2――会場へ(前)
2.
目ん玉引ん剥く、とはこのことよね。
私たち湯島一家は全員、思いっきり引いてたもん。ここだけ静止画像みたいに固まってて、世界の時間から取り残されたみたいになってる。
「津波さんの十一年前って」かろうじて喉から絞り出す私。「そっか、ちょうど中高生の頃なんだぁ~……」
予想だにしなかった人物の登場に、私はとんちんかんな物言いしか出来なかったの。
女性の年齢を詮索するなんて失礼かな~とは思ったけど、頭の中を整理するためには確認が必要だったのよ。ごめんなさい~許して~。
「まさかの大物が釣れたなぁ。あるある」めったにないってばお兄ちゃん。「ところで津波さん、先ほど植え込みの辺りに居ませんでしたか? 紺色のコートを着て」
え、それを尋ねちゃうの?
確かにさっきのそっくりさんは気になる存在だったけど、それ所じゃなくない?
単なる『他人の空似』ってことで決着付いたんだし~……。
「何の、こと、です?」案の定、小首をかしげる津波さん。「わたくしは、今日、深緑色のコート、ですけれど」
うん、モスグリーンの地味なコートを羽織ってる。
髪の毛もヘアピンで整えてるし、さっきのそっくりさんとは細かな差異があるわ。
やっぱり別人なんじゃないかな~?
「……わたし、知らなかったわ……あなたが雨川洋司さんと交際していたなんて……」
お母さんが改めて仰天してる。
まぁ当然よね。お母さんは飽くまで雨川洸治の二重人格を通してのみ、雨川家の内情に接してたんだもん。兄である洋司さんの恋人までは知る由もない。
「わざわざ、過去を、お話、する義理も、ありませんから、接点が、なかっただけです」
津波さん、冷ややかにお母さんを牽制したわ。
これがこの人の通常な発言なんだけど、心なしか距離を置きたがってるようにも聞こえちゃう不思議。
津波さんは私たちを振り払って、お目当ての雨川家に相対したわ。
「雨川さん、お久し振り、です」
「澄子ちゃん、ご無沙汰だね」
亭主の正法さんが手を広げて歓迎する。
「元気だったかしら?」
活美さんも微笑んで会釈してる。
「――フン」
洸治だけはそっぽ向いてる。こいつ本当に人と顔を合わせないわね。
「あれから、十一年。長いようで、早かった、ですね」
伏し目がちに呟いた津波さん、こんな表情も出来るんだな~って私、驚いちゃった。
淡々としてる印象が強いけど、プライベートでは感傷に浸ることもあるみたい。
むしろ、十一年前の出来事が発端となって、今みたいな性格になったのかな? 恋人と死別するなんてショックだろうし、人生を一変させたとしても充分に頷けるもん。
「洋司さんが、亡くなったのは、暑い、夏の日、でした」
ついには完全にまぶたを閉じて、思い返すように回想を語り始めた。
未だに過去を引きずってるんだわ。新たな恋をすることもなく? だとしたら一途だけど、昔の呪縛に囚われてるとも言えなくもないわね。
「洋司さんは、いつも、レモンの香水を、好んで、付けていました。あの香りが、漂うたびに、わたくしは、彼を、思い出します」
言いながら、津波さんはコートの内懐からレモンの香水を覗かせたわ。
肌身離さず持ち歩いてるのね……自分に振りかけたりはしないみたいだけど。
「わたくしは、洋司さんを、通じて、雨川家とも、懇意になり、しばしば、ご家族の遠出にも、同伴させて、いただいていました」
「あの夏の日は、みんなで海へ行ったんだったな」
正法さんも、辛気臭い面持ちで言葉をつないだわ。
海で事故があったんだっけ?
