいるんですね」

 声に振り向くと、20歳半ばであろう顔立ちながら総白髪の男性がいた。

 黒がベースの地球連邦宙軍の軍服を来ていて、胸に付いた階級章はたしか大佐を意味していたと思うが興味はなかった。なぜなら──。

「うるさい、黙れ、痴漢」

 ──私はこいつが嫌いだからだ。

 十年前のあの日、私は彼にここで初めて出くわした。

 その思い出が尻尾に対する痴漢行為なので、良い感情を持っているわけがない。

 私たちフォクシーは自分の尻尾に尊厳を持っている。だから、尻尾を無断でもふもふされたら誰だって怒る。

 当時8歳だった私の尻尾を無断でもふもふした、つまりは幼女に対して痴漢行為を働いた現行犯として警備員に突き出したが、そいつがヒューマンであったが為に相手にされなかった。尻尾は尊厳でもあるが、同時に……その……敏感だから触られるとちょっと……。

 宙軍基地から見るとこの区画は最も遠い区画になるはずなのだが、この物好きは私が目当てなのかこの店が目当てなのか、連日のようにやってきては私に話し掛ける。

「酷いですね~。稲荷寿司あげますから」

 言われて私は思わず尻尾を振ってしまう。

 彼が席に着くと同時に、稲荷寿司(12個)が出され、4個が私の皿へと移動させられた。

「稲荷寿司くれたって、尻尾には触らせない」

 そう言いつつも、私は早速稲荷寿司を食べる。

 横目で彼を見ると、いつも私を見るのは声を掛ける時だけで、それからは一度だって私を見ない。

 いつも不思議に思うが、これが私と彼の関わり方であり、日常であった。

 私たちの間には店の常連である、それ以外に関わりはないのだから。

「仕事のほうはどうです? どこかで不審な動きとかありませんでした?」

 彼はいつも左目に片眼鏡のような情報デバイスを付けていて、何かのログが高速に流れている。私からは小さ過ぎて何が映っているのかはわからない。

 いつも会う度、彼は私に同じ事を尋ねる。

 教えたわけではないのだが、私が航宙艦のナビゲートを仕事にしているのを知っていて、航宙艦のレーダー情報を把握している事も知っているのだ。

「知らない」

「そうですか」

 我ながら思うが、いつもドライな返事だ。

 10年間繰り返してきた日常で、彼はそんな私の言葉でも聞く度に少し頬を緩ませる。

 会話はそれだけで終わり、稲荷寿司を食べ終わるまで無言が続く。

 いつも決まって彼が先に食べ終わり、席を立つ。

「それでは──また」

「もう来るな、変態」

 彼は肩を竦めると、どこかへ去った。

「ん。そろそろ次のナビかな?」

 呼び出しが掛かって端末が震えていた。


 それから1ヶ月。彼は姿を見せなかった。

 あの輸送艦も姿を見せなかった。

 彼が居ない期間と輸送艦がいない期間は重なることが多いので、少なからず彼と輸送艦の関係を感付き始めていた。そんな時の出来事だった。

「普段の20倍? 同乗してナビするだけで?」

 社長室に呼び出された私は、困惑の声を上げた。

「だそうだ。どうしてこんな無理な航路を好き好んで使うのかはわからんが、艦体を無傷でナビゲートできれば、さらに報酬を上乗せするそうだ」

 社長は目を輝かせながら私に言うが、どう考えても何か別の目的があるようにしか思えない航路の取り方だった。

 というのも、今までに私がナビしてきた最難関の航路ばかりを選択していて、小惑星地帯、重力異常地帯、紛争宙域、そして最終目的地が通信不能領域、その後地球に帰還するというもの。

