3――渡り廊下へ(前)

   3.




『ルイ、警察が来るまでの間、現場の写真をこっそり撮って送ってくれないかい?』


「良くない気がするけどお兄ちゃんのお望みとあらば私、何でもするよっ」


『ありがとう。……よし、届いた。包丁でめった刺しか。全身血まみれだ。緑色の壁に赤い血しぶき、目がチカチカする色彩だなぁ。絵画によくある印象派だね、あるある』


 包丁――。


 もしかして、私たちのシートから消失してた包丁かな?


 誰かが包丁を持ち去って、帰ったはずの丹羽さんをここで刺し殺したってこと? これほど血みどろになるまで……。


「何をこそこそしている、湯島」


「あっ、阿保くん」


 阿保くんに見咎められて、私は即座にスマホをポケットの中に隠した。


 お兄ちゃんと通話したままだけど、仕方ないよね。殺人現場の写真を撮ってました~なんて馬鹿正直に打ち明けてらんない。


 阿保くんの横には、当たり前のように美憐ちゃんもくっ付いてる。


「湯島さんてさ、豪傑っていうか豪胆よね」呆れ笑いする美憐ちゃん。「こんな惨殺死体のそばに立ってて、顔色一つ変えないなんて」


「あはは~。それはもう、場慣れというか……場数? みたいな~」


 こう見えても私だって、以前は乙女っぽく悲鳴を上げたりしてたんだけどね……。


 ほんと、人って変わるよね~。私自身はこんなにもか弱くて可憐な一六歳なのにっ。


 ともあれ、改めて壁際の死体に目を向けると、そこにはカッと目を剥いた丹羽さんの死顔が飛び込んで来る。すごい表情……死ぬ間際、絶叫する余力もなかったのかな。


 しかも胴体は包丁でめった刺し。


 こんなに何度も繰り返し刺すのって、相当な恨みがなきゃやんないわよね?


 って、何だか犯罪心理分析みたい。お兄ちゃんの影響かな。えへへ。


 刺し傷からとめどなく噴出した鮮血は、壁一面へ飛び散ってる。死体も、自身の出血で赤一色に染まってるわ。緑色の壁が、ここだけ赤く染まってる。


「赤と緑は、補色関係にある反対色であり、対比色だ」


 阿保くんが不意に、色彩学の知識をひけらかし始めた。


 へ? 補色……?


 すると美憐ちゃんまでポンと手を叩いて、思い出したように合の手を入れるの。


「そうそう、美術で習ったわ。赤いキツネと緑のタヌキや、マリオとルイージみたいに、赤と緑は対称的な色なのよね。色光の明度や彩度と言った、科学的な色味のデータがちょうど等しくて、対比的なのよ」


 へ~。


 全然違う色に見えるけど、データ的には同じような色ってこと?


「目が悪い人や色盲の人は、赤と緑が混同して見えると言われている」


 阿保くんがそんな風に締めくくった。


 あ~、眼下検診にもあるわよね、赤と緑の識別検査。


 あれってそういう学術的根拠があったのか~。


「どうして公民館の壁って緑色なんだろ~?」


 私は俄然、壁の色に興味を抱いちゃう。


 だって、あんまり見ないでしょ、緑の壁って。赤いレンガ塀とか灰色のコンクリートならよくあるけど。


 なんて思ってると、今度は背後の渡り廊下から新たな人影が寄って来た。厚化粧の滋賀さんだった。


「実ヶ丘市は市街化調整区域や都市開発モデル地区だからネ、自然のをシンボルカラーにしてるのヨ」


「そうだったんですか~……って、もう立っても平気なんですか?」


「さっきは死体を見付けて腰抜かしちゃったけどネ、いつまでもヘバってらんないわヨ。ほら、警察も来たことだしサ」


 滋賀さんがクイッと親指を差し向けた先には、同じく渡り廊下からこっちへ道を外れて来る物々しい集団があった。


 制服を着た警官たち、それを引き連れるコート姿の私服刑事たち。


 最後尾には、公民館のスタッフや、香川さん、水島おばさん、そして沖渚といった仮装メンバーも付いて来てる。


 うわ、沖渚の奴、私と目が合った瞬間、ウィンクして来やがった。やめてよね、何の意味があるのよそれ。私は別にあなたが居なくても何一つ困らないんだけど?


