解答編

4――どんでん返しには見覚えがある

   4.




 あたしは駆ける。病院の出口へ。


 あたしは馳せる。安全な場所を求めて。


 窓から射し込む月光は、薄い三日月。おぼろげな採光は足がおぼつかなくて、あたしの全速前進を妨げたけど、ひるんでなんか居られないわ。


 階段を飛び降りて踊り場へ着地し、くるりと身を翻して再び階下へ跳躍する。


 ふと視界の端に、追っ手の人影を捉えた。


 ――もう追い付かれたの?


 あたしが病室を抜け出してから、ほんの数分しか経ってないのに。


 ママ。


 看護師さん。


 師長。


 他にも、病院に居たさまざまな人たちが、あたしを捕まえようと血眼になってる。


「待ちなさい馬鹿娘ぇ!」


「待って、氷雨ちゃん!」


「待つのよ、池野さん!」


「いや! 来ないで!」


 あたしは泣き叫びながら、とうとう病院の出口にすがり付いた。


 通用口って書いてあるけど、この際どこだって構わないわ。


 とにかく外へ!


 このから解放されるために――。


「あたしを外に出して! 中は嫌なの! 外がいいの! 外に出して! 外に――」


 ドアノブをぐいぐいとひねる。引っ張る。


 鍵はかかってないようだけど、焦るあたしの手がおぼつかないのか、それとも外から細工でもされてるのか、うまく開けられない。なんで?


 その間にも、追っ手が背後へ迫るのを、あたしは感じる。


(この感覚、ような……)


 まるでみたいな。


 どこかで見たことある、この『既視感デジャブ』――。


「氷雨ぇ! 待ちなさい!」


「いやっ! もう帰して! あたしを現実に帰してよ――」




「ここは、よ、氷雨さん。小説と、




「――へっ?」


 ここは――『病院オブザデッド その四』


 あたしは、我に帰ったわ。


 よどんだ夜闇が、パッと明るくなる。


 電灯だ。


 眩しい……。


 熱から冷めたあたしは、ゆっくりと振り返る。


 そこにはママと、看護師さんと、師長さんが立ってたわ。


 後ろには、刑事さんやお医者さん、その他ナースさんたち。


 そして、科捜研から来たっていう、津波さん。


(そうだった……この人たち、ゾンビじゃなくて人間だわ。あたしも逃げてる最中、この人たちをし)


 寝巻きのポケットから、スマホを取り出す。


 読みかけのケータイ小説が表示されてた。


「あたし、ケータイ小説に没頭する余り、の? 病院と同じ人物と光景に『デジャブ』を覚えて……」


「そう、ですね」


 津波さんが進み出て、神経質そうにメガネの縁を指でなぞってる。


 一言ずつ噛みしめるように喋る、落ち着き払った心理学研究員。


「あなたは、夜中に、スマホで、ケータイ小説を、たしなんで、いましたね。消灯後の、夜長に、ささやかな、楽しみとして」


「ち、違う……違うわ……」


 あたしの世界が崩れる。


 あたしの構築した世界が、暴かれて行く。


「いいえ、違いません。あなたは、わざと、小説と、現実を、似せました。何もかも、あなたが、仕組んだ、だったんです」


「違う――――っ!」




   *




 な、何がどうなってるの~?


 私――湯島泪――と、お兄ちゃん――自宅でスマホ越しに見聞してる――は、津波さんの後ろから、取り巻きの群衆とともに氷雨さんを観察したわ。


 すっかり夜も更けて、私は帰らなきゃいけなかったんだけど、これから面白い捕り物が見られるよって言われたら、是が非でも居残るしかないでしょ?


 そしたら、ご覧の有様ってわけ。


 スマホの向こうに居るお兄ちゃんだけが、一人で快哉を上げてる。


『氷雨さんはデジャブに囚われてたんだ。せいで「この景色見たことある」と錯乱してた』


「え? 現実を元にしてたんじゃなくて?」


だよ。小説のキャラ付けが元となって、現実の人物像も小説と同じに違いないと思い込んだ。小説が書かれた後、その上で現実をデジャブしたのさ』


「じゃ~池野ママも?」


『ペットを安楽死させたのは事実だろうね。娘を入院させたのも事実。でも、ペットも氷雨さんもんだよ。だって、氷雨さんだけじゃないか……って』


 ええっ!


