第八幕・無意識下-ココロノナカ-は無制限-ナンデモアリ-
顛末・よくある一人二役について
1――成人式へ(前)
1.
一月の第二月曜日は曇天だったけど、私の心はどこまでも抜けるような青空だったわ。えへへ~。
あ、私ルイ。
一六歳。高校二年生。来月の誕生日で一七歳になる予定。
んふふ。あ~、自然と笑いがこぼれちゃうよ~。
だってだって、見てよこれ。
今、お兄ちゃんと並んで外出してるの。
え、普通? とんでもない! 冬休みが終わって三学期が始まった今、たまの休日しか密着できないのよ? 私は数少ないその瞬間を味わってるのっ。
「今日は成人の日だっけ」
隣を闊歩するお兄ちゃん、町並みをきょろきょろと見回したわ。
お兄ちゃんはナミダ。
湯島涙。
一六歳、高校二年生。来月の誕生日で一七歳になる予定の、二卵性双生児。
左足が義足だから、ステッキを突きながら歩いてるの。
私はその付き添いだけど、傍目には仲良く散歩するカップルに見えてるに違いないわ。んふふ~。コートもマフラーも革靴もペアルックだし、カーディガンもインナーも同じだしね。モコモコの手袋だって、同じ柄なんだから!
……まぁ、さすがにお兄ちゃんはプリーツスカートやニーソは穿かないけど……。
「この先にある
私はお兄ちゃんに相槌を打ったものよ。
「なるほどね、あるある。道理でみんな、ぎこちない晴れ着や袴、スーツ姿だらけなわけだ。馬子にも衣裳とはよく言ったものだね。ははっ」
お、お兄ちゃん、さり気なく嘲笑するの腹黒っぽく見えるよぉ……。
そんな新成人たちの合間を、私たちが唯一、場違いな私服で直進してるの。
「ここが市民会館か」
お兄ちゃんが足を止めて、見上げたわ。
大きなホールがそびえてる。垂れ幕や横断幕が貼られてるから目立ちまくりよ。
「ここにお母さんが来てるの~?」
「そう聞いたよ」ポケットからスマホを取り出すお兄ちゃん。「電話で頼まれたんだよ。この会場まで、忘れ物を持って来て欲しいってさ。よくあることだ」
「お母さんってば、何しに来てるんだろ? ていうか何を忘れたの?」
「それは出かけるときに言ったはずだぞ」
「え~、聞いてなかった。私、お兄ちゃんと一緒に歩けるだけで舞い上がってたし……」
「やれやれ。これさ」
お兄ちゃんはスマホをポケットに戻すと、返す手で別の懐から小物を取り出したわ。
ほんの掌サイズの、ささやかなボトル。
オードパルファムって書いてある。
「香水~?」
「母さんの香水だね。コロンよりも濃い香りのパルファムだ。私的な外出時は常備してるらしいけど、今日はうっかり忘れてたんだってさ」
試しにお兄ちゃん、パルファムを一吹き、宙に噴霧してみせた。
香りが漂い、私の鼻腔をくすぐる。
途端に嗅覚が鋭敏になったわ。爽やかな清涼感が鼻の通りを抜群に良くするの。
「甘酸っぱい柑橘系の香りがする~。シャキッと爽快な感じ! お母さんってこんな匂いが好きだったんだね~」
「僕も意外だよ。あるある、病院勤めは薬臭さが染み付くから、プライベートでは濃いめの香水を付けないと相殺できないってこと、よくある」
お兄ちゃん、今日はいつにも増して饒舌ね。
浮き足立ってるっていうか、ルンルン気分っていうか。お使いってそんなに楽しい?
「母さんの知人の子が、成人式に参加するらしくて、その挨拶に来たそうだ。しかもそれが、どうやら僕らの父さんに縁が深いらしくてね」
「お父さんとっ?」
私、目をぱちくりさせちゃった。
死んだお父さん――。
かれこれ十一年前、心理学の研究論文を書き上げた帰り、研究の『被験者』だった少年グループに襲撃され、殺害されちゃったのよね。
(お兄ちゃんが楽しそうなのは、このせいか~。お父さんの話を聞けるかも知れないから? む~、最近のお兄ちゃんってそんなのばっかり)
私のことなんか眼中にないみたいで、少し寂しいな……。
「とにかく中へ入ろう。母さんは入口のロビーに居るはずだ」
お兄ちゃんは脇目もふらず、市民会館の正門を目指したわ。
義足なのに、こういうときだけ足が速いの。健常な私が置いてかれそうになっちゃう。
正門の手前には花壇や植え込みが生い茂ってて、真冬にも関わらず訪問者の目を癒してくれたわ。
また、植え込みの前には一人の女性が佇んでて、うっとりと草花に見入ってる――。
「あれ? あの人って」
私、お兄ちゃんの手を引っ張って止めちゃった。
だって、その人は――。
「
植え込みのそばに居るのって、津波
そう、あの津波さんよ。科捜研で犯罪心理学を研究してる、生真面目な女の人。
黒い短髪と黒縁メガネ、化粧っ気のほとんどない実直そうな面相。
今日はプライベートなのか、厚ぼったい紺色のコートを羽織ってて、いつにも増して地味だわ。私服ですらこのセンスって、ある意味すごい。知り合いじゃなかったら気にも留めないだろうな、ってくらい影が薄いの。
「こんにちは~! 津波さんも、成人式に用事があるんですか~?」
だから私、つい話しかけちゃった。
最初、津波さんは私たちに気付いてないみたいにボ~ッと突っ立ってたけど、何度目かの呼びかけでハッと顔を巡らせ、こっちを瞠目したわ。
え、そんなにビックリさせちゃった?
