1――家庭科室へ(後)
「みずがね……ぎんが?」
知らない。ちっとも興味が湧かない。
私、お兄ちゃん以外の異性って眼中にないからね。悪いけど。
「そーだよ、二組のイケメンでさー。家庭科ってほとんど女子しか選択しないけどー、銀河クンは貴重な男手なのよー。ねーシシちゃーん?」
なっちゃんがシシちゃんに同意を求めたわ。
シシちゃんは二組の生徒だから、話が通じると思われたみたい。シシちゃんも要望に応えようとして、せいぜい記憶を掘り返してる。
「――居たわね、そういえば。細面の美男子で、家がケーキ屋さんっていう――」
「そーそー、それそれ!」ぎゅっと手を握るなっちゃん。「彼が家庭科を選択したのも、家の手伝いしてて料理が得意だからなんだってー。特に今日はケーキだからねー。餅は餅屋、ケーキはケーキ屋。イケメンのお菓子なら女子はみんな欲しがるわねー」
「――あたしは欲しくないけど」
あ、初めてシシちゃんと意見が合った。
「そー? まーそれはそれで、ライバルが減って何よりだわー。今日は銀河クンのケーキを巡って戦争よー。彼と同じ班になれたら、必然的に彼のチョコケーキを試食できるしねー。きゃーっ!」
なっちゃん、一人で舞い上がってる。
よく見たらりょーちゃんも浮き足立ってたから、みんなそいつにご執心なのね。
室内を見渡せば、どの女子も一様に殺気立ち、虎視眈々と「汞銀河と同じ班」を狙ってるのが察せたわ。だって全員、くだんの男子に熱っぽい視線を送ってるんだもの――。
「あっはっは! 今日は一段とボクを見る目に力がこもってるね、子猫ちゃんたち?」
あれが銀河か。歯の浮くような物言いね……誰が子猫よ、誰が。
すらりとした長身、左右対称の整ったマスクは確かに美形ね。私の好みじゃないけど。
周辺に女子をはべらせ、すかした口調でたらしこんでる。うわ~、現実に居るのね、ああいうナンパ野郎って。
群がる女子たちも、そんな彼の居丈高な佇まいをすんなり受け入れてるから、なおさら理解が及ばないわ……。
「おやおや?」
その汞銀河が、ふと遠く目を凝らした。
双眸に映ってるのは、他でもない私たちだった。
げ、目が合っちゃった。
うわ~、こっち歩いて来る! 女子の人垣を掻き分けて来る~っ。
「やぁ、そこのキミ? そう、キミのことだよ子猫ちゃん?」
芝居がかった仕草で、私に手を差し伸べて来る。ぎゃ~、背中がかゆいっ。
子猫じゃなくて人間なんだけど私。
あと、いちいち語尾のイントネーションを疑問形に吊り上げないでくれる? あ、口癖が移っちゃった。
「キミは、ボクになびかないね? ボクが誰なのか知らないのかな?」
「は~、別にどうでもいいし。単なる隣のクラスの男子でしょ?」
「なん……だと……?」
汞銀河の奴、私のつれない態度がよっぽど衝撃だったのか、顔を引きつらせたわ。
たちまち周囲の女子連中も、私に殺気を向けるの。
なっちゃんとりょーちゃんも、彼の側に回り込んじゃった。薄情者~、友情より色恋を優先したな~っ! そんなに人気高いの? このスイーツ男子が?
「ルイちゃんもこっち側に来なよー」
なっちゃんが小声で手招きしてる。
うげ~、ちょっと引くわ。私は永遠に判り合えない、断言できる。
「あいにくだけど私、心に決めた人が居るから無理」
はっきり言ってやったわ。
こんな奴、私のお兄ちゃんに比べたら、肥溜めの汚物も同然よ。そもそも私、長身の男って嫌いだし。人を見下してるみたいで威圧感あるもん。過干渉気味な物腰も嫌~っ。
うちのお兄ちゃんみたいに、素っ気ないくらいがちょうど良いの。お兄ちゃんの取り付く島もない言動に振り回されるのが快感なのよ。はぅんっ。
「――あたしも、その男は好みじゃない」
シシちゃんが、私の側に残ってくれたわ。
ま~この子は特殊だからね。復学したてだから、私以外に仲間が居ないし。味方がシシちゃんだけってのも考え物だけど……。
「フン。誰かと思えば、休学してたサボり女か? そこの子猫ちゃんと友人なのか?」
汞銀河は大仰に鼻を鳴らすと、シシちゃんと私を冷血な目で軽蔑したの。
私とシシちゃんが友人ですって~? 大いに反論するわ! まだ知り合いの域にも達してないってばっ。ただの顔見知りよ、顔見知りっ。
しかもシシちゃんのことを『サボり女』って――。
「――あたしは確かにサボってた。休学してた。でも、これには事情があって――」
「フン、サボり女には違いないだろう? ボクはね、どんな事情があろうと学生の本分である勉学を
「――好きで怠ったわけじゃないわ」
「黙れオチコボレ」語気が変わる汞銀河。「今さらどのツラ下げて復学した? 学業をおろそかにし、高校生活を無駄に過ごし、学歴を軽んじる下卑た女め!」
「――そこまで言う?」
さしものシシちゃんもカチンと来たみたい。
確かにこの男、ちょっと言葉が過ぎるわね。自分へなびかない女には、とことん排他的みたい。支配欲が強いっていうか。
そう思った途端、私は口を挟んでた。
「あのさ~、今は学歴とか関係ないでしょ~?」
「うるさい! 全く、オチコボレの友達もまた、ボクに迎合しないメス豚なんだな?」
何ですって~!