 だとしたら、全ての事象が引っくり返るじゃないのよっ。


 私たち、あの小説がてっきり真実の告発文だと鵜呑みにしてたけど……考えてみれば、そんな確証ってのよね。


『氷雨さんは、ペットを死なせた母親が憎くて、何もかも母親の陰謀だと盲信したんだ』


「このボンクラ娘め」毒づく池野ママ。「末期ガンのペットを安楽死させて以降、娘はそれを認めたくなくて、気が狂ったのよぉ。母親の私を『代理による~なんたらかんたら』だと決め付けて、自分たちは健康だったと主張して――」


 そうだったんだ……。


「じゃ~、氷雨さんは何の病気だったんですか?」


「娘はペットの死がショックで、拒食症になって倒れたのよぉ。だから点滴を打たせていたってわけ。そんな娘の看病で、私は肩をこるし腰を痛めるしで最悪よぉ。周囲はもっと私をいたわるべきだわぁ」


 そういうことか~。


 ……とはいえ、周囲の同情を引きたがる性格は、本当だったみたいね。


「池野氷雨さんの診断書はここにあります」


 彼女の主治医らしき男性が、カルテを提示する。本当に病気だという『確たる証拠』だわ。


 津波さんは、改めて氷雨さんの正面に立ちはだかった。


「氷雨さん。あなたは、自分の、思い込みを、正当化、すべく、点滴に、筋弛緩剤を、自作自演で、仕込みましたね?」


 自作自演!


「小説の、感染源が、点滴、だったから、真似を、したのでしょう?」


「してません! 単に小説へのめり込んで、デジャブを感じただけです――」


「そして、あなたは、三人の、犯人候補を、描写しました。自分が、狙われている風に、書くことで、被害者として、振る舞うために」


「違いますってば!」


「あいにく、三人は、作中の、動機や、言動が、微妙に、不一致です。犯行の、原動力となる、ホワイダニットが、欠けています」


 ホワイダニットって、日本語で動機付けとか、そんな意味だったっけ?


 氷雨さんはムキになって反論する。


「動機なら『死の天使』と『代理によるミュンヒハウゼン症候群』という犯罪心理があるじゃないですか! あたしもネットで調べましたもん」


素人あなたの、浅知恵で、犯罪心理の、プロである、わたくしは、欺けませんよ」


 津波さん、人差し指でメガネを押し上げる。


 ぎらり、とレンズが鋭敏に光った。


「あたしが浅知恵ですって――」


「はい。第一に、師長の、雲村江里さんは、無実です。彼女は、あなたと、直接的な、接点がないし、師長という地位を、すでに、得ています。今さら『死の天使』として、患者を、悪化させてまで、献身的なナースを演じる、必要は、ないのです」


「うっ」


「仮に、ストレス発散による、患者いじめ、だとしても、不祥事を起こして、問題が、露見したら、せっかくの、地位を、失います。そんな馬脚を、現すとは、思えません」


 充分な地位を得た師長さんは、もはや危ない橋を渡る必然性がないのよね。


 ゆえに――白。


「第二に、あなたの母、雪絵さんも、無罪です」


「なぜ! あたしを入院へ追い込んだ張本人なのに!」


「代理によるミュンヒハウゼン症候群は、主に、幼い男児へ、母親が、行なう、虐待心理です。一八歳という、充分に成長した娘には、まず、実行されません」


「…………!」


「雪絵さんは、筋弛緩剤を、所有していません。可能性を、指摘して、心理的な揺さぶりを、かけましたが、本当に、持っていないようです」


「でも――」


「万が一、所有したとしても、雪絵さんが、氷雨さん以外の患者――先に亡くなられた中年女性と若年女性――を、あやめる動機が、乏しいです。なぜなら、雪絵さんは、周りの同情が欲しいだけ。赤の他人を、毒牙にかける、理由は、皆無ですから」


