2――裏庭へ(後)
屋敷に戻った頃、スレンダーな私の足はさらに棒と化しちゃったけど、おば……姉さんはケロリとしてた。
な、何よこの差は……私の方が一回りくらい若いのに~。
(この迂回路、片道だけで一〇分くらい歩くから地味に疲れるわ~。起伏も激しいし)
つまり往復で二〇分。じわじわ負荷がかかり始める距離よね、これ。
そんな苦労をして見たのが、凍助おじいさんの研究だなんて割に合わな~い。
「おば……姉さんは、錬金術って信じますか?」
玄関で靴を履き替えながら、私は唇を尖らせるの。
一足先に框を上がったおば……姉さんは、冗談めかすように肩をすくめる。
「さぁ……所詮は金持ちの道楽よ。好きにやらせておくのが無難だわ」
「ご家族なのに放任主義なんですね」
「今さら言っても聞かないし……あ、それに錬金術ってね、心理学にも登場するのよ」
「えっ?」
思いがけない話題に飛び移ったわ。
心理学に錬金術?
私が眉をひそめると、おば……姉さんは内懐から一冊の本を取り出したわ。
文庫サイズの書物ね。表紙には『猿にも解る心理学入門』って書いてある。いつも持ち歩いてるのかしら。お仕事に必要なのかな、犯罪心理とか。
「これによると……ユングは錬金術の研究もしていたそうよ」
「そうなんですか?」
「ええ……『
「あるす・すぱぎりか?」
また判んない言葉が出て来たぁ~。
「スパギリカとは、ギリシャ語で分析するという意味の『スパン』と、逆に統合を意味する『アゲイレイン』に由来する造語よ……錬金術は、元の物質を分解し、手順を教育して変容させ、やがて原理を究明するという段階的なプロセスで成り立っているの……心のありようもまた、それと同じ方法で読み解けるとユングは説いたわ」
おば……姉さんがドヤ顔で述懐してる。
と言っても書物の受け売りっぽいから、あんまりピンと来なかったけど。
「難解すぎてどうでもいいです」ぷい、と本から目を逸らす私。「お兄ちゃん以外の人からあれこれ教わっても、あんまり面白くないですし」
興味を惹く語り手って大事よね。
「お兄ちゃん……?」
「こっちのことです。あ、私、手を洗って来ますね」
私はそれっぽい理由を付けて、屋敷の中を一人で歩いたわ。
さっき裏庭で転んで、手が汚れたのは事実だし、洗面所に行くのは自然よね――。
「きゃあっ危ない!」
「え?」
――けど。
廊下を突っ切る途中、おかしな人物と鉢合わせちゃった。ていうか、危うく衝突する所だったわ。
「鮎湖さんっ?」
「えっと、これは、そのっ」
廊下の横手、何もない壁際から忽然と、鮎湖さんが出現したじゃないのよっ。
どこから出て来たの、今?
――って、よく見たらその壁、薄板を貼っただけで、押せば開くよう改造されてたわ。力強く押すと、あっさり反転して隠し通路が出現するカラクリ――。
「ひょっとして抜け道? 『隠し通路』ってやつ?」
「あああバレた……」
私が勝ち誇るのと対照的に、鮎湖さんはその場にくずおれちゃった。
ぺたん、と内股に尻餅を突くのが可愛らしいな~。着物も似合ってるし。
「へぇ~、隠し通路ってここにあったんですね」
「わたくしもたまたま、壁の構造に違和感があるのを発見しただけです、ほんとに」
「たまたま~?」
私は愉快になって、鮎湖さんの眼前にしゃがみ込んだわ。足を折り曲げたとき、ミニスカだからパンツ見えないか危惧したけど、女どうしなら構わないか。
至近距離で見つめ合う。鮎湖さんはしばらく無言を貫いたけど、やがて根負けしたわ。
「……実はこの隠し通路が、再び開通していることに気付いたんです」
「開通? 本当に?」
この抜け道って、出口側が川の土砂で埋まってたんじゃなかったっけ――。
「これこれおぬしら、廊下で何しとるんじゃ」
――そのとき、廊下の奥にあるトイレから、雹造おじいちゃんが出て来たわ。
わわっ、そんな所に居たのっ?
そうだった、おじいちゃんってば「トイレが近い」ってボヤいてたもんね。ちょくちょくトイレに立ち寄ってるんだわ。
私たちは動きを止めて、抜け道を隠すように壁際へぴったり並んだわ。だって、さすがに知られると面倒なことになるじゃない?