「社長、お言葉ですが、これはおかしいと思いませんか?」

 私の抗議もどこ吹く風。社長は最近傾き始めた会社を立て直そうと必死だった。

「大丈夫、大丈夫。保険は掛けておくからさ」

 私を拾ってくれた頃の威厳のあった社長は今、ただの金の亡者だった──。


 で、案の定、これは嘘の依頼だったわけで。

 依頼主の船に乗って1週間が過ぎた頃だと思う。

 朝、目が覚めると、ご丁寧に手枷足枷を付けられて檻にぶち込まれていた。

 フォクシーはその手の者に人気があり高値で売れる。どこか風の噂で聞いたことがある気がする。

 いや、もしかしたら、私は目先の金のために社長に売られたのかも知れない。

 周りを見ると、同じように希少種族が檻に捕らわれていた。

 どうやら私は違法に希少種族を人身売買する組織に捕らわれてしまったようだ。

 どこか、自分自身の事なのに他人事のような気がしていた。

「*******、***********、*********、**、***」

 組織の構成員の声が聞こえてきたが、身包み剥がされて通信機兼自動翻訳機まで取られてしまった私には何を言っているのかわからなかった。

 途方もない絶望に、私はただ俯いて膝を抱えることしかできなかった。


 さらに1週間が経った。

 食事こそ出されるが、当然食べられたものではなかった。

 生きる為だけの、栄養の塊。

 檻の隅にずっと蹲り、自分の膝を抱いて、自分自身を境遇を呪った。

 最早何のために生きているのかわからなかった。生かされているのかわからなかった。

 そんな時、自分の檻の前に誰かがやってきて、自動翻訳機を放り投げてきた。

 緩慢な動作でそれを拾い上げ、耳に付けると、怒鳴り声が聞こえてきた。

「おい、お前。ナビゲーションが得意なんだろ?死にたくなければやれ」

 手枷足枷を付けられ、銃を突きつけられながら、私は艦橋に連れて行かれた。

 昨日くらいから艦体が良く揺れるとは感じていた。

 まさか、自分が乗っている艦が超重力偏差地帯に自ら突っ込んで難破しようとしているとは思っていなかった。

 ナビシートに縛り付けられ、仕方なく航行ログを読み漁る。

 ナビにはすべての情報を頭に叩き込む必要があるのだ。航宙軌跡、艦の航宙能力、艦体質量、重力変動状況、周辺惑星の位置、などなど。

 ウィンドウをいくつも立ち上げて照らし合わせていると、1つの事実が浮かび上がってきた。

 急な航路変更、艦体の損傷を見ただけで薄っすらと感付いてはいたが、この艦は昨日、戦闘をしたということ。

 僅かに手を止めて考えていると、突き付けられた銃身がグリッと体に食い込んだ。

「余計な詮索はするな。この船を脱出させることだけを考えろ」

 たらりと冷や汗が頬を流れた。

 脱出できなければ宇宙の藻屑。だが、脱出できたとしても、きっと連邦宙軍の艦隊に囲まれてフルボッコで轟沈。八方塞だ。

「死にたくないだろう?」

 笑いながらも目が据わった構成員を見る限り、もう狂気しか感じられなかった。

「三途の川の先導を頼むぜ、雌狐さんよぉ」

 太腿を指先で撫でられ、寒気を感じて思わず尻尾の毛が逆立った。


 死に物狂いでナビゲーションし、超重力偏差地帯を抜けたその先に、私は絶望の光を見た。

 連邦宙軍の艦船が次々とワープアウトしたのだ。

 ズームアップしたウィンドウの1つを手元に手繰り寄せると、艦船の識別コードが見えた。

 私が毎日見ていた──宙軍主力艦隊コード『USF-00』の文字。

 確実に殺される。

 向こうの装備はこちらの艦を黙らせるためには強力すぎる装備しか積んでいない。

 砲撃が掠めただけで艦体の半分は持っていかれるだろう。こちらの艦が積んでいるシールドなんて、向こうさんの艦砲から見たらただの風船に過ぎない。

 押し付けられていた銃身がさらに体に食い込んだ。

「つっ……」

「どうすんだよ、糞雌狐が?!」

 銃身が体から離れ、頭に向けられた瞬間──艦体を激しい振動が襲った。

 後方からの攻撃により、8基あるスラスターのうち6つが使用不能になった。

 突然の衝撃に構成員はすっ転び、思わず銃を握り締めた反動で弾が発射された。

 弾丸は何かの制御パネルを粉々にし、同時に私の側を漂っていたウィンドウがいくつか消えた。

 慌てて艦体状況を確認すると、見事にスラスターだけが打ち抜かれていて、気密その他に影響はないようだった。

 後方カメラを起動してズームすると、見慣れた艦体が目に映った。

 いつも通路で手を振っていた迎えていた輸送艦──だと思った戦闘艦は、外装をパージすると戦闘態勢を取ったと同時に通信を入れてきた。

『──こちらは地球連邦宙軍所属、インビジブル。貴艦は連邦航宙法第210条、及び第330条、第11条に違反している。降伏しなければ今ここで撃沈する』

 通信ウィンドウに、これまた見知った顔が映った。

 いつもカフェで隣に居た彼だった。

 見慣れた顔に安堵した途端……お尻に温もり感じた。

 ──正直な所……漏らしてしまったのだ。

「こっちに通信をまわせ」

 構成員に言われた通りにウィンドウをまわすと、私の側に歩み寄ってきて、銃を突き付けながら回線を開いた。