「なら、最後の新任看護師よ! あたしの点滴に異物を仕込めるのは彼女だけだわ!」


 氷雨さん、津波さんの後方に立ってる霧原さんへ人差し指を突き付けた。


 霧原さんは患者から目の敵にされて、複雑な面相してる。心中穏やかじゃないわね。


「彼女は、今年から、採用された、新人です。患者二名が、死亡したのは、去年末です」


「!」


「時期的に、犯行は、無理でしょう。あなたの、仕立てた、三人は、全員、白です」


「だからって、あたしが自作自演できるわけない!」


「氷雨さん、あなたは、筋弛緩剤サクシニルコリンを、持っていますね?」


「なっ……」


「雪絵さんが、ペットを、安楽死させたとき、氷雨さんも、同席していましたね?」


「そりゃあ愛犬でしたから。と同時に、ペットの次はあたしの番だと怖くなりました」


「安楽死で、ペットに、処方した、筋弛緩剤の、余りを、密かに、くすねましたね?」


「は?」


「動物の、安楽死に、用いる、薬は、サクシニルコリンです。あなたは、ホラー小説に、書いた通り、母親こそが、狂っていると、主張したかった。そのために、筋弛緩剤を、あらかじめ、盗んでおき、自作自演、したのです」


 母親に殺されかけたと『捏造』するために?


「全ては、あなたの、思い込みで、母親を、陥れるため――」


「無茶苦茶よ! あたしがいつ、自分の点滴に異物混入したんですか?」


「点滴袋は、普段、鍵付きの、保管庫に、ありますが、交換時間が、近付くと、あらかじめ、棚から、出して、近くの、机に、置いておく、そうです」


 あ~。やってたわね、そんなこと。


 その間だけは、机上に野ざらしってわけね。ほんの短時間だとしても。


「師長が、点滴袋を、机に置き、立ち去った直後、あなたが、人目を盗んで、薬を、注入します。その後、看護師が、点滴袋を、取りに来たわけです。防犯カメラは、皆無。使った注射器は、指紋を、拭いて、医療用ゴミ箱へ、捨ててしまえば、問題ないですね」


「あ、あたしはただ、小説と現実のデジャブに怖くなっただけで――」


 なんて白々しい弁解してるの、往生際が悪いな~。


 自分が書いた内容に自分で幻惑されてどうすんのよっ。


「中年女性と、若年女性が、死亡したのは、点滴袋に、異物混入するための、予行演習ですね? 保管庫に、忍び込む練習や、筋弛緩剤の、致死量を、確認したのでしょう?」


 津波さんの看破に、氷雨さんは言葉もない。


 たとえ私が点滴袋の穴を発見しなくても、氷雨さんは自力で発見できたんだわ。だって自分で針を刺したんだもん。被害者の振りもお茶の子さいさいだわ。


「ケータイ小説で、自分の、主張を、拡散しようと、思い付いたのは、現代っ子ならではの、発想ですが、ヤブヘビにも、なったようですね」


「違いますってば! あたしはママに怯えて暮らしたくないだけ! どうして信じてくれないの! もう嫌、罪をかぶるなんてまっぴら御免だわ!」


「おや、ヒステリー、ですか?」


「こんな世界、もう居たくない!」


 氷雨さんは癇癪を起こすや否や、懐中から一本の注射器を引っ張り出したわ。


 げ、まだ持ってたの?


