2――調理実習へ(前)


   2.




「じゃあボクが生地を作るから、その間にキミはチョコを湯煎してくれるかい?」


「はーい」


 なっちゃんとりょーちゃん、すっかり汞銀河の美形スマイルにほだされてる。


 あたかも操り人形のよう。む~、何よ汞銀河の奴、女子をあごで使っちゃってさ~。大体、なんでこいつが班を仕切ってるのよ。いつからリーダーになったの? ちょっとケーキ作りが得意なだけのくせに。ぷんすか。


 授業が始まってからずっとこんな調子。先生から簡単なレシピを講義されたあと実習に入ったんだけど、そこからもう汞銀河と泰野洽湖の独擅場どくせんじょう。うちの班はこの二人が牛耳ってると言って良いわ。むかつく~。


「あっはっは、湯島さんだっけ? さっきはメス豚などと罵って悪かったね? 同じ班である以上、協力しようじゃないか?」


 げ、こっち向いたっ。


「何が協力よ、嘘臭くて反吐が出るんだけど~」


「参ったね、警戒してる? でも、そんなキミのふくれっ面も素敵だよ?」


 しかも私にまで歯の浮くような台詞を織り込んで来るの、本当に勘弁して欲しいわ。本気で私のこと口説こうとしてるの?


 けどおあいにくさま、私は心に決めた人が居るんだもん、その他大勢でしかないナンパ野郎になびくほど尻軽女じゃないのよ。あっかんべ~。


「で、キミはチョコを刻んでくれないか? 湯煎するときに早く溶けるんでね」


 にっこり白い歯を見せて微笑む汞銀河は、しかし的確な指示だったわ。


 悔しいけどケーキ職人なだけあって、手際が良いの。完全に主導権を握られてる。モタモタしてると泰野洽湖が「遅いわねアナタ」とか言って来るから、自然と作業もはかどる。


 く~っ、この二人、人を使うのが上手だわ。現場経験の差かしら。


 泰野は調味料の計量をしてたんだけど、休む間もなく次の支度に取りかかってる。スポイトを何本も用意して、チョコソースを注入してるの。


「な~に、それ?」


「知らないの? 今は洋菓子にかけるソースやジャムを、スポイトに入れて添えるのが欧米での主流なのよ。日本でも専門店や高級カフェではスタンダードよ」


「ふ、ふ~ん……」


 悪かったわね、高級カフェに行ったことなくて。私は庶民派なのよ。


「ところで、そこのオチコボレ」


 汞銀河がシシちゃんを呼び付けたわ。


 ひどい言い方! ナンパ野郎でも、休学してたシシちゃんだけは許せないっぽい。


「――何よ」


 返事しちゃうシシちゃんもシシちゃんよ。名前で呼ばない無礼千万な男なんて、無視すれば良いのに。


「貴様は卵黄を取ってメレンゲを作れよ? 取り除いた卵黄も、後で使うから捨てるんじゃないぞ? 留年決定のサボり女でも、それくらいは出来るだろう?」


 とげのある物言いは、明らかに神経を逆撫でする挑発だったけど、シシちゃんは軽く睨み返しただけで、素直に従ってた。


 一発ガツンと反論すれば良いのに~。


 そりゃ~喧嘩しても不毛だけど、あいつの言いなりになるのも腹立たしくない?


「――あたしにも分別はあるから」左手で卵を割るシシちゃん、「――今は授業中だし、波風立てずに手早く終わらせるには、奴に従うのが一番効率的よ――」


 感情を押し殺すように、シシちゃんは呟いた。


 それはそうだけど~……って、なんで私がこの子の分まで憤ってるのよ。感情的になり過ぎてるな~、私。シシちゃんの方が作業に徹してる分、大人だわ。


「アナタ、手が止まってるわよ」


 泰野洽湖に目ざとく指摘されちゃった。


 この女ってば、汞銀河の助手気取りで高飛車よね。けど、こいつも有能だから反発できない。今もてきぱきと作業しながら喋ってる。


「はい、オチコボレさん。これがメレンゲに使う材料よ」


 泰野洽湖までシシちゃんをオチコボレ呼ばわり。


 けどシシちゃんは顔色一つ変えず、黙って応じた。左手で計量カップを受け取り、卵白と解きほぐすの。左手に泡立て器を持って、無心でかき混ぜる。


 ていうかシシちゃん、さっきから左手ばかり使ってるわね。


(ひょっとしてシシちゃん、? 初めて気付いたわ)