「宙軍だかインポ(ッシブル)だか何だか知らねーが、こっちにはたんまり人質が乗ってるんだ!やれるもんならやってみろよ!!」

 構成員とともにウィンドウに移り込んだ私を見た彼は、驚いたようで目を見開いていたが、そこは職業軍人らしい対応をした。

「脅しには屈しない。撃沈を選んだと了解した」

 冷徹な通信を最後に、ウィンドウは真っ暗になり、砲撃の嵐で私の意識も暗闇へ落ちていった──。


 次に意識を取り戻すと、私は彼に介抱されていた。

 燃え盛る炎。ひしゃげた通路。酸素濃度は限りなく薄い。

 そんな中、私の視界に映る白髪と広い背中。

 彼が付けている無線から、彼の部下と思われる悲鳴が聞こえてくる。

『……さ、大佐! これ以上は持ちません、早く、早く脱出を!!!』

「わかっている。これは僕の償いなんだ。駄目そうなら逃げてくれ」

 私には彼が何のことを言っているのかわからなかった。

「……10年前、僕が不完全にシールドを張ったばかりに、敵艦の攻撃が逸れて、君の母星は砕け散った。君は独りになった。僕はその償いをする為に君の側にいた。今更許してくれとは言いません。せめて、君だけは救い出さなければ、僕は、僕はもう……」

 顔を彼の背中に埋めると、なんだか知っている気がした。いや、10年前、私は彼に背負われていた。

 10年前もまた、燃え盛る脱出艇から、彼に助け出されていた。

 彼が白髪になった理由。

 彼が、私と深い関係を築こうとしなかった理由。

 すべては10年前に始まった。

 彼は10年前にすべてを、数億の魂を背負った。

 ──私は、思い出した。

 あと数刻もすれば、この艦は爆散する。そんな状況でありながらも、私はなぜか落ち着いていた。

 彼の背中を飛び降り、自動翻訳機の非常バッテリーを解放して近くのコンソールを起動した。

 彼が私に何かを話しかけているが、わからない。

 それでも──今はいいと思った。

 検索を掛けると、脱出ポッドが一つだけ残っていた。

 私は彼の手を引き、脱出ポッドまで走った。

 起動処理をし、ポッドのドアを開くと、それは残念ながら1人乗りのポッドだった。

 彼が無理やり私だけをポッドに押し込めようとするのを避けて、彼ごとポッドの中になだれ込む。

 映画で良くある、どちらかが取り残されるのは嫌だった。

 ドアのロックボタンをぶっ叩いて閉まった3秒後、ポッドは緊急射出された。

 凄まじいGに、私も彼も意識を失った。


 ポーン、ポーンという不快なアラーム音に意識を取り戻すと、私は彼の腕に抱き締められていた。

 彼は自身の通信機を外すと、私の耳に付け、こう言った。

「最後くらい、尻尾を触らせてくれませんかね」

「……変態」

 聞こえていたアラームは酸素残量の警告だった。

 1人用に2人乗っているのだから、消費量は倍、持続時間は半分だ。

「……尻尾触るだけでいいの?」

 私は少し背伸びすると唇を奪った。

 今、彼は通信機を付けていないので、私が何を言っているのかわからないだろうけれど、これだけで気持ちは伝わるはずだ。

 ──でも、もう残された時間はほとんどない。

 そう考えると、涙が止まらなくなり、静かに彼に身を寄せた──が。

『大佐、ラブシーンのところ申し訳ありませんが』

 急に音声通信があり、体がビクッと反応した。反動で耳から通信機が取れた。

 彼は通信機を受け取り、無線に出た。

「なんですか、良い所だったのに」

『そろそろドアを開けても宜しいでしょうか』

「ええ」

 私には通信機がないので何を話しているかわからなかったが、とりあえず、彼の顔面にパンチをお見舞いした。


 あれから月日は流れ、彼は軍を引退した。私も、ナビゲーターの仕事を辞めた。

 ──今では、あのカフェの店主として、仕事に勤しんでいる。

 前の店主がカフェをたたむ前日に店に行ったところ、店を継いでくれと言われ、今に至る。

 お腹が結構大きくなってきたので、店を手伝うのは大変になってきたけれど、幸せだから何も問題ない。あと2~3ヶ月だと医者は言っていた。

「……僕はこんなに幸せになっていいのでしょうか」

 時折、彼は仕事の手を止めてそんな事を呟く。

 だから私は。

「だったら1ダースでも2ダースでも産んでフォクシーを増やせば良いじゃない!」

 と背中をバシッと叩くのだ。

 遺伝子の関係上、フォクシーと人間との間に子供は生まれるし、フォクシーの形質のほうが優勢である。

「だから、バリバリ働かないとね!」

 マジですか、という顔をする顔をする彼を他所に、店にやってくるフォクシーは後を絶たない。

 というか、本当に絶滅危惧されてるんですか、私たち──?

 今日も今日とて、カウンター席には黄昏色した尻尾が並ぶ。

 私は後から聞いたのだが、フォクシーたちは皆、「ジャパン」を第2の故郷にしたのだという。

 『ジャパニーズ』の純血種が絶滅危惧されたのは、またまた別の物語。

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