第十一幕・毒かぶりのシンデレラ

問題編・よくある無差別犯罪について

1――家庭科室へ(前)


   1.




「もしもし! お兄ちゃん助けて! 大変なの!」




 ――そのときの私は、死に物狂いでスマホに助けを求めることしか出来なかったの。


 迫り来る脅威に、怖がるばかりで。


 じわじわと敵影に追い詰められる中、私は逃げ惑いながら、何度もスマホに泣き叫んだものよ。


 あ、壁にぶつかっちゃった。やばい、もう逃げ場がない~っ。


「お兄ちゃん! 私、追われてるの! 何とかして~!」


『何とかって言われても、僕は電話越しで自宅に居るんだぞ。ルイはどこだい?』


「家庭科室の前よ! 高校の! 次の授業が調理実習なの!」


『物理的に手が届かないなぁ。あるある、無理だと判ってるのに遠くの相手へつながろうとする矛盾、よくある。女性に電話好きが多い一因でもある、あるある』


「そんな達観した解説いらないから~っ! きゃああ、もう駄目っ。追い付かれちゃった……奴が来る! 私めがけて魔手を伸ばして来る~!」


『奴って、誰さ?』



「――あたしです、ナミダさん」



 そいつは私の耳元に顔を寄せて、スマホへ囁いたの。


 声がお兄ちゃんにもはっきり聞こえちゃったみたい。


おきなぎさ……シシちゃんか』


「ひい~っ来るな沖渚! シッ、シッ!」


「――そうね、あたしはシシ。ありがとう、あだ名で呼んでくれて」


「そうじゃな~い!」


 何が悲しくて、あなたと家庭科の授業を受けなきゃなんないのよ~っ。


「――早く行かないと予鈴が鳴るわ――選択科目は隣のクラスと合同授業なのよね――一組のあんたと、二組のあたしが一堂に会する数少ない機会よ」


 がっしと腕を掴まれた私は、敵の毒牙に屈した格好よ。とほほ……。


 私ってば今月、ツイてなさ過ぎ。


 二月も中旬を迎え、私は朔間さくま学園でも沖渚と交流するようになってた。本当はあまり関わりたくないんだけど、お兄ちゃんもこの女を気に入ってるみたいで放っとけないのよ。


 って、自己紹介がまだだったわね。


 私、ルイ。


 湯島ゆしまルイ


 高校二年生。今日は滝のように流れる黒髪をお団子にして、家庭科用のエプロンと三角巾を用意する。


 何しろ今日は、二月半ば。恋する乙女には欠かせない授業内容があるのよね――。


 ああ、それなのに。


 どうして沖渚とツラを合わせなきゃなんないわけ~っ?


 こいつは私のお兄ちゃんから左足首を奪った犯人の、娘。もちろん悪いのは父親であって、この子自身に罪はないんだけど、やっぱり気まずいじゃない?


 なのにこの子ってば、過去を水に流して私と親交を深めようと、あの手この手で近付いて来るわけ。


 偶然付けた『シシちゃん』っていうあだ名も気に入られたらしくて、より一層なつかれる始末よ。


「うぇ~ん、私もうやだ~。こんなはずじゃなかったのに~」


『泣いてる理由はそれか』お兄ちゃんの溜息。『いちいち家に電話するほどかい?』


「だって~、こんなことお兄ちゃんにしか相談できないし~。何より今日の家庭科は聞いてびっくりな料理なのよ! 何だと思う? ね~ね~」


『大方、チョコレート関連だろう? あるある』


「……あ。うん。まぁ」


『チョコなんか湯煎で溶かして固めるだけだから、授業はもっとアレンジしてチョコレート・ケーキでも作りそうだね』


「せ、正解ですぅ」


 やっぱり判っちゃう?


 ていうか物凄い冷めた物言いよね、お兄ちゃん……。


「今日は二月十四日、バレンタイン・デーなのよ! チョコレート・ケーキを作るんだけど、試食しきれなかった分は持ち帰っても良いんだって!」


『わざと多めに作る人が居そうだな、あるある』


「だから私、超特製ケーキを持って帰ろうと思ってるの~。私ってばお兄ちゃん想いの良妻よね! もちろんそれとは別に、デパートで買い置きしといたチョコもあるけど!」


『妻じゃなくて妹だろう。相変わらずブラコンだな、ルイは』


「んふふ~。またまたそんなこと言って、照れなくてもいいよ、お兄ちゃん。私がチョコをあげるのはお兄ちゃんだけだから安心してね!」


『安心どころか、兄離れ出来なさそうで心配してる真っ最中だよ』


 お、お兄ちゃん、あんまり嬉しそうじゃないわね。なんで?