さっき話してたやつよね。海水浴に出かけた際、洋司さんが事故死して、弟の洸治が二重人格になったっていう――。
「急に天気が荒れ始めてなぁ。ほんの少し前まで穏やかだった海面に、突如として高波が押し寄せて来た。我々は命からがら岩場へ避難したが……洋司だけは逃げ遅れて、岩盤に頭を叩き付けられ、死亡しているのが発見された。不幸な事故だと諦めるしかないが……いわば津波に殺されたようなものだ」
「――フン。そうだな、津波に殺されたんだと思うぜ?」
やおら踵を返した洸治が、初めて私たちの顔を眺め回したわ。
一人ずつ目を合わせては、たぎるような眼光で睨みを利かせるの。
何こいつ。いちいち挑発的ね……ていうか、私たちまでガン飛ばされる筋合いはない気がするんだけど? とばっちりも甚だしいわっ。
「――そうだ、あれは事故じゃねぇ、殺人だ。兄貴は殺されたんだよクソッタレ!」
「は?」
正法さんが顔をしかめる。次いで活美さんも血相を変えたわ。
「洸治! いきなり何てことを言うの――」
「下らねぇ不幸自慢はやめろよ。俺は知ってんだ。かつて兄貴の人格と脳内で同居してた俺は、全部聞いたんだよ。ありゃ事故に見せかけた殺人だったってな!」
な、何か知らないけど唐突な暴露話が始まったわね……。
爆弾発言にもほどがあるわ。殺人だなんて。
雨川夫妻も、津波さんも、ついでにうちのお母さんまで、上体をのけぞらせてる。それは荒唐無稽な洸治の仮説に度肝を抜かされたんじゃなくて、まるで秘密を告発されたときのような後ろめたさを匂わせてた。
ちらりと横目で伺うと、お兄ちゃんだけは第三者目線で無表情を決め込んでる。
さすが、お兄ちゃんは神の視点だわ。素敵。惚れる。濡れる~。
「――フン。俺は全部知ってんだぜ? 兄貴と澄子さん、頻繁に喧嘩してたじゃねぇか」
「喧嘩、ですか?」
津波さん、頭の上にクエスチョンマークが浮かんでたわ。ごまかしてるんじゃなくて、本当に心当たりがないっていう反応よ。
でも洸治は物怖じせず、さらに語調を剣呑に荒げるの。
「――すっとぼけんじゃねぇよ。十一年前、兄貴と澄子さんは高三だった。高三の夏と言やぁ、受験だの進路だので大事な時期じゃねぇか。二人とも、進学で揉めてたろ?」
進路問題ってこと?
ま~受験生なら誰もが悩むことだろうけど。
その息抜きとして、海水浴に出かけたのかな?
「――澄子さんは頭が良かったが、兄貴はせいぜい中の上だった。同じ大学を目指すか、別々に進むかで、密かに揉めてたそうじゃねぇか」
「そんなことも、あったかしら」
津波さんは無難に受け流そうとしてる。
それは本当に心当たりがないのか、もう忘れてしまったのか、それとも知っててとぼけてるのかは、彼女の振る舞いからは読み取れない。
「――海水浴のときもそうだ! ちょくちょく二人きりになっては、岩場の陰で口論してたのを俺は耳に入れたぜ! 喧嘩まがいの口論をな! 外面的にゃ交際を続けてたが、実質は別れる寸前だったんじゃねぇの? ナーバス過ぎて」
「覚えが、ありませんね」
津波さんは飽くまでしらを切ってる。
本当に潔白なのかも知れないけど、その澄ました態度がますます洸治の神経を逆撫でしたのは想像に難くなかったわ。
「――ふざけやがって。口論の末に、てめぇは兄貴を撲殺したんだ! もしくは喧嘩の弾みで突き飛ばしたとかな。それを荒波に揉まれたように偽装すりゃ、完全犯罪成立だ」
「言いがかりは、やめて、下さい」
「――事実だろうが! その後、てめぇは恋人の死を悼む振りしてりゃ、周りも同情して疑わねぇ。十一年も経って、弟の成人式に顔を出すなんざ、わざとらしいんだよ!」
うわ~。
すっごい論理の飛躍っていうか、思い込みの激しさを目の当たりにしたわ。
こいつ……洋司さんの死が、津波さんの仕組んだ完全犯罪だって言いたいの?