「――ルイ、あの捜査チームって三船みふね警部じゃない?」


 近寄って耳打ちまでして来る始末。


 う~。沖渚の顔が近いっ。


 私は必死に身をのけぞらせつつ、沖渚の言動を確かめた。本当だ、三船警部と浜里はまざと巡査部長が居る。


 前回に続いて、今回もまたこの人たちが捜査に当たるのね。もはや腐れ縁だわ。


「鑑識、死体の状態を見てくれ」


 三船さんが指示を出してる。


 たちまち渡り廊下周辺は公僕に埋め尽くされた。


 私たちは浜里さんに誘導されて、別棟の入口へと集められた。シャワールームの入口で待機させられる。あう~、本当ならここで体を洗ってたはずなのに~。


 きっとこれから、事情聴取でもされるんだろうな。これが一番面倒臭いのよね。痛くもない腹を探られるのって癪に障るし。


「また会ったねぇ湯島さん」


 三船さんが定番のように手を振るの、いっそ清々しいわ。


 この刑事さんは三〇歳手前にしてすでに警部、捜査主任をやってる新進気鋭のキャリア組なのよね。今は現場に配属されて経験を積んでるけど、ゆくゆくは本庁に戻って出世コースまっしぐら予定。


 一方の浜里さんはノンキャリアの現場たたき上げ、コバンザメみたいに三船さんの周りをうろちょろしてるお調子者だけど、決して悪い人じゃない。声はうるさいけど。


「不肖、この浜里漁助りょうすけとしましては!」私たちをぐるりと見回す浜里さん。「第一発見者である滋賀さんからお話を伺いたいのですが、いかがでしょうか!」


「まだ早いよ」


 頭を押さえ付ける三船さんが素早かった。突っ走りがちな部下をうまくセーブしてる構図ね。あしらいが手慣れてる。


「先に情報の共有だ。ガイシャを発見したのが夕方六時三〇分過ぎ、でしたっけ?」


 三船さんがメモ帳を取り出すと、私たちはまばらに相槌を打つ。三船さんはボールペンの芯をカチカチと出し入れしながら、少し考え込んだ。


「ガイシャが公民館を去ったのが、夕方六時という話でしたよねぇ。てことは、そのあと公民館へ人知れず戻って来たことになる。あるいは帰った振りして別棟へ向かい、外壁沿いに歩いていた所を襲われたか……」


「死亡推定時刻は六時~六時三〇分の間ですね! 短い!」


 浜里さんが声を挟む。


 そうなるわね。丹羽さんが帰るのを私たちは見てたもん。確かに六時だったわ。


「鑑識、ホトケの具合は?」


 さらに浜里さんが鼻を向けると、死体を漁ってた青い作業服の鑑識係たちが振り返り、手短に返事をよこす。


「死斑なし、死後硬直なし、出血も止まりかけですが、完全には凝固していません」


「なるほど! 死にたてホヤホヤだ!」


 拳を突き合わせる浜里さん、その言い方はどうかと思うわよ……ホヤホヤって。


 まぁ、まだ死んで間もないもんね……死体発見から警察が来るまでドタバタしてて、今はもう七時を回ってるけど、死後硬直って二時間くらい経過してからでしょ? しかも冬は寒いから、進行も遅いし。


「――ねぇ、もっと時間を絞れるんじゃない――?」


 あろうことか、沖渚が挙手したじゃないのよ。


 んん? 何のつもり?


 いきなり警察に口出しするなんて、どういう風の吹き回し?


「どういうことだい」


 三船さんも手帳を構え直す。


 そんな真面目に聞いたって、こいつの言うことなんか役に立つとは思えないよ~?


「――最初に死体を発見したのは、滋賀さんだったわ――つまり、その前に渡り廊下を往復した水島おばさんは、死体を見てない――そうよね、おばさん?」


「え、ええ。もしも死体があったら、私が騒いでいたでしょうね。怖すぎて」


 水島おばさん、おどおどと肯定してる。


 あ、そうか。


 私はハッと顔を上げる。


 沖渚が得意満面にこうつづったわ。


「――水島おばさんがシャワーから戻ったのは、六時三〇分――このとき、壁際に――つまり、死体はのよ」


「三〇分以降、ってサ」抗議する滋賀さん。「それって、あたしがシャワーを浴びに向かった時刻じゃないのヨ!」


「そう――あの時間に死体を作れたのは、滋賀さんだけ――」


「何でっすってェ!」


「――シャワーへ行くときに包丁をこっそり持ち出し、渡り廊下の外に居た丹羽さんを殺して――んじゃないですか――?」


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