1――成人式へ(後)
「やぁ母さん、香水を届けに来たよ」
お兄ちゃんがまっすぐ歩み寄って、パルファムを手渡す。
微笑んだお母さんはそれを受け取るなり、すぐさま後ろへ身を翻したわ。ん、どこ行くんだろ~と思って覗き込めば、その奥にはお母さんへ親しげに手を振る新成人とご両親が並んでたの。
誰?
初めて見る顔ばっかだわ。
「おやおや、湯島先生のお子さんですかな」
ご両親とおぼしき男性が問いかけたわ。お母さんと同年代くらいの人。
「よく似ていらっしゃいますね」
その男性に隣接する壮年女性が、にこやかに頬をほころばせてる。
「――フン。まだガキじゃねぇか」
新成人とおぼしきスーツ姿の男性が、鼻を鳴らしてる。
む。何よこいつ。
初対面なのに失礼ね。
この家族がお母さんの知り合いなの?
「……紹介するわ……この方たちは
「!」
「なっ――」
お兄ちゃんの剣幕が歪んだ。
私は気圧されてたたらを踏んじゃう。
首謀者――?
それって、お父さんを殺した主犯格ってことよね?
こいつが、お父さんの心理学研究『感情の共有能力』を逆手に取って、被験者たちを心理操作し、命を奪った張本人なの?
「――フン。もう十一年も昔のことだろ」
雨川洸治って奴、そっぽ向いて毒づいてる。
ご両親はフレンドリーなのに、こいつだけ悪態だらけね。改悛の情が微塵もないじゃないの。本当に成人男性なの? 反発する仕草とかガキっぽいし。長い時間を少年院で過ごしただろうから、反抗期の情操教育がろくに出来てないんじゃないかな。
(新成人ってことは今、二〇歳なのよね? てことは、お父さんを殺した十一年前は……九歳!?)
私は寒けに襲われたわ。
ほんの九歳のときに、こいつは人を殺したの?
「子供の方が感受性は強いからなぁ、あるある」ゆらり、と正面に立つお兄ちゃん。「僕は当時五歳だったけど、僕も父さんの研究にときどき呼ばれてたものさ」
「――フン。誰かと思えば、お前、あの実験で最年少だった『被験者』じゃねぇか」
洸治がお兄ちゃんを見下ろす。
平均身長よりやや低めのお兄ちゃんは、洸治より頭半分ほど小さいの。
ま、私に言わせれば、洸治がウドの大木ってだけよ。でかい図体が偉そうにのさばってんじゃないわよ。
洸治は上背の高い、粗野な佇まいだったわ。やぶにらみの面相はお世辞にも柄が良いとは言えないし、いかにも前科持ってますって感じ。
「おい洸治、わきまえなさい」
父親の正法さんが諭すと、洸治は「――フン」って鼻息を荒げて引き下がったわ。
一応、分別は付いてるみたいね。
それにしたってこの邂逅は地雷すぎるよ~。お母さんってば、何のつもりでこんな奴の成人式に参加しちゃったわけ?
「……雨川洸治くんは……十一年前、神童ともてはやされたわ……人の心を読んだり、真意を言い当てたり、共感して救いの手を差し伸べたり……亡夫の研究にこれほど合致した人材は居なかったほどよ……でも、そんなある日……」
お母さんってば、にわかに口をつぐんじゃった。
え、そこで区切るの? 早く続きを教えてよっ。
なんてヤキモキしてると、母親の活美さんが間をつなぐように講釈を垂れ始めるの。
「うちにはもう一人、息子が居たんです。洸治の兄に当たる、
ひろし?
ふ~ん……今は見当たらないみたいだけど。
「十一年前、洋司は高校生でした。洸治とは九歳離れた兄弟です。洋司には当時付き合っていた同級生の女の子が居て、一緒によく遊んだりしていました。あの夏の日も、その子と雨川家は海水浴に出かけたのですが――」
「海で事故に遭い、洋司は帰らぬ人となりました」今度は正法さんの弁。「以来、洸治は塞ぎ込み、精神を病んでしまいました。もともと人一倍感受性の強い子でしたから、兄を失った衝撃は計り知れず――」
「……それで、うちのお父さんの精神科へ……診察に来たのよ……」
お母さんが綴ったわ。
それが、こいつとお父さんの馴れ初め?
なのにどうして、お父さん殺害になっちゃったの?
「……洸治くんは……失った兄を脳内で補完すべく……新たな精神を萌芽させたの……」
「へ?」
「……俗に言う『二重人格』よ……」
二重人格ぅ?
「解離性同一性障害か」腕組みするお兄ちゃん。「一つの肉体に、複数の表層意識が宿ってしまう心の病気だね、あるある。強烈なトラウマや事故の衝撃から精神を守るために、攻撃的な性格になりやすいとも言われてる。その人の場合は、さしずめ――」
「――フン。俺の心ん中にゃ、兄貴の人格が住み着いてたんだよ」
洸治自身が呟いたわ。
吐き捨てるように、ぶっきらぼうに。
「――俺には判るんだよ。兄貴は死してなお、魂が、精神体が、残留思念化してたんだ。殺された精神科医――てめぇらの父親だったな――が言うには、普遍的無意識を通じて、兄の精神が俺の脳内に共有・転写されたんだとさ」
ふ、普遍的無意識ぃ?
そんなアホな、って言おうとしたんだけど、私以外みんな異論ないみたい。
え~、信じちゃうの? こんな与太話を? そりゃ~『普遍的無意識』には、あらゆる人類の感情や精神が貯蔵されてて、ときどき他人に提供されるらしいけど~。
「……それ以来……わたしは洸治くんの二重人格を治療しつつ、彼を少年院で更正させたわ……ようやく去年、出所できたのよね……」
で、今年めでたく成人したってわけね。
本当に更正したのかしら? 到底、改心したようには見えない粗暴っぷりなんだけど。
「……わたしは夫の後を継いだ精神科医として……かつて患者だった洸治くんの成人式を見届けたいの……きちんと罪をつぐなって……社会人として生きて行く姿をね……」
「――フン。勝手にしろ」
洸治はまた顔を背けたわ。
こいつ、誰とも目を合わせようとしないわね。態度悪~い。
「おい洸治、そんな顔をするな」
父親がなだめてる。
手間のかかる息子よね~。こんなのが新成人だなんて笑わせてくれるわ。
「今日はな洸治。死んだ洋司の恋人だった女性も、見に来てくれる予定なんだぞ」
「――何ぃ!」
あからさまに洸治の挙動が不審になった。
あはは、うろたえてる、うろたえてる。
目は相変わらず泳いだままだったけど、そわそわしてるのが見て取れるの。
(十一年前に、洋司さんの恋人だった女性か~……)
どこに居るんだろ~と思って周囲を見回したわ。
十一年前に高校生だったなら、今頃はもうアラサーよね。二〇代後半のはず――。
「お待たせ、しました、雨川、さん」
――不意に、聞き覚えのある声が浴びせられたわ。まるで背後から忍び寄るように。
(あれ? この声と喋り方って、どこかで聞いたことあるような?)
私たち、この人を知ってる。
全員で仰ぎ見たその女性は、深緑のコートを羽織り、短い黒髪をせいぜいヘアピンでまとめてオシャレっぽく装った、黒縁メガネの淑女だったわ。
今度は、他人の空似なんかじゃない。
ええっ? この人が洋司さんの恋人だったの――?
「洸治くん、お久し振りです。わたくしの、名は、津波澄子。洋司さんの、元カノです」
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