この私が、豚?
スレンダーで美脚な私(自称だけど)を捕まえて、メス豚呼ばわり? 絶対許さないわよコノヤロウ……!
私とシシちゃんは汞銀河を睨み返す。銀河はフフンと鼻で笑い、長身を利用して見下してる。ほらね、背が高い野郎ってこういうとき本気で腹立つのよ。
双方の視線の間で、見えない火花が飛び散る。この膠着状態を解いたのは、汞銀河の横手からひょいっと顔を出した女子だったわ。
これまた私の知らない顔……二組の子かな?
「ギンガ、何を騒いでるの? もう授業は始まってるわよ? 早く席に着かないと先生が来てしまうわ」
「ああ、キミはボクの愛しい女神・
とか謳いつつ手を取り合うの、見てるこっちが恥ずかしかった。
愛しい女神、とかシラフで言えちゃう人間がこの世に居るんだ……しかも取り巻きの女子生徒が大勢取り囲んでる中で。
こいつモテるとは思ってたけど、こんなステディな異性もキープしてたとはね……周りの女子どもがピリピリ嫉妬してるわよ。気付いてあげなよ色男。
「――泰野洽湖も二組の生徒よ」そっと耳打ちするシシちゃん。「――あの子も汞銀河のケーキ屋でアルバイトしてるみたい。それがきっかけで仲良くなったそうよ――噂ではもう付き合ってるとか――」
マジで~?
正式な恋人だとは恐れ入ったわ。
その泰野洽湖がぎろりと私を一瞥する。すっかり目の
私も基本的に気が強いから、互いに顔を突き付け合う。
「わたしは泰野洽湖、ギンガの恋人よ。彼のケーキ屋でもアルバイトしてるわ」
「いつもヒロコには助けられてるよ?」朗々とうそぶく汞銀河。「ヒロコは接客話術もお手の物だし、ケーキの商品レイアウトも率先して意見をくれるのさ。彼女の言う通りに変更したら、たちまち売上倍増してウハウハ! まさにボクの女神だよ?」
「当然よ。わたしはギンガのためなら何でもするわ。ずっとくっ付いて離れない。首ったけなんだもの」
くあ~、臭い臭い。
何よこれ、見せ付けてるつもり? 周りの女から
「で、ギンガ。何を揉めてたの?」
「聞いてくれるかい? そこに居る二名の女子が、ボクになびかなくて困ってるのさ。どうすればいい?」
「あら。ギンガでさえ落とせない女が居るなんて、心外ね。彼の完璧さが判らないの?」
しれっと何ほざいてんのよこいつも。
そういう方面の完璧さを求めてどうすんのよ。ただのタラシじゃん。
「こうしたらどう? 家庭科はいつも六人一組の班を作って行動するから、この子たちと班を組んで篭絡すれば良いのよ。仲良くなるには助け合いから、よね?」
ちょ、勝手に決めないでよ! こいつらと同じ班なんてまっぴら御免なんだけど!
「――あ、先生が来た」
シシちゃんが目をすがめて、家庭科室の入口を眺めたわ。
ガラリと戸口が開いて、本当に家庭科教師のおばさんが敷居をまたいだ。
やおら、汞銀河と泰野洽湖が踵を返したわ。女子の群れを二分して突き進んだかと思うと、先生に何事か直談判し始める。
彼らは教師からの信頼も厚いのか、二つ返事で承諾を得てたわ。再びこっちに戻って来た汞銀河と泰野洽湖が、ニヤニヤとしたり顔で宣告するの。
「晴れてボクらは同じ班だ。ボク、ヒロコ、キミ、サボり女、そしてキミの友達二人さ」
なっちゃんとりょーちゃんを指差して、汞銀河は不敵な破顔を浮かべた。
はぁ~? 嫌な予感しかしないんだけど!
「さぁて、楽しいチョコレート・ケーキ制作としゃれこもうか?」
お兄ちゃ~ん、やっぱり助けて~~~~っ!
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