 可愛い妹が愛のこもったお菓子をプレゼントするんだから、もっと喜んでよ。超絶甘々なチョコを食べさせるのにな~。口移しで。きゃっ。


「大丈夫よお兄ちゃん、別にチョコの中に異物を混入させたりしないから! あ、でも、お兄ちゃんに望まれれば、異物どころか私の全てを食べてもいいよ……♪ 私、自分のカラダにリボンを結んでお兄ちゃんのお部屋へ訪問するね! 夜中に!」


『僕、洋菓子より和菓子派なんだよなぁ』


 私の話、丸ごとスルーされた!


 私はがっくりと肩を落として、スマホの通話を切ったわ。というかチャイムが鳴ったので切るしかなかったと言うべきね。くすん。


 もう片方の手は沖渚が握ったまま、ずんずんと家庭科室の戸口へ突き進んでく。別棟の一階にあるその教室は、すぐ外に中庭の花壇や園芸が見渡せる。水まき用の蛇口や流し台が視界の端で邪魔してるけど、些細なことだわ。


「――着いたわよ、ルイ――」


「じゃ~手を放してよ沖渚! つながれたままじゃエプロンが着られないでしょっ」


「――フルネームじゃなくて『シシちゃん』って呼んでよ、湯島泪」


「あなたも私をフルネームで呼んでるじゃん……ま~いいわ、シシちゃん。はい満足?」


 私、ついに陥落したわ。


「――ふふっ。嬉しいわ、ルイ」


 何笑ってんのよコイツっ。あ~こそばゆい。友達どうしなら何でもないのに、この子とはまだそこまでの間柄じゃないからな~……。



「やほールイちゃん、遅かったじゃなーい?」



 と。


 私たちの後ろから、聞き慣れたクラスメイトの声が介入したわ。


 これぞ天の助けね!


 私がパッと顔を輝かせて振り向くと、そこには二年一組の同級生が立ってた。


 浪川なみかわ奈津なつちゃん――通称、なっちゃん。


 この子は私ほどじゃないけど細身が自慢で、ミーハーなスイーツ女子。甘い物が大好きで、よくカフェ巡りしてはデザートの写真をSNSに載せてる。


 なっちゃんの隣には、級友がもう一人立ってる。


 洞本どうもと涼花りょうかちゃん――通称、りょーちゃん。


 この子はなっちゃんと対照的に小太り気味で、やっぱり甘い物好き。同じスイーツ好きでも体格差が如実に表れちゃうから、世の中って残酷よね。とはいえ、ぽっちゃりしてて愛嬌もあるから、私たちの間ではマスコットみたいな存在。


 さ~親友たちよ、私をシシちゃんから救出してちょうだいっ。


「楽しみだねー、チョコケーキ作りー」


 なっちゃんが待ちきれないそぶりで、ぴょんぴょん飛び跳ねてる。


 そのつど、か細い体躯に不釣り合いな豊胸がぷるぷる揺れてるの。むむ、同じ細身でも私と大違い……あ、いや、そこは関係ない、関係ない……ぐすん。


 続けてりょーちゃんもウキウキと手足を動かしつつ、ふと私の背後を指差したわ。


「ところでぇ、そこに居る子は誰ぇ? 二組の子ぉ?」


「――あたしは沖渚。高校に復学したばかりよ――シシちゃんって呼んでね」


「復学ぅ? どうりで見慣れない顔だわぁ」


 りょーちゃん、顔を近づけてクンクンと匂いを嗅いで回るの、ちょっと面白い。


 犬じゃあるまいし、人の体臭を嗅いでも食べられないからね?


「へー。復学したての子とさっそく仲良くやってるなんてー、ルイちゃんやるねー。しかもさっそくあだ名まで付いてるしー。シシちゃんだっけー?」


 なっちゃんが手放しで誉めそやす。


 いや、仲良くないから。成り行きで仕方なく一緒に居るだけだから、変な勘違いしないでよねっ。シシちゃんていう呼び方も半ば強制されてるだけなのに~。


 当のシシちゃんは澄まし顔で、なっちゃんに軽く会釈してる。


「――復学したてで親しい人が居ないの――だからルイには助けられてるわ」


 別に私、何もしてないんだけど……。


「へー。そーするとー、今日の班決め次第で友達も作れそーだねー」


 なっちゃんが意味深長に呟いたわ。


 家庭科の授業って大抵、いくつかのグループに分かれて共同作業するから、助け合ううちに親しくなることはありそうね。あるある~(お兄ちゃんの真似)。


「今日のケーキ制作はー、二組のスペシャリストと一緒になるかどーかが勝負よー」


「スペシャリスト?」


 私、首を傾げちゃった。


 だって初耳だもん。誰よそいつ。


「ふぇ、知らないのぉ?」ずんぐりむっくりの顔を寄せるりょーちゃん。「二組の男子、汞銀河みずがねぎんがクンだよぉ」


 みずがね……ぎんが?

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