「――はてさて君たちは誰だったかな」
……あれ?
津波さん――とおぼしき人物――の唇は、想像とはだいぶ違う、流暢かつ早口な問いかけを発したじゃないのよっ。
いや、あの、誰って聞かれても返答に困るって言うか~……。
「え~と、津波さんですよね?」
「おれはあいにく君たちの尋ね人とは異なる」
お、おれ……?
その人は一切の息継ぎもせず、一気呵成に言い切ったわ。
何これ? 津波さんと瓜二つの容貌から、似つかわしくない男言葉が発せられてる。
(もしかして津波さんじゃなかった?)
あの人は通常、一言ずつ途切れ途切れに単語を噛みしめながら話す癖があるわ。なのにこの人は、まるで正反対。
すかさずお兄ちゃんが間に割って入ったわ。
「他人の空似ですね。失礼しました」
ぺこりと頭を下げてる。
あうぅ~、私のせいでお兄ちゃんに謝罪させちゃった。偉大なるお兄ちゃんが他人に頭を下げるなんて、あってはならない事態なのにっ。
「気にすることはない」手で遮るそっくりさん。「世の中には最低でも三人の瓜二つが居ると言われているし外見が似ているということはさぞかし見目麗しい御仁に違いない」
流暢にスラスラまくし立てたそっくりさんは、凛々しいアルトの女声だったわ。
顔だけじゃなく、声色も津波さんに似てるんだけどな~。背格好も同じくらいだし。
「これからは気を付けます」
「人違いは日常的な心理現象だからね」メガネを押し上げるそっくりさん。「この世の全ては心理が源である――なぜならあらゆる物事は『人の心』が動かしているからだ」
「それは誰かの格言ですか?」
「何を隠そうこのおれだ」
「はぁ……」
津波のそっくりさんが鼻を膨らませて言い切ったので、お兄ちゃんは盛大に肩透かしを食らってた。
津波さんとは別の方向でアクの強い人ね……ともかく別人に用はないわ。さっさとお母さんに会わなくちゃいけないんだし。
「あ、最後に一つ良いですか?」
お兄ちゃんがもたもたと自分のスマホを引っ張り出したわ。
津波のそっくりさんにスマホを押し付けると、一枚の画像を表示させたの。
――お母さんの近影。
「その画像の人、この辺で見ませんでしたか?」
「いいや知らないな」
「おかしいな。ここに来てるはずなんだけど……次の画像も見てもらえますか?」
「むむう」
そっくりさんは促されるまま、お兄ちゃんのスマホをスクロールさせようとしたけど、手袋のせいで画面切り替えが反応しなかった。
忌々しそうに手袋を外してる。
ま~冬だもんね、仕方ないわ。私たちもペアルックの手袋を付けてるし。
やっと指先を露出したそっくりさんは、スマホの画面をぺたぺたと操作するけど――。
「やはり知らないな」
「そうですか。ありがとうございました」
――お兄ちゃんはスマホを返してもらうと、そそくさと正門をくぐったわ。
私もそっくりさんにお辞儀したあと、慌ててお兄ちゃんを追いかける。
「は~。他人の空似ってあるんだね~。見た目は完全に津波さんなのに、性格も口調も全然違うんだもん。てっきり二重人格かと思っちゃった」
「二重人格か。案外あるかも知れないな。あるある」
「む~。お兄ちゃん、生返事しないでよ~。本当は心にもないでしょ?」
「とにかく母さんを探そう。まずは用事を済ませるべきだ」
お兄ちゃんは私に目もくれず、柑橘系の香水を片手に、館内をさまよい続けたわ。
「……ナミダ、ルイ……ここよ……」
「あっ」
ホールのロビーを通り過ぎたとき、横手から声をかけられたの。
グレーのパンツスーツを着飾ったお母さんが、脱いだコートを腕にかけて立ってるじゃないのよっ。やっと見付けた~。
湯島
よそさまの成人式をわざわざ見に来るだけあって、おめかしもばっちり。こんなお母さん滅多に見られないわよ。超レアすぎる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます