3――渡り廊下へ(後)
「冗談じゃないワ!」
唐突に犯人視されたもんだから、滋賀さんは口許を大いにねじ曲げたわ。
あんまり歪めたら厚化粧にヒビが入りそう。
「言うに事欠いて、あたしが犯人って主張するワケ?」
「――だって、それしかあり得ないじゃないですか――?」
沖渚は涼しげにほざき続ける。
この子、思い切ったこと言うわね……私もびっくりしちゃった。呼吸すら忘れるほど。
「――あのとき包丁がなくなってることに気付いたのも、六時三〇分だったわ――ちょうど滋賀さんが持ち去ったせい、と考えるのが自然でしょ――」
「このガキィ!」
「待った待った待った!」
あわや一触即発というとき、浜里さんが間に踏み込んで事なきを得たわ。
滋賀さんと沖渚は引き離され、浜里さんにどうどうとなだめられてる。
「確かに第一発見者が怪しいのは、捜査の基本ではありますけど!」
「――だったら早くその女を――」
「けど!」逆説を強調する浜里さん。「あれほどの大量出血を伴う刺殺です! 加害者には返り血が付くはず!」
「返り血――あっ」
沖渚も気付いたみたい。
「滋賀さんの衣服にも体にも、ざっと見た感じ血しぶき一つ見当たりません!」
浜里さんの言う通り、滋賀さんの身なりは綺麗なものよ。
ほ~ら言わんこっちゃない、沖渚の分際で出しゃばるからこうなるのよ。何を思い付いたのかは知らないけど、自分で墓穴掘ってちゃ世話ないわね。
滋賀さんはふふんと勝ち誇ってる。
「そうヨ、あたしの服は汚れ一つ付いてないワ! 身なりだけは気を遣ってるからネ!」
「――着替えの服を用意してたのよ――きっと」
「はァ? そんなのがあれば、現場捜査中の警察が発見してくれると思うけどネ? そもそも、あたしは講堂を出てすぐ死体を発見したから、着替える時間なんかないけどサ!」
「――ぐぬぬ」
あ、沖渚が黙りこくっちゃった。
この子、私や水島おばさんが見てるからって張り切り過ぎたのかな?
柄にもなく犯人当ての真似事をするなんて、先日の病院では想像も付かない前向きさだわ。こいつはこいつなりに変わりつつあるってことかな? だとしたら、そのきっかけを作ったのは、私……?
うげぇ~。
「だとしたら、次に怪しむべきは水島さんだな」
「!」
阿保くんが、発言を引き継いだ。
急に何を言い出すの? 私だけじゃなく美憐ちゃんまでギョッとのけぞってる。あ、勢いでスカートめくれた。いつもの赤いパンツだ。
「――何ですって?」
沖渚が、ぎろりと阿保くんを睨む。
親戚の水島おばさんに嫌疑をかけられたことで、ご機嫌ななめみたい。
そっか。だから沖渚ってば、必死に犯人を当てようとしたのね。親戚が疑われたら、たまったもんじゃないから……。
「水島さんが『死体を見なかった』という証言は、嘘をついていると考えられる」飄々と告げる阿保くん。「実は水島さんが、包丁を持ち出していたんだ。みんな気付かなかっただけでな」
「――でも、返り血はどう処理するのよ――」
「簡単だ。水島さんはまずシャワールームへ直行し、あらかじめ脱衣所で裸になった。これで服は汚れない。そして全裸で渡り廊下に戻り、壁際に居た被害者を殺した。体に浴びた返り血は、シャワーで洗い流せば良い。水島さんはたっぷり一五分間シャワーを浴びる猶予があったからな。滋賀さんと違って」
一五分間あれば、充分に可能ではあるわね。
「――動機は何よ!」
「水島さんは最近、丹羽さんからカツアゲやイジメを受けるようになった」
「――――っ」
「アラフォーを機に、新たな障害と出くわしたわけだ。今日も金銭を搾取されていた。その恨みが限界に達したんだろう。帰ろうとした丹羽さんをケータイか何かで呼び戻し、別棟へ来るよう約束して、外壁沿いに到来した丹羽さんを襲った」
「筋は通るねぇ」ボールペンをくるくる回す三船さん。「あれほどの刺し傷は、よほどの怨恨が蓄積してないとやらないからねぇ。人間関係をもっと掘り下げて聞きたい所だね、うん」
「そんな――違うわ、おばさんがそんなこと――」
沖渚は懸命にかばってる。
すでに身内から父親という犯罪者を出してる手前、これ以上親戚が犯罪者になるのを見たくないみたいね。気持ちは判るけど……。
「わ、私はやっていません」
当の水島おばさんも、身震いしながら首を左右に振ってる。
普段からビクビクしてる分、これも演技とは思えない。本当に身に覚えがないの?