 シシちゃんは完成させたメレンゲを、何回かに分けてケーキの生地に導入してく。そしてオーブンに投入し、二〇分ほど焼けば出来上がり。


 二〇分待つ間も遊んでるわけじゃなくて、容器の片付けをしたり、デコレーション用のチョコを型に流し込んだり、文字を書くためのチョコペンを詰めたりして過ごす。


 中でも、調理器具を洗う流し台が混雑したわ。他の班員も大挙して詰めかけるから仕方ないんだけど。


 そこで先生が「外の水道も使っていいわよ」と窓外を指差す。外には、冒頭でも言った花壇と蛇口が設置されてる。すぐ横には園芸用のロッカーまである。家庭科室の勝手口から行き来できるの。あの蛇口を使えってことね。


「じゃー洗って来るねー」


 なっちゃんがボウルを抱えて洗いに向かう。


 戻って来る頃にはケーキも焼き上がったわ。最後の仕上げにココアパウダーを振りかけて、デコレーションを乗せれば完成。


 は~、苦痛だった。


 ちっとも達成感がないわ。命令に従うだけの作業マシーンと化してたからね……これを持ち帰ってお兄ちゃんに食べさせるのは嫌だな~。私の愛がこもってないもん。


「さぁ、最後は配膳だぞ? 切り分けたケーキを皿に盛って、スポイトとフォークを添えてくれないか? ヒロコと、そこのナツちゃん。キミはよく働くね、重用しよう」


「わー、うちが指名されちゃった!」


 なっちゃんが諸手を上げて喜んだわ。さすがファン。


 包丁で切り分けたケーキを一つ一つ取り皿に乗せて、トレイに並べる。いくつかは先生や周りの女子生徒にも配ってる。


 余った分は汞銀河自らが一口すくい取って、味見してた。


「良いメレンゲの風味だ。休学三昧のゴミ女でも、この程度の仕事は出来るようだな?」


 ま~た汞銀河が嫌味こぼしてる。


 とはいえ、ほぼ想定通りのおいしさだったようね。必要以上にシシちゃんを咎めることはなく、矛を収めてた。


「あら。味が良いのは、わたしの正確無比な計量あってこそよ?」


 泰野洽湖がしゃしゃり出る。


 シシちゃんを目の敵にしてる感じ。もしくは、汞銀河に自己顕示してるっぽい。そんなに承認欲求が強いのかしら。男に依存し過ぎてない?


 汞銀河もなだめるように泰野洽湖を誉めそやす。馴れ馴れしく肩を抱いたり顔を寄せたりして、恋人の機嫌取りに必死だわ。授業中なのに。


「じゃあ各自、好きなケーキを取っていいぞ?」


 ひとしきりイチャついた汞銀河が、私たちに手を向けたわ。


 トレイに並んだチョコケーキは、いろんなトッピングがデコレーションされてる。お皿やフォークも色違いだったり、柄や模様が違ってたりして、目でも楽しませてくれるわ。


「どうした? 早く決めないとボクが先に選んでしまうよ?」


 汞銀河が早口で選択を迫った。


 妙にあおるわね……早く実食したい気持ちは判るけど~。


「ボクはこの、星型チョコが乗ったケーキを食べようかな? でも、バレンタインらしくハート型のチョコを飾ったケーキも捨てがたいぞ? チョコペンで文字をしたためたケーキも申し分ないなぁ? 見栄えが良いのは白い取り皿に置いたケーキだな、黒いチョコとのコントラストが映えると思わないか?」


 一気にまくし立てた汞銀河は、徐々に語気をゆるめて鑑賞に専念し、最後はゆっくりと問いかけるような口調になった。


 なっちゃんとりょーちゃん、始めは彼の早口に圧倒されてたけど、次第にウンウンと頷いたり、前のめりに聴き入ったりしてるの。完全に彼の虜ね。二人ともチョロ過ぎ!


 さ~て、どのケーキを食べようかな~……。

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