「な、何でもないよ、おじいちゃん! ただの立ち話、ガールズ・トークだよ~。ね?」
「あっはい、そうですね、わたくしも久々に若い女の子と話せて嬉しいですっ」
「ふむ、そうか。あまり廊下で騒ぐでないぞ」
「は~い」
おじいちゃんはそのまま廊下を横切って、和室へ戻って行ったわ。
「で? 鮎湖さん、隠し通路が何だって?」
「それがですね。最近、凍助さまが裏庭の土を掘り返しているじゃないですか。そのせいで、抜け道を埋めていた土砂も取り除かれたのです!」
「わぁ、凄いじゃないの」
私はさっそく足を延ばしたわ。
すかさず鮎湖さんが私の背中にしがみ付いたけど。
「お嬢様、どこへ行くおつもりですかっ?」
思い切りしがみ付かれて、鮎湖さんの豊満な胸が押し当てられる。むぅ、でかい……。
「行かせませんよっ。隠し通路に入るおつもりでしょう?」
「だって、歩いてみたいじゃない。裏山の迂回路だと片道一〇分近くかかるけど、隠し通路なら直通なんでしょ?」
「ですが、出口付近は工事中ですっ。万が一崩落でもしたらと思うと、怖くて引き返して来たんですよっ」
「あ~、それでさっき、ここから出て来たんだ?」
「はいっ」
「なら、二人で行けば怖くないわよ」
「ええっ?」
鮎湖さんが、脳天から抜けるような悲鳴を上げたけど、私は構わなかったわ。鮎湖さんの手を引いて――半ば引きずるようにして――隠し通路へ潜り込んだの。
「……案外、普通ね」
「そりゃあ、ただのトンネルみたいなものですし」
あいにく、ゲームのダンジョンみたいな冒険心をくすぐられる風景なんて、どこにもなかったわ。薄暗いし、
壁や天井には木板が打ち付けられてるけど、長い年月を経てあちこち腐ってるわね。
幅員は、人一人がようやく通れる程度よ。女の私でもギリギリだもん、男性は辛そうだな~。昔の日本人は現代人より小柄だったから、平気なのかしら?
「あ、出口だわ!」
観音開きの扉があって、隙間から陽光が漏れてた。
踏破時間、わずか五分足らず。
迂回路の半分以下じゃないの!
晴れて飛び出したそこは――さっきも見たばかりの――コンテナハウスが並び立つ裏庭だったわ。穴だらけの地面と、川岸の頑丈な岩だたみ。
「わぁ~。ここに通じてたのね……って、足下、スリッパのままだけど、まぁいいか」
スリッパで恐る恐る、コンテナハウスの玄関へと歩を進めたわ。
続いて来た鮎湖さんも、必然的に正面のハウスを目の当たりにする――。
「え」
――そして、固まっちゃった。
私も、鮎湖さんも、二人同時に。
だ、だって。
そこには――。
「し、死んでる?」
――凍助おじいさんが、玄関の前で、胸部から血を流して昏倒してたのよ。
え、何これ。
どういうこと?
こんなときって、とにかく声をかけて安否の確認……でいいんだっけ?
「息……してない」
おっかなびっくり近付いてみたけど、すでに事切れてる感じ。
患部である左胸には、鉄製の太い
(これって、
さっき見て来た光景が、脳内に蘇る。
凶器が刺さったままなので、出血は少ないみたい。だけど、玄関口に敷かれてたマットへ、じわじわと流血が染みつつあったわ。
仰向けに倒れてる凍助おじいさんは、壮絶な死に顔をさらしてる。
「な、なんで……うっぷ」
吐き気。
たまらず口を押さえた私につられて、鮎湖さんも顔色を青ざめさせてる。
「だ、誰かに知らせないといけませんねっ。工事員の方はっ?」
「そう言えば、見当たらないわね」
「三時の休憩時間ですねっ。きっと迂回路から屋敷へ戻り、休憩室で一服しているかと」
あ~、そんなこと言ってたわね。
三時になったら、おやつ休憩で屋敷にも立ち寄るって。
じゃあ、工事員が先に屋敷へ向かったあと、一人になった凍助おじいさんが殺されたってこと?
「わ、私たちも屋敷に戻って、このことを伝えないと!」
私は転がり込むように、抜け道へとんぼ返りしたわ。
この隠し通路なら屋敷まで一直線だから、最速で雹造おじいちゃんたちに連絡が取れるはずよね? そうだよね――?
――そうだと言ってよ、お兄ちゃんっ。
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