第2話 HERO

 この世には、善と悪が存在する。

 それらはどちらも人間の心の中に生まれながらにして存在する。しかし、それらは決して相容れることはない。

 善行を働く者がいる一方で悪行を働く者がいる。また、善人が悪行を働き、悪人が善行を働くこともしばしばだ。さらには、悪行を善だと主張する者がいれば、善行を悪だと批判する者もいる。

 まさに、善と悪は表裏一体なのである。人が人である限り、善も悪も永久に途絶えることはない。そして、その事実は誰にも覆すことができないのだ。


         ◇


 ある日の昼頃、R市で事件が起こった。R市で一番大きな銀行に強盗が侵入したのだ。強盗は四人組の男たちで、全員が覆面で黒ずくめの格好をしていた。それぞれが拳銃を装備し、銀行に侵入すると瞬く間に客や銀行員を人質にとった。


 バンッ!!

 弾丸が爆ぜた。銃口から硝煙が漏れ出るとともに、静寂が生まれた。


「ハッ、ようやく静かになりやがったか。いつまでもワーキャー喚きやがって。てめぇらは猿以下の知能かよ」


 長身の強盗が呟く。わずかに見える瞳はどこか神経質そうな光を帯びている。


「……クソッ、野次馬どもがこっちを見てやがるぞ。じきに警察に通報されるかもしんねぇな」


 外を見張っていた小柄な強盗が舌打ちする。その言葉を受けて、人質を見張っていた恰幅のいい強盗が、


「サツが来る前にトンズラこいちまえば構わねぇさ。お前は何も考えず見張っとけ」


 と、下品に引き笑う。薄汚い笑い声が室内を跳ねていく。それを不快に思ったのか、人質たちは顔をしかめる。

 一方、窓口では無口な強盗と先ほどの長身男が銀行員たちに指示を出していた。


「今ある金をこのバッグにどんどん詰めろ。もし警察を呼ぼうとしたり逆らうような素振りを見せた場合、お前たちの体に涼しげな風穴をブチ開けることになる」


 長身男がこれ見よがしに拳銃を向ける。相対する女性の銀行員は瞳を潤ませて、小刻みに首肯する。その反応を皮切りに、銀行員たちは次々と現金を引き出してバッグに詰め始める。

 室内に冷たい緊張感が漂う。銀行員たちは無心で金を詰める一方で、二人の強盗は彼らに銃口を向けて睨んでいる。人質となった客たちはその光景をただ見ていることしかできなかった。

 ある一人を除いては。


「おい、そこの強盗ども! これ以上ワルいことをするな!!」


 突然、幼い大声が響いた。その場の誰もが声のした方へ振り向く。

 全員の視線の先には、十歳にも満たない少年がいた。勇ましく立ち上がったのはいいが、足は小刻みに震えて頼りなさげな様子だった。


「止めなさい! そんなこと言ったら危ないわ!」


 少年の傍にいた母親が必死に制止する。だが、それを振り切って少年は人質の集まりをかき分けて進む。


「お前かぁ? 俺たちに逆らおうとしてる奴は」


 人質を見張っていた大柄男が少年の元に歩み寄ってくる。対する少年は涙目で大柄男を睨みつける。


「お前らみたいな小悪党なんて、どのみちすぐにケームショ行きになるさ! 無駄なことは止めてさっさとジシュしろ!」

「ハッ。お前みたいなガキが偉そうな口を聞いてんじゃねぇよ。これ以上逆らおうっていうんだったら……」


 大柄男は手に持った銃を少年に向ける。セーフティを外し、ゆっくりと引き金に人差し指を添える。これで少年を撃つ準備は整った。大柄男の口元がニヤリ、と歪む。


「止めて! その子を撃たないで!!」


 母親の懸命な叫び声が辺りを突き刺す。だが、


「駄目だ。例えガキだろうと、俺たちに楯突く奴はタダじゃおかねぇ」


 と、言い放つ大柄男。少年は銃と男を凝視し、身を震わせている。客たちは目を見張り、密かにざわめきだす。


「うるせぇ! 外野は黙ってろ!」


 大柄男の一喝で、また静寂が訪れる。


「じゃあな、クソガキ。精々あの世で後悔するこったな」


 大柄男は人差し指に力を込める。

 あと少しで引き金が引かれる。そして──────




 ドガッ、ボゴッ、バタン。


「待たせたな。私が来たからにはもう安心していいぞ諸君!」


 大柄男の後ろに彼よりも屈強な男が立っていた。


「なっ……! 誰だお前!」


 意表を突かれた大柄男は振り向きざまに謎の男を撃とうと構える。しかし、謎の男はそれを上回る速さで大柄男の腕を払いのける。すかさず彼の手から銃を奪う。そして続け様に彼の腹を殴って床に伏せさせる。途切れることのない滑らかな動作だった。

 少年は自分を助けた謎の男に釘付けになった。そして、気づく。


「ジャスティスだ! ヒーローのジャスティスが来てくれたんだ!」


 少年は目を輝かせて、目の前の男、スーパーヒーローのジャスティスを見つめる。ジャスティスは少年に優しく微笑む。


「ああ、私がジャスティスだ。たまたまここを通りかかった時に、事件が起こったことを知ったのだ。警察が来るのを待ってられなかったもので、一人で潜入してやってきたわけさ」


 ジャスティスの登場により、人質たちは一様に安堵する。ジャスティスといえば平和のために人助けを行う有名なヒーローだ。彼がひとたび駆けつければどんな敵もひれ伏し、どんな困難も覆される。

 ジャスティスの後ろでは、残りの強盗がみな床に伏していた。彼が潜入したと同時に三人を倒していたのだ。


 ヒーローが駆けつけたことで強盗集団は全滅。人質の安全は保障されたも同然。これで事件は解決した、かに見えた。




「クソッ。ここで終わってたまるかよ……!」


 それは、今まで口を開かなかった無口男のか細い声だった。かろうじて意識を保っていた彼は、力の入らない己の体を懸命に動かそうともがいている。


「まだ意識があったのか、小悪党よ。これ以上は抵抗しない方がお前たちの身のためだぞ」


 ジャスティスが無口男を睨みつける。しかし、無口男はその言葉を無視するようにもがき続ける。


「うるせぇ……俺たちには、腹を空かせて待っている孤児院の皆がいるんだ。俺たちがいなきゃ、アイツらは今以上に貧しい思いをしてしまう。だから、俺たちには金が必要──────」


 無口男の声はそこで途絶えた。ジャスティスが落ちていた銃で彼を撃ったからだ。ヒーローの目からは先ほど少年に見せた温かい色が失われていた。

 無口男の体には三発分の風穴が開いていた。周りには赤い液体がダラダラと流れ出ている。その表情は無念を物語っていた。


 その場にいる誰もが息を呑んだ。少年はあまりの衝撃に遭遇し、半ば生気を失っていた。ジャスティスは既に息絶えた無口男に語りかける。


「たとえお前たちにやむを得ない事情があったとしても、犯罪が犯罪であることに変わりはない。どう足掻いてもお前たちは裁かれる運命だったのだ。───正義は必ず勝つのさ」


 銃口から漏れる硝煙が、悲しげに宙を漂っていた。

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何かが違う 杜乃日熊 @mori_kuma

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