証拠も何もないけど、洸治はそう信じ込んでる。
そんな心の歪みが、彼を二重人格に陥れたんだわ。兄の洋司そっくりな人格を芽生えさせ、精神科医である私たちのお父さんに診察された――。
「確かに二人の仲は多少ぎくしゃくしていたが」
正法さんも、ほんの少し賛同したわ。活美さんも思い出したように頷いてる。
「そう言えば、そうだったわね。きっと二人は受験勉強で息詰まっていると思って、気晴らしのために海水浴を計画したのよね」
「何度も、申しますが、わたくしは、覚えて、おりません」
津波さんだけ、かたくなに否定してる。
でも、ここまで雨川家が口をそろえてると、なかなか否定しきれないわよね……。
「わたくしは、今も、洋司さんを、愛して、いますし、雨川家の皆さんにも、親愛の、情を、寄せております。弟の、洸治くんを、祝うべく、成人式にも、馳せ参じたのです」
「――フン。それがとんだヤブヘビになっちまったな?」
洸治は再び目をそらすと、憎まれ口を叩き始める。
こいつ、ずっと津波さんのことを苦々しく思って暮らしてたのね。今頃になって恨みを爆発させるなんて、成人式に現れた津波さんを疎ましく思ってるのは明白だわ。せっかくの晴れ舞台を汚しやがって、って暗に物語ってる。
うわ~、すっごい気まずい……。
『ただ今より、会場ホールにて成人式を開始します――ホールへお集まり下さい――』
館内アナウンスが流れたのは、ちょうどそんなときだったわ。
た、助かった~。
ナイスタイミングよね。こんな険悪な空気で対峙するなんて、よほどのマゾでもなきゃ耐えられないもん。私だって御免だわ。お兄ちゃんの言葉攻めとかなら好きだけど。
洸治は舌打ちしつつ、私たちに背を向けたわ。
みんなの視線を一身に浴びる中、ひときわ大きく鼻を鳴らして遠ざかってく。
「――フン! そんじゃ行って来らぁ。澄子さん、てめぇはとっとと帰れよ」
「…………」
津波さん、返事せず。
この人が言葉に詰まるなんて相当珍しいなぁ。いつも殺人現場で理路整然と喋ってる様子しか見たことないから、意外な一面を目撃しちゃった気分。
「では我々も、ホールを覗くとしよう」
正法さんが気を取り直したように張り切ってる。
え? 私たちも?
「新成人の関係者や親族なら、ホールの後ろの方に参席しても良いのよね」
活美さんも楽しみにしてる。
へ~、そうなんだ……関係者限定かぁ。
「……わたしもお供します……」雨川夫妻に追従する気満々のお母さん。「……ナミダ、ルイ……二人はもう帰りなさい……お使いはもう終わったわ……」
「私はお兄ちゃんに従う~」
「主体性のない妹だな、あるある」頭を掻くお兄ちゃん。「僕も、出来れば成人式を見てみたいな。関係者と見なされるか不安だけど」
「え。お兄ちゃん、式を見たいの?」
「成人式には、地元出身の芸能人や有名人がゲストに来るだろう?」
「お兄ちゃん、そんなの興味あったんだ? 意外とミーハー? あっ、でも冬休みの間、リビングに居るときはしょちゅうテレビつけてたもんね」
お兄ちゃん、家に居る時間が長いから、実はテレビっ子だったんだわ。
「湯島さんたちは厳密な関係者とは言いがたいが、どうせ誰も止めやせんだろう」
正法さんがお兄ちゃんを招いてくれたわ。
よっぽど不審人物でもない限り、見咎められることはなさそうね。ホールの後ろで立ち見する程度なら黙認されそう。
「……もう……わたしは帰れって忠告したのに……仕方ない子たちね……」
お母さんが呆れて肩をすくめたわ。
そう――素直にこのとき帰ってれば、何も巻き込まれずに済んだのよね、私たち。
このあと発生する、目をそむけたくなる大惨事から――。
*
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