 針の尖端が蛍光灯に鈍く煌めく。


「早まった真似は良くないねぇ」


 三船さんが説得しようと一歩踏み出すけど、ますます氷雨さんは金切り声を上げたわ。


「来ないで! そもそも、この小説を書いたのは、です! どうせ信じてもらえないでしょうけど!」


『何だって……』


 お兄ちゃんだけ反応を示す。


 他の人たちは、妄想癖の物言いなんて気にも留めなかったけど。


「あたしの危機を知らしめるために、優しい誰かが書いてくれたんです!」


「苦し紛れの、言い訳ですね」


「ほら、やっぱり信じてくれない」乾いた笑みを湛える氷雨さん。「さようなら」


 くるりと指先で回転させた注射針を、氷雨さんは己の首筋に突き立てたわ。


 私たちが止めに入る隙なんてない。あちゃ~、何てことを……。


「うぐぐっ! ううう――かはっ――くほっ――」


「お医者さん、救急手当てを!」


 のたうち回る氷雨さんに、三船さんが駆け寄る。津波さんは気難しく立ち尽くすのみ。


 浜里さんが右往左往する中、有象無象の医師や看護師、准看護師も動員して、昏倒する氷雨さんを集中治療室へ運んだけど……彼女が息を吹き返すことは、ついになかった。


『サクシニルコリンは、呼吸困難による窒息死もしくは心不全を引き起こす。安楽死と言っても、麻酔薬と併用しなければ、とてつもない苦痛だろうに……』


 お兄ちゃんが、無念そうにひとりごちる。


 事件の当事者による自殺――。


 後味の悪い閉幕に、誰もが言葉を失ってたわ。




   *




「お帰り、ルイ」


「ただいま~お兄ちゃん! わぁいハグハグ。って、お母さんはもう寝ちゃった?」


「ああ。今日は珍しく母さんの方が早く帰宅して、休んでるよ」


「私も疲れた~。お兄ちゃん、お風呂で背中流して~。あと添い寝も~」


「普段から要求してる内容ばかりじゃないか、それ」


「えへへ~バレた?」


「毎日言われてるからなぁ。それよりも、母さんが寝てる今のうちに、事件の補遺……もとい『思考実験』をしておきたい」


「え? まだ何かあるの?」


「ルイは本当にあの小説が、氷雨さんの作品だったと思うかい?」


「だって、本人がそう言っ――……あれ? ?」


「本人は最期に否定した。。あれは現実の告発文じゃなかった」


「こ、根本から引っくり返されるわね、それ……」


「氷雨さんは一度たりとも、あれが。ケータイ小説を読んで、現実とのデジャブに悩んでただけだ。ケータイ小説に誘導されてたんだよ、映画やゲームの影響を受けるのと同じだ。あるある」


「でも~、小説の作者って『ヒサメ』でしょ? 同名よ」


「氷雨さんの名を騙った偽者じゃないかな? だから氷雨さんはますます無視できず、夢中に読みふけったんだ。昼も夜も、寝る間さえ惜しんで」


「一体誰なのよ、そいつ!」


「新任看護師の霧原さんが有力だね」


「あの人がっ?」


「彼女も一人称が『』なんだよ。小説の内容を既知だったのも、作者なら頷ける。オブザデッド系が好きだとも言ってたから、題材をゾンビにしたんだろう。四〇四号室の看護がてら患者の身辺情報を耳に入れ、小説のネタに出来ると思い立った」


「理由は?」


「ただの趣味だろう。題材を得たからだけ。たまたま去年に女性患者二名が死亡してたのも、霧原さんの創作意欲を刺激した」


「ん? 去年の出来事は、新任の霧原さんには手を出せないよね?」


「女性患者二人は、単なる事故さ。運悪く立て続けに、心不全と呼吸困難で死亡した。それは筋弛緩剤の死亡例に『偶然の一致』してた」


「あ! その偶然が、もしも異物混入の仕業だったら……っていう着想アイデアを得たのね!」


「そう。現実からネタを拾い、小説に書いた。それをたまたま読んだ氷雨さんは、当然ながら現実に似すぎてて『デジャブ』を覚え、虚構との区別が付かなくなった」


「ん~。たかが小説がそこまで影響を与えるかな~? 氷雨さん、最後は自殺しちゃうくらい思い詰めてたよ?」


「一編の小説が人生を変えることだってあるさ……ましてや、母さんが教えてくれただろう? 霧原さんは元『被験者』だってね」


「被験者! お父さんの――」


「感情の共有・移植・複製。霧原さんの想いを込めた小説は、本人の自覚あるなしに関わらず、甚大な共感作用を波及する。当事者モデルの氷雨さんが、影響を受けないはずがない」


「自覚あるなしに関わらず……無意識のうちにってこと?」


「普遍的を介した『怪物』だね。道理で氷雨さんもデジャブするわけだ。小説の光景を、造詣を、完璧に信じ込まされたんだからさ……今回は、僕の負けだ」




   *




迷宮入り(表向き解決)







 湯島涙は可能性を述べたにすぎません。真相は藪の中……人の心の数だけあります。あなただけの解答を考えてみて下さい。

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