2――節分お化けへ(後)


 苦行でしかない節分お化けは、どうにか終了したわ。


 水島おばさんが危なっかしかったけど、大事故には至らず、公民館へ帰還できた。


 緑色グリーンの外壁に囲まれた公民館は二棟あって、更衣室で仮装を脱いでから講堂に集まる。


 そこには茣蓙ござやレジャーシートが敷き詰められ、自治会および商工会のスタッフが宴会を開いてた。恵方巻やお稲荷さん、豆の煮物や炒め物と言った夕飯がふるまわれてる。


 わ~、おいしそ~。


 これだけが楽しみで参加したからね。汗だくで商店街を歩き回ったし、早くカロリーを補給しないと、ただでさえ細い私の腰とおなかが、さらにくびれちゃう~。


「ううう、暑かった。もぉ死ぬぅ……」


 美憐ちゃんが左右にふらついてる。実は私よりヒヨワだったりする?


「――あたしは先にシャワーを浴びたいわ――汗臭い――」


 とは沖渚の弁。


 こいつと意見が一致するのは癪だけど、確かに制汗剤じゃごまかせない。ここに居る全員が顔を火照らせてたし、水島おばさんに至ってはミイラよろしく干からびてる。


「包丁もあるから、用途に応じて切り分けて食べてね!」シートの一角で手招きする丹羽さん。「あと、公民館の別棟にあるシャワールームも借りておいたわ」


 シャワールーム!


 私たちの目が輝いたのは言うまでもないわ。


 丹羽さんってカツアゲの悪印象が強いけど、こういう手際の良さはさすが担当者ね。


「シャワールームは一つしかないから、一人につき一五分で交代ね。それじゃあ私は、ここで失礼するわ」


「え? 帰っちゃうんですか~?」


 私が思わず質問すると、丹羽さんは肩をすくめて簡潔に述べる。


「家の用事があるの。節分お化けは私の担当企画だから頑張ったけど、無事に終わったら早く帰宅したいのは当然でしょう?」


 ふ~ん。てっきり打ち上げも同席すると思ってたわ。水島おばさんには朗報かな?


「…………」ぐいぐい。


 ふと香川さんが、去ろうとする丹羽さんの袖を掴んだ。


 別棟の方を眺めて、何事か訴えたけど声は出てない。寡黙にもほどがあるでしょ。


「…………」ぱくぱく。


「何よ香川さん。四〇近くにもなって、まともに会話も出来ないの?」


 丹羽さんは掴まれた袖を強引に振りほどくと、二度と振り返らなかったわ。


 出口へ遠ざかる丹羽さんを見送ってから、無言で立ち尽くす香川さんに注目が集まる。


「何を伝えたかったのかナ?」


 滋賀さんが尋ねても、香川さんは「…………」ぷるぷる、とかぶりを振るばかり。


 何なのよ。煮え切らないわね。


「ま、いいワ」香川さんの背を叩く滋賀さん。「香川さんから先にシャワー浴びて来なさいヨ。さっぱりしておいしいもの食べれば、気分も晴れるワ」


「…………」じー。


 言われた香川さんは、講堂の壁時計を見上げた。


 今、ちょうど夕方六時。一五分ごとにシャワーを交代する手筈なんだっけ。


「二番手は水島さんネ。あんたもいろいろあって疲れてるだろうからサ」


「よろしいんですか? ありがとうございます……」


 水島おばさんが目を丸める。


「あ~、なら私も疲れてるんですけど~」


 私がぴょんぴょん飛び跳ねたけど、滋賀さんは私を手で払いのけた。なんでっ?


「若い子は後回しヨ。まずは年輩を大切にしようネ?」


「が~ん。年齢差別ですよそれ~」


「というわけで三番目はあたしネ。そのあとは若い子たちで決めていいヨ」


 む~。


 となると、私が最速でシャワーを浴びられるのは、六時四五分以降ってこと?


 ごはん食べながら待てば、我慢できるかな……?


「もういいっ、ヤケ食いしてやる~」


 私はぺたん、と内股でシートに腰を落とす。


 夕飯は、恵方巻が包丁で切り分けられてる。それでも大きいし、太いし、長いし、黒光りする海苔が毒々しいわ……大口開けて無理やりねじ込んだけど、やっぱりキツい。


「んぐっ、ふあっ、これデカすぎっ、口に入りきらないよ~。喉に詰まるっ。もごもご」


「――馬鹿ねルイ、一気に詰め込みすぎよ――はい、飲み物」


 沖渚が助け舟を出しやがったわ。


 ペットボトルの箱から、甘くて飲みやすいカルピスをよこしてくれた。


 白濁の液体が食道を洗い流す。急いで飲んだせいで、少しこぼしちゃった。うひゃ~、口の周りがベトベトするぅ。


「阿保くん知ってる? 豆って自分の年齢より三つ多く食べるのが良いらしいよ」


 隣では、美憐ちゃんが阿保くんと並んで座ってた。


「ふん。そんなの迷信だろう、下らない」


「はぁ? それ言ったら節分そのものが迷信でしょうが!」


 さっそく口喧嘩を始める二人には舌を巻いたわ。少しは場所をわきまえなさいよ。


「――おばさんも、はい、お水――」


 沖渚からお茶を受け取った水島おばさんが、ようやく一息ついてた。


 今日だけで何千円、いや何万円くらい丹羽さんに徴収されたんだろう? 大人の醜い一面が、私の脳裏から離れない。


「――おばさんも少しは言い返したらどうなの――丹羽なんていつも顔真っ赤で、感情剥き出しでからんで来るのに――」


「あいにく私は、真っ赤という概念が今いち判らなくてね」自嘲する水島おばさん。「赤の象意しょういを理解できないのよ」


「――え? それってどういう――」


 沖渚が顔をしかめる。


 間髪入れずに美憐ちゃんが声を裏返したわ。


「あたしは赤が大好きですよ! 髪も赤毛だしネイルも赤、ルージュも赤、シャツや下着も赤で……って阿保おお! スカートめくるなっ」


「お前が赤と言ったから確認しようとしたまでだ」


 いちいち言い争う美憐ちゃんたち、ちょっとバカップルすぎない?


 は~、私も最愛の人とじゃれ合いたいな。私はパンツくらい堂々と見せちゃうし。


「…………」つかつか。


 そうこうするうちに、香川さんがシャワーから帰って来たわ。


 あ、もう一五分経ったんだ? 壁時計は六時十五分を指してる。


 入れ替わりに水島おばさんが立ち上がって、おずおずと別棟へと消えてくの。


「シャワールームの別棟は、渡り廊下を通らなきゃいけないのよね」


 美憐ちゃんもシャワーが気になるみたい。


 シャワールームって広いのかな? バスタオルとかも貸してくれる?


「水島さんも大変よネ、丹羽さんに目ぇ付けられちゃってサ」おかずの五目豆を箸でつまむ滋賀さん。「丹羽さんって自治会の幹部だから、まさに誰も逆らえない『お丹羽様』よネ。ドジな水島さんにイラッと来て、カツアゲしてるんだろうネ」


 お丹羽様……これもお兄ちゃんが話してたわね。


 私、知らず知らずスマホを握ってた。お兄ちゃんに癒されたい。声が聞きた~い。


「もしもし、お兄ちゃん?」シートの片隅に移動する私。「手伝い終わって疲れたよ~」


『あるある。慣れない場所で心身疲れ果てることって、よくある』


「だってだって、アラフォー主婦って息苦しいんだもん。沖渚の親戚まで来てるし。更年期特有の悩みを抱え込んでて剣呑なの~」


『アラフォーの悩みか。心理学者ユングが唱えた「ナイト・シー・ジャーニー」を彷彿とさせるね。ありがちありがち』


「へ? ナイト……シーって何?」


『中年特有の、悩み多き心理状態さ。日本には「不惑の四〇」という言葉があるけど、ナイト・シー・ジャーニーは正反対だ。人は誰もが四〇歳を境に、かつてない壁と衝突し、人生の挫折を味わうものだとユングは語ってる』


「へ~」


『ユング自身、四〇歳で恩師フロイトと決別し、人生最大の暗礁に乗り上げたからね。まるで夜中に海をさまようような不安と恐怖……「夜の航海」ナイト・シー・ジャーニーってことさ。あるある』


 そ、それは確かに怖い~。


 滋賀さんが四〇歳で貧乏になったのも、その心理に符合するわね……。


「シャワーいただきました」


 水島おばさんが帰って来た。


 六時三〇分だわ。次は厚化粧の滋賀さんが、シャワールームへと歩き出す。


 あと少しで私の番だっ。着替えがないのが残念だけど、贅沢は言ってらんないわよね。


「あら?」


 戻ったばかりの水島おばさんが、夕飯に目を丸めた。


 沖渚が即座に「どうしたの――?」と合いの手を入れる。


「そこにあった包丁、いつの間にかなくなっているわ」


「――包丁?」


 あ、本当だ。ここにあった包丁が見当たらない。


 誰かがこっそり持ち去ったのかな? だとしたら、いつから……?




「きゃあああア!?」




 ……直後、渡り廊下から滋賀さんの悲鳴が轟いたわ。


 色めき立つ私たちと、周りに居た自治会スタッフたちが、こぞって声の方へ走る。


 渡り廊下は殺風景な吹き抜けで、緑色グリーンの外壁がすぐそこまで迫ってる。


 そこを歩いてた滋賀さんが、外壁を指差して、へなへなと腰を抜かしてたのよ。




「壁際で、ワ!」




 そう……緑色の壁際に、真っ赤な鮮血をぶちまけた丹羽さんの死体が寄りかかってた。


 この人、六時頃に帰ったはずじゃなかった?


 どうして敷地内で死んでるのよ~っ?




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