だから私、話題を変えるつもりで尋ねちゃった。
「そもそも~、なんで屋外で殺したのかな?」
え、と全員が眉をひそめて、私を括目する。
あれ? 私、何か変なこと言っちゃった?
「だって、わざわざ帰宅した丹羽さんを呼び戻して、外壁沿いの屋外で殺したわけでしょ~? ただ殺すなら他にも機会はありそうなのに~」
「言われてみれば、そうね」顎に手を当てる美憐ちゃん。「しかも血で真っ赤に染めるなんて、派手で目立つわ。殺すならもっと人目を忍ぶ方法があるのに」
「真っ赤。赤か。丹羽さんは赤鬼の仮装をしていたな」
阿保くんも居住まいを正した。
彼の着眼点は、いつだって色彩学。そしてそれが、私に天啓をもたらしたの。
「ひょっとして~、丹羽さんは赤鬼の格好をしてたから、真っ赤に染めて殺したとか?」
「何だそれは。見立て殺人ということか?」
見立て殺人……?
阿保くんの一言は、私以外の人には通じたみたい。
何だっけ、それ?
『あるある。寓話や伝承になぞらえた装飾をほどこす見立て殺人、よくある』
あ、お兄ちゃんだ!
隠し持ってたスマホから、愛しのスイートボイスが優しく空気を震動させてく。
ずっと通話状態だったから、お兄ちゃんにも筒抜けだったのね。
『見立て殺人と言えば、お丹羽様も符合するね。お丹羽、外……鬼は外。丹羽という名の人には使わないローカルなルールがあった。あるある』
そう言えば話してたわね、そんなこと。
『丹羽さんは自治会の幹部で、他のスタッフは頭が上がらない。まさに「お丹羽様」だったわけだ。そんな人を赤鬼に見立てて、鬼は外=屋外に居る状態で殺す……節分の見立て殺人だね』
お兄ちゃんがそう言うなら、絶対そうだわ。お兄ちゃんの思考はいつも正しいもん。
そうか~、これは見立て殺人なのか~。ほへ~。
そうまでして、犯人は丹羽さんを貶めようとしたってこと? この女は性悪な鬼畜なんだ、と主張するために?
「みんな、色違いの鬼をあてつけられてウンザリしてたもんネ」
滋賀さんが苦虫を噛み潰した。
隣では香川さんが「…………」こくこく、と同意してる。
鬼の色。鬼の役割。
(確かに仮装行列のときも、夕食のときも、みんな丹羽さんのこと愚痴ってたわね~)
水島おばさんだけじゃなく、全員が丹羽さんに不満を抱えてたのよ。アラフォーという節目に、鬼の色にちなんだ懊悩を発症しながら。
『これぞナイト・シー・ジャーニーのもつれだね。ありそうありそう』
またぞろ呟くお兄ちゃん、スマホ越しなのに元気良いな~。
ナイト・シー……って、四〇歳になると患う懊悩の心理、だっけ?
『アラフォー主婦がそろいもそろって悩み、苦しみ、もがいてる。そのストレスのはけ口として、お丹羽様が鬼の見立てになぞらえて殺されたんだ』
「ん? この声は涙くんかい?」
げっ、三船さんに聞き咎められちゃった。
私はスマホの音量を下げようとしたけど、間に合わない。グイッと手首を握られて、スマホを天高く掲示させられちゃう。ぎゃ~っ、お兄ちゃん以外の男が私に触るな~!
「やっぱりか」手を離す三船さん。「湯島家は油断ならないねぇ。また何か妙案を思い付いたのかな?」
『はい。聞いてもらえますか、三船さん?』
お兄ちゃんも居直って、三船さんと対話する姿勢だわ。
あう~、私のスマホで他人と喋っちゃ駄目~。
ナイト・シー・ジャーニーの心理。
赤鬼の見立て。
何がどうなってるのかさっぱり想像も付かないけど、全部判っちゃうお兄ちゃんが天才すぎるのよね。